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第二話
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おれは、暗い部屋の扉をひらく。
暗い部屋の闇に包まれて、神父さまはうずくまっておられた。
月明かりに満ち溢れた夜の空を、一瞬眩しそうに見つめられると。
よろめくように、部屋の外へと歩み出ていかれた。
もう神父さまは、「あの方」の似姿をつけた十字を首から吊るすのをやめておられたけれど。
それでも「あの方」の僕であるしるしに、黒衣をまとっておられたので。
まるで死に魅入られた幽鬼が、冥界をさまよっているようにおれにはみえた。
そしてその冥界をさまよう幽鬼と化した神父さまの前に、かのおんな。
本物の異形であり、怪異であるといえるおんなが佇んだ。
真白に輝く月の明かりを存分に受けた、かのおんなは。
怪異に相応しく、妖艶でかつ邪悪な笑みで神父さまをみつめていた。
「おやおや、随分とお窶れなされたようね」
おんなの言葉に、神父さまは顔をおあげなさる。
おんなは、夜の闇がごとき漆黒の外套を纏い、その下に真紅の着物を身に着けていた。
あたかも、真冬の夜に狂い咲いた薔薇のように。
おんなは月明かりの下にその姿を、晒している。
「あなたは、なんだ」
「判っていると思うのだけれど」
おんなは楽しげに、血を垂らしたかのように赤い唇を歪めて見せる。
「わたしは、ノスフェラトゥ。夜の眷属と呼ばれる、まああなたがたの信仰が敵とみなすもの。名前はそうね、ミストレスと呼ぶがいいわ」
神父さまは、そういうミストレスと名乗るおんなを不思議なものをみるように見つめなされた。
「あらあら、わたしを罪深きものとして、糾弾なさらないのかしら」
神父さまは、首をふる。
「いや、わたしは」
「まさか、信仰に懐疑を持たれているとでもいう、おつもり?」
ミストレスはクスクスと笑い、神父さまは怯えたように眉を顰めなさる。
「この世に、悲惨さ、暴力、無惨で残酷な死、無情な責め苦が満ち溢れているのはなぜ? なぜ神のつくりたもうたこの世はかくも、酷い有様なの」
ミストレスは、美しくもぞっとするような罪の気配をまとう顔をすっと神父さまの前にさしだす。
薔薇の花弁のように赤い唇を、ふっと開く。
「なんて言うのでは、ないでしょうね。神はなぜ、このようなことをお許しになるのかと」
神父さまは、青褪めた顔でミストレスをみなさる。
首肯も否定も出来かねるとう言うかのように、迷った顔をなされて。
「この世に悲惨さ、無惨さ、残酷さが満ちているというならね」
ミストレスは世界を掻き抱くというかのように、大きく手を広げた。
外套が開き、燃え盛るように赤い着物が夜の闇に晒される。
「それこそが、神の御業であり、それこそが神の愛、なのよ」
神父さまの唇が、少し震えなさる。
「そ、そのようなことが」
「あるはずは、無い? いいえ、神の造り給うたこの世界に誤りがあるという方がおかしくはないかしら。この世が悲惨で残酷なのは、神が愛を示されたから。なぜなら」
ミストレスは、勝ち誇ったかのように笑う。
「ひとは悲惨で残酷なさなかにいるときこそ、深く神をもとめるから。神は愛をさしのべ、ひとが神以外のものへ目を向けぬよう悲惨さと残酷さを恩寵として賜る」
「そ、そんな馬鹿な」
ミストレスは、頬と頬が触れ合うほど神父さまに顔を近づける。
「たとえば、このわたし。わたしは、死して尚休息をゆるされず、ひとの血を啜ることで存在をながらえることを求められる。なぜ、神はわたしを敵として討ち滅ぼさないのかしら。なぜなら、それは」
ミストレスは悪魔の如き笑みを浮かべ、神父さまに囁く。
「このわたしこそがもっとも深く神に愛され、このわたしこそが最も深く神を愛しているから。至上の神はわたしが神を求めずにはおられぬよう、地獄の底に落としなされた。なぜなら地獄こそ」
ミストレスは、にいっと怪異に相応しい邪悪な微笑みを浮かべる。
「天国に最も近いところにある。最も低き所こそ、もっとも高き頂きに近いの」
神父さまが何かを仰っしゃろうとしたその瞬間、ミストレスの唇が神父さまの唇を奪った。
ミストレスの舌は神父さまの中に入り込み、そこを思うがままに蹂躙する。
ミストレスは乾いたものが喉の渇きを潤すように、神父さまの唇を吸ってゆく。
はあっと吐息をつき、ミストレスは口を離す。
神父さまは、嘆くような苦しむような顔をしてミストレスを見つめる。
ミストレスは恋人をみつめる濡れた瞳で、神父さまをみていた。
「ああ、わたしはあなたのようなひとが好きよ。とても好き。あなたのようなひとこそ、神に深く愛されている」
驚愕に目を開きおんなを見つめる神父さまの前で、ミストレスはひらりと身を翻した。
「今夜はこれで終わり、またお会いしましょうね」
