49 / 72
救急外来の日常3
しおりを挟む
脅しのネタをつかまれているわけだ。
少しばかり医事係長を哀れに思いながら、私は北階段の入り口のドアを開けた。分厚くて重い鉄製の扉を、肩を痛めている桐生さんに開けさせるわけにはいかない。
庶務課に戻ったら最初にヒビのことを報告しないとなあと思っている時だった。
「友利さん」
桐生さんの声が硬い。
「おいおい、何があったんだ?」
私も自然と声がひくくなる。
急いでトアを締めて階段を駆け上がる。
北階段は普段誰も通らない静かな階段だ。
だが今は、ざわついていた。
1階と2階の間の踊り場まで来ると状況が明確になる。
見上げた3階のドアが開いており、50代くらいの女性を中心に10名ほど扉の内側に向かって立っていた。
立入禁止区域に入り込んだと言うより、3階に入りきらなくて溢れ出たと言った方が正しいかもしれない。
扉の向こう側からは、誰かが何かを言っているのが聞こえる。
しかし階段側にいる人々の話し声で遮られ聞き取れなかった。
「何かあったみたいだな」
ヒソヒソと桐生さんに耳打ちする。
「3階は重症患者の病棟です」
桐生さんの返事も静かだ。
「患者の数が多く、その家族が溢れてると考えられます」
「だろうな。患者には見えねぇよ」
「急ぎましょう」
「聞きに行く?」
「いえ、急ぐのは庶務課に、です。何かわかるかもしれません」
「何かって……俺らは医師でも看護師でもないんだぞ」
あれだけの数の家族らしき人々が集まっているのだ。何か大きな事故があったと考えるのが自然だ。
高速道路で玉突き事故があった時も酷かった。負傷者が30名以上に登り、近隣の医療機関に振り分けられた。当院の受け入れは八名で、救命センターだけでは対応しきれず、3階でも受け入れていたからこうして階段まで、その家族であふれた。
扉を開けだ向こう側はナースセンター前でスペースが広く開いているのだが、そこに入りきれない家族は階段まで出てきてしまうのだ。
こう言う時は、通常の説明室の使用や入退院センターでの事務手続きは行えない。予約が入っていた患者の対応が一切できなくなるから、各部署から手伝いに行く。
「つまり……事務手続きの手伝いってこと? 俺らだと普段やってないから保険証の手続きとか電子カルテの操作とかわかんないよ」
「わかっています」
上を見上げる桐生さんの目に、不安の色があるように見えた。
「先日の玉突き事故の時以上の人数です。それに、あの時に同時に多数の受け入れがあった場合の対応マニュアルができたはずなのに、それが機能している様子が見えません。機能できない人数である可能性を考慮しなくては……」
そんなにも大勢の患者が、救急で運ばれてきたと言うのか。
「でも、正面玄関の方は静かだったろ。外来もいつも通りだし」
「救急の入り口は別ですし、基本的に救命センターと外来は別組織と言うことになっています。距離も離れていますし……互いの様子がわかりません」
「そっか……」
「わたし達にも、ご家族の皆様をご案内したり書類を用意することくらいはできますし、治療はできなくても様子を伝達することくらいはできます」
「できることはいくつもあるか」
「あるいは、庶務課内にも元医事課の方もいらっしゃるので、そちらがサポートに回ったとしたら、庶務課内の人手が不足していますから、課内でやることは山積みです」
「俺、デスクワーク苦手なのになあ」
「わたしは友利さんは優秀な方だと思っています。事務仕事が苦手なだけで」
「事務仕事ができないって、事務員として致命的じゃねえの?」
私はがっくりとしながら庶務課に急いだ。
扉をあけてスタッフ専用エリアになった途端、私たちは申し合わせたように走り出した。短い距離であっても歩いている余裕はない。ここなら搬送さんにぶつかる心配もないからだ。
開きっぱなしになっている庶務課のドアの向こう側は、大騒ぎになっていた。
「申し訳ございません、会見は現在のところ、分かりかねますーー」
「はい、はい、ご親族の方ですね。では患者様のお名前とご生年月日、住所などをーー」
「ーーですから、個人情報保護法というのがありまして、患者様のことはお伝えできません。お電話いただいている方は、全く関わりのない、近くのラーメン屋さんですよね?」
「お待たせして申し訳ございません、担当の者が別のお電話にでており……折り返し……はい、まだかかるようでして……」
庶務課内の電話という電話が鳴り続け、近くの席の職員はひたすら対応し続けている。
「お前ら、良いところに!」
私たちに気づいた庶務課長が奥からやってきた。
少しばかり医事係長を哀れに思いながら、私は北階段の入り口のドアを開けた。分厚くて重い鉄製の扉を、肩を痛めている桐生さんに開けさせるわけにはいかない。
庶務課に戻ったら最初にヒビのことを報告しないとなあと思っている時だった。
「友利さん」
桐生さんの声が硬い。
「おいおい、何があったんだ?」
私も自然と声がひくくなる。
急いでトアを締めて階段を駆け上がる。
北階段は普段誰も通らない静かな階段だ。
