猫の先生は気まぐれに~あるいは、僕が本を読む理由

中岡 始

文字の大きさ
8 / 34

景色が違って見える?

しおりを挟む
 朝の空気は、ひんやりとしていて気持ちがいい。

 陽向は、手をポケットに突っ込みながら家を出た。
 いつもの登校ルート。見慣れた通学路。
 昨日と変わらないはずの景色が、なぜか今日は少し違って見える。

 (……なんだろ、これ)

 車の走る音、遠くの電車のガタンゴトンという響き、どこからか漂ってくるパン屋の甘い匂い。
 今までなんとなく聞き流していたものが、やけに鮮明に感じられた。

 ── 昨日、『走れメロス』を読んだからか?

 メロスが走った道にも、こんな風に風が吹いていたんだろうか。
 あの夜空の下で、どんな音を聞いていたんだろう。

 (……いやいや、そんなわけないだろ)

 陽向はすぐに頭を振った。
 本の影響で世界が違って見えるなんて、そんなバカな話があるか。

 ── ドスッ。

 「……っ!?」

 突然、背中に重みがかかった。

 「え、何!?」

 驚いて振り向くと、リュックの上に何かが乗っている。

 ── いや、何かじゃない。

 「貴様が歩くのが遅いからだ」

 「……お前かよ!!!!」

 リュックの上に、堂々と鎮座するキジトラの猫──トラ老師。

 毛並みをなびかせながら、まるで高級なソファの上に座っているかのような貫禄で、陽向の肩越しから景色を見下ろしていた。

 「いや、なんでお前、朝からここにいるんだよ!!」

 「俺の自由だ」

 「自由って、お前……」

 陽向は呆れたようにため息をついた。

 ── いや、待てよ。もっと重要な問題がある。

 「そもそも猫って、学校行っていいのか!?」

 「問題ない。俺はお前の家庭教師だからな」

 「だからって通学するな!!」

 陽向は慌ててトラ老師を振り落とそうとするが、猫は意外としっかり踏ん張っていて落ちない。
 リュックの上でバランスを取りながら、のんびりと喉を鳴らしている。

 「それにしても、お前……今日は妙に周りをよく見ているな」

 「は?」

 「さっきから、景色をじっと見ているだろう?」

 言われて、陽向は一瞬動きを止めた。

 たしかに、今朝は普段よりも風の匂いや音に敏感だった。
 まるで、初めてこの道を歩いているみたいな感覚。

 「……別に、たまたまだろ」

 「そうか?」

 トラ老師は、意味深な目で陽向を見つめる。

 「読書というのは、時に世界の見え方を変えるものだ」

 「……は?」

 「ほら、そこを曲がった先の景色が、いつもと違う気がしないか?」

 「……?」

 陽向は、言われた通り道の先を見る。

 そこには、ただの十字路があるだけ。

 ……いや、でも、なんだろう。

 いつもより光が眩しく見える。
 地面に落ちる影の形、ビルの隙間から覗く空の青さ。
 どれも変わらないはずなのに、昨日までとは違うように感じる。

 「……いや、気のせいだろ」

 「フン、まあいい」

 トラ老師はしなやかに背伸びをすると、軽やかにリュックから飛び降りた。

 そして、ぴたりと陽向の前に立つと、ゆったりとした口調で言った。

 「お前は、すでに『新しい世界』を手に入れつつあるのだ」

 「……なにが?」

 「それが、読書の魔法よ」

 トラ老師はドヤ顔で胸を張る。

 陽向は、その顔をじっと見つめたあと、思いっきりツッコミを入れた。

 「いや、そのタイミングで毛づくろいすんなよ!!」

 トラ老師は、のんびりと前足を舐めながら言う。

 「まあ、じきに気づくさ」

 「……なんなんだよ、こいつ……」

 陽向は眉間に皺を寄せながら、猫の背中を追うように歩き出した。

 でも、どこかで思っていた。

 ── もし本当に、読書で世界の見え方が変わるなら……。

 ちょっとくらい、試してみてもいいかもしれない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私がガチなのは内緒である

ありきた
青春
愛の強さなら誰にも負けない桜野真菜と、明るく陽気な此木萌恵。寝食を共にする幼なじみの2人による、日常系百合ラブコメです。

女子ばっかりの中で孤軍奮闘のユウトくん

菊宮える
恋愛
高校生ユウトが始めたバイト、そこは女子ばかりの一見ハーレム?な店だったが、その中身は男子の思い描くモノとはぜ~んぜん違っていた?? その違いは読んで頂ければ、だんだん判ってきちゃうかもですよ~(*^-^*)

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません

竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

処理中です...