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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神

三毛猫とハチワレ

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 ようやくカフェインが和らいだわたしはいつの間にか眠ってしまい、自室のドアが蹴破られる音に慌てて目を開いた。

「ニャー☆」
「お、おおー!?」

 布団から飛び起きると目の前に三毛猫がいて、蹴破られたドアの先に、カオスの父と子猫の父が気絶させられているのが見える。

「おい、どうしてあなたの父親が気絶しているのですか。それにもう一人も……」
「にゃにゃ? あんなヒゲ()やらナンダカ()は、ミケの敵ではありませんが? それよりキサマ、子猫と戦え!」

 寝室の窓から見える太陽はほどんど傾いていなかった。まだ昼間で——よく見ると子猫の目はチョコレートのカフェインで未だにバキバキだった。

 わたしは面倒に思いあくびした。

「……決闘が望みですか。そうですね、起きたら戦ってあげても良いでしょう」
「にゃ!? キサマ勝負から逃げるのか!?」
「安い挑発です。あなたの方こそ寝込みを襲うとは卑劣ではないですか。まさか、そうしなければわたしに勝てないの……?」
「にゃ……にゃにゃ……!? 言わせておけば、子犬のくせに口が回る奴!」
「そちらは虎の子のくせに卑劣な奴です」
「にゃ!? だからミケは、別に……貴様はユエフーみたいなことをゆう! ずるい!」

 子猫はおそらく10歳かそこらだろう。地球から換算して——いや、年齢なんてどうでも良い。考えたくない——わたしは幼い少女の挑発になんて乗らないし、口で負ける気もしない。

「……このベッド、広いしあなたも眠りますか? お互いよく寝て、起きたら決闘しましょうよ。それなら条件は公平なはずです」
「にゃ? 子猫に対し『今は眠れ』と……?」
「変ですか? 子猫は眠るものでしょう」
「——にゃ、違う! 子犬はどーでも良い……にゃんと……ニケ様が珍しく『寝ろよ』とゆってる……!?」
「ニケ? ニケって誰です」
「にゃ? 知らぬのかバカ犬——女神ニケとは、安眠妨害を司る忌々しい邪神であるッ!」

 三毛猫はニャーニャー言いながらわたしの布団に入り、Meowとつぶやいて嬉しそうに寝てしまった。……わけわかんない子だ。

 無理に起こされたわたしは窓ガラスの貼られた窓をぼーっと見つめ、ベッドに戻った。抱きしめると三毛猫はふわふわで暖かく、眠気を誘う。

 わたしは夢の中で一匹の子猫を思い出した。


  ◇


 ダラサ王国の政変から数日後、わたしはアクラ・ロコック男爵の馬車に揺られて地球とは似て非なる新世界の風景を眺めていた。

 まばらに雪が降る草原にはクローバーに似た草が生えていて、地球の羊の2倍はありそうな毛むくじゃらの家畜の群れが見えた。馬車が雑草を揺らすとトカゲが数匹飛び出して来る。そのトカゲは4本の手足の間から蝙蝠のような羽を伸ばした不思議な姿で、わたしはあのトカゲが〈竜〉の祖先なのではないかと想像した。

 そんな異世界の頭上には青く巨大な惑星が浮かんでいる。赤子のわたしはアクラの腕に抱かれながら無言で馬車から見える異界の風景に見惚れていて、

「……その子、びっくりするくらい泣かないわね」

 馬車に同席していたロスルーコ夫人が微笑み、青年アクラは緊張した口調で答えた。

「はい。息子のハッセとは大違いです。あいつは私が最初の稽古を付けたとき、木刀を見せただけで泣きましたから」
「仕方ないわよ。ハッセはジビカ様に加護された子でしょう? 叡智に好かれる子供というのは、生まれつき刃物より本や演劇が好きだと聞くわ……わたしの子は、どのような神が加護してくれたのでしょうね……」

 アクラはロスルーコ夫人ハリティの言葉に絶句し、馬車の床をじっと見つめた。赤子のわたしも空気を読んで真似をする。

 地球でジャパンの忍者に教わった単語で言えば、こういう女性をメンヘラとか地雷とか鬼子母神と呼ぶのだったか。

 鬼族きぞくのハリティ夫人はまさに鬼子母神といった精神状態で、わたしは自分を抱いているアクラが心因性の胃潰瘍を深刻化させる様子を刻々と観察した。

 青年が胃袋の耐久性を試す旅路はそれから約2日後に解除され、夫人はとあるT字路でアクラの馬車から降りたのだった。

 ハリティ夫人は旦那の伯爵と一緒に岐路に立ち、背後に広がる自分たちの広大な領地を振り返ったあと、アクラ・ロコック男爵の背後に広がる寂れた湿地を見つめた。

「ロコック男爵。いつでも手紙を頂戴ね。その子を……ニョキシー・ロコックを強くするためなら、我がロスルーコ家は費用や手間を惜しみません……そうよね、あなた?」
「約束しよう。ほらドライグ、お前も未来の妻に挨拶しなさい」
「はい、父上。——しばらく離れ離れだね、未来の奥さん」

 ドライグは澄ました顔でわたしに礼をし、あの日のつぶやきを覚えているわたしは背筋が凍る気持ちになった。

 わたしはロスルーコ家の面々と別れ、新たに「義父」になったアクラ・ロコックの本家カントリー屋敷ハウスにたどり着いた。

 馬車での会話を聞いた感じ、ロコック家は長年ロスルーコ家の家臣として働いているようで、ロスルーコ領が首都とする街に市街シティ別宅ハウスを持っているようだが、アクラは自分の田舎の家にわたしを運び入れた。