だが今は、ざわついていた。
1階と2階の間の踊り場まで来ると状況が明確になる。
見上げた3階のドアが開いており、50代くらいの女性を中心に10名ほど扉の内側に向かって立っていた。
立入禁止区域に入り込んだと言うより、3階に入りきらなくて溢れ出たと言った方が正しいかもしれない。
扉の向こう側からは、誰かが何かを言っているのが聞こえる。
しかし階段側にいる人々の話し声で遮られ聞き取れなかった。
「何かあったみたいだな」
ヒソヒソと桐生さんに耳打ちする。
「3階は重症患者の病棟です」
桐生さんの返事も静かだ。
「患者の数が多く、その家族が溢れてると考えられます」
「だろうな。患者には見えねぇよ」
「急ぎましょう」
「聞きに行く?」
「いえ、急ぐのは庶務課に、です。何かわかるかもしれません」
「何かって……俺らは医師でも看護師でもないんだぞ」
あれだけの数の家族らしき人々が集まっているのだ。何か大きな事故があったと考えるのが自然だ。
高速道路で玉突き事故があった時も酷かった。負傷者が30名以上に登り、近隣の医療機関に振り分けられた。当院の受け入れは八名で、救命センターだけでは対応しきれず、3階でも受け入れていたからこうして階段まで、その家族であふれた。
扉を開けだ向こう側はナースセンター前でスペースが広く開いているのだが、そこに入りきれない家族は階段まで出てきてしまうのだ。
こう言う時は、通常の説明室の使用や入退院センターでの事務手続きは行えない。予約が入っていた患者の対応が一切できなくなるから、各部署から手伝いに行く。
「つまり……事務手続きの手伝いってこと? 俺らだと普段やってないから保険証の手続きとか電子カルテの操作とかわかんないよ」
「わかっています」
上を見上げる桐生さんの目に、不安の色があるように見えた。
「先日の玉突き事故の時以上の人数です。それに、あの時に同時に多数の受け入れがあった場合の対応マニュアルができたはずなのに、それが機能している様子が見えません。機能できない人数である可能性を考慮しなくては……」
そんなにも大勢の患者が、救急で運ばれてきたと言うのか。
「でも、正面玄関の方は静かだったろ。外来もいつも通りだし」
「救急の入り口は別ですし、基本的に救命センターと外来は別組織と言うことになっています。距離も離れていますし……互いの様子がわかりません」
「そっか……」
「わたし達にも、ご家族の皆様をご案内したり書類を用意することくらいはできますし、治療はできなくても様子を伝達することくらいはできます」
「できることはいくつもあるか」
「あるいは、庶務課内にも元医事課の方もいらっしゃるので、そちらがサポートに回ったとしたら、庶務課内の人手が不足していますから、課内でやることは山積みです」
「俺、デスクワーク苦手なのになあ」
「わたしは友利さんは優秀な方だと思っています。事務仕事が苦手なだけで」
「事務仕事ができないって、事務員として致命的じゃねえの?」
私はがっくりとしながら庶務課に急いだ。
扉をあけてスタッフ専用エリアになった途端、私たちは申し合わせたように走り出した。短い距離であっても歩いている余裕はない。ここなら搬送さんにぶつかる心配もないからだ。
開きっぱなしになっている庶務課のドアの向こう側は、大騒ぎになっていた。
「申し訳ございません、会見は現在のところ、分かりかねますーー」
「はい、はい、ご親族の方ですね。では患者様のお名前とご生年月日、住所などをーー」
「ーーですから、個人情報保護法というのがありまして、患者様のことはお伝えできません。お電話いただいている方は、全く関わりのない、近くのラーメン屋さんですよね?」
「お待たせして申し訳ございません、担当の者が別のお電話にでており……折り返し……はい、まだかかるようでして……」
庶務課内の電話という電話が鳴り続け、近くの席の職員はひたすら対応し続けている。
「お前ら、良いところに!」
私たちに気づいた庶務課長が奥からやってきた。
0
あなたにおすすめの小説
熱い風の果てへ
朝陽ゆりね
ライト文芸
沙良は母が遺した絵を求めてエジプトにやってきた。
カルナック神殿で一服中に池に落ちてしまう。
必死で泳いで這い上がるが、なんだか周囲の様子がおかしい。
そこで出会った青年は自らの名をラムセスと名乗る。
まさか――
そのまさかは的中する。
ここは第18王朝末期の古代エジプトだった。
※本作はすでに販売終了した作品を改稿したものです。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜
桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。
上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。
「私も……私も交配したい」
太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる