泥まみれの英雄譚 〜その手が掴んだ温もりは〜

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第一六話 木箱と腐臭

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 翌朝、目を覚ますと、辺りは白い霧に包まれていた。
 肌を刺すような冷気で、体がガチガチに強張っている。

 僕たちが野営したのは、亀裂の入り口を塞いでいた土砂の山の、頂上付近にある岩棚だ。
 隣ではリリアがマントにくるまって眠っている。

 起こさないようにそっと身を起こし、僕はこれから下る斜面を覗き込んだ。
 風が流れ、霧が少しずつ晴れていく。
 これから降りていく谷底への道が見えてきた。

 その時だ。

「……ん? あれ」

 僕たちがいる場所から少し下った岩陰に、四角い影があるのが見えた。
 土砂に半分埋もれているが、自然の岩じゃない。人工物だ。
 古びた木箱が転がっている。

(……リリアが言ってた、密輸業者の落とし物か?)

 僕はリリアが起きる前に確認しようと、斜面を滑り降りて木箱に近づいた。

 すると、背後でジャリッ、ジャリッと石を踏む音がした。
 振り返ると、ガラムが心配そうに僕の後をついてきていた。

「……ガラムも気になるか?」

 僕は苦笑して、ガラムの鼻先を撫でた。
 二人で木箱の前に立つ。

 金具は錆びついているが、造りは頑丈そうだ。
 ナイフを隙間に差し込み、こじ開ける。

 バキッ、と乾いた音を立てて蓋が開いた。

「……うわ、マジか」

 中身を見た僕は、思わず声を漏らした。
 わらに包まれた数本の酒瓶と、油紙に包まれた茶色い塊。

 油紙を開くと、石のように硬い焼き菓子――堅パンかたパンが出てきた。
 保存状態は良さそうで、カビひとつ生えていなかった。

「……ツイてる!」

 食料の心配をしていた矢先だ。これなら当分のカロリーは確保できる。

 酒瓶の栓を抜き、匂いを嗅ぐ。
 鼻が曲がりそうなアルコール臭。
 酒のことは詳しくないが、相当度数が高そうだ。これなら燃料にもなるし、いざとなれば消毒にも使えるかもしれない。

「ガラム、ほら」

 僕は堅パンを一つ取り出し、隣から中身を覗き込んでいたガラムの口元へ差し出した。
 ガラムはフンフンと匂いを嗅いだ後、バクリと噛みつき、ボリボリと豪快な音を立てて咀嚼そしゃくし始めた。

「硬いけど、我慢しろよ。栄養はあるはずだから」

 ガラムが鼻を鳴らして応えるのを見て、僕は安堵した。こいつも限界だったはずだ。

 僕は残りの堅パンと酒瓶を抱え、急いでリリアの元へ駆け戻った。

「リリア、聞いてくれ! 食料があったんだ!」

 朗報を伝えようと、彼女の肩を揺する。

「……ん……ぅ……」

 反応が鈍い。
 ぐったりと力なく崩れ落ちる彼女の体から、マントがずり落ちた。

 その瞬間。

 朝の冷たい空気の中に、異臭が漂った。

「……っ」

 鼻の奥がツンとするような、熱を持ったうみの臭いだ。
 僕の笑顔が凍りつく。

 その臭いは、リリアの左足からだった。
 ブーツの履き口から、濁った体液が滲み出し、革を変色させている。
 昨夜よりも明らかに腫れ上がり、ブーツがはち切れんばかりにパンパンに膨張していた。

(……これは、もう)

 限界だ。
 もはや、歩けるかどうかなんて気にしている場合じゃない。
 このまま圧迫し続ければ、血流が止まって本当に足がダメになる。

 僕は唇を噛み締め、リリアの足元に膝をついた。

「……ごめん、リリア。脱がすよ」

 僕はナイフを取り出し、ブーツの革を切り裂いた。
 ブチブチと音を立てて縫い目が裂け、締め付けから解放された足が露わになる。

「……!」

 息を呑んだ。

 そこにあったのは、痛々しく変色した足だった。
 くるぶしからふくらはぎにかけて、鬱血うっけつしたようにどす黒い赤紫色に腫れ上がり、皮膚がパンパンに張り詰めている。
 所々に水膨れができ、そこから黄色い膿が滲み出していた。

(酷い炎症だ……でも、まだ)

 腐って崩れてはいない。まだ肉は生きている。
 だが、赤い筋が血管に沿って太ももの方へ伸びているのが見えた。毒素が回っている証拠だ。一刻を争う状態なのは変わらない。

「……カズヤ……?」

 刺激で目が覚めたのか、リリアがうっすらと目を開けた。
 彼女は自分の足を見て、力なく笑ったように見えた。

「……やっぱり……こうなっちゃったか……」

 悲鳴はなかった。
 ただ、恐れていた現実を突きつけられた絶望だけが、その瞳に浮かんでいた。

「……消毒するけど。いいな」

 僕はさっき拾ったばかりの酒瓶の栓を歯で引き抜いた。
 これを使うしかない。

「……うん……」

 彼女が小さく頷くのと同時に、僕は傷口に酒をドボドボと浴びせた。
 ジュワッ、と音がしそうなほど、傷口が泡立つ。

「ひ……ッ、あぁぁぁぁぁっ!!」

 リリアが喉を詰まらせたような悲鳴を上げた。
 激痛に体が跳ね、僕の腕を爪が食い込むほど強く掴む。

 だが、痛みがあるということは、まだ神経が死んでいない証拠だ。治る可能性はある。
 僕は彼女を押さえつけながら、表面の膿を洗い流した。

「……っ、痛い、痛いぃ……!」

「我慢しろ! 膿を出さないと死ぬぞ!」

 心を鬼にして、僕は予備の布を取り出した。
 清潔な包帯なんてない。使い古したシャツを裂いたものだ。

 酒で濡らした布を、震える足にきつく巻き付ける。
 リリアは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、荒い息を繰り返していた。

 やがて、痛みが引いてきたのか、あるいは体力を使い果たしたのか、再びぐったりと僕の胸に寄りかかってきた。

「……ごめん……」

 消え入りそうな声だった。

「……こんなの、見せたら……」

 彼女は荒い息の下から、途切れ途切れに言葉を紡いだ。

「……あんた、お人好しだから……絶対、足を止めるでしょ……?」

「……リリア」

「……そうしたら、進むのが遅くなっちゃう……。お荷物に、なりたくなかったの……」

 彼女は自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。

「……それに、街に着くまでは、大丈夫だと……思ってたから……」

 それが、彼女が頑なに足を見せたくなかった理由だった。
 ただ、逃げ切るために。
 その一心で、この激痛に耐えていたのだ。

「……無茶するなよ……」

 僕は短く息を吐き、彼女を横抱きにして立ち上がった。
 もうブーツは履けない。歩かせるわけにもいかない。

 僕は彼女をガラムの背に乗せると、地面に置いてあった荷物とリリアの杖を拾い上げた。
 昨晩、抱くようにして眠っていた鉄剣もだ。

 荷物も剣も、背負ったままだと彼女を支えるのに邪魔になるし、密着した時に当たって痛いだろう。
 それらは全部まとめて、ガラムの鞍の横にしっかりと結びつけた。

 準備を整え、僕も彼女の後ろに飛び乗った。

 これまでは足場が悪く、ロープを引いて歩いていたが、ここからは下り坂だ。
 行く手を阻むような木々もなく、比較的緩やかな道が続いている。
 少しでも先へ急ぐために、二人で乗る選択をした。

「……頼むぞ、ガラム。あと少しだ」

 僕たちは霧の晴れ始めた斜面を下り、その奥に続く谷底の道を抜けていった。

 数時間後。

 ようやく『亀裂』の出口が見えてきた。
 切り立った岩壁が途切れ、その向こうに空が広がっている。

 そこを抜けると、眼下には広大な赤土の荒野が広がっていた。
 草木一本生えていない、乾いた大地。
 遮るもののない日差しが、容赦なく降り注いでいる。

 だが、その荒野の遥か先――陽炎かげろうの向こうに、微かに石造りの城壁らしき影が見えた。

 イシュカだ。
 あそこまで行けば、きっと医者がいるはずだ。

「……行くぞ」

 僕は彼女の体を支えながら、手綱を強く握りしめた。
 ここから先は、荒野での持久戦だ。

 手遅れになる前に、なんとしても辿り着かなければならない。
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