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3.暁のカーザと銀のルティナ
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一番初めに訪れた大きな部屋にふたたびイリーナは招かれた。
「申し遅れましたが、私はフルク・ガルネーレと申します。ここエレアザールの王宮では典医を務めさせていただいていますが、この通り、魔法使いでもあります」
そう言ってフルクは白衣の下の薄青のローブと六芒星の紋章を示して見せた。
「あ、イリーナ・ラングです」
「以後、お見知りおきを……」
フルクは洗練された仕草でイリーナの手を取ると指先にそっと口付けた。
ふたたびイリーナは真っ赤になった。やっぱりこれが宮廷の流儀か何かなのだろうか。とっても心臓に悪い。
失礼にならないようにイリーナは手を振りほどくと両手を後ろに隠した。
イサークがその様子を見てくすくすと笑いを漏らす。
そのイサークをイリーナは睨みつけた。その顔を見て思い出したことがあったからだ。
「宮廷魔法使いって言ったじゃない。殿下ってどういうこと?」
「ごめん。別に隠すつもりはなかったんだけど、でも魔法使いだってことは本当だよ」
イサークは慌てて言った。
「王宮の外ではそれで通っているんだ。王子なんて知れたらそれこそ道も歩けないし」
イリーナはあんぐりと口をあけてしまった。
「じゃあやっぱり本当に王子さまなの?」
「驚かせたね、ごめん。怒ってる?」
怒るよりもあっけにとられてしまったと言う方が正しいかもしれない。 エレアザールの王子ともあろう方がふらふらと街を出歩いているだなんて信じられない。
「マークたちは知ってるの?」
「もちろん、知ってる。彼らは大事な友人だ」
その言葉には嘘はないだろう。彼はどこまでもまっすぐで真摯だ。
「ですが、私を紹介するつもりでいらっしゃったのなら、ご身分を明かさずにいたことは失敗でしたね、殿下」
「だけど、あそこで俺が王子だって言っても、たぶんイリーナ……信じられなかっただろう?」
「……そうね」
イリーナは少し考えながらそう答えた。そんなこと言われたら胡散臭すぎて信用できなかったはずだ。
「殿下からお話は伺いました。私でご用意できるものなら承りましょう」
「ありがとうございます!」
イリーナはスカートのポケットから小さな白い封筒を取り出して、フルクに手渡した。
「村のお医者様から預かってきたんです。母の病状が書いてあります」
フルクはその封筒を受け取ると中から一枚の用紙を取り出し、ざっと一通り目を通した。
難しい顔をして何やら考え込んでいる様子だった。
「ふむ……」
しばらくしてフルクはようやく顔を上げた。
「イリーナ、はっきり言ってこれはとても難しい調合です。少しお時間をいただくことになりますが、よろしいですか?」
「はい、よろしくお願いします!」
「よかったな、イリーナ。フルクの腕は折り紙付だ。なんていっても王国一の医師殿だからな」
「ええ、ありがとう、イサーク!」
イリーナはイサークに抱きついて頬にキスをした。
おっと言ってイサークが笑う。
「あ、ごめんなさい。つい…」
ここは村ではなく王宮で、相手は王子だったことに気が付いたイリーナは慌てて離れた。
「いや、こんなご褒美なら大歓迎だ」
まんざらでもない顔で喜ぶイサークにフルクはにやにやと笑う。イリーナは恥ずかしくなってそっとその場から離れた。
イサークはイリーナの後姿を眺めながら、ぼそりとつぶやいた。
「イリーナを王宮には入れずに保護できないかな」
「……難しいですよ、それは」
「難しくったってやってみるさ。イリーナは間違いなく銀のルティナだけど、ここにいない方が良い」
「そうですね。彼女にはやはり緑豊かな聖ラーザの風の中にいた方が幸せのように思います」
薬品の棚を物珍しそうに見物しているイリーナの様子をうかがいながら、フルクは低い声で言う。
「聖ラーザは聖域です。そこで治らない病に私の調合した薬で何とかなるものなのか……私にはとても思えません。しかもこの症状は……」
フルクとイサークは重々しく顔を見合わせた。
「医師殿か彼女の母君になんらかの意図があるのかもしれないな。とにかく聖ラーザに人を向かわせる」
「賢明ですよ、殿下」
「とりあえず、俺は陛下にご報告してくる。イリーナのこと頼む」
フルクは恭しく頷いた。
「イリーナ、しばらくここでフルクと待っていてくれ。ちょっとヤボ用を片付けてくる」
慌しく部屋から出ていくイサークの後姿をあっけに取られて眺めていると、フルクがくすくすと笑いながらイリーナに椅子を勧めた。
