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24 王子のはざま

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 リリアナの日常に、若干の変化が生じた。
 王太子付きの女官として、ジルベルト殿下に朝から夜まで付き合うばかりの日々だったものに、今度はロレット殿下の不定期なエンカウントが加わった。

(わしゃ、殿下の掛け持ち女官なのか? 給料二倍になりますか?)

 そんな呪文を、時々出会うチェルソン侍従長の背中に飛ばしてみたりする。

 とはいえ、ジルベルト殿下のほうはというと、最近様子がおかしい。どこかボンヤリしているような、気もそぞろな感じで、喋っていても反応が鈍くて少し物足りない。

 逆に、異様に積極的なロレット殿下のほうの対処を、どうこなせばいいのかでリリアナも一杯一杯である。
 隙だらけのジルベルトと真逆の、隙見せたら頭からガブリと喰われそうな危機感に晒されているからだ。

(また待ち伏せっ)

 ジルベルトが政務の間の時間、睡眠時間確保の為に宿舎に戻ろうとすると、ロレット殿下が待ち受けていることがある。

「やあ、リリアナ」
 壁に凭れ長い足を組むように立っていたロレットが、微笑みながら目の前までくる。

「で、殿下。これは失礼いたしました」
 回廊を走り抜けようと思って、チュニックの裾を持ち上げたところだったリリアナは、誤魔化すように礼の形を取る。
「リリアナ、わたしのことはロレットと」
「いや、あの、はぁ」
 ロレットは毎度のごとく、リリアナの手のひらを持ち上げて両手で挟み至近距離で見つめてくるのだ。

 リリアナでもわかる、距離感がおかしい殿下である。こんな美しい顔して会うたびにやられてたら、城勤めの者とはいえ勘違い間違いが起こるぞ大丈夫なのかと、やたら心配になる今日このごろだ。
 ちなみにリリアナ自身は、まったくもってその心配はしていない。自分のような色気のない女に、そんな目的で近付いてこられたためしはないので。
 でもそれも、最近では危ぶんでいる最中だが。

(まさかの、ロリコン?)

 貧相な身体は置いといて、宮殿の女官は年上ばかり。リリアナを娘か孫としてみるベテラン揃いな為、唯一若いと言ってよい自分に白羽の矢が立ったのではないかと戦々恐々としている。

「この後、時間は?」
 身長差から覗き込むようにされて、甘く問いかけられる。無駄に色気を振り撒かないでほしいところだ。
「えーと……」
 何か予定を思い付こうとしたのだが、何も浮かばない。
 ロレットは切れ長の瞳を細めて微笑む。
「では綺麗な花を眺めながら、ゆっくりとお話ししましょう。貴女の世界がもっと知りたい」
「は、はぁ……」

 断れない。あの時の少年が無事で、こうやって立派に育った感慨もあるが、この手の誘いに不慣れすぎて押されぎみなのである。

(誰か私に仕事をっ)

 ジルベルトならサクッと断れるのに、と不謹慎なことを思いつつ、されるがまま手を取られたまま、広い城内のどこかの庭園に連れていかれるのであった。


 **


 ジルベルトが日中の職務を終えて部屋に戻ってくると、真っ直ぐソファに頭から突っ伏すのは日常のヒトコマであり、今ではリリアナも見慣れて驚かない。彼が王太子としてよく頑張っているからのコレであるから。

 そんな王子のベストを剥いだりタイを引き抜いたり、母親通り越して職人芸のように手際良く、ソファと王子の隙間に両手を突っ込んでボタンを外し、タイの結び目も人差し指だけでシュルリとほどくようになったリリアナである。

 今日もいつものようにソファ前にしゃがみ込んで王子の着ぐるみを剥がしていると、何故かジルベルトが横目でジトーと見つめてくる。

「どうしました? どこか痛かったですか?」
「……いや」

 歯切れが悪い。

 テレーザ女官長と夕食準備の仕上げをしていると、のっそのっそとジルベルトがやってきて椅子に溶けるように座る。
 目の前に食前酒やスープを注いでいれば、またジーと視線を向けてきている。

