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椿
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振り向くと、壁際に所狭しと植えられている種々の椿に、シイは思惑通り心を奪われたようだった。
『椿園』と名づけられたこの建物の中には名の通り色とりどりの椿が植えられ、冬から春への橋渡しのように花が咲き誇っていた。その一つ一つを見て周りながら、侃爾は突然立ち止まるシイが、人や障害物にぶつからないようにぴたりと傍に付き添っていた。
「椿って、色々な種類があるんですね」
シイが紅色の花弁を見上げながら言う。
「赤いのも鮮やかで美しいけど、私は白いのが好きです」
侃爾は機嫌のよい様子で独り言を呟く彼女を横目で見て、「そうか」とだけ相槌を打った。
「侃爾さんは、どれがお好きですか?」
楽しげに問いかけられ、侃爾はまさか自分にその話題が振られると思わす気難しい顔で考え込んだ。
視線を動かせば、辺り一面濃緑の葉と様々な色の椿の花に囲まれている。園芸に関して興味の無い侃爾にはその色の違いしか個々の区別はつかなかったが、好みを答えるにはそれだけで十分だった。
「赤は好かない」
ピシャリと告げると、シイが目を細めて「では、ああいう淡い色のものがお好きですか? 確かに可憐で可愛らしいですよね」と侃爾の返答に嬉しそうに声を弾ませた。
しかし侃爾は眉を顰めながら続ける。
「いや中途半端だろう、あの色は」
「え、そ、そうですか? 桃色は珍しくて素敵だと――」
「違う。俺も、――白がいい、と思ったんだ」
侃爾の言葉にシイが彼を見つめて瞬きを繰り返す。
捉えられている侃爾はその真っ直ぐな視線に堪えきれず反対側を向いた。蒸された室内にいるせいか背中が汗ばむ。
シイは一層笑みを濃くして薄赤い唇の前で手を合わせた。
「でしたら、一緒ですね。ふふ、嬉しい……」
言い置いて、また機嫌よく諸々の対象に興味を惹かれて急停止する彼女を、侃爾はまるで親のように見守った。時折、花についての説明が書かれた立て看板を眺めては首を傾げる彼女に読み方を教えてやり、満面の笑みを向けられると、胸の中が焼きごてをあてられたように熱くなった。
屋内を一周回り終え椿園を出ようかというとき、シイがまた突然しゃがみ込み何かを拾って立ち上がった。
「これは、貰って行ってもいいものでしょうか?」
彼女の手には、首から折れた白い椿の花が捕らえられていた。
侃爾は考える間も無く「別にいいんじゃないか」と返す。
「落ちてしまったものに利用価値などあるまい」
枝から落ちたというだけで価値を失くした花を、シイは大事そうに両手で包み、目先に近づける。
「でしたら持って帰って、……押し花などにしたらきっと素敵ですね」
『押し花』など作ってどうするんだ。――侃爾は反射的に思った。
シイが死ぬという日まで一週間ほどしか無いのに、何故そんなものを作ろうとするのか分からなかった。そもそもシイが『自分が死ぬ日』を覚えているかどうかも疑わしかった。最近のシイはよく笑っていて、まるで希死念慮のある者のそれには見えないのだ。
その笑顔の裏側など彼にはまるで分からない。
「はい」
突然耳に違和感を感じて、侃爾は深い物思いから引き戻された。
目の前ではシイが温和に微笑み、侃爾の顔を見上げている。その手にあの椿が無い。嫌な予感に瞼を半分下ろしながら耳に手をやると、指先が耳の上に乗せられていた花弁に触れた。
「おい……」
「とてもお似合いです」
「男にこんなものが似合うわけないだろう」
シイは椿で飾られた侃爾を見上げて、澄んだ笑みを浮かべた。
「似合いますよ。まるで海の向こうのお話に出てくる王子様みたいです」
「おかしな奴だな。こんなゴツゴツした野郎に花なんぞ着けて喜ぶなんて。俺なんかよりももっと……」
言いながら侃爾は己につけられた花を抜き取り、シイの横髪を避けながら白い椿を差し込んだ。そして不愛想に眉を寄せ、
「お前のような奴のほうが似合う」
とそっぽを向いた。
シイはされるがままで目を丸くし呆然としていたが、やがて我を取り戻し、ボッと顔を赤くした。
「わ、わた、私のような、ぶ、不細工には、に、に、似合いません……! もっと、そう、ハイカラな女学生さんみたいな、上品で麗しい方々でないと…………っ!」
照れなのか羞恥なのか、激しく動揺するシイに侃爾は噴き出し、シイはううっと言葉を詰めた。
「不細工とか、上品とか、別にそういう意味で言ったわけじゃない。肌が白いから、似合うと思っただけだ」
侃爾が笑みを押し殺しながら言うと、シイはますます赤面して両手で顔を隠した。
通り過ぎていく人々が二人を邪魔そうに避け、そして怪訝な顔で振り返るのを察して、侃爾は立ち呆けているシイの腕を引き外に出た。
薄い雪化粧が光を反射して眩しい。
「ほら、いつまでもそうしてないでちゃんと歩け」
いまだに手で顔を覆おうとするのを防ぎ、真正面からシイの顔を見た侃爾はその瞬間あっとなった。
紅潮した頬と、涙に包まれ無垢に光る瞳。
上向きの濡れた睫毛、悩ましげに閉じられた薄紅色の唇。
そよ風に揺れる菫色の袂。
そして艶やかな黒髪に差し込まれた、――穢れの無い花。
胸がぎゅうと締め付けられた。
見惚れた視線を動かせずにいると、ふいにシイが髪から椿の花を摘み取り大事そうに袂に入れた。