「あのお方はいつもああなのです。本当に少しもじっとしていらっしゃらない。殿下がお戻りになるまで少し話でもしましょうか」
「はぁ」
促されるままにイリーナは椅子に座る。
「さて、イリーナ。あなたの母君の薬を作るには、少し時間を有する事は先ほどもお話しましたね。その間、あなたにはここに留まって頂かなくてはならないのですが、一つ問題があります」
「なんでしょう?」
改まって問題があるといわれると、イリーナも思わず背筋を伸ばしてしまう。
フルクの温かい緑の瞳をじっと見つめ、先の言葉を待った。
「薬ができるまで王宮に滞在していただきますが、あなたの存在が、少し厄介なのです」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
きっときょとんとしてマヌケな顔をしていたのだろう。フルクは苦笑を浮かべていた。その視線がイリーナの銀の髪に向けられていることに気が付いた。
「この銀の髪が何か関係してるんですか? そう、たしか銀のルティナって……」
フルクは無言で頷いた。
「銀のルティナっていったい何なんですか? 外を出歩くのもおかしいってさっき聞きました。私は健康だし、別に……」
「―――少し、昔話をしましょうか」
イリーナの言葉を遮って、フルクは静かに微笑んだ。
半ば腰を浮かせながら言い募っていたイリーナは、言葉を失って再び椅子に座る。
「いまからおよそ二十年ほど前、エレアザールに闇の王が降臨しました。いったいどこから来たのか、誰もわかりません。かの王は突如として現れ、エレアザールに恐怖と死を撒き散らしたのです。かの王に姿はなく、知らぬまにとなりや背後に潜んで、その者に滅びをもたらすとても恐ろしい存在。われわれはかの王を『魔王』と呼び、あらゆる魔法を用いて戦い続けてきました」
「魔王……」
ここに来る前に襲われた、黒い鳥ハーラは魔王の使い魔だとイサークは言っていた。
「そう、ハーラだけでなく他にも魔王の使い魔が存在します」
「でもっ……でも、ラーザにはそんな……魔王だなんて」
「聞いたことはありませんか? それは、たぶんあなたのいた大地が聖域だからです。あなたはラーザから来たとおっしゃった。ラーザはエレアザールにとって特別な位置に存在している。聖ラーザと我々は呼んでいるが、それはラーザが神々に守られている大地だからです。もちろんこの事は王宮と一部の魔法使いしか知らない。聖ラーザは古くは王家とも関わりがあるのです」
イリーナはびっくりして顔を上げた。王家と関わりがあるとはどういうことなのか。
「エレアザールが太陽なら聖ラーザは月、と呼ばれています」
フルクが未だに何を言っているのかイリーナには見当もつかない。だが、聞かないわけにはいかなかった。
「金と銀の一対のかけら、と呼ばれるものがあります。輝ける太陽カーズ・ナシオンと癒しの銀の月ルティニネティによってこの世界は守られています。恐ろしくも強大な力を持つ魔王に対抗するためには、このかけらたちが必要でした。カーズ・ナシオンの化身カーザは輝くような金髪と偉大な力を持って生まれてくる。ルティニネティの化身ルティナは、艶やかな銀の髪とその身のどこかに石を持って生まれてくる。エレアザール王家には当時生まれたばかりのルーリア王女がまさしく銀のルティナでした。額には輝くばかりの石があったのです。まるで水晶のように透明で美しい石は空に浮かぶルティニネティのかけらでもあります」
フルクの言葉は感動で打ち震えていた。きっと当時その場にいたのだろう。その時の喜びがまっすぐ伝わってきた。
イリーナはそっと胸元にある石に手をやった。
これがルティニネティのかけらだという。にわかには信じられなかった。だが、心の奥底で納得している自分がいた。
「我々はカーザを欲した。幼くとも救世主の片割れは我々の元にいるのですから。あとは対となるべきカーザを探せば良い。だが、カーザは億に一人と言う割合で生まれてくる。生まれても身の内に抱える強大な力を支えられず、成人する間もなく死んでしまう。我々は一刻も早く、一対のかけらが欲しかった。エレアザールは魔王によってすでに壊滅的な打撃を受け、まさに暗黒の世と化していた。希望が、欲しかった」
フルクは俯き、必死で何かに耐えているようだった。
「そう、希望が欲しかったのです。そして我々は希望と引き換えに恐るべきものを召還してしまった。輝ける金の髪、強大な力、まさしく偉大なる太陽のかけら……彼は真にカーザでした」
その瞬間、イリーナの脳裏に先ほどの青年の姿が浮かび上がった。
「彼はルーリア王女と共に魔王を退け、エレアザールに平和を取り戻してくれた」
もしかすると彼がそうなのだろうか?
