闇千夜の系譜・櫻花の理(ことわり)〜鬼は永久(とわ)に最愛の女を探し彷徨う〜

和刀 蓮葵

文字の大きさ
2 / 20

朝の日課

しおりを挟む
意識がはっきりと覚醒して、目が覚める。
目を開くと最初に見えるのは天井。木目は薄暗くて見えない。
部屋は枕元にある行灯の淡い灯火と、障子のおかげで真っ暗ではない。目をしばらく開けたり閉じたりし、同じ様に手を閉じたり開いたりする。そうして、体全体を起こしていくように意識して動かす。

目も部屋の様子に慣れてきたのか、最初は見えなかった木目が段々と見えてくる。それが確認出来ると朔耶さくやは体を起こす。
白い寝間着の少し乱れた衿を直していく。その手は白い絹の手袋をしており、長さは二の腕まである。着けたまま、忘れて寝たようには見えない仕草は、自分の意志で着けたままでいるようにも見える。

温かい綿入りの布団から身を起こし、布団の上にかけていた羽織を着て暖をとる。
最近は朝と夜が寒くなり始めた。風邪をひいては迷惑をかけるし、なにより、自分の身の回りには過保護な者が多いから、その者たち心配をかけてしまう。
かけてしまうが、これからする事は真逆の事をしなければならない。

行灯の蝋燭を吹き消すと朔耶は部屋を出ていく。寒く、誰もいない薄暗い廊下を歩きだす。裸足の足に廊下の冷たさは少々厄介だ。
廊下を歩き、裏庭に出られる縁側までいく。沓脱石くつぬぎいしには一組のわらじが既に出されており、朔耶はそれを履いて裏庭を歩く。
祠の近くにはしめ縄が掛けられた井戸がある。肩にかけていた羽織を濡れないように、井戸を守る様に建てられた場所に置く。
滑車を使い井戸の水を汲上げ、大きな桶に溜める。それを数度繰り返すと桶の中は半分ぐらいの水が溜まる。
その桶の中に手を入れる。冷たい水は刺すような痛みを与える。そして、手ですくうと顔にその水を浴びせる。
あまりの冷たさに顔をしかめる。眉を寄せ、耐える。顔からはぽたぽたと雫が落ちて、寝間着を濡らしていく。
ギュッと閉じた目を開き、そばにある小さな桶を掴むと、桶の水を掬い、ゆらゆらと揺れる水を見て一つ深呼吸すると、その冷たい井戸水を躊躇なく体に浴びせる。

「っぅ・・・・・・」
冷たい。刺すように冷たい。けど、これは毎日、たとえ雨だろうと、雪だろうとしなくてはいけない。特に、昨夜の様な事があった翌日は絶対にしなくてはいけない。
身を清め、神仏に祈り、心を整えてやっと、一日が始める。その為の必ずしなくてはならないものだ。
本来なら雪解け水の泉に体を浸し浄めるが、場所が場所だけにそれは叶わない。だから、屋敷の浄められた井戸水を使い、体の穢を洗い浄める。

「・・・・・・・・・・・」
一度、水を浴びれば、何かの覚悟が出来たのか、再び掬い浴びる。大きな桶の水を全て無くしていく。
今は、教えられた通りの量を浴びているが、小さな頃は桶いっぱいの水を、延々の浴びせられ続けられた。それこそ冬の雪が降る寒い中で延々と。凍えて、歯の根が合わなくガタガタと震えていたのを思い出す。

全ての水を浴びた頃に、一枚の手拭いがそっと差し出される。朔耶はそれを当たり前の様に受け取り、顔を拭いていく。
「ありがとう。東雲しののめ
鴇色の着物を着た「東雲」と呼ばれた女性は、笑顔で応える。そして、一枚の白い寝間着を広げると朔耶の後ろに立つ。朔耶も東雲が後ろに来たことを察し、立ち上がると水で濡れた寝間着の丹前帯を解き、寝間着を脱いでいく。
濡れた寝間着は「バシャ」と音をたて、砂利の上に落ちる。裸になった朔耶を見ないように東雲は目を逸らす。それは、朔耶の体を気遣っての事。
朔耶も知っているから急いで袖を通し、乾いた寝間着の衿を合わせる。
朔耶が袖を通す音だけを聞いて東雲は顔を向けると、肩に掛けていた丹前帯を渡し、朔耶はそれを受け取り前で結ぶ。

「最近は寒う御座います。早く、部屋に戻りましょう」
「ありがとう。後は頼みました」
「はい」
濡れないように置いていた羽織をそっと、肩に掛けられて朔耶は庭に出た縁側に戻っていく。東雲は軽く頭を下げると、朔耶が浴びていた桶や濡れた寝間着を片付けた。それが、朔耶と東雲の一日の始まりを告げる。
変わらない、これからもずっと続く、朝の日課であり、始まりの合図でもあった。


青褐色あおかちいろの木綿地に、黒い昼夜帯と地味め装いだが、よくよく見ると、帯には白い薔薇そうびの柄が薄く織られている。遠目なら黒に見える帯も、近くで見ると装いが変わる。
華美に装うことが嫌いな主と、華美に装うことに対して嫌味を言う、周りの人間に対して対策をした結果だ。
主である朔耶の着物はどれも地味で、年頃のむすめが装うものはあまりない。
本来なら明るい色を着て欲しいが、本人も周りもそれを良しとしない。
植え付けられた概念は根深い。その概念を取っ払う機会はいずれあるのかと、朔耶の周りにいる朔耶の味方の者達は思って日々を過ごしている。

着替えが終わると、朔耶は居間に行き、神棚の米や塩、水を替える。榊の水を替え、少しだけ枝を切る。軽く拭き掃除を終えると、二拝、二拍手、一拝をする。
それが終わると、今度は再び、裏庭に出ると井戸の近くの祠に行く。同じ様に掃除をし、供えてある米や塩、水を新しいものと変え、榊の手入れをすると同じ様に参拝する。

米や塩を持って屋敷に戻ると、朔耶はそのまま台所に向かう。
台所では鴇色の着物を襷掛けにした東雲が、忙しく動いている。食事の準備中だ。その隣では朔耶よりも一回りほど小さい女の子が、東雲と同じ様に動き回っている。
「あっ、朔耶様!どうされました?お米とお塩?ああぁ!お供えのですね!はい!お預かりしますね!!姉さま~こちらは今晩の夕餉に使うのですか?それとも、明日?」
大きな白い梅柄の萌黄色の着物に、白い帯、撫子色の帯締め、帯揚げをし、さながら春を告げる小鳥にも見える。東雲と同じ様に襷掛けをし、着物を汚さないように白い前掛けをしている姿は愛らしい。

歌弥かやありがとう。えぇ、夕餉で使いますよ」
歌弥と呼ばれた少女は東雲に塩と米を渡すと、再び竈門の火を見て、鍋の中で茹でられている青菜を見る。程よい茹で加減を見極めると菜箸で取り上げ、ザルにあげる。
「和物は任しました・・・・もうすぐ食事が出来ますから、朔耶様はお部屋でお待ち下さい」
東雲に言われ朔耶は軽く頷くと台所を後にする。

食事の支度は一切出来ないので、いても邪魔なだけだし、ここは言われた通りにするのが正解な事も理解している。
朔耶は居間に戻ると、座布団に置いてある新聞を手に取り、座る。
ゆっくりと新聞を見ながら、世間の関心や様子、小ネタ等などを頭に詰め込む。
多少の知識はないと、話題にはついてこれない。

まぁ、世間の、主に華族連中には既に「傲慢で怠慢な壬生雀院の当主」と言われているのでほぼ、見向きもされないし、話し掛けもされないので、夜会に行っても楽と言えば楽だ。
時に、意地悪で政治や経済の話をされるが、普通に答えると「チッ」と舌打ちされる。
面倒くさいことこの上ないのが、正直な感想だ。

何面か読んでいると、襖の方から声が聞こえてくる。それは、聞き慣れた東雲の声だ。
「失礼致します」
流れるような動きで襖を開け、軽く頭を下げると、朝餉を乗せた膳を持ち立ち上がる。
朔耶の前に持ってくると、そっと置いて軽く礼をする。
膳に乗せられたのは先程、歌弥が茹でていた青菜のお浸しと、生姜と出汁の効いた餡が掛けられた玉子豆腐が乗せられていた。
朝の食事にしては些か量が少なすぎるが、朔耶にとってはこれで十分な量だ。

線が細すぎる主には量を食べてもらい、少しでもふっくらと肉付き良くなって欲しいが、それは叶うことはない。幼少期からの食事のトラウマのせいで、食べる事が苦手になってしまった。
食が細い主に量を勧めるのは難しいのなら、少しでも栄養のあるものを食べて欲しくて、あの手この手を使い、食事の栄養面や質を考えた献立を考えるのが、東雲の課題にもなっている。
「滋養のある卵が手に入ったので玉子豆腐にしてみました。歌弥も頑張ってお浸しを作りましたのでお食べください」

椀に乗せられた玉子豆腐を見て、朔耶は軽く息を吐く。読みかけの新聞を丁寧に畳み、脇に置く。
朔耶と膳の周りだけ時が止まったようにも思える程、朔耶は微動だにしない。
やがて、白い絹の手袋をした手を合わせ挨拶をする。
「頂きます」
左手で椀を持ち、右手で箸を持ち綺麗な所作で食事をしていく。母親によって徹底的に教えられた所作は完璧で、そこだけを見ていたら華族の御嬢様にも見える程だ。

