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6 月
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「りっちゃんもよく、あんたなんかと付き合うわねえ」
ついさっき仁司に食らわされた張り手のせいで、左頬がじんじんと痛む。
仁司は顎に手をやりながら、悩ましげに溜息をついた。
連は店のスツールに腰かけたまま、派手な化粧から視線を外す。
この日、律は臨時休暇を与えられて、店には不在だった。
「こんな不愛想のどこがいいのかしら」
仁司がごつい頬をぷうと膨らませる。
連とて、勘のいい仁司に隠し通せるとは思っていなかったが、僅か一週間で、律との仲を問い詰められるとは思わなかった。
仁司のネチネチそした嫌味は、蓮が冷やを飲み干すまで続いた。
ひとしきり喋り倒した後に仁司はカウンター越しに蓮に顔を寄せ、声をひそめた。
「ここだけの話ね、りっちゃんはアンタたちみたいなヤクザが嫌いなの。お父さんも組の人だったみたいなんだけど、仲間に殺されちゃったんだって。しかも目の前でよ? 親子二人きりの家族だったのに。そのショックでりっちゃんは声が出ないのよ。可哀想な話よねぇ」
哀れそうに眉尻を下げる仁司を一瞥して、蓮は間を置かず問い掛けた。
「律は親父を殺(や)った奴を見たんだな?」
「そうみたいよ。でも覚えてるのは、少しだけ見えた腕に、その日見たのと同じ、丸い月の刺青があったことだけって言ってたわ。そういえば、アンタの組の人にもいたわね。丸い刺青の人」
「……そんな奴は知らねえな」
答えながら、蓮は己の右の上腕を、どこか忌々しげに掴んだ。
仁司が再び溜息を吐く。
「そうよねぇ。なかなかいないわよねぇ。そんなダサい刺青入れてるヤクザなんて」
――丸い月。
律とは何度か身体を重ねたが、そのたびに右腕に感じる視線があった。そのガラス玉みたいな双眸は蓮の月に魅入られたように剥がれず、蓮は、そんなに珍しいものなのかと暢気にも思っていた――のに。知られてはいけなかった。しかし、もう遅い。
営業時間外というのに、扉のベルが鳴ったのは、蓮が憂鬱な思考を切り上げてシノギの戻ろうと腰を上げたときだった。
けたたましい音を立てて扉が開き、顔を向けると、鬼のように目尻を釣り上げた魚谷が、店内にミサイルのように飛びこんできた。
「てめぇ、俺の女に手ぇ出しやがって! ただじゃおかねぇぞ!」
連は、魚谷に唾を浴びせられながら、胸ぐらを掴まれた。視界が上下に揺れる。
魚谷の後ろでは、いかにもヤクザというサングラスをかけた、ガタイのいい若衆が一人、連戦体勢で構えていた。
魚谷が黄色く汚れた前歯を剥き出して、蓮の鼻先まで顔を近付ける。その手にはサバイバルナイフが握られていた。
「てめぇのネクタイピンをチカが持ってた。どうゆうことだ? 説明してみろや。できねえだろ? できねえよな? コイツでそのきたねぇチンポ刺身にしてやろうか? それとも自分でエンコ詰めるか? 選べや、なあ?」
魚谷が見せびらかすサバイバルナイフの刃が、照明のしたでギラギラと光った。
丸腰で、不利な状況にも関わらず、蓮の心は冷えたままだった。
律の笑顔が頭の中から離れない。真相を知られたらと思うと、魚谷と対峙するよりも恐ろしかった。
蓮が上の空でいると、魚谷は苛立ったように、蓮の頬に正拳突きをみまった。
「そういや、てめぇだせェアニキもクズだったなぁ。俺ァあの時のようには逃がさねぇぞ」
頭に血が上った魚谷は連の顔を躊躇なく殴った。
鼻骨が折れ、顎関節が割れるようないやな音が聞こえた。口の中が切れ、血の味が広がる。脳が揺さぶられ、耳が遠くなる。