 理由は明快だ。老騎士ユビン・ロコックは殺人鬼マガウルに殺されたし、わたしから見て後方に走る馬車に遺体が積まれていた。

 粉雪の舞う陰気な湿地帯を抜けると小高い丘の上に城壁とひとつの尖塔が見え、アクラ・ロコックとその配下が鞭を振る2台の馬車は堀の上に渡された跳ね橋を通って小さな城の内部に入った。

 アクラの部下が息の上がった馬を厩舎に導き、城の中から数名の使用人が不安そうな顔で青年アクラを出迎える。

「……父が死にました」

 アクラは出迎えた使用人たちの中央に立つ年老いた貴族の女性に告げ、老婆はその隣に立っていた中年女性ともども気を失った。後で知ったがこの世界は一夫多妻で、2人の老婆はユビン・ロコックの嫁だった。

 アクラを出迎えた中にはアクラの嫁や子供もいて、まだ若々しい嫁は頬を濡らしてアクラを抱きしめた。アクラの嫁はひとりだけだった。

 そしてわたしは、アクラ夫妻の息子が叫ぶのを聞いた。

「嘘でしょう、父上! お祖父様が亡くなったのですか!?」
「……そうだハッセ。お前は叡智ジビカ様の加護を持つから、聞いてみなさい」

 アクラは疲れた声で答え、ハッセは一瞬、鋭い視線をわたしに向けてから首を振った。

 年齢は10歳を超えているだろう。もう思春期に差し掛かっているかもしれない。少年はすでに声変わりしていて、体を一瞬だけ青く光らせた。

「まさか、そんな……! あのお祖父様が亡くなるなんて……!」

 アクラから「ハッセ」と呼ばれた青年は両目に涙を浮かべ、右手で涙を拭った。

「……叡智ジビカ様が教えて下さいました。偉大なお祖父様が……ダラサの王宮で…………勇敢な最後だったと」
「その通りだ。お祖父様は邪悪な死神に連れ去られてしまったが、今頃〈聖地〉に生まれ変わっているだろう。きっと天国で楽しく暮らしているはずだ……」
「王宮でなにがあったのです?」

 ハッセと呼ばれた青髪の少年は、言いながらほんのりと髪を金髪に変えた。彼はわたしに鋭い目を向け、自分の父親たるアクラにすがりついた。

「あの子供はなんです? まさか父上の子では無いでしょう。アレには下賤な犬のような耳があります!」
「そのような言い方はやめろ。あれは今日からお前の妹になる子だ。ニョキシーは、ロスルーコ様のご長男と婚約している」
「婚約!? それに、あれが私の妹……?」
「でもその話は後にしてくれ。私は疲れた……まさか、自分の父親が、……殺されるのを、見るとは、思わなかった……」

 アクラ男爵は堰を切ったように泣き、息子のハッセは父親の涙に戸惑った。

 ロコック家の門前には家人が総出で出迎えをしていて、わたしはアクラの部下と思われる女性たちに囲まれた。

 アクラの部下には王宮で目にした「竜族」に似ている者が数名いたし、鬼族も数十名いた。

 しかし圧倒的に多数を占めるのは獣人で、わたしはわたしと同じ犬耳や猫耳、あるいはウサ耳とか鳥のような羽を持つ使用人に囲まれた。幼いネズミ系の少女が頬袋に詰めた食材を噛みながらネズミの耳をじっとわたしに向けている。

「使用人ども。その子の世話をしろ」

 アクラ男爵が言いつけると粗末なメイド服を着た獣人たちは笑ってわたしの頭を撫で、そのうちのひとり、猫の耳を持つ女性が片腕に抱いた子猫のついでにわたしを抱いた。

 キジトラ柄の母猫は両胸を露出して息子とわたしに乳を飲ませ、わたしは混乱しながら真横の子猫を見つめた。

 生まれたばかりのハチワレ柄の少年が母親の乳を吸っていた。

「Meow……?」

 白と黒の2色の髪色を持つハチワレの子猫はまだ目も開いていなくて、小さな鼻をすんすんと動かし、大きな黒い猫耳を左右させたあと掠れた声で小さく鳴いた。

(おいロリコン……この子猫、めたくそ可愛いぞ!?)
〈……へえ、それは興味深い感想だな。おまえは産まれたばかりの子猫を愛でるくせに、未だ私をロリコンと呼ぶのか?〉
(はああ!? クソみたいな揚げ足取りはやめて! わたし女性なんですけど? あんたは最強にキモいロリコンだけど、女のわたしは地球言語の定義上、絶対にロリコンじゃないし!)
〈なにその理不尽。地球に隕石が当たれば良いのに〉

 アクラが雇っている獣人はハチワレの子や母親ばかりでなく、わたしの周りにはウサギや狐、ハムスターといった可愛らしい獣人とその子供たちがいた。

 ノー・ワンが呟いた。

〈しかし、そうか……なら獣人のその子にも私が加護を与えよう。彼の名前は、おまえから教わった「ハチワレ」とする……この子は私の加護なんて要らないかもしれないがね〉

 黒い子犬として産まれたわたしは、まだこの世界での獣人の地位を知らなかった。


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