「なにか?」
 リリアナがたまらず聞くと、やっぱり「別に」とめんどくさそうに答えるのみ。
 さすがにリリアナの眉が寄る。
「なんすか、最近のその反抗期な態度は」
「お前な、王太子だぞ俺は。なんでお前に反抗する理由があるんだ、思春期かよ」
「思春期迎えるの遅すぎません? 殿
「喧嘩売ってるな? お前いいのか? 徹夜させるぞ」

 何故か、さきほどまで微動だにしていなかったテレーザがソワソワとしはじめ、ついには退室してしまって、部屋にはジルベルトとリリアナだけになった。
 最近は、気づけばテレーザがいなくなっているので、ジルベルトは「呆れて出ていった」と思っているし、リリアナは「女官の仕事を任せられてるっ」と勘違いしている。もちろん、どちらも違う。

「お前と喧嘩してる元気ねー。あー、今日あんまり食欲ないかも」
 ジルベルトは椅子の背凭れに伸びるように顎を上げた。
「駄目ですよ、もったいない。王子の為に一生懸命、皆が考えて作ったものですよ」
「そーなんだけど……。お前、食べていいぞ。残すのも悪いしな」
「え、いーんですかっ?」

 そこで断らないのがリリアナである。なんせ、支度中は舐め回すように拝んでいたのだから。

 テレーザがいれば絶対に怒られるだろうが、運良くいない。リリアナは一気にテンションを上げて「わーわー」言いながら手揉みしてどれにするか悩みだした。

「食欲に忠実な女だな……」
 呆れつつも、ジルベルトはリリアナの動向を窺う。

 しばらく真剣に悩むリリアナに「いくらでも食べていーぞ」とジルベルトが許可すれば、リリアナは目の前にあった薄切り肉のマリネに手を伸ばす。
 その手をペチッと叩いて、ジルベルトは手元のフォークで刺して渡す。
「えへ、失礼しました、つい」
 リリアナは、そのままパクリと、ジルベルトが差し出したフォークにかぶりついた。
「なっ」
 ジルベルトは渡したつもりのフォークに、リリアナがなんの躊躇いもなく飛び付いたのに焦ったが、目の前で幸せそうに小さな頬を大きくモグモグと動かしているのを見て、なんとなくもう一枚、肉を刺した。

「ふわーぁ、やわらかぁーい、噛めば噛むほど肉の甘さがー」
 ご機嫌なリリアナにジルベルトは黙々と、肉と野菜をバランスよくリリアナの口元へ運んでいく。
「旨そうに食べるなぁ」
 ニッコニコなリリアナを見ているうちに、ジルベルトのお腹がグウッと鳴って、自分も食事をすることにした。

「ほらほらやっぱりお腹はちゃんと空いてたんですよー。空腹で機嫌悪くなりますもんね」
 リリアナは冷めてしまったスープを下げて、温かいスープを用意する。
「そりゃお前だろ」
 ジルベルトはそのスープに手を伸ばしながら、フンッと鼻を鳴らす。
「じゃあ何をそんなに機嫌悪くしてたんですか?」
「そりゃあ――」
 言いかけて、ジルベルトはピタリと口元を閉じた。
 自分でもなんでそんなに苛立っているのか、わからなくなった。
 そもそも、仕事中にお前の噂聞いて気分が悪くなったなんて言おうものなら、変な勘違いされてしまう。

「……食べたら忘れた」
 ジルベルトは呟いてスープを飲み干す。
「でしょーう? やだもーうジルベルト様ったらー」
 リリアナはいまだ絶好調に機嫌良い。油断すれば、食事中の王太子の背中をボンッと叩きそうな勢いである。

「お前、明日は昼間のパーティーあるから忘れるなよ」
「もちろんですよ。確か、ジルベルト様の学生時代の友人がたが揃われるんでしょ?」

 年に一度、城内に招き入れて、交友を維持し深めることが目的らしい。それぞれがそれぞれの場所へ巣立った彼らは、大事な人脈であるとのこと。

「どっかで密会なんてやってる暇なんてないからな。わかったか?」
「はぁ。……は?」

 ジルベルトが黙々と食事を再開しはじめたのを、リリアナは首を傾げながら見守った。
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