スツールから崩れ落ちた蓮を追い、鼻血の流れる顔を何度もいたぶり続けた。
蓮は朦朧としながらその拳を受け入れた。
仁司が臆する態度も見せずに二人の様子を眺めている気配がする。助けに入らないのは、蓮がそれほどの制裁を受けて然るべきと思っているからだろう。
柄にもなく、自虐的でセンチメンタルな気分になっていた。
抵抗する気力も湧かない。
それでも体は正直で、殴られたところが、燃えてるみたいに熱かった。皮肉にも、こういったときだけはちゃんと生きているという感じがする。
律も、もっと早く、自分を殴ってくれたら良かったのに。
あなたの――せいで、父親は死んだのだ、と。
再びベルが鳴った。
今度は心地良さすら感じる軽やかな音だった。
蓮からは、魚谷が馬乗りになっているせいで、来訪者の姿は見えなかった。
ただ、カウンターの中の仁司が、目も口も阿呆みたいに開けているのを見て察しがついた。凍えていた心臓が、激しく鳴りだす。
一瞬でも早く動きたいのに、殴られ過ぎたせいで視界が震えて手足に力が入らなかった。
「おう、ネエちゃん。こっから先は立ち入り禁止だぜ?」
サングラスが猫なで声を出す。
蓮がもがきながら身体を起こそうとしたとき、跨っていた魚谷の重心が後ろに傾いた。
「んだ、コラァッ!」
連は、腫れあがった瞼を持ち上げ、魚谷の怒鳴り声の先を見た。
魚谷の後ろには、必死な形相で魚谷に掴みかかる律がいた。
細い腕で男の胴を引っ張っても、鍛えられた体がそう簡単に動くはずもない。
魚谷は下卑た笑みを浮かべ、律のこめかみに肘鉄砲を食らわせた。
華奢な体が勢いよく壁にぶつかり、音を立てて床に転がる。
痛みに歪む律の表情を見た蓮は、堪えかねて仁司に助けを求めた。
しかし、カウンターの中にその姿が無い。
思わず漏れた舌打ちに、魚帯は標的を蓮に戻して、雄叫びを上げながらサバイバルナイフを振り上げた。
そのとき。
「やめて!」
硝子が弾けたような声が、血生臭い空気を震わせた。
ついさっき仁司に食らわされた張り手のせいで、左頬がじんじんと痛む。
仁司は顎に手をやりながら、悩ましげに溜息をついた。
連は店のスツールに腰かけたまま、派手な化粧から視線を外す。
この日、律は臨時休暇を与えられて、店には不在だった。
「こんな不愛想のどこがいいのかしら」
仁司がごつい頬をぷうと膨らませる。
連とて、勘のいい仁司に隠し通せるとは思っていなかったが、僅か一週間で、律との仲を問い詰められるとは思わなかった。
仁司のネチネチそした嫌味は、蓮が冷やを飲み干すまで続いた。
ひとしきり喋り倒した後に仁司はカウンター越しに蓮に顔を寄せ、声をひそめた。
「ここだけの話ね、りっちゃんはアンタたちみたいなヤクザが嫌いなの。お父さんも組の人だったみたいなんだけど、仲間に殺されちゃったんだって。しかも目の前でよ? 親子二人きりの家族だったのに。そのショックでりっちゃんは声が出ないのよ。可哀想な話よねぇ」
哀れそうに眉尻を下げる仁司を一瞥して、蓮は間を置かず問い掛けた。
「律は親父を殺(や)った奴を見たんだな?」
「そうみたいよ。でも覚えてるのは、少しだけ見えた腕に、その日見たのと同じ、丸い月の刺青があったことだけって言ってたわ。そういえば、アンタの組の人にもいたわね。丸い刺青の人」
「……そんな奴は知らねえな」
答えながら、蓮は己の右の上腕を、どこか忌々しげに掴んだ。
仁司が再び溜息を吐く。
「そうよねぇ。なかなかいないわよねぇ。そんなダサい刺青入れてるヤクザなんて」
――丸い月。
律とは何度か身体を重ねたが、そのたびに右腕に感じる視線があった。そのガラス玉みたいな双眸は蓮の月に魅入られたように剥がれず、蓮は、そんなに珍しいものなのかと暢気にも思っていた――のに。知られてはいけなかった。しかし、もう遅い。
