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第32話:ライラへの陰謀(中)
ライラは一晩、考えた。
寝台の上で天井を見ながら。──眠れなかった。
(殿下は「どうしたい」と聞いた。──どうしたいか)
選択肢は三つある。
一つ目──殿下に守ってもらう。政治的に。ハイデン派を牽制し、ライラへの接触を止めさせる。最も確実。最も安全。──最も、今まで通り。
二つ目──何もしない。耐える。陰謀が過ぎ去るのを待つ。コルディアにいた頃と同じ。嵐が去るまで美しく微笑んで、嵐が去った後に静かに息をつく。
三つ目──自分で動く。
(……自分で動く。何を? どうやって?)
ライラは政治に疎いわけではない。コルディア王族として、外交の基礎は叩き込まれている。──ただ、「自分で動く」経験がない。いつも誰かが動いてくれた。
天井を見ている。
冬の月明かりが窓から差し込んでいる。
(アシュレナ様は──自分で動いた。父と向き合った。フィリスは──消えかけて、でも残った。殿下が記録を見せたから──でも、残ると決めたのはフィリス自身だ)
(二人とも──自分で選んだ。私だけが──まだ、選んでいない)
ライラは寝台から起き上がった。
机に向かった。紙と羽ペンを出した。
──手紙を書く。
*
宛先──エルヴァン。コルディア第二王子。ライラの兄。
ライラの手が──止まった。
何を書けばいい。
「助けて」と書けば、エルヴァンは動く。すぐに。兄は優しい。妹を守ることに躊躇しない。
でも──それは「守ってもらう」だ。一つ目の選択肢と同じ。相手が殿下から兄に変わるだけ。
ライラは紙を裏返した。
白い面。何も書かれていない面。
(私は──何を伝えたいのか)
考えた。
コルディアの政争から逃げるようにして帝国に来た。兄が決めた。ライラは頷いた。──選んだのではない。頷いただけだ。
帝国に来て──殿下に出会った。「追いかけない」と言われた。「どうしたい」と聞かれた。雷の夜に、そばにいてくれた。地味な草が好きだと言ったら、「だから何だ」と返された。
──自分はここにいたい。
それは──誰かに決められたことではない。
ライラの手が──動き始めた。
*
手紙の内容。
『兄上。お元気でいらっしゃいますか。
帝国での暮らしは穏やかです。──穏やかではない部分もありますが、それは兄上に処理してもらうものではありません。
一つだけ伝えたいことがあります。
私は──自分の選択で、ここにいます。
兄上が守ってくださったことに感謝しています。今も。でも──もう、守っていただく必要はありません。
ここにいることは──私が選びました。
もし帝国とコルディアの間に政治的な問題が起きても──私を理由にしないでください。私は道具ではありません。コルディアの切り札でもありません。
私は──ライラです。ここにいたくて、ここにいます。
お身体にお気をつけて。
ライラ 』
書き終えた。
羽ペンを置いた。手が──震えていた。
(……書いてしまった)
読み返した。
──強い手紙だ。兄への感謝はある。でも──「守らなくていい」と言い切っている。「道具ではない」と言い切っている。
一度、破りかけた。
紙を掴んで──手が止まった。
(兄上は──怒るだろうか。傷つくだろうか。「守ってきたのに」と。「お前のためにどれだけ動いたか知っているのか」と)
知っている。兄がどれだけ苦労してきたか。コルディアの宮廷でライラを守るために、どれだけの政治的駆け引きをしてきたか。──全部知っている。
でも──だからこそ。
兄にこれ以上、「ライラを守る」という荷物を背負わせたくない。
(兄上。あなたが優しいから──私はずっと選ばなくてよかった。でもそれは──あなたを、ずっと「守る人」にしていたということだ)
手紙を破らなかった。
もう一度読み返した。三度目。
──一ヶ所だけ書き加えた。最後の行の前に。
『兄上が守ってくれたから、私は今ここにいます。だから──ここで、自分で立ちます』
今度こそ──置いた。
羽ペンを置いた。紙を折った。封をした。
(初めて──選んだ)
守られたのではない。守ってもらったのでもない。──自分で動いた。
