【完結】それより俺は、もっとあなたとキスがしたい

佑々木(うさぎ)

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ep.11 好きの代わりに

(3)

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 次に気が付いたのは、私に近付く体温だ。
 私の肩に手を置き、軽く揺すった後、間近から顔を覗き込んでいる。
 他の通行人が、私に気付いて起こそうとしているのか。
 哀しみに打ちひしがれながら目を開けたところで、薄い色合いの瞳と視線がかち合った。
 眼鏡の奥のその瞳の色に、心が震える。
 なんてきれいな目だろうか。
 この、日本人にしては明るい色合いの瞳を、いつかじっくりと真正面から見てみたいと思ってきた。鋭く険しい目つきではなく、優しい眼差しを向けられたいと。
 
「いちの、せ?」
「はい」

 名前を呼ぶと目を瞬かせ、口端を上げて笑う。
 なぜここに一ノ瀬がいるのか。さっき通り過ぎて行ったのではなかったのか。
 私は身体に戻ってきた寒さで、ベンチで寝入ってしまったことに気付く。
 転寝うたたねしている私を見て、一ノ瀬は戻って来てくれた。
 その事実を知った途端に、頬が熱くなる。

「とりあえず、コーヒーでもどうですか?」

 一ノ瀬はそう言って、私に手を伸ばす。
 これは現実だろうか。
 私はぼんやりと見返し、コクリと頷いた。

「ああ、そうだな」

 抑えきれない感情が迸り、その手の温もりを放したくなくなった。
 何とかして、一ノ瀬を引き留め、二人で過ごしたい。
 私は破れかぶれになって、一ノ瀬に告げた。

「まずは、ホテルに行こう。──コーヒーなら明日の朝でいい」
「は……?」

 既に酔いは覚めていた。
 だが、私は酔ったふりで一ノ瀬を誘う。
 これで断られたら、すごすごとタクシーで帰ろうと思っていた。
 すると、一ノ瀬は思いも寄らないことを言う。

「タクシー代はありますよね」
「もちろんだ」

 では、私とホテルに行くことを承諾したということか。
 一ノ瀬は私をベンチに座らせてから、タクシーが通りかかるのを待っている。
 その後ろ姿を見ながら、抱き着きたくて仕方がなかった。

「美浜部長、タクシーが来ましたよ」

 そして、私を後部シートに先に乗せて、一ノ瀬もまた隣に座る。
 気持ちがいて、私は頭に浮かんだホテル名を告げた。

「サーントル東京まで」

 あそこなら、いつだって泊まれる。
 男同士で何をするか、私は何も知らない。
 もし私が抱く側になったら、どうしたらいいのか。
 むしろ、抱かれる側になって、すべてを一ノ瀬に任せてみるのがいいか。
 だが、そんなのは取り越し苦労だろう。
 一ノ瀬がそんなことまで許すとは思えない。

 ──ただ、キスをするだけでもいい。

 私はタクシーの中で夢想しながら、ホテルに到着するのを待った。

 あの時から、もうすぐ2か月が経とうとしている。
 騙し討ちをしてしまったと罪悪感にさいなまれた時もあった。
 私は一ノ瀬の隙に付け入ったのだと。
 それでも、どうしても一ノ瀬と二人で過ごして、距離を縮めたかった。
 私自身を誤解されたままでいたくなかった。
 そして、一ノ瀬のことをもっと知りたいと思っていた。
 そのチャンスがついにやってきたのだと浮かれていたのだ。
 
 あの時出会えた奇跡と、こうして恋人になれた幸運を噛み締めて、私はふと窓の外に目をやった。
 すると、ガラス窓を隔てた向こうに、一ノ瀬の姿が見える。
 もう待ち合わせ時間になっていたのかと、慌てて立ち上がろうとしたが、一ノ瀬は私に気付いて手を上げた。
 そして、カフェの入り口を通って、私の傍へと歩いてくる。

 バランスのいい、すらりとした体躯や、明るくさわやかな笑顔に、店内にいた者が熱い視線を送る。
 だが、一ノ瀬はまったく気付いていない。
 もしかしたら、自分の顔が良いことを理解していないのかもしれない。
 そういうところに鈍感で無頓着なのだと、私は改めて実感した。
 誰の目も気にせずに、自分を貫く。
 そういうところは、3年前から変わらない。