あの寂しそうに笑っていた青年が、 太陽のかけらなのだろうか。
「でも、魔王を退けたと言うのなら、彼は英雄なのでしょう?」
英雄なのに、何故あんな人気のない庭の奥に隔離されているかのように、彼はいたのだろう。
何故、あんなにも寂しそうに笑っていたのだろう。
「ええ……きっとそうなのでしょう。ですが、我々は英雄と祭り上げることができませんでした」
「なぜですか?」
フルクの話すカーザとは彼のことなのだとイリーナは理解した。だからこそ信じられなかった。
国を救ってくれた人なのに。なぜあんな仕打ちをしているのか。
「イリーナ、あなたも彼に会ったのならわかる筈です。あの圧倒的なまでの力。少し近付いただけで、この身を灼かれてしまいそうな恐怖。彼は純粋です。身も心も身の内に秘めている力すら純粋で穢れがない。……我々には毒に等しい」
「だから?だから、あんなところに一人で……?」
イリーナは怒っていた。無性に苛立ちを覚えていた。
こんな身勝手な話があるだろうか。必要だから、呼び寄せた。なのに事がすんだら邪魔者扱いだなんて。
そんなことが許されるのだろうか。
「イリーナ」
フルクは苦しそうに顔をゆがめ首を振る。
「イリーナ。近付けないのです。我々は、彼に近付く事すら出来ないのです。彼を異界から召還するために魔方陣を組んだ者たちは皆、死にました。魔法使いでなければ、姿を見ただけで目を焼かれてしまうでしょう」
「え、だって……でも、わたし……」
イリーナは魔法使いではない。なのに、彼のすぐ近くまで会いに行けたし、目を焼かれてもいない。
「私も魔法使いの端くれではありますが、私ごときの魔法使いでは、近付くことも、直視することもかないません」
「あ…」
だからあの時、フルクは庭へと出てこなかったのかと気が付いた。苦しそうに顔をゆがませていた理由が分かって腑に落ちた。
「カーザに近付けるのは、銀のルティナと王家の血を引く方々のみ。銀のルティナはその癒しの力でカーザの荒ぶる力を押さえる事が出来るのです。強大すぎる力で自らの命をも削って行ってしまうカーザを守るために。いまだ魔王の恐怖が残るエレアザールには彼が必要なのです。だから、王家は銀のルティナを最優先で保護しているのです」
イリーナは大きく深呼吸した。息すら止めて聞き入ってしまっていたようだ。
「それで……私にも彼を守れ、と言う事ですか?」
「いいえ。あなたは何も知らず、ただ母君の薬をもとめて王都クレイスにやってきた」
フルクの言う通りだ。銀のルティナであることも、その使命も。エレアザールの状態すらも知らなかった。
でも知ってしまった今は……?
薬ができるまでの間、我関せずで、また薬が完成した後も我関せずでラーザに帰っていくのか。
あの笑顔に背を向けて?