朔耶が椀の玉子豆腐とお浸しを綺麗に平らげると、東雲が横からお茶を出してくる。
温かい湯気を揺らしたお茶をゆっくり飲んでいると、東雲が遠慮がちに朔耶を見る。そんな様子に気づいた朔耶は、一口、お茶を飲んで東雲の方を見る。
「どうしましたか?・・・・・・・・今日の事?」
「・・・・・・・・はい・・・・・・・本日は長老連中が来ます」
物凄く大きいため息と共に「長老連中」をわざと強調して言う東雲に対し、朔耶は目線をお茶の水面に移す。
「昨日の話を聞きに来るのでしょう。後は・・・・・・何かの自慢かしら?客間の掃除は任せました。時間は昼過ぎでしたよね?」
「はい。その時刻で間違いないです。けど、どうせ、また、わざと遅れて来るんですからいい加減にして欲しいです!」
苛つき始めた東雲の言葉を聞いて、朔耶は視線を東雲に向ける。
「お決まりの事なのでそんなに怒らないで?それに、今回は早めに来るかもしれないですよ?あの人達は私達が完璧な状態で出迎え出来なかったら、ここぞとばかりに嫌味を言って楽しむ人達だから。迷惑をかけますが掃除はお願いしますね」
「・・・・・・はい、歌弥と八重やえさんとで頑張りますわ・・・・・」

東雲は急須を持って朔耶にお茶のお代わりを尋ねる。朔耶は首を軽く横に振り、要らないことを意思表示する。東雲は笑顔で急須をお盆に乗せようとした時に、「バーンッ!!」と勢いよく襖が開き、一人の派手な男が現れる。
髑髏の描かれた深緋色の着物は鮮やかで目を引く。
「な~ぁ~朔耶!腹減った~メシは?」
頭をボリボリと掻き、大きな欠伸をしながら部屋に遠慮なく入ってくる人物に、真っ先に怒りを表したのは東雲だった。

「この、襟巻き男!!あれ程朔耶様の食事時に部屋に入るなと言ってるでしょう!!」
「襟巻き」と言われ、男は片眉を引き攣らせる。
「うっせーな!焼き鳥女!朝からピーピー騒ぐな」
「誰が、焼き鳥女よ!!」
「テメーだろうが!」
「うぁんですってっっ!!」

・・・・・・・・・・・朝の日課が始めたか
朔耶は二人の言い争いを聞いて、静かに湯呑みのお茶を飲み干す。
二人の式神の「東雲」と「こう」は喧嘩が絶えない。
真面目で、私に忠誠を誓い、第一に私を思う東雲と、一応、私に忠誠を誓っているが、関係は友達関係の煌。
水と油の二人は顔を合わせれば言い争う。それも、子供の喧嘩か?と、言いたくなるような語彙力で言い争う。

けど、大事な場面、それこそ昨日のような妖連中を祓う時は、こちらが言わなくても二人で協力して祓う。阿吽の呼吸で。けど、終わった後に思い出したように争いが始まる。
仲がいいのか悪いのか・・・・・・・

少し、口の端を持ち上げて二人の言い争いを聞きながら、朔耶は湯呑みを膳に置くと、二人の邪魔をしないようにそっと、部屋を出ていく。
暫く言い争いをしていたら、歌弥が煌の為に食事を持ってくる。
それが合図のように煌は食事をし、東雲は部屋を出ていき掃除をしていく。
変わらない、二人の朝の日課だ。そして、私も変わらない日課をこなしていかないと。
まずは、道着に着替えなくては・・・・・

朔耶は静かに廊下を歩き、自分の部屋に戻っていった。離れていても僅かに聞こえる二人の言い争いは、朔耶にとってはなくてはならない朝の日常の一コマだ。この、一コマを守るためなら長老連中の嫌味の一つや二つ耐えられる。
あの頃に比べれば、今は可愛いものだ。そう、可愛いもの・・・・・・

朔耶は襖の引手に手を掛けて暫く動かなかった。だが、すぐに襖を動かし部屋に入り閉めた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

朝の賑やかな日課
朝起きてから、食事が終わるまでの日課は色々と目白押しです。皆さんも日課の一つや二つあると思います。
さて、嫌味を言いまくる長老連中は、どんな存在なんてしょうね?
そして、朔耶の立ち位置や、東雲や煌との関係など、そして、いつ出てくる相手は?
と、色々ありますが次の話を楽しみにしていてください。

ここまで読んで下さってありがとうございます
登録等して頂ければ幸いです。
評価がモチベーションアップです。宜しければ応援お願いします。応援で狂喜乱舞しております。
応援してくださる皆様方、本当にありがとうございます
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

ヘンタイ好きシリーズ・女子高校生ミコ

hosimure
恋愛
わたしには友達にも親にも言えない秘密があります…。 それは彼氏のこと。 3年前から付き合っている彼氏は実は、ヘンタイなんです!

初体験の話

東雲
恋愛
筋金入りの年上好きな私の 誰にも言えない17歳の初体験の話。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

処理中です...