猫の先生は気まぐれに~あるいは、僕が本を読む理由

中岡 始

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仕方なく読み始める

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 陽向は、手にした本の表紙をまじまじと見つめた。

 『走れメロス』

 「……マジかよ。こんなの、中学入学前に読まされるやつじゃん」

 思わずぼやくと、トラ老師がピクリと片耳を動かした。

 「ほう、お前、読まずに内容がわかるのか?」

 陽向は口を開きかけたが、すぐに言葉を飲み込んだ。

 「……いや、それは……」

 そう。タイトルは知っているし、授業で冒頭部分くらいは読んだことがある気がする。
 でも、最後までちゃんと読んだことはない。

 「ほらな」

 トラ老師は、まるで勝ち誇ったかのように喉をゴロゴロと鳴らした。

 「食わず嫌いは損をするぞ」

 「うぜぇ……」

 陽向はため息をつきながら、しぶしぶページを開く。

 ── だが、その瞬間。

 ドスッ

 「…………は?」

 視界が一瞬、暗くなる。
 何かが本の上に乗っている。

 「おい!! 俺が読もうとした瞬間に乗るな!!!」

 陽向が叫ぶと、トラ老師はのんびりと前足を舐めながら、堂々と本の上に鎮座した。

 「ほう、では俺にどけと言うのか?」

 「当然だろ!!!」

 「しかし、ここは実に快適な座り心地だ」

 「読ませる気ゼロかよ!!」

 陽向は眉間に皺を寄せながら、慎重にトラ老師をどかそうとする。
 だが、猫というのは本当に頑固な生き物で、一度気に入った場所からなかなか動かない。

 「お前がどかないなら……こうする!!」

 本の端をそっとめくりながら、無理やり隙間から読み始める。

 ── メロスは激怒した。

 陽向はチラリとトラ老師を見る。

 「……お前みたいなやつのせいで、俺もちょっと怒りそうなんだけど」

 「それは名作に共感している証拠だな」

 「違うわ!!」

 陽向は思わずツッコミながら、なんとか本を読み進めようとする。
 だが、次の瞬間。

 パタッ

 「……え?」

 トラ老師が、前足でページを軽くたたいた。
 そのまま爪を少し引っ掛けて、ぺらりとページがめくられる。

 「……なにしてんだよ?」

 「お前が遅いから、ページをめくってやったのだ」

 「いらねぇ!!!」

 陽向は半ギレで本を取り返し、トラ老師の手を押しのける。

 「本を読めって言ったの、お前だよな!? なのになんで邪魔すんだよ!!」

 「ふむ、お前が本を読むとどんな反応をするのか、興味が湧いてな」

 「俺を実験台にすんな!!」

 陽向は額を押さえながら、ぐっとこらえて再びページを開いた。

 ── すると、意外なことに、さっきよりもすんなり内容が頭に入ってくる。

 (……ん? 思ったより、読みやすい……?)

 文字がスッと頭に入り、メロスの怒りや走る様子が脳内に映像のように浮かんでくる。

 ── 走れメロス。走るんだ。

 不思議と、その言葉が心に響いた。

 「……おい」

 トラ老師の声が、遠くで聞こえる。

 「……なに?」

 「ふむ、お前、案外集中して読んでいるじゃないか」

 「……は?」

 言われて初めて、陽向は我に返った。
 気づけば、数ページ分も一気に読み進めていた。

 「ち、違うし! べ、別にハマったわけじゃねぇし!!」

 「フン。お前は単純だからな」

 トラ老師は満足げに頷くと、しなやかに体を伸ばし、くるりと丸まった。

 「ま、読書というのはそういうものだ」

 「……そういうもの?」

 「意味があるかどうかなんて考えず、面白いから読む。それでいいんだよ」

 陽向は、本を閉じた。

 「……ふぅん」

 窓の外からは、遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。
 少しずつ、朝の光が部屋の中に差し込んでいた。

 「ま、どうせお前は途中で飽きるだろうがな」

 トラ老師はそう言いながら、大きくあくびをした。

 「……なんなんだよ、こいつ……」

 陽向は呆れたようにトラ老師を見つめる。

 だが、手元の本に視線を落とすと、つい、指がページを挟んでいた。

 ── まるで、「続きが読めるように」するためのように。

 自分の無意識の行動に気づき、陽向は少しだけムッとした。

 「……別に気になってるわけじゃねぇからな」

 誰に言うでもなく、小さくつぶやく。

 その横で、トラ老師は微笑むように目を細めた。
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