手紙一通。たったそれだけ。でも──ライラにとって、これは初めての「選択」だった。
*
翌朝。ライラが執務室に来た。
「殿下。──手紙を書きました」
「誰に」
「兄に」
俺は──少し驚いた。
ライラが自分から兄に連絡を取るとは思わなかった。てっきり──俺に「動いてくれ」と言うか、あるいは「何もしなくていい」と言うか、どちらかだと思っていた。
「内容は」
ライラが──手紙の内容を話した。一字一句ではないが、要点を。
「自分の選択でここにいる」。
「守ってもらう必要はない」。
「道具ではない」。
俺は──聞いた。黙って。
「それで──よかったのか?」
「……よかった」
ライラの声は──静かだった。でも、強かった。
「私が──決めたから」
(……ライラ。お前が自分で決めた。初めて。──それが、俺には何より嬉しい)
言わなかった。嬉しいとは言わなかった。──言う必要がない。ライラは俺に褒められるために動いたんじゃない。自分のために動いたのだ。
「一つ聞いていいか」
「はい」
「手紙を書いている時──右手の癖、出ていたか?」
ライラが──目を丸くした。
「……見ていたんですか。あの癖」
「第4話から」
「……変な人」
「何度目だ」
「もう数えるのをやめました」
ライラが笑った。──美人モードではない笑顔。右手が無意識に動いている。話す時の癖。──ライラ自身は気づいていない。
(R-01──右手の癖。第4話で指摘してから──ずっと見ている。ライラが本音を話す時、右手が動く。美人モードの時は動かない。今──動いている。ライラは本音で話している)
「ライラ。手紙を出すか?」
「もう出しました。──朝一番に」
「……行動が速いな」
「迷ったら出せなくなるから。──殿下に教わりました」
「俺は何も教えていない」
「教えてなくても、学んだんです。──見ていたから」
ライラが退室した。
足取りが──軽かった。来た時と、違う。
アザルクが廊下から覗いた。
「殿下。ライラ殿──なんか雰囲気変わりましたね」
「変わったか?」
「うーん……なんていうか、歩き方? 前はもっとこう──計算して歩いてる感じだったんですけど。今は普通に歩いてます」
(──計算して歩く。それが美人モードだ。ライラはずっと、見られることを前提に歩いていた。今は──ただ歩いている)
「アザルク」
「はい」
「お前、意外と人を見ているな」
「え!? 褒められた!? 殿下に!?」
「撤回する」
「えーーーっ!」
*
その夜。ライラは自室で窓の外を見ていた。
手紙はもう帝都の郵便に預けた。コルディアまで──馬で五日。届くのは来週。兄が読むのは、その翌日。
(もう──戻れない)
怖い。
でも──清々しかった。
窓の外の庭。地味な草。冬の風に揺れている。──でも折れていない。
(あの草は──誰にも守られていない。でも、枯れない。自分の根で、自分で立っている)
ライラは窓辺に手をついた。
(私も──立てるだろうか。あの草のように)
右手が──無意識に動いていた。話す時の癖。──今は誰にも話していない。独り言を考えているだけだ。
でも右手が動く。──本音で考えている時は、癖が出る。
(殿下は──最初からこの手を見ていた。顔じゃなく。美しさじゃなく。──手を)
ライラは右手を見た。
美しい手。──でも今は、その美しさは関係ない。この手が手紙を書いた。自分の言葉を。自分の意思を。
(……明日から──変わる。変わらなければ)
月明かりの中で、ライラは目を閉じた。
手帳を開いた。ライラの欄に書いた。
「自分で動いた。──手紙一通。それが、ライラの一歩目だ」
寝台の上で天井を見ながら。──眠れなかった。
(殿下は「どうしたい」と聞いた。──どうしたいか)
選択肢は三つある。
一つ目──殿下に守ってもらう。政治的に。ハイデン派を牽制し、ライラへの接触を止めさせる。最も確実。最も安全。──最も、今まで通り。
二つ目──何もしない。耐える。陰謀が過ぎ去るのを待つ。コルディアにいた頃と同じ。嵐が去るまで美しく微笑んで、嵐が去った後に静かに息をつく。
三つ目──自分で動く。
(……自分で動く。何を? どうやって?)
