捨てられたので、私はもうあなたたちに用はありません

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動く影

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王都の夜は、光が多いほど影も深い。
黒衣の商会の裏通り。
湿った石畳を踏む音が、いつもより近く感じた。

「……足音が三つ。」
私はペンを置き、燭台の火を細める。
隣でグレアムが低く息を吐いた。
「嬢ちゃん、気のせいじゃねぇ。裏門に誰かいる。」

すぐにミーナが駆け込んできた。
顔が青ざめ、声が震えている。
「外に……黒いフードの男たちが……! “神の名を賭して”とか叫んで……!」

――教会の私兵。
異端審問を行う者たち、“聖灰騎士団”。
裁判前に証拠と証人を潰すつもりか。

私は立ち上がった。
「倉庫の裏口を閉めなさい。ミーナは中に。
 グレアム、帳簿を燃やして。残す必要はないわ。」

「だが嬢ちゃん、あれは命より――」
「もう、別の命を燃やすために使うの。」

彼が頷いた瞬間、外でガラスが割れた。
悲鳴、怒号、金属のぶつかる音。

扉が破られ、黒衣の男たちがなだれ込む。
金属の鎖のような十字架を首から下げ、
「異端を捕らえろ!」と叫んでいた。

「“黒衣の商人”の罪を、神の名において――」

その瞬間、私は投げられたランプを蹴り飛ばした。
炎が床を走り、影を裂いた。
光の中で、彼らの顔が浮かぶ。
……怯えている。
神を信じていながら、誰よりも恐れている顔だった。

「神の名を語るな。」
私の声が低く響いた。
「あなたたちは神ではなく、恐怖の使い。」

男たちが動きを止めた刹那、
奥の扉が開き、リオネルの護衛たちが雪崩れ込む。
「ヴァルデン卿の命令だ! 手を出すな!」

混乱の中、短剣が一振り――
グレアムがそれを受け止め、腕から血を流した。

「グレアム!」
彼は笑った。
「へっ……たいしたことねぇ。だが嬢ちゃん、こいつを。」

手渡されたのは、一冊の帳簿。
その表紙の隅に、奇妙な刻印が押されていた。
“B・H・L”――ベイラン家の旧式印章。

私はページをめくった。
数字の羅列、偽造の取引記録、そして――
筆跡。
あの整った、細い文字。

「……リーナ。」
胸の奥が冷たくなる。
彼女はかつて、侯爵家の事務を担当していた。
この帳簿を“証拠”として仕込んだのは彼女だ。

けれど――致命的なミス。
彼女は、自分の筆跡を完全には変えられなかった。

「……ありがとう、グレアム。これが“鍵”よ。」

護衛たちが騎士団を押さえ、男たちは次々と捕縛されていく。
リオネルが駆け込んできたとき、
私は焼け焦げた帳簿を手に、静かに立っていた。

「無事か!」
「ええ。彼らは自分で証拠を届けてくれたわ。」

リオネルが帳簿を覗き込み、眉を上げた。
「……この筆跡、リーナ・ベイランだな。」
「そう。侯爵夫人が自ら罪状を記した。“神の名で”ね。」

彼は息を吐き、笑った。
「あなた、本当に怖い人だ。」
「褒め言葉として受け取っておくわ。」

外では夜風が吹き、燃え残った灰を舞い上げる。
その中で、私は静かに呟いた。

「動く影が、明日には形を持つ。
 ――これで、社交裁判の幕を上げられる。」

リオネルが頷く。
「準備は整った。
 だが、この帳簿が光に晒された瞬間、
 王都全体が“敵”にも“味方”にもなる。」

「構わない。」
私は黒衣の裾を翻した。
「光の下でこそ、影は一番美しく映えるのだから。」

炎が静かに消える。
残ったのは、灰と、確かな証拠。

その夜、王都の風が一段と冷たく感じられた。
嵐の前の静けさ――
だが、私はもう怯えてはいなかった。
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