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蜜と毒 前編
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夜が深まるたび、ル・デザイールには同じ男の名が記されるようになった。
セオドア=クラウス。侯爵家の嫡男にして、次代の宰相と目される男。
彼の足は、まるで中毒者のように、定期的にこの禁忌の館へと向かうようになっていた。
名目は接待疲れの癒し。
実情は、あの女の熱を忘れられずにいる、哀れな男の繰り返しの堕落。
その夜も、彼は仮面の娼婦を指名した。
黒百合――目元に黒い仮面をかけ、誰にも素顔を見せずに男を快楽の檻へと閉じ込める女。
「ずいぶん、お早いお帰りですね」
濡れたように艶を含んだ声が、男の耳を撫でる。
香の焚かれた部屋、深紅のカーテンの向こうで、黒百合は長い脚を組んで座っていた。
胸元を深く開いた黒のレース。
白磁のような肌と、腰まで流れる漆黒の髪。
その一つひとつが、男の記憶に焼きついて離れない。
「……会いたかった」
セオドアが口にしたのは、単なる欲望の告白ではなかった。
その言葉に、リリアナは一瞬、視線を落としかける。
(会いたかった? 本当に、誰に?)
それは黒百合に対する言葉か。
それとも、かつて婚約を交わし、捨てられた令嬢・リリアナに向けられた無意識の告白か。
彼女は答えない。ただ静かに、彼のもとへ歩み寄る。
男の手に手を添え、膝の上にまたがると、柔らかな吐息が耳元を撫でる。
「そんなに、私の身体が恋しかったのかしら?」
「……身体だけじゃない」
低く、苦しげな声だった。
リリアナはその言葉に、胸の奥が微かに疼くのを感じた。
(やめて。そんな顔をしないで)
快楽の獣として、復讐の女として、彼を堕とすだけの存在であればよかった。
けれど、こうして彼の目の奥に、かつて自分だけを見ていた青年の影を見ると、どうしようもなく心が揺れる。
セオドアの手が、黒百合の背に回り、ぎゅっと抱き締めた。
「おまえの素顔が見たい」
その言葉に、リリアナの身体がわずかに硬直した。
「……なぜ?」
「君を、知りたい。名も、素顔も。……ただの娼婦だなんて、思えなくなったから」
それは――最も聞きたかった言葉で、
同時に、最も遅すぎた告白だった。
彼女の目元で、仮面がわずかに揺れる。
けれど、それを取り去ることはできなかった。
「顔を知っても、失望するだけよ」
「そんなことはない」
「……言葉だけなら、昔の貴方も上手だったわね」
セオドアの表情が、かすかに凍りつく。
だが、リリアナはそれ以上言わず、唇を近づけた。
舌先が、男の耳の裏を撫で、低く甘い吐息が落ちる。
「ねえ、今日も悦ばせてあげる。……その代わり、何も問わずに、私だけを感じて」
男の腕に身を委ねながら、リリアナは思う。
(これは罰。快楽で支配して、捨てられた痛みのすべてを返してあげる)
けれどその毒の中には、確かに甘い蜜が混じっていた。
かつて愛した男が、自分を思い出しかけている――その事実が、
復讐だけでは到底済まされないほど、心をかき乱す。
* * *
仄暗い部屋の中央に、大きな姿見が置かれていた。
金色の装飾が施されたその鏡は、娼館の奥でも限られた客しか使用を許されない特別調教室の象徴だった。
リリアナ――黒百合は、ゆっくりとセオドアの背後に回り、両腕を彼の肩にかける。
「鏡に映る貴方の顔……自分で見てごらんなさい」
囁くように命じると、セオドアの視線が鏡の中へと向かう。
そこには、既に彼の理性を手放しつつある姿が映っていた。
シャツははだけ、ベルトも外された状態で椅子に腰かける。
その膝の上には、リリアナが片脚を絡めて乗せている。
黒のガウンの裾がめくれ上がり、うっすらと濡れた下腹部が光を反射する。
彼の太腿の上で、ぬかるんだ熱がじわりと滲み、まだ挿れられていないという事実が、却って空気を濃密にさせていた。
「こんなに昂ってるのに……まだ入れてもらえないなんて、惨めね」
リリアナはくすりと笑い、彼の中心を指先で撫でる。
濡れた音が響くたびに、セオドアの喉がかすかに鳴る。
「……もう……限界だ……」
「本当に? 私の前で、鏡に映りながら果てるところを、ちゃんと見せてくれる?」
リリアナは、鏡越しに彼の目を見つめた。
「私に悦ばされてる顔……どんなにいやらしいか、自分で確かめて」
そのまま、彼女はゆっくりと腰を沈めた。