ライラは政治に疎いわけではない。コルディア王族として、外交の基礎は叩き込まれている。──ただ、「自分で動く」経験がない。いつも誰かが動いてくれた。
天井を見ている。
冬の月明かりが窓から差し込んでいる。
(アシュレナ様は──自分で動いた。父と向き合った。フィリスは──消えかけて、でも残った。殿下が記録を見せたから──でも、残ると決めたのはフィリス自身だ)
(二人とも──自分で選んだ。私だけが──まだ、選んでいない)
ライラは寝台から起き上がった。
机に向かった。紙と羽ペンを出した。
──手紙を書く。
*
宛先──エルヴァン。コルディア第二王子。ライラの兄。
ライラの手が──止まった。
何を書けばいい。
「助けて」と書けば、エルヴァンは動く。すぐに。兄は優しい。妹を守ることに躊躇しない。
でも──それは「守ってもらう」だ。一つ目の選択肢と同じ。相手が殿下から兄に変わるだけ。
ライラは紙を裏返した。
白い面。何も書かれていない面。
(私は──何を伝えたいのか)
考えた。
コルディアの政争から逃げるようにして帝国に来た。兄が決めた。ライラは頷いた。──選んだのではない。頷いただけだ。
帝国に来て──殿下に出会った。「追いかけない」と言われた。「どうしたい」と聞かれた。雷の夜に、そばにいてくれた。地味な草が好きだと言ったら、「だから何だ」と返された。
──自分はここにいたい。
それは──誰かに決められたことではない。
ライラの手が──動き始めた。
*
手紙の内容。
『兄上。お元気でいらっしゃいますか。
帝国での暮らしは穏やかです。──穏やかではない部分もありますが、それは兄上に処理してもらうものではありません。
一つだけ伝えたいことがあります。
私は──自分の選択で、ここにいます。
兄上が守ってくださったことに感謝しています。今も。でも──もう、守っていただく必要はありません。
ここにいることは──私が選びました。
もし帝国とコルディアの間に政治的な問題が起きても──私を理由にしないでください。私は道具ではありません。コルディアの切り札でもありません。
私は──ライラです。ここにいたくて、ここにいます。
お身体にお気をつけて。
ライラ 』
書き終えた。
羽ペンを置いた。手が──震えていた。
(……書いてしまった)
読み返した。
──強い手紙だ。兄への感謝はある。でも──「守らなくていい」と言い切っている。「道具ではない」と言い切っている。
一度、破りかけた。
紙を掴んで──手が止まった。
(兄上は──怒るだろうか。傷つくだろうか。「守ってきたのに」と。「お前のためにどれだけ動いたか知っているのか」と)
知っている。兄がどれだけ苦労してきたか。コルディアの宮廷でライラを守るために、どれだけの政治的駆け引きをしてきたか。──全部知っている。
でも──だからこそ。
兄にこれ以上、「ライラを守る」という荷物を背負わせたくない。
(兄上。あなたが優しいから──私はずっと選ばなくてよかった。でもそれは──あなたを、ずっと「守る人」にしていたということだ)
手紙を破らなかった。
もう一度読み返した。三度目。
──一ヶ所だけ書き加えた。最後の行の前に。
『兄上が守ってくれたから、私は今ここにいます。だから──ここで、自分で立ちます』
今度こそ──置いた。
羽ペンを置いた。紙を折った。封をした。
(初めて──選んだ)
守られたのではない。守ってもらったのでもない。──自分で動いた。
手紙一通。たったそれだけ。でも──ライラにとって、これは初めての「選択」だった。
*
翌朝。ライラが執務室に来た。