「遅くなってすみません。待たせてしまったみたいですね」

 一ノ瀬は、私の前の席に座って微笑んだ。
 あまりにも眩しい笑顔に、胸がドクンと跳ねる。
 私だけに向けられている穏やかな笑み。
 たったそれだけで身体が疼き始めた。

「映画は、何時からでしたっけ」
「2時だ」

 私は、一ノ瀬から目を逸らして、それだけ答えた。
 心臓が痛いほどに早鐘を打ち、もう冷静ではいられない。

「じゃあ、コーヒーを飲む時間はありそうですね」

 一ノ瀬は、近付いてきた店員にブレンドを頼み、天気の話を始めた。
 
「しばらくいい天気が続きそうですよね」

 雲一つない青空に目を細めて言われて私は頷き、心の中で寂しい思いを抱く。
 一ノ瀬はまだ、私に心を開いていないのかもしれない。
 だから、こういう営業向きの天気の話題を振って、場を持たせようとしてくるのだろう。
 その後も他愛無い話を続け、私はそれに頷いていた。
 だが、本当は話の内容はもうどうでも良かった。
 間近で一ノ瀬の顔が見られることで胸がいっぱいで、込み入った話をされても頭に入ってこなかっただろう。

「そろそろ行きますか?」
「そうだな」

 カフェを出て、映画館に向かう道すがら、一ノ瀬はこれから見る映画について聞いてきた。

「ミュージカル映画でしたよね」
「そうだ。5年前にアカデミー賞を総なめにした映画で──」

 一ノ瀬は私の言葉に聞き入り、相槌を打っては細かく問い返してくる。
 営業をしているせいなのか、さりげなく話を引き出そうとする。
 質問のタイミングも内容も的確で、何より聞き上手だ。
 コミュニケーション下手な私とは、大違いだ。

 映画館でチケットを発券し、我々は席に着いた。
 いつもであればプレミアシートを予約するのだが、今日は二人の為、普通のシートだ。
 そのせいもあって、一ノ瀬との距離が近い。
 肩が触れ合うほどの距離に座るのは、これが初めてかもしれない。
 映画が始まる前、予告が流れている間にちらりと見ると、一ノ瀬は私の視線に気付いて口端を上げる。私の好きな、人好きのする笑みだ。
 こんなに爽やかに笑える彼が、ベッドの上で豹変することを私は知っている。
 意地の悪いことを言い、私を快楽に溺れさせようとしてくる。

 ──『美浜さん、もっと乱れていいんですよ?』
 ──『ほら、ここ突かれるの、好きですよね』

 そんな台詞まで思い出されて、身体が熱くなった。
 一ノ瀬は私の変化に気付いたのか、視線で問いかけてくる。
 私は慌てて否定して、スクリーンに目を遣った。
 それでも胸の高鳴りは抑えきれず、ぎゅっとこぶしを握り込む。
 すると、一ノ瀬はその手に手を重ねてきた。
 驚いて隣を見たが、そこで映画が始まって、私は言葉を呑み込んだ。

 映画は、前にも観た通りのはずなのに、これまでとはまるで違った感想を抱いた。
 それもこれも、すべては一ノ瀬のせいだ。
 私はそれから約2時間、一ノ瀬の温もりを感じながら映画を鑑賞した。

 映画館を出る頃には、頭の中がぼうっと霞むくらいに欲望で溢れていた。
 もし、一ノ瀬に心を読む力があったなら、私の劣情に驚いたことだろう。
 通りを歩いていると、一ノ瀬は映画について語り出した。

「あらすじからは想像できないくらいに、いい映画でしたね」
「たしかに。あらすじは酷いものになるだろうな」

 端的に言えば、夫を殺して投獄された後、刑務所仲間とスターになる話だ。
 私が笑うと、一ノ瀬もつられたように笑う。

「歌もダンスも、とても良かったです。ミュージカル映画ってあまり見ないんですが、こんなにいいのなら他も見てみたいです」
「それなら、今度また他の映画を見に行こう」
「ええ、是非」

 ここで別れるつもりなのだろうか。
 駅の方向に歩いていくうちに、私は危惧し始めていた。
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