「聖ラーザにお戻ししなくてはいけない方ですが、その銀の髪では王宮に留まれば銀のルティナとして見られてしまいます」
フルクが危惧していることがようやく分かってきた。
銀のルティナでなければ王宮で保護はかなわず。留まれば銀のルティナの勤めが求められる。
王宮の外で待っていたら魔物に襲われ、命の危険がある。
確かにこの銀の髪と存在はやっかいだ。
「……あなたは温かな日の光の下で元気に走り回っている方が似合っているでしょう」
イリーナはくすりと笑った。フルクも笑みを浮かべた。
静かな森と湖と優しく朗らかな人々が集う小さな村。
だんだんと石化していく母の病をなんとか治してあげたくて、お医者様に無理を言った。
その向かった先でこんな運命が待ちうけていたなんて、イリーナは想像もしていなかった。ラーザが守られた大地であることは分かった。ラーザにいれば魔物に襲われることもないし、日々怯えずに過ごすことができる。
でも、どうしてだろう。
彼の笑顔が忘れられない。
離れられない。
この気持ちはいったいなんなのだろう。
胸の水晶が熱いくらいに熱を帯びて震えている。
彼のことを考えるだけで、水晶が変化する。これは彼がカーザだからなのだろうか。そして、自分がルティナだからだろうか。
だとしたら、自分がすべき事から逃れられないのではないだろうか。
「私、ここに残っても構いません」
決意を込めたイリーナの言葉にフルクは目を見張った。
「いや、ですが、聖ラーザは神聖不可侵。まず許可を戴かなくてはなりません」
「誰にですか?村の人たちならみんな知ってますし、必要ありません。私の意志ですもん」
どこか凛とした不思議な品を感じて、フルクは戸惑う。
「もう一度、お名前をうかがっても?」
「イリーナ・ラングです」
フルクは少し考えるしぐさをしていたが、困ったように頭を抱え込んだ。
「いや、それでは殿下に怒られてしまいます」
「どうしてですか?」
「私が説得したみたいになってしまったので…」
イリーナはきょとんとした顔でフルクを見返した。
「あんなに丁寧に説明してくださったから説得したいんだと思ってました」
「あなたにはしっかりお話ししたほうがよいと思いましたので。すべて包み隠さずお伝えしました。ここに残ることであなたの身に降りかかる使い魔からの危険は回避されます。ですが、今後、王宮の外に出るのは難しくなります」
「それでもかまいません」
「本当に?」
「はい。交換条件っていうわけではないですけど、母の薬のこと、どうかよろしくお願いします」
フルクはしばらく呆然とイリーナを眺めていたが、気を取り直して大きく息を吐き出した。
「……わかりました。あなたがそうおっしゃるのであれば、もう何も申し上げますまい」
「ありがとうございます」
「礼など……ああ、たくさんお話したら喉が乾いてしまいましたね。お茶でもいれましょう」
そう言って、フルクは席をたった。
イリーナは窓の向こう側に見える、六本の柱に目を向けた。
無性に彼に会いたかった。たった一度会っただけ、言葉もほとんど交わしていなかった。
けれどどうしようもなく強く焦がれていた。
アルアズという名の青年に……。
いまはただ、もう一度会いたかった。
「申し遅れましたが、私はフルク・ガルネーレと申します。ここエレアザールの王宮では典医を務めさせていただいていますが、この通り、魔法使いでもあります」
そう言ってフルクは白衣の下の薄青のローブと六芒星の紋章を示して見せた。
「あ、イリーナ・ラングです」
「以後、お見知りおきを……」
フルクは洗練された仕草でイリーナの手を取ると指先にそっと口付けた。
ふたたびイリーナは真っ赤になった。やっぱりこれが宮廷の流儀か何かなのだろうか。とっても心臓に悪い。
失礼にならないようにイリーナは手を振りほどくと両手を後ろに隠した。
イサークがその様子を見てくすくすと笑いを漏らす。
そのイサークをイリーナは睨みつけた。その顔を見て思い出したことがあったからだ。
「宮廷魔法使いって言ったじゃない。殿下ってどういうこと?」
「ごめん。別に隠すつもりはなかったんだけど、でも魔法使いだってことは本当だよ」
イサークは慌てて言った。
「王宮の外ではそれで通っているんだ。王子なんて知れたらそれこそ道も歩けないし」
イリーナはあんぐりと口をあけてしまった。
「じゃあやっぱり本当に王子さまなの?」
「驚かせたね、ごめん。怒ってる?」
怒るよりもあっけにとられてしまったと言う方が正しいかもしれない。 エレアザールの王子ともあろう方がふらふらと街を出歩いているだなんて信じられない。
「マークたちは知ってるの?」
「もちろん、知ってる。彼らは大事な友人だ」
その言葉には嘘はないだろう。彼はどこまでもまっすぐで真摯だ。
「ですが、私を紹介するつもりでいらっしゃったのなら、ご身分を明かさずにいたことは失敗でしたね、殿下」
「だけど、あそこで俺が王子だって言っても、たぶんイリーナ……信じられなかっただろう?」