ミストレスはふっと闇に溶け込むように消えていった。
暗い部屋の闇に包まれて、神父さまはうずくまっておられた。
月明かりに満ち溢れた夜の空を、一瞬眩しそうに見つめられると。
よろめくように、部屋の外へと歩み出ていかれた。
もう神父さまは、「あの方」の似姿をつけた十字を首から吊るすのをやめておられたけれど。
それでも「あの方」の僕であるしるしに、黒衣をまとっておられたので。
まるで死に魅入られた幽鬼が、冥界をさまよっているようにおれにはみえた。
そしてその冥界をさまよう幽鬼と化した神父さまの前に、かのおんな。
本物の異形であり、怪異であるといえるおんなが佇んだ。
真白に輝く月の明かりを存分に受けた、かのおんなは。
怪異に相応しく、妖艶でかつ邪悪な笑みで神父さまをみつめていた。
「おやおや、随分とお窶れなされたようね」
おんなの言葉に、神父さまは顔をおあげなさる。
おんなは、夜の闇がごとき漆黒の外套を纏い、その下に真紅の着物を身に着けていた。
あたかも、真冬の夜に狂い咲いた薔薇のように。
おんなは月明かりの下にその姿を、晒している。
「あなたは、なんだ」
「判っていると思うのだけれど」
おんなは楽しげに、血を垂らしたかのように赤い唇を歪めて見せる。
「わたしは、ノスフェラトゥ。夜の眷属と呼ばれる、まああなたがたの信仰が敵とみなすもの。名前はそうね、ミストレスと呼ぶがいいわ」
神父さまは、そういうミストレスと名乗るおんなを不思議なものをみるように見つめなされた。
「あらあら、わたしを罪深きものとして、糾弾なさらないのかしら」
神父さまは、首をふる。
「いや、わたしは」
「まさか、信仰に懐疑を持たれているとでもいう、おつもり?」
ミストレスはクスクスと笑い、神父さまは怯えたように眉を顰めなさる。
「この世に、悲惨さ、暴力、無惨で残酷な死、無情な責め苦が満ち溢れているのはなぜ? なぜ神のつくりたもうたこの世はかくも、酷い有様なの」
ミストレスは、美しくもぞっとするような罪の気配をまとう顔をすっと神父さまの前にさしだす。
薔薇の花弁のように赤い唇を、ふっと開く。
「なんて言うのでは、ないでしょうね。神はなぜ、このようなことをお許しになるのかと」
神父さまは、青褪めた顔でミストレスをみなさる。
首肯も否定も出来かねるとう言うかのように、迷った顔をなされて。
「この世に悲惨さ、無惨さ、残酷さが満ちているというならね」
ミストレスは世界を掻き抱くというかのように、大きく手を広げた。
外套が開き、燃え盛るように赤い着物が夜の闇に晒される。
「それこそが、神の御業であり、それこそが神の愛、なのよ」
神父さまの唇が、少し震えなさる。
「そ、そのようなことが」
「あるはずは、無い? いいえ、神の造り給うたこの世界に誤りがあるという方がおかしくはないかしら。この世が悲惨で残酷なのは、神が愛を示されたから。なぜなら」
ミストレスは、勝ち誇ったかのように笑う。
「ひとは悲惨で残酷なさなかにいるときこそ、深く神をもとめるから。神は愛をさしのべ、ひとが神以外のものへ目を向けぬよう悲惨さと残酷さを恩寵として賜る」
「そ、そんな馬鹿な」
ミストレスは、頬と頬が触れ合うほど神父さまに顔を近づける。
「たとえば、このわたし。わたしは、死して尚休息をゆるされず、ひとの血を啜ることで存在をながらえることを求められる。なぜ、神はわたしを敵として討ち滅ぼさないのかしら。なぜなら、それは」
ミストレスは悪魔の如き笑みを浮かべ、神父さまに囁く。
「このわたしこそがもっとも深く神に愛され、このわたしこそが最も深く神を愛しているから。至上の神はわたしが神を求めずにはおられぬよう、地獄の底に落としなされた。なぜなら地獄こそ」
ミストレスは、にいっと怪異に相応しい邪悪な微笑みを浮かべる。
「天国に最も近いところにある。最も低き所こそ、もっとも高き頂きに近いの」
神父さまが何かを仰っしゃろうとしたその瞬間、ミストレスの唇が神父さまの唇を奪った。
ミストレスの舌は神父さまの中に入り込み、そこを思うがままに蹂躙する。
ミストレスは乾いたものが喉の渇きを潤すように、神父さまの唇を吸ってゆく。
はあっと吐息をつき、ミストレスは口を離す。
神父さまは、嘆くような苦しむような顔をしてミストレスを見つめる。
ミストレスは恋人をみつめる濡れた瞳で、神父さまをみていた。
「ああ、わたしはあなたのようなひとが好きよ。とても好き。あなたのようなひとこそ、神に深く愛されている」
驚愕に目を開きおんなを見つめる神父さまの前で、ミストレスはひらりと身を翻した。
「今夜はこれで終わり、またお会いしましょうね」
ミストレスはふっと闇に溶け込むように消えていった。
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