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奏太さん、もっと近くにいてもいいですか~不器用で優しい君の、はじめての夜
その手つきも、少し特別に見える
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佐倉の部屋は、瀬戸が初めて訪れたときから変わらず、整っていて、どこか落ち着く空間だった。生活感があるのに散らかっていない。過不足のない家具の配置と、木目の家具が醸す柔らかな雰囲気。灯りは白熱灯のような温かみのある色で、部屋全体がやさしく包まれていた。
玄関を上がってすぐ、佐倉がジャケットをハンガーにかける。瀬戸もそれにならって、ゆっくりと荷物を置いた。部屋にはすでに米の炊ける匂いが漂っている。タイマーを仕込んでいたのだろう。
「冷蔵庫の中に材料あるし、ちゃちゃっと作ってまうな。お前、カレー嫌いやったら言えよ」
「好きです」
即答する瀬戸に、佐倉は思わずくすりと笑う。
「やっぱ、お前ってわかりやすいわ」
佐倉は袖をまくり、キッチンに立った。エプロンをつけるか迷ったが、面倒でそのままにする。瀬戸はといえば、何の説明もなく、当然のように隣に立った。台所にふたりが並ぶにはやや狭いが、互いにぶつかることなく自然に動いていた。
佐倉が玉ねぎを取り出すと、瀬戸がすっと手を伸ばして皮をむきはじめる。
「お、やる気満々やん」
「…手伝いたいんで」
「素直でええな」
まな板の上に包丁が軽やかな音を立てて走る。佐倉が人参を切っている間に、瀬戸はじゃがいもの皮を丁寧に剥いていた。その手つきは、意外と言っては失礼だが、落ち着いていて、慎重だった。
「お前、包丁持ったら妙に真面目になるな」
「失敗したくないんで」
瀬戸の言葉は、冗談でも照れでもなく、ただの事実のように響く。けれど、その素直さに、佐倉はまた少し笑ってしまう。
「…奏太さんの隣やから、ちゃんとしたいって思うんです」
その言葉に、佐倉の手が一瞬止まった。横顔は見なかったが、胸のあたりがふっと熱を持ったように感じた。
「……言うたな、また」
「はい」
じゃがいもを切り終えた瀬戸が、手を洗いながら微かに笑う。それを見て、佐倉は少しだけ目を伏せた。
カレーの煮込みに入ると、部屋に香辛料の匂いが立ちこめる。トマトの酸味と炒めた玉ねぎの甘さが混ざって、食欲を誘う。
「ちょっと味見すんで」
佐倉は小鍋の中からひとすくいし、スプーンに取った。熱い湯気が立ちのぼり、赤茶けたルウがとろりと光っている。
「ほら」
差し出されたスプーンに、瀬戸は一瞬だけ躊躇した。けれど、目をそらさず、そのままスプーンを口に含んだ。
「…美味しいです」
短く、それでも確信を持った声だった。
「そらよかった」
佐倉はつい口元をほころばせながら、スプーンを水で流す。何でもないやりとりのはずなのに、自分の頬がほんのりと熱を持っているのを感じた。
味の評価をされただけ。それだけのことのはずだったのに。
(なんやろな…)
佐倉は鍋をかき混ぜながら、わずかに首を傾げた。瀬戸の言葉の端々、所作の一つひとつが、ふとした瞬間に自分の心の奥に触れてくる。
あからさまな愛情表現をするわけではない。むしろ、言葉少なで表情も変わりにくい男だ。けれど、そういう瀬戸だからこそ、時折見せるまっすぐさが、やけに効く。
隣でコップを並べる瀬戸の肩が、ほんの少し触れた。驚くほど自然に、ふたりの呼吸が重なっていた。
「ご飯炊けたら、食べよか」
「はい」
並んだ声が、室内にやわらかく響いた。
佐倉はふと横目で瀬戸を見た。
白いシャツにネイビーのパーカー。手には小さな皿を持っていて、その動きはゆっくりで丁寧だった。
その姿が、どこか不思議に映った。