「……そうね」
イリーナは少し考えながらそう答えた。そんなこと言われたら胡散臭すぎて信用できなかったはずだ。
「殿下からお話は伺いました。私でご用意できるものなら承りましょう」
「ありがとうございます!」
イリーナはスカートのポケットから小さな白い封筒を取り出して、フルクに手渡した。
「村のお医者様から預かってきたんです。母の病状が書いてあります」
フルクはその封筒を受け取ると中から一枚の用紙を取り出し、ざっと一通り目を通した。
難しい顔をして何やら考え込んでいる様子だった。
「ふむ……」
しばらくしてフルクはようやく顔を上げた。
「イリーナ、はっきり言ってこれはとても難しい調合です。少しお時間をいただくことになりますが、よろしいですか?」
「はい、よろしくお願いします!」
「よかったな、イリーナ。フルクの腕は折り紙付だ。なんていっても王国一の医師殿だからな」
「ええ、ありがとう、イサーク!」
イリーナはイサークに抱きついて頬にキスをした。
おっと言ってイサークが笑う。
「あ、ごめんなさい。つい…」
ここは村ではなく王宮で、相手は王子だったことに気が付いたイリーナは慌てて離れた。
「いや、こんなご褒美なら大歓迎だ」
まんざらでもない顔で喜ぶイサークにフルクはにやにやと笑う。イリーナは恥ずかしくなってそっとその場から離れた。
イサークはイリーナの後姿を眺めながら、ぼそりとつぶやいた。
「イリーナを王宮には入れずに保護できないかな」
「……難しいですよ、それは」
「難しくったってやってみるさ。イリーナは間違いなく銀のルティナだけど、ここにいない方が良い」
「そうですね。彼女にはやはり緑豊かな聖ラーザの風の中にいた方が幸せのように思います」
薬品の棚を物珍しそうに見物しているイリーナの様子をうかがいながら、フルクは低い声で言う。
「聖ラーザは聖域です。そこで治らない病に私の調合した薬で何とかなるものなのか……私にはとても思えません。しかもこの症状は……」
フルクとイサークは重々しく顔を見合わせた。
「医師殿か彼女の母君になんらかの意図があるのかもしれないな。とにかく聖ラーザに人を向かわせる」
「賢明ですよ、殿下」
「とりあえず、俺は陛下にご報告してくる。イリーナのこと頼む」
フルクは恭しく頷いた。
「イリーナ、しばらくここでフルクと待っていてくれ。ちょっとヤボ用を片付けてくる」
慌しく部屋から出ていくイサークの後姿をあっけに取られて眺めていると、フルクがくすくすと笑いながらイリーナに椅子を勧めた。
「あのお方はいつもああなのです。本当に少しもじっとしていらっしゃらない。殿下がお戻りになるまで少し話でもしましょうか」
「はぁ」
促されるままにイリーナは椅子に座る。
「さて、イリーナ。あなたの母君の薬を作るには、少し時間を有する事は先ほどもお話しましたね。その間、あなたにはここに留まって頂かなくてはならないのですが、一つ問題があります」
「なんでしょう?」
改まって問題があるといわれると、イリーナも思わず背筋を伸ばしてしまう。
フルクの温かい緑の瞳をじっと見つめ、先の言葉を待った。
「薬ができるまで王宮に滞在していただきますが、あなたの存在が、少し厄介なのです」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
きっときょとんとしてマヌケな顔をしていたのだろう。フルクは苦笑を浮かべていた。その視線がイリーナの銀の髪に向けられていることに気が付いた。
「この銀の髪が何か関係してるんですか? そう、たしか銀のルティナって……」
フルクは無言で頷いた。
「銀のルティナっていったい何なんですか? 外を出歩くのもおかしいってさっき聞きました。私は健康だし、別に……」
「―――少し、昔話をしましょうか」
イリーナの言葉を遮って、フルクは静かに微笑んだ。
半ば腰を浮かせながら言い募っていたイリーナは、言葉を失って再び椅子に座る。
「いまからおよそ二十年ほど前、エレアザールに闇の王が降臨しました。いったいどこから来たのか、誰もわかりません。かの王は突如として現れ、エレアザールに恐怖と死を撒き散らしたのです。かの王に姿はなく、知らぬまにとなりや背後に潜んで、その者に滅びをもたらすとても恐ろしい存在。われわれはかの王を『魔王』と呼び、あらゆる魔法を用いて戦い続けてきました」
「魔王……」
ここに来る前に襲われた、黒い鳥ハーラは魔王の使い魔だとイサークは言っていた。
「そう、ハーラだけでなく他にも魔王の使い魔が存在します」
「でもっ……でも、ラーザにはそんな……魔王だなんて」
「聞いたことはありませんか? それは、たぶんあなたのいた大地が聖域だからです。あなたはラーザから来たとおっしゃった。ラーザはエレアザールにとって特別な位置に存在している。聖ラーザと我々は呼んでいるが、それはラーザが神々に守られている大地だからです。もちろんこの事は王宮と一部の魔法使いしか知らない。聖ラーザは古くは王家とも関わりがあるのです」