「つ、次は、どこへ行きましょう……」
照れくさい雰囲気を断ち切ろうとするシイの声に、侃爾は心を整えるように息を吸い、渓流に架かる橋へと歩み出した。
『椿園』と名づけられたこの建物の中には名の通り色とりどりの椿が植えられ、冬から春への橋渡しのように花が咲き誇っていた。その一つ一つを見て周りながら、侃爾は突然立ち止まるシイが、人や障害物にぶつからないようにぴたりと傍に付き添っていた。
「椿って、色々な種類があるんですね」
シイが紅色の花弁を見上げながら言う。
「赤いのも鮮やかで美しいけど、私は白いのが好きです」
侃爾は機嫌のよい様子で独り言を呟く彼女を横目で見て、「そうか」とだけ相槌を打った。
「侃爾さんは、どれがお好きですか?」
楽しげに問いかけられ、侃爾はまさか自分にその話題が振られると思わす気難しい顔で考え込んだ。
視線を動かせば、辺り一面濃緑の葉と様々な色の椿の花に囲まれている。園芸に関して興味の無い侃爾にはその色の違いしか個々の区別はつかなかったが、好みを答えるにはそれだけで十分だった。
「赤は好かない」
ピシャリと告げると、シイが目を細めて「では、ああいう淡い色のものがお好きですか? 確かに可憐で可愛らしいですよね」と侃爾の返答に嬉しそうに声を弾ませた。
しかし侃爾は眉を顰めながら続ける。
「いや中途半端だろう、あの色は」
「え、そ、そうですか? 桃色は珍しくて素敵だと――」
「違う。俺も、――白がいい、と思ったんだ」
侃爾の言葉にシイが彼を見つめて瞬きを繰り返す。
捉えられている侃爾はその真っ直ぐな視線に堪えきれず反対側を向いた。蒸された室内にいるせいか背中が汗ばむ。
シイは一層笑みを濃くして薄赤い唇の前で手を合わせた。
「でしたら、一緒ですね。ふふ、嬉しい……」
言い置いて、また機嫌よく諸々の対象に興味を惹かれて急停止する彼女を、侃爾はまるで親のように見守った。時折、花についての説明が書かれた立て看板を眺めては首を傾げる彼女に読み方を教えてやり、満面の笑みを向けられると、胸の中が焼きごてをあてられたように熱くなった。
屋内を一周回り終え椿園を出ようかというとき、シイがまた突然しゃがみ込み何かを拾って立ち上がった。
「これは、貰って行ってもいいものでしょうか?」
彼女の手には、首から折れた白い椿の花が捕らえられていた。
侃爾は考える間も無く「別にいいんじゃないか」と返す。
「落ちてしまったものに利用価値などあるまい」
枝から落ちたというだけで価値を失くした花を、シイは大事そうに両手で包み、目先に近づける。
「でしたら持って帰って、……押し花などにしたらきっと素敵ですね」
『押し花』など作ってどうするんだ。――侃爾は反射的に思った。
シイが死ぬという日まで一週間ほどしか無いのに、何故そんなものを作ろうとするのか分からなかった。そもそもシイが『自分が死ぬ日』を覚えているかどうかも疑わしかった。最近のシイはよく笑っていて、まるで希死念慮のある者のそれには見えないのだ。
その笑顔の裏側など彼にはまるで分からない。
「はい」
突然耳に違和感を感じて、侃爾は深い物思いから引き戻された。
目の前ではシイが温和に微笑み、侃爾の顔を見上げている。その手にあの椿が無い。嫌な予感に瞼を半分下ろしながら耳に手をやると、指先が耳の上に乗せられていた花弁に触れた。
「おい……」
「とてもお似合いです」
「男にこんなものが似合うわけないだろう」
シイは椿で飾られた侃爾を見上げて、澄んだ笑みを浮かべた。
「似合いますよ。まるで海の向こうのお話に出てくる王子様みたいです」
「おかしな奴だな。こんなゴツゴツした野郎に花なんぞ着けて喜ぶなんて。俺なんかよりももっと……」
言いながら侃爾は己につけられた花を抜き取り、シイの横髪を避けながら白い椿を差し込んだ。そして不愛想に眉を寄せ、
「お前のような奴のほうが似合う」
とそっぽを向いた。
シイはされるがままで目を丸くし呆然としていたが、やがて我を取り戻し、ボッと顔を赤くした。
「わ、わた、私のような、ぶ、不細工には、に、に、似合いません……! もっと、そう、ハイカラな女学生さんみたいな、上品で麗しい方々でないと…………っ!」
照れなのか羞恥なのか、激しく動揺するシイに侃爾は噴き出し、シイはううっと言葉を詰めた。
「不細工とか、上品とか、別にそういう意味で言ったわけじゃない。肌が白いから、似合うと思っただけだ」
侃爾が笑みを押し殺しながら言うと、シイはますます赤面して両手で顔を隠した。
通り過ぎていく人々が二人を邪魔そうに避け、そして怪訝な顔で振り返るのを察して、侃爾は立ち呆けているシイの腕を引き外に出た。
薄い雪化粧が光を反射して眩しい。
「ほら、いつまでもそうしてないでちゃんと歩け」
いまだに手で顔を覆おうとするのを防ぎ、真正面からシイの顔を見た侃爾はその瞬間あっとなった。
紅潮した頬と、涙に包まれ無垢に光る瞳。
上向きの濡れた睫毛、悩ましげに閉じられた薄紅色の唇。
そよ風に揺れる菫色の袂。
そして艶やかな黒髪に差し込まれた、――穢れの無い花。
胸がぎゅうと締め付けられた。
見惚れた視線を動かせずにいると、ふいにシイが髪から椿の花を摘み取り大事そうに袂に入れた。
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