営業時間外というのに、扉のベルが鳴ったのは、蓮が憂鬱な思考を切り上げてシノギの戻ろうと腰を上げたときだった。
けたたましい音を立てて扉が開き、顔を向けると、鬼のように目尻を釣り上げた魚谷が、店内にミサイルのように飛びこんできた。
「てめぇ、俺の女に手ぇ出しやがって! ただじゃおかねぇぞ!」
連は、魚谷に唾を浴びせられながら、胸ぐらを掴まれた。視界が上下に揺れる。
魚谷の後ろでは、いかにもヤクザというサングラスをかけた、ガタイのいい若衆が一人、連戦体勢で構えていた。
魚谷が黄色く汚れた前歯を剥き出して、蓮の鼻先まで顔を近付ける。その手にはサバイバルナイフが握られていた。
「てめぇのネクタイピンをチカが持ってた。どうゆうことだ? 説明してみろや。できねえだろ? できねえよな? コイツでそのきたねぇチンポ刺身にしてやろうか? それとも自分でエンコ詰めるか? 選べや、なあ?」
魚谷が見せびらかすサバイバルナイフの刃が、照明のしたでギラギラと光った。
丸腰で、不利な状況にも関わらず、蓮の心は冷えたままだった。
律の笑顔が頭の中から離れない。真相を知られたらと思うと、魚谷と対峙するよりも恐ろしかった。
蓮が上の空でいると、魚谷は苛立ったように、蓮の頬に正拳突きをみまった。
「そういや、てめぇだせェアニキもクズだったなぁ。俺ァあの時のようには逃がさねぇぞ」
頭に血が上った魚谷は連の顔を躊躇なく殴った。
鼻骨が折れ、顎関節が割れるようないやな音が聞こえた。口の中が切れ、血の味が広がる。脳が揺さぶられ、耳が遠くなる。
スツールから崩れ落ちた蓮を追い、鼻血の流れる顔を何度もいたぶり続けた。
蓮は朦朧としながらその拳を受け入れた。
仁司が臆する態度も見せずに二人の様子を眺めている気配がする。助けに入らないのは、蓮がそれほどの制裁を受けて然るべきと思っているからだろう。
柄にもなく、自虐的でセンチメンタルな気分になっていた。
抵抗する気力も湧かない。
それでも体は正直で、殴られたところが、燃えてるみたいに熱かった。皮肉にも、こういったときだけはちゃんと生きているという感じがする。
律も、もっと早く、自分を殴ってくれたら良かったのに。
あなたの――せいで、父親は死んだのだ、と。
再びベルが鳴った。
今度は心地良さすら感じる軽やかな音だった。
蓮からは、魚谷が馬乗りになっているせいで、来訪者の姿は見えなかった。
ただ、カウンターの中の仁司が、目も口も阿呆みたいに開けているのを見て察しがついた。凍えていた心臓が、激しく鳴りだす。
一瞬でも早く動きたいのに、殴られ過ぎたせいで視界が震えて手足に力が入らなかった。
「おう、ネエちゃん。こっから先は立ち入り禁止だぜ?」
サングラスが猫なで声を出す。
蓮がもがきながら身体を起こそうとしたとき、跨っていた魚谷の重心が後ろに傾いた。
「んだ、コラァッ!」
連は、腫れあがった瞼を持ち上げ、魚谷の怒鳴り声の先を見た。
魚谷の後ろには、必死な形相で魚谷に掴みかかる律がいた。
細い腕で男の胴を引っ張っても、鍛えられた体がそう簡単に動くはずもない。
魚谷は下卑た笑みを浮かべ、律のこめかみに肘鉄砲を食らわせた。
華奢な体が勢いよく壁にぶつかり、音を立てて床に転がる。
痛みに歪む律の表情を見た蓮は、堪えかねて仁司に助けを求めた。
しかし、カウンターの中にその姿が無い。
思わず漏れた舌打ちに、魚帯は標的を蓮に戻して、雄叫びを上げながらサバイバルナイフを振り上げた。
そのとき。
「やめて!」
硝子が弾けたような声が、血生臭い空気を震わせた。
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