イリーナはびっくりして顔を上げた。王家と関わりがあるとはどういうことなのか。
「エレアザールが太陽なら聖ラーザは月、と呼ばれています」
フルクが未だに何を言っているのかイリーナには見当もつかない。だが、聞かないわけにはいかなかった。
「金と銀の一対のかけら、と呼ばれるものがあります。輝ける太陽カーズ・ナシオンと癒しの銀の月ルティニネティによってこの世界は守られています。恐ろしくも強大な力を持つ魔王に対抗するためには、このかけらたちが必要でした。カーズ・ナシオンの化身カーザは輝くような金髪と偉大な力を持って生まれてくる。ルティニネティの化身ルティナは、艶やかな銀の髪とその身のどこかに石を持って生まれてくる。エレアザール王家には当時生まれたばかりのルーリア王女がまさしく銀のルティナでした。額には輝くばかりの石があったのです。まるで水晶のように透明で美しい石は空に浮かぶルティニネティのかけらでもあります」
フルクの言葉は感動で打ち震えていた。きっと当時その場にいたのだろう。その時の喜びがまっすぐ伝わってきた。
イリーナはそっと胸元にある石に手をやった。
これがルティニネティのかけらだという。にわかには信じられなかった。だが、心の奥底で納得している自分がいた。
「我々はカーザを欲した。幼くとも救世主の片割れは我々の元にいるのですから。あとは対となるべきカーザを探せば良い。だが、カーザは億に一人と言う割合で生まれてくる。生まれても身の内に抱える強大な力を支えられず、成人する間もなく死んでしまう。我々は一刻も早く、一対のかけらが欲しかった。エレアザールは魔王によってすでに壊滅的な打撃を受け、まさに暗黒の世と化していた。希望が、欲しかった」
フルクは俯き、必死で何かに耐えているようだった。
「そう、希望が欲しかったのです。そして我々は希望と引き換えに恐るべきものを召還してしまった。輝ける金の髪、強大な力、まさしく偉大なる太陽のかけら……彼は真にカーザでした」
その瞬間、イリーナの脳裏に先ほどの青年の姿が浮かび上がった。
「彼はルーリア王女と共に魔王を退け、エレアザールに平和を取り戻してくれた」
もしかすると彼がそうなのだろうか?
あの寂しそうに笑っていた青年が、 太陽のかけらなのだろうか。
「でも、魔王を退けたと言うのなら、彼は英雄なのでしょう?」
英雄なのに、何故あんな人気のない庭の奥に隔離されているかのように、彼はいたのだろう。
何故、あんなにも寂しそうに笑っていたのだろう。
「ええ……きっとそうなのでしょう。ですが、我々は英雄と祭り上げることができませんでした」
「なぜですか?」
フルクの話すカーザとは彼のことなのだとイリーナは理解した。だからこそ信じられなかった。
国を救ってくれた人なのに。なぜあんな仕打ちをしているのか。
「イリーナ、あなたも彼に会ったのならわかる筈です。あの圧倒的なまでの力。少し近付いただけで、この身を灼かれてしまいそうな恐怖。彼は純粋です。身も心も身の内に秘めている力すら純粋で穢れがない。……我々には毒に等しい」
「だから?だから、あんなところに一人で……?」
イリーナは怒っていた。無性に苛立ちを覚えていた。
こんな身勝手な話があるだろうか。必要だから、呼び寄せた。なのに事がすんだら邪魔者扱いだなんて。
そんなことが許されるのだろうか。
「イリーナ」
フルクは苦しそうに顔をゆがめ首を振る。
「イリーナ。近付けないのです。我々は、彼に近付く事すら出来ないのです。彼を異界から召還するために魔方陣を組んだ者たちは皆、死にました。魔法使いでなければ、姿を見ただけで目を焼かれてしまうでしょう」
「え、だって……でも、わたし……」
イリーナは魔法使いではない。なのに、彼のすぐ近くまで会いに行けたし、目を焼かれてもいない。
「私も魔法使いの端くれではありますが、私ごときの魔法使いでは、近付くことも、直視することもかないません」
「あ…」
だからあの時、フルクは庭へと出てこなかったのかと気が付いた。苦しそうに顔をゆがませていた理由が分かって腑に落ちた。
「カーザに近付けるのは、銀のルティナと王家の血を引く方々のみ。銀のルティナはその癒しの力でカーザの荒ぶる力を押さえる事が出来るのです。強大すぎる力で自らの命をも削って行ってしまうカーザを守るために。いまだ魔王の恐怖が残るエレアザールには彼が必要なのです。だから、王家は銀のルティナを最優先で保護しているのです」
イリーナは大きく深呼吸した。息すら止めて聞き入ってしまっていたようだ。
「それで……私にも彼を守れ、と言う事ですか?」
「いいえ。あなたは何も知らず、ただ母君の薬をもとめて王都クレイスにやってきた」
フルクの言う通りだ。銀のルティナであることも、その使命も。エレアザールの状態すらも知らなかった。
でも知ってしまった今は……?
