【完結】それより俺は、もっとあなたとキスがしたい

佑々木(うさぎ)

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ep.10 ホテルよりも

(1)

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 開発部とのミーティング前の時間を使って、俺はデスクワークをしていた。
 パソコンの画面が見にくいほどに日差しが強くて、俺は目を細めて数字を確認していた。
 吉田は隣の席に座って、何か作業をしているようだった。だが、座って5分と経たずに椅子のキャスターを滑らせて俺に近付き、小声で聞いてくる。

「今日は、美浜部長来るのかなあ」
「さあな」

 前回のミーティングに、美浜は不参加だった。
 八田との話し合いのためかと思っているが、実際どうだったかは知らない。
 たとえ恋人同士であったとしても、そこは俺が介入していい領域じゃない。
 だから俺は、こっちからは敢えて聞かなかった。
 それにしても、先週のミーティングから本当にいろいろあった。
 その前の大阪出張で50万ケースの受注があったのを受けて、水曜日にはからり風に使うホップ「KAGURA」の増産が決まった。そして、同時に俺は美浜に告白し、もうプライベートで会わないと告げた。その後、金曜日に美浜が会いに来て、初めて想いが通じた。そして、週末は例のホテルで二人きりの時間を過ごした。
 そして今日が、週明けの月曜日だ。
 あまりにも目まぐるしくて、もう何週間も経ったように感じている。

「美浜から聞いてないのか?」

 つい作業の手を止めて考えていると、吉田はもう一度聞いてきた。
 ハッとして手を動かし、数字を見つめるふりをする。

「どうして俺が」
「お前最近、美浜部長と仲が良さそうだからさ」

 傍から見てもわかるほどに、態度に出ていただろうか。
 自分の行動を省みていると、吉田は続ける。

「この間だって、大阪出張の件で、わざわざお前のとこに来たじゃないか」
「あれは──」

 あの時、大阪出張への許可が下りたことを、わざわざ美浜がここに来て知らせてくれたんだっけ。
 たしかに、あれは異例中の異例だろう。
 白石部長に執務室まで呼び出されるか、長門課長から言い渡されるか。
 普通ならそんなところだ。
 それを、開発部の部長である美浜が来たんだ。
 吉田じゃなくても驚くし、勘繰っても仕方がない。
 俺だって、まさか美浜が来るとは思っていなかった。

「お前って、美浜部長に期待されてるんだな」

 これは、期待なんだろうか。
 美浜がただの私情で動く人ではないことは、俺も良く知っている。
 あの時、わざわざ俺のところまで来たのは、やっぱり期待なのか。
 ランピックホテルとの契約が結べれば、KAGURAの増産が決まる。
 そういう期待であって、俺自身ではなかったような。
 むしろ、仲が良いと思われていることの方が危険だ。
 それなら、吉田には誤解させたままの方がいい。
 
「だといいがな」

 俺は曖昧に答えてから、データを保存して立ち上がった。
 そろそろミーティングルームに向かわないと、時間に遅れてしまう。
 渡り廊下を歩き、部屋の中に入ると、既に仲本がいた。

「これ、今日の資料です」
「お、ありがとう」

 吉田が俺の分も受け取って、後ろの席へと歩いていく。
 それから間もなく美浜が現れて、ドアが閉められた。

「既に知っている者もいるだろうが」

 美浜はそこで言葉を切り、珍しく口元を綻ばせて笑う。

「KAGURAを増産することになり、からり晴れの販売継続が決まった」

 わっとミーティングルームに声が響き、拍手が起きる。
 誰もが望んでいたことだ。
 俺も拍手に加わりながら、美浜を見ていた。
 あんな誇らしげに笑う美浜は、なかなか見られない。
 自分の功績を誇っているわけじゃない。
 チームで掴んだこの未来を、心から誇りに思っているんだろう。
 美浜は部屋全体を見回し、俺で視線を止めた。
 俺も拍手をすると、笑みを深めて頷く。

「では、これまでの販売実績と今後の見通し、課題について。手元の資料の7ページを開いてくれ」

 美浜は自ら読み上げ、時に説明を加えた。
 みんながペンを走らせてメモを取り、俺も話に集中する。
 いつもより少しだけ早口になっているところからも、美浜の喜びが伝わってくる。
 その一端を担ったのかと思うと、俺も誇らしい。
 俺は、美浜の声に聞き入りながら、これから先の未来に思いを馳せた。


 ミーティングが終わって営業部の部屋に戻ったところで、スマートフォンが鳴った。
 こんな時間に誰がショートメールをと思って見てみると、相手は美浜だ。
 連絡先を交換してはいるが、ショートメールを送って来ることは少ない。
 一体何の用件かとさっと目を走らせる。

『今日これから出張することになった』

 文面はただそれだけだ。
 何と返せばいいのか。
 一緒に来いということではないだろう。
 もし、上層部の意向で行くのだとしたら、詳しく聞くことはできない。
 少し考えて、俺は返事をした。

『気を付けて行ってきてください』

 他に言いようもない。
 すると、数秒でまたメッセージが届く。

『それだけか?』

 それだけ、と言われましても。
 うーんと考えて、俺はハッとした。
 これは、開発部部長としてではなく、恋人として送ってきているのか。
 俺は、どう返すべきか考えた末に、もう一度メッセージを送る。

『終わったら、すぐに俺に会いに来てください』

 これで、いいだろうとスマートフォンをしまいかけると、また手元で震える。

『行く前に会いたい』

 俺は文章を2度読んでから、早歩きでエレベーターに乗り込んだ。
 行き先はもちろん、美浜の執務室だ。
 14階で降りて、きょろきょろと周りを窺い、執務室のドアをノックする。

「どうぞ」

 澄ました声で返事をされて、俺は真面目くさった顔を作って中に入った。
 そして、後ろ手に鍵を閉めてから、美浜の方へ近寄る。
 ここに来るまでの間、からかう言葉をいくつか考えていた。
 甘えたがりなんですね、とか。
 寂しん坊ですか、とか。
 だが、美浜に会いに来た途端に、すべて吹き飛んだ。
 俺は、美浜の方へと歩いていき、デスクを回ってチェアに近付いた。そして、アームレストを掴んで、美浜に顔を寄せる。わずか十数センチのところで笑ってから、背中に腕を回して胸に抱いた。

「早く帰ってきてください。ここで、待ってます」
「一ノ瀬……」
 
 美浜も俺の背中を抱き寄せ、ほうと一つ息を吐く。

「もっと甘やかしてくれ」

 俺は腕にもう少しだけ力を込めてから、ぽんぽんとあやすように叩く。

「愛しています、千秋さん」
「……っ」

 これまで、一度も下の名前で呼んだことはない。
 固まった美浜の顔をよく見ようと身を離すと、目元を赤くして睨まれた。

「くれぐれも、気を付けて」
「ああ、わかった」

 キスもしたいところだが、さすがにそれはオフィスではまずい。
 そのくらいの分別は、俺にもまだ残っている。
 俺は、美浜に軽く手を振ってから、鍵を開けて執務室を出た。

「一ノ瀬さん」
「!?」

 廊下を出たところに、仲本がファイルを手に立っていた。

「どうしてここに?」
「美浜さんにちょっと知らせたいことがあって」
「……そうですか」

 仲本はそれだけ言って、俺とすれ違いに美浜の執務室のドアをノックする。
 俺はその横顔をちらりと見てから、営業部のある5階に下りた。
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