猫の先生は気まぐれに~あるいは、僕が本を読む理由

中岡 始

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本屋に行く…けど?

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 夕方、橙色の空の下を歩きながら、陽向は本屋の前で足を止めた。

 (さて…着いたはいいけど)

 目の前には、ガラス張りの入り口と、その奥にずらりと並ぶ本の棚。
 街の本屋とはいえ、意外と広い。
 ガラス越しに見える棚には、ジャンルごとにぎっしりと本が並んでいる。
 文庫、新書、漫画、雑誌、ビジネス書、自己啓発、趣味の本…
 ざっと見ただけでも、かなりの数だ。

 「すげぇ…こんなに本があるのか…」

 今まで、本屋に行くことなんてほとんどなかった。
 必要なものがあるときは、ネットで検索して適当に買えば済むし…
 それに、本を「買う」という習慣自体、陽向にはあまりなかった。

 (こんなに本があるのに、何を選べばいいんだ…?)

 店内に足を踏み入れた瞬間、圧倒されるような感覚があった。
 数え切れないほどの背表紙が、こちらをじっと見つめているように感じる。
 本のタイトルが目に飛び込んできて、どれを見ればいいのかわからない。

 (やべぇ…本屋って、想像以上に広いし、どこから見ればいいかわかんねぇ)

 自分から本屋に来るなんて初めてだから、どう動けばいいのか見当もつかない。

 とりあえず入口近くの棚を適当に眺めてみるが…
 「今の俺にぴったりの本」がどこにあるのかなんて、まるでわからなかった。

 「…どうした?」

 突然、すぐ近くから声がした。

 「貴様、まるで迷子の子猫のような顔をしているぞ」

 「うるせぇ!」

 反射的に言い返しながら、陽向は声の方向を探す。

 「……って、どこだよ、お前」

 声は確かに聞こえたのに、姿が見えない。
 周りをぐるりと見渡しても、どこにも猫はいない。

 ── と思ったら。

 「ここだ」

 視線を上げた瞬間、目が合った。

 トラ老師は、いつの間にか本棚の一番上に座っていた。

 「おい! なんでそんなとこにいんだよ!」

 「本棚の上というのは、実に居心地がいい」

 「いや、そういう問題じゃなくて…お前、店内に入っていいのか?」

 陽向が本棚の上のトラ老師を指さしてツッコむと、猫はまるで気にした様子もなく尻尾を揺らした。

 「それで、貴様はどうするつもりだ?」

 トラ老師が前足をなめながら問いかける。

 「どうするって…」

 陽向は視線を店内の棚に戻した。

 (…どうすればいいんだ?)

 本を探しに来たはずなのに、何を選べばいいのかわからない。
 自分に合った本がどこにあるのかなんて、まるで見当がつかない。
 ただ、どの棚を見ても本が並んでいて、どれも「それなりに面白そう」に見える。

 「…お前、最初から本を選ぶのがうまかったのか?」

 ポツリと聞いてみると、トラ老師はフンと鼻を鳴らした。

 「誰しも最初は迷うものだ」

 「だよな…」

 「しかし、貴様は迷いすぎだ」

 「……は?」

 トラ老師は、じっと陽向を見つめると、

 「貴様は最初から『絶対に失敗しない本を選ぼう』としているな」

 「…いや、そりゃ、せっかく買うなら失敗したくねぇし」

 「フン…だから選べないのだ」

 「……なんだよ、それ」

 陽向がムッとして言い返すと、トラ老師はゆっくりと身を乗り出し、

 「貴様は服を買う時も、そんなに悩むのか?」

 「は? いや、服は見た瞬間に『これいいかも』って思ったやつを買うけど…」

 「それだ」

 「…は?」

 トラ老師は堂々とした態度で言い切った。

 「本も、直感で『面白そう』と思ったものを選べばいい」

 「そんな簡単に決めていいのかよ?」

 「いいに決まっている」

 「…でも」

 陽向がまだ納得いかない様子で口ごもると、トラ老師は前足で棚の本をチョイチョイと押した。

 「見ろ。表紙に惹かれるなら、それも縁。タイトルが気になれば、それも縁」

 「……」

 「本との出会いに正解はない。お前が『面白そう』と思えば、それでいいのだ」

 その言葉に、陽向は黙り込んだ。

 (…そうなのか?)

 これまで、本を選ぶ基準なんて考えたこともなかった。
 でも、言われてみれば…服やゲームを選ぶときだって、理屈じゃなく「なんとなく」で決めている気がする。

 「……マジかよ」

 ポツリと呟くと、トラ老師は満足げに喉を鳴らした。

 「フフン…ようやくわかってきたか」

 「…まぁ、ちょっとは」

 陽向は少しだけ笑いながら、本棚に視線を戻した。

 (よし…直感で選んでみるか)
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