誰と寝ても、俺はいなかったー性のどこにも属せなかった俺が、たった一人にだけ愛された夜

中岡 始

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男にも女にもなれなかった夜のこと

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雨の音が、部屋のなかに満ちていた。
まるでその音だけが時間を進めているかのように、ゆっくりと、でも確かに夜は深まっていく。
窓の向こう、見えないベランダに打ちつける雨粒が、時折少し強まっては、すぐに静まり返る。
その不規則なリズムに、眠る気配は遠ざかっていた。

楷は横になったまま、ゆっくりと息を吐いた。
喉の奥に絡まっていた言葉が、ようやく沈黙を破ろうとしている。
その音は、布団のなかで触れ合っている指先よりもずっと小さく、ためらいに満ちていた。

「……俺」

始まりだけが、空気に揺れる。
隣にいる芳樹は、動かなかった。
答えを急がせるような間も、促すような気配もない。
ただ、待っていた。

楷は一度、目を閉じた。
自分のまぶたの裏に、あの夜たちが、ゆっくりと浮かんでくる。
どれも似ていた。
名前のわからない人と過ごした、いくつもの夜。
ホテルの天井、狭い部屋、しわの寄ったベッドシーツ、交わされない視線。
そして、快感だけが繰り返される。

「……何回か、そういうことがあったんです。
男の人とも、女の人とも。名前も顔も、ちゃんと覚えてない相手がほとんどで」

淡々とした口調だった。
感情を排したわけではない。
むしろ、感情がありすぎて、声に乗せると壊れてしまいそうだった。

「快感はあった。でも、全部、どこか外側で起きてる感じで……
まるで、誰かの体を借りて、自分を演じてただけみたいで」

指先が、布団のなかでかすかに震えた。
芳樹の手が、その震えに呼応するように、そっと包み込む。
言葉はいらなかった。
ただ、逃げ場を与えないためのやさしさだった。

楷はそのぬくもりを感じながら、続きを紡ぐ。

「最初は、自分の中にある欲望を確かめたかったんだと思います。
女の人を抱いてみたくて、男の人に抱かれたくて……
それが“どう違うのか”を、自分の身体に問いたかった」

雨音が、窓のガラスを叩いた。
遠くで車の通る音がして、その振動が床をわずかに震わせる。
夜の街がまだ眠っていないことだけが、唯一の外の気配だった。

「でも、結局、どっちも違ってたんです。
抱かれると“女みたい”に見られて、
抱くと“男らしく”なきゃって期待されて……
結局、どっちにもなれなかった自分だけが、あの夜、置いてけぼりでした」

楷の声が、そこで少しだけ詰まった。
喉の奥が焼けるように熱くなる。
呼吸はできているのに、胸が締めつけられる。

「“気持ちいいですか?”って聞かれるたびに、
笑って“うん”って答えた。
“すごく良かった”って、相手の目を見て言った。
でも、本当はずっと、“俺はどこにいるんだろう”って思ってた」

芳樹の親指が、楷の手の甲をひと撫でした。
それは、話を止めるためでも、慰めるためでもない。
“聞いている”という静かな意思の伝え方だった。

楷は視線を天井に戻した。
だが、そこにはもう何も見えていなかった。
心の奥にだけ、過去の記憶が張りついていた。

「抱かれてても、抱いてても、俺じゃなかった。
身体は反応してるのに、心が、どこにもいなかった。
まるで、自分の感覚をモニター越しに見てるみたいで……
何も届いてこないまま、ただ熱だけが終わっていく」

頬が、少しだけ熱を帯びている。
涙ではなかった。
でも、それに近いものが、喉の奥で滞っていた。

「一度、終わったあとに、
“本当はどっちなの?”って聞かれたことがあるんです。
男の人に。
“どっちかになりたいの?”って。
そのとき、何も答えられなかった。
だって、俺には、どっちかになることが“答え”じゃなかったから」

言い終わったあと、しばらく沈黙が落ちた。
それは苦しいものではなく、
自分の内側にようやく言葉を届けたという静かな余韻だった。

芳樹は、ゆっくりと楷の手を握りなおした。
その手はあたたかく、ずっとそこに在ってくれていた。

楷はそっと視線を傾ける。
その横顔が見える距離にあることが、なによりも安心だった。

誰かに過去を話して、
それを“受け止める”という動作ひとつで肯定されたことが、
今までにあっただろうか。

いま、この夜が、それをはじめてくれたのだと、
楷はゆっくりと実感していた。
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