「殿下。──手紙を書きました」
「誰に」
「兄に」
俺は──少し驚いた。
ライラが自分から兄に連絡を取るとは思わなかった。てっきり──俺に「動いてくれ」と言うか、あるいは「何もしなくていい」と言うか、どちらかだと思っていた。
「内容は」
ライラが──手紙の内容を話した。一字一句ではないが、要点を。
「自分の選択でここにいる」。
「守ってもらう必要はない」。
「道具ではない」。
俺は──聞いた。黙って。
「それで──よかったのか?」
「……よかった」
ライラの声は──静かだった。でも、強かった。
「私が──決めたから」
(……ライラ。お前が自分で決めた。初めて。──それが、俺には何より嬉しい)
言わなかった。嬉しいとは言わなかった。──言う必要がない。ライラは俺に褒められるために動いたんじゃない。自分のために動いたのだ。
「一つ聞いていいか」
「はい」
「手紙を書いている時──右手の癖、出ていたか?」
ライラが──目を丸くした。
「……見ていたんですか。あの癖」
「第4話から」
「……変な人」
「何度目だ」
「もう数えるのをやめました」
ライラが笑った。──美人モードではない笑顔。右手が無意識に動いている。話す時の癖。──ライラ自身は気づいていない。
(R-01──右手の癖。第4話で指摘してから──ずっと見ている。ライラが本音を話す時、右手が動く。美人モードの時は動かない。今──動いている。ライラは本音で話している)
「ライラ。手紙を出すか?」
「もう出しました。──朝一番に」
「……行動が速いな」
「迷ったら出せなくなるから。──殿下に教わりました」
「俺は何も教えていない」
「教えてなくても、学んだんです。──見ていたから」
ライラが退室した。
足取りが──軽かった。来た時と、違う。
アザルクが廊下から覗いた。
「殿下。ライラ殿──なんか雰囲気変わりましたね」
「変わったか?」
「うーん……なんていうか、歩き方? 前はもっとこう──計算して歩いてる感じだったんですけど。今は普通に歩いてます」
(──計算して歩く。それが美人モードだ。ライラはずっと、見られることを前提に歩いていた。今は──ただ歩いている)
「アザルク」
「はい」
「お前、意外と人を見ているな」
「え!? 褒められた!? 殿下に!?」
「撤回する」
「えーーーっ!」
*
その夜。ライラは自室で窓の外を見ていた。
手紙はもう帝都の郵便に預けた。コルディアまで──馬で五日。届くのは来週。兄が読むのは、その翌日。
(もう──戻れない)
怖い。
でも──清々しかった。
窓の外の庭。地味な草。冬の風に揺れている。──でも折れていない。
(あの草は──誰にも守られていない。でも、枯れない。自分の根で、自分で立っている)
ライラは窓辺に手をついた。
(私も──立てるだろうか。あの草のように)
右手が──無意識に動いていた。話す時の癖。──今は誰にも話していない。独り言を考えているだけだ。
でも右手が動く。──本音で考えている時は、癖が出る。
(殿下は──最初からこの手を見ていた。顔じゃなく。美しさじゃなく。──手を)
ライラは右手を見た。
美しい手。──でも今は、その美しさは関係ない。この手が手紙を書いた。自分の言葉を。自分の意思を。
(……明日から──変わる。変わらなければ)
月明かりの中で、ライラは目を閉じた。
手帳を開いた。ライラの欄に書いた。
「自分で動いた。──手紙一通。それが、ライラの一歩目だ」
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