残業100時間で恋に落ちるとは聞いてません~その手を取ってしまえば、もう後戻りはできない

中岡 始

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第6章:静かに横たわる傷

全部知ったうえで、好きやと思うんです

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病室の扉をノックする音が、柔らかく室内に響いた。

玲は、窓際の方へわずかに目を向けただけで、返事はしなかった。  
それでも扉はゆっくりと開き、陸がひとつ深呼吸をしてから、静かに中へ入ってきた。

その動作にはもう、迷いがなかった。  
気まずさでも、無理やり明るく振る舞おうとする空元気でもなく、ただまっすぐな歩みだった。

玲はベッドの上で起き上がっていた。  
白いシーツの上にきちんと置かれた両手、掛け布団の下の細い肩。  
顔色はまだ本調子には見えないが、意識ははっきりとしていた。

陸はベッドの横の椅子を引き、座る。  
座る前に視線を合わせることはなかった。  
けれど椅子に沈み込んだあと、ゆっくりと玲の顔を見た。

「……如月主任。俺、今日、話したいことがあって来ました」

玲は何も言わず、ただこちらを見ていた。  
まなざしに色はない。  
警戒も拒絶も、あからさまな受容も。  
ただ、受け止める準備だけがそこにある気がした。

陸は一度だけ目を伏せ、息を整える。

「全部……知りました。東京でのことも。  
どうして主任が、笑わんようになったかも」

玲のまつ毛が、一瞬だけ震えたように見えた。  
それでも、表情は変わらない。  
唇の線が、わずかにきつく閉じられているだけだった。

陸は言葉を続けた。

「俺、知った上で言います。  
主任のこと、好きやと思うんです」

その声は、穏やかだった。  
高ぶるでもなく、迫るでもなく。  
まるで静かに手渡すような、そんな声音だった。

「完璧なとこも、怖がって距離とるとこも、  
ほんまは誰かに頼りたいのに、頼る方法を忘れてもうたとこも、  
ぜんぶ知って、それでも、俺は如月さんを好きやと思います」

玲の指先が、わずかにシーツを握る。  
それは自分でも気づかぬ反応のように見えた。

陸はゆっくりと言葉を継ぐ。

「今までみたいに黙ってそばにおるだけでもええし、  
拒まれても、逃げられても、  
それでも好きって気持ちは変わらんと思います」

玲は、まっすぐ陸を見ていた。  
その瞳の奥にあるものを読み取ろうと、陸は視線を外さなかった。

数秒の沈黙。  
それがとても長く感じられた。

やがて、玲が小さく口を開いた。

「……知らんふりして」

その言葉は、小さな音だった。  
でも、はっきりと響いた。

「俺がどう思ってるか、  
どんなふうに心の中がぐちゃぐちゃになってるか、  
どこまで傷が残ってるか、  
全部、知らんふりして……」

語尾がかすかに揺れていた。  
でも、涙はこぼれなかった。  
眉も、口元も、崩れなかった。

ただひとつだけ、玲のまなざしだけが、わずかにきらめいた。

陸はそれ以上、言葉を継がなかった。  
どんな言葉も、今のそのひと言より強くはなれない気がした。

「わかりました」

そうだけ言って、ゆっくりと椅子を引いた。

立ち上がり、ベッドの隣を通って扉の前へ向かう。  
足音は静かだったが、その背中からは、何かがこぼれ落ちそうな緊張が滲んでいた。

手をかけてドアを開けようとしたそのとき。

後ろから、何も聞こえなかった。

でも、感じた。

玲がまばたきをひとつして、わずかに目元を揺らしたこと。  
ほんの一瞬、口元が動きそうになったこと。  
それが言葉にならなかったこと。

陸は振り返らなかった。

けれど、その気配を胸に抱いたまま、病室を後にした。

廊下に出ると、窓の外はもう夕暮れの色に染まっていた。  
橙と群青のグラデーションの中に、沈みきらない光が残っている。

その光は、まるで、まだ終わっていない感情のかけらのようだった。
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