薬ができるまでの間、我関せずで、また薬が完成した後も我関せずでラーザに帰っていくのか。
あの笑顔に背を向けて?
「聖ラーザにお戻ししなくてはいけない方ですが、その銀の髪では王宮に留まれば銀のルティナとして見られてしまいます」
フルクが危惧していることがようやく分かってきた。
銀のルティナでなければ王宮で保護はかなわず。留まれば銀のルティナの勤めが求められる。
王宮の外で待っていたら魔物に襲われ、命の危険がある。
確かにこの銀の髪と存在はやっかいだ。
「……あなたは温かな日の光の下で元気に走り回っている方が似合っているでしょう」
イリーナはくすりと笑った。フルクも笑みを浮かべた。
静かな森と湖と優しく朗らかな人々が集う小さな村。
だんだんと石化していく母の病をなんとか治してあげたくて、お医者様に無理を言った。
その向かった先でこんな運命が待ちうけていたなんて、イリーナは想像もしていなかった。ラーザが守られた大地であることは分かった。ラーザにいれば魔物に襲われることもないし、日々怯えずに過ごすことができる。
でも、どうしてだろう。
彼の笑顔が忘れられない。
離れられない。
この気持ちはいったいなんなのだろう。
胸の水晶が熱いくらいに熱を帯びて震えている。
彼のことを考えるだけで、水晶が変化する。これは彼がカーザだからなのだろうか。そして、自分がルティナだからだろうか。
だとしたら、自分がすべき事から逃れられないのではないだろうか。
「私、ここに残っても構いません」
決意を込めたイリーナの言葉にフルクは目を見張った。
「いや、ですが、聖ラーザは神聖不可侵。まず許可を戴かなくてはなりません」
「誰にですか?村の人たちならみんな知ってますし、必要ありません。私の意志ですもん」
どこか凛とした不思議な品を感じて、フルクは戸惑う。
「もう一度、お名前をうかがっても?」
「イリーナ・ラングです」
フルクは少し考えるしぐさをしていたが、困ったように頭を抱え込んだ。
「いや、それでは殿下に怒られてしまいます」
「どうしてですか?」
「私が説得したみたいになってしまったので…」
イリーナはきょとんとした顔でフルクを見返した。
「あんなに丁寧に説明してくださったから説得したいんだと思ってました」
「あなたにはしっかりお話ししたほうがよいと思いましたので。すべて包み隠さずお伝えしました。ここに残ることであなたの身に降りかかる使い魔からの危険は回避されます。ですが、今後、王宮の外に出るのは難しくなります」
「それでもかまいません」
「本当に?」
「はい。交換条件っていうわけではないですけど、母の薬のこと、どうかよろしくお願いします」
フルクはしばらく呆然とイリーナを眺めていたが、気を取り直して大きく息を吐き出した。
「……わかりました。あなたがそうおっしゃるのであれば、もう何も申し上げますまい」
「ありがとうございます」
「礼など……ああ、たくさんお話したら喉が乾いてしまいましたね。お茶でもいれましょう」
そう言って、フルクは席をたった。
イリーナは窓の向こう側に見える、六本の柱に目を向けた。
無性に彼に会いたかった。たった一度会っただけ、言葉もほとんど交わしていなかった。
けれどどうしようもなく強く焦がれていた。
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※小説家になろうにも投稿
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