神様の縁結び〜台灣で挑む月下老人のおいしいミッション〜

樹沙都

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§ 魯肉飯

並の二

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 外へ出れば、日はとっぷりと暮れているのに、湿気をたっぷり含んだ熱い空気が体に纏わりつく。快晴の今宵も見上げる空には星ひとつ見えず。夜の散歩もここでは夕涼みにもなりはしない。

 突然、月老に手を握られたその瞬間、視界が暗闇に閉ざされた。
 なにが起きたのかを考える間もなく、周囲からは街並みが消え、代わりに現れた星屑を散りばめたような光景に息を呑む。

「…………」
「どうだ? 美しいだろう?」

 建物の窓から漏れる灯り、沿道に規則正しく点在する街灯、川の流れのような車のヘッドライトと赤いテールランプ。そして、遠く青墨色の夜空に溶け込む稜線のシルエット。
 眼下に広がるこの景観はすべて、この土地とここで生活を営む人々の命の灯りだ。

 留学当初、一度だけ訪れた台北一○一の展望台から望んだ景色は、雲の合間からわずかに漏れる地上の灯りのみ。あの日は屋外展望台も閉鎖されていて、上ることは叶わなかった。

 いま、わたしはその屋外展望台で、台北の風を体に受け、地上を見下ろしている。

「男女の縁は、当事者ふたりのみを繋ぐものではなく、それに纏わる人々すべての縁であり、私、月下老人は、その縁を繋ぐ。だが——それは繋ぐだけにすぎない」
「どういう意味ですか?」
「わかるか? 小鈴。人は、川に浮かぶ木の葉ではない」

 高さのせいか、心持ち空気がひんやりしている。頬を撫でる夜風が心地好い。夜景を眺めながら、静かに語る月老の言葉に聞き入った。

 川面に落ちた木の葉は、流れに身を任せ、時折、川のなかの石や、岸に溜まった木片に引っかかるを繰り返す。そしていずれは、川底に沈み、最後には朽ち果ててしまう。

 人は、希望を持つが、同時に恐れをもつ生き物だ。
 望みを忘れ、自らの意思と力を忘れ、未来を恐れ、終いには叶わぬものと諦め、心の奥へ閉じ込めてしまう。
 そして、その望みは、はじめからないものとして、忘れ去る。

 そのような人は、惰性で流される木の葉となんら変わりはない。ゆえに、たとえ縁を繋いだとしても、その縁はそこで終わってしまうのだ。

 だが本来、人は、選ぶことができる。人には、縁をつかむ意思も力も備わっている。
 その意思を強く持ち、何事にも負けず己の力を発揮できた者だけが、良縁をつかむことができる。

 しかもそれは、難しいことではない。意識的、無意識的に、人が日常のなかで常に行っている。これが『縁』なのだ。

 だから、人がそれを助けようとする気持ちも、また、関わるべきではないと思うその選択も、その時々に応じた人それぞれの縁であって、けっして間違いではない。

 月老の言葉は、まさにそのとおりで。わたしの探し求めていた答えが、そこにあった。

「おまえの思う真の望みを叶えなさい」
「わたしの……真の、のぞみ?」
「阿海が好きか?」

 即答できない突然の問いが、小石を投げ込まれた水面のごとく心に波紋を広げていく。

「わかりません」

 抑揚のない小さな声で、正直な言葉を紡いだ。

 わたしは、カイくんに、恋をした。
 けれどもそれを自覚していたのは、大分以前、それも、ほんの一時期だけのこと。いまもそうなのかと問われれば、肯定も否定もできない自分がいる。

 あれから、いろいろなことがあった。でも、生きているときも、亡くなってからも、カイくんは変わらずいつも一緒にいる。

 笑い、泣き、怒り、と、ふたりで時間を過ごし、わたしの気持ちも都度変化し続けている。

 いまの想いは、言葉で明確に表現しがたく、恋人、兄弟、親友、そのいずれかの型に当てはめるには、有り余る。

 型にはめられないのはもはや、水や空気のようになくてはならない存在へと変化してしまったからだ、と、言うほうが、正解なのかも知れない。

「わからない——か」

 横目で見上げた月老は、景色に視線を向けたまま微笑んでいた。

「ひとつだけ言う。いいかい、小鈴。おまえは、いつでもおまえらしく、自分の心を大切にするのだ。いついかなるときも、だ。忘れるなよ」
「……うん」

 月老の大きな手が、わたしの頭に乗せられた。くしゃっと撫で、少し乱れた髪を梳いてくれるその手が温かい。

「ああ、そういえば。ひとつ忘れていたな。今日の魯肉飯だが」

 今回は成功か、と、期待を込めて月老を見上げたのだ——が。

「並。だな」
「はぁ? なっ、なっ、なっ……」
 ——並ってなに? 並って! 無言で完食したくせに!

「味見は、したのか?」
「あっ?」
 ——してない!

「まあ、精進するのだな。頑張れ」

 棒読みの『頑張れ』が遠くに聞こえ、夜風が骨身に沁みた。


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