自分の生活の中に、こうして自然に“瀬戸”がいるという事実。
恋人になったという言葉だけでは表しきれない、もっと静かで確かなものが、この部屋にあった。
もう少しでカレーができあがる。
けれど、この時間自体が、何よりも味わい深く思えた。
玄関を上がってすぐ、佐倉がジャケットをハンガーにかける。瀬戸もそれにならって、ゆっくりと荷物を置いた。部屋にはすでに米の炊ける匂いが漂っている。タイマーを仕込んでいたのだろう。
「冷蔵庫の中に材料あるし、ちゃちゃっと作ってまうな。お前、カレー嫌いやったら言えよ」
「好きです」
即答する瀬戸に、佐倉は思わずくすりと笑う。
「やっぱ、お前ってわかりやすいわ」
佐倉は袖をまくり、キッチンに立った。エプロンをつけるか迷ったが、面倒でそのままにする。瀬戸はといえば、何の説明もなく、当然のように隣に立った。台所にふたりが並ぶにはやや狭いが、互いにぶつかることなく自然に動いていた。
佐倉が玉ねぎを取り出すと、瀬戸がすっと手を伸ばして皮をむきはじめる。
「お、やる気満々やん」
「…手伝いたいんで」
「素直でええな」
まな板の上に包丁が軽やかな音を立てて走る。佐倉が人参を切っている間に、瀬戸はじゃがいもの皮を丁寧に剥いていた。その手つきは、意外と言っては失礼だが、落ち着いていて、慎重だった。
「お前、包丁持ったら妙に真面目になるな」
「失敗したくないんで」
瀬戸の言葉は、冗談でも照れでもなく、ただの事実のように響く。けれど、その素直さに、佐倉はまた少し笑ってしまう。
「…奏太さんの隣やから、ちゃんとしたいって思うんです」
その言葉に、佐倉の手が一瞬止まった。横顔は見なかったが、胸のあたりがふっと熱を持ったように感じた。
「……言うたな、また」
「はい」
じゃがいもを切り終えた瀬戸が、手を洗いながら微かに笑う。それを見て、佐倉は少しだけ目を伏せた。
カレーの煮込みに入ると、部屋に香辛料の匂いが立ちこめる。トマトの酸味と炒めた玉ねぎの甘さが混ざって、食欲を誘う。
「ちょっと味見すんで」
佐倉は小鍋の中からひとすくいし、スプーンに取った。熱い湯気が立ちのぼり、赤茶けたルウがとろりと光っている。
「ほら」
差し出されたスプーンに、瀬戸は一瞬だけ躊躇した。けれど、目をそらさず、そのままスプーンを口に含んだ。
「…美味しいです」
短く、それでも確信を持った声だった。
「そらよかった」
佐倉はつい口元をほころばせながら、スプーンを水で流す。何でもないやりとりのはずなのに、自分の頬がほんのりと熱を持っているのを感じた。
味の評価をされただけ。それだけのことのはずだったのに。
(なんやろな…)
佐倉は鍋をかき混ぜながら、わずかに首を傾げた。瀬戸の言葉の端々、所作の一つひとつが、ふとした瞬間に自分の心の奥に触れてくる。
あからさまな愛情表現をするわけではない。むしろ、言葉少なで表情も変わりにくい男だ。けれど、そういう瀬戸だからこそ、時折見せるまっすぐさが、やけに効く。
隣でコップを並べる瀬戸の肩が、ほんの少し触れた。驚くほど自然に、ふたりの呼吸が重なっていた。
「ご飯炊けたら、食べよか」
「はい」
並んだ声が、室内にやわらかく響いた。
佐倉はふと横目で瀬戸を見た。
白いシャツにネイビーのパーカー。手には小さな皿を持っていて、その動きはゆっくりで丁寧だった。
その姿が、どこか不思議に映った。
自分の生活の中に、こうして自然に“瀬戸”がいるという事実。
恋人になったという言葉だけでは表しきれない、もっと静かで確かなものが、この部屋にあった。
もう少しでカレーができあがる。
けれど、この時間自体が、何よりも味わい深く思えた。
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