濡れた音が肉を割り、熱の芯が彼女の奥へと沈み込んでいく。
セオドアの顔が歪む。
鏡の中、彼はそれを目の当たりにし、自らの愚かしさと快楽の混濁に震える。
「……あっ、く……ぅ……!」
リリアナはゆっくりと、だが確実に動き始める。
奥へ、浅く。
そして角度を変えながら、彼のもっとも敏感な場所を的確に擦り上げていく。
「見て。私が貴方をどうしてるか、自分の目で見なさい」
「……や、やめ……」
「いや、じゃない。――悦んでる顔、晒してるでしょう?」
鏡の中、彼の顔は赤く染まり、汗が首筋を伝って落ちていた。
リリアナはその汗を舌で舐めとり、耳元でささやいた。
「貴方みたいな男が、一人の娼婦にこんなに夢中になって……
可哀想に。誰にも言えないのよね、こんな情けない姿」
セオドアの手が、彼女の腰にしがみつく。
が、もう彼は拒まない。ただ、彼女の内側にすがりつくように、浅ましく喘ぐだけだった。
「……君の、名前を……教えてくれ……」
その声が、喉の奥から洩れたとき――
リリアナの動きが、ぴたりと止まった。
「……どうして?」
「……おまえを……知りたい……素顔も、名前も……。君を、抱きしめたいんだ。名も、すべてを……」
その願いは、彼にとっては自然なものだったのかもしれない。
けれどリリアナには、胸を裂かれるような痛みを伴う。
(知りたい? 今さら? 名前も、素顔も――何もかも捨てたくせに)
彼女は、ゆっくりと彼の胸に手を置いた。
まるで撫でるように、その胸板をなぞる。
「……それは叶わないわ。私は黒百合。それ以上でも以下でもない」
「……っ」
「貴方が欲しいのは、私の身体。そうでしょう? それなら――ちゃんと、悦ばせてあげる」
リリアナは再び腰を沈め、奥まで彼を咥え込んだ。
ぐちゅ、と淫靡な音が部屋に響き、彼女の内壁がきゅうと締めつける。
その締まりに、セオドアが嗚咽のような声を上げた。
「……くっ、ぁあっ……」
彼の恋慕も、執着も、懇願も。
すべてを肉に刻み込みながら、リリアナは復讐の火を燃やす。
(貴方の想いなんて、もう遅いのよ。どんなに求めても、私はもう――娼婦でしかない)
けれどその言葉は、胸の奥の何かに鈍く跳ね返り、彼女自身をもえぐっていた。
セオドア=クラウス。侯爵家の嫡男にして、次代の宰相と目される男。
彼の足は、まるで中毒者のように、定期的にこの禁忌の館へと向かうようになっていた。
名目は接待疲れの癒し。
実情は、あの女の熱を忘れられずにいる、哀れな男の繰り返しの堕落。
その夜も、彼は仮面の娼婦を指名した。
黒百合――目元に黒い仮面をかけ、誰にも素顔を見せずに男を快楽の檻へと閉じ込める女。
「ずいぶん、お早いお帰りですね」
濡れたように艶を含んだ声が、男の耳を撫でる。
香の焚かれた部屋、深紅のカーテンの向こうで、黒百合は長い脚を組んで座っていた。
胸元を深く開いた黒のレース。
白磁のような肌と、腰まで流れる漆黒の髪。
その一つひとつが、男の記憶に焼きついて離れない。
「……会いたかった」
セオドアが口にしたのは、単なる欲望の告白ではなかった。
その言葉に、リリアナは一瞬、視線を落としかける。
(会いたかった? 本当に、誰に?)
それは黒百合に対する言葉か。
それとも、かつて婚約を交わし、捨てられた令嬢・リリアナに向けられた無意識の告白か。
彼女は答えない。ただ静かに、彼のもとへ歩み寄る。
男の手に手を添え、膝の上にまたがると、柔らかな吐息が耳元を撫でる。
「そんなに、私の身体が恋しかったのかしら?」
「……身体だけじゃない」
低く、苦しげな声だった。
リリアナはその言葉に、胸の奥が微かに疼くのを感じた。
(やめて。そんな顔をしないで)
快楽の獣として、復讐の女として、彼を堕とすだけの存在であればよかった。
けれど、こうして彼の目の奥に、かつて自分だけを見ていた青年の影を見ると、どうしようもなく心が揺れる。
セオドアの手が、黒百合の背に回り、ぎゅっと抱き締めた。
「おまえの素顔が見たい」
その言葉に、リリアナの身体がわずかに硬直した。
「……なぜ?」
「君を、知りたい。名も、素顔も。……ただの娼婦だなんて、思えなくなったから」
それは――最も聞きたかった言葉で、
同時に、最も遅すぎた告白だった。
彼女の目元で、仮面がわずかに揺れる。
けれど、それを取り去ることはできなかった。
「顔を知っても、失望するだけよ」
「そんなことはない」
「……言葉だけなら、昔の貴方も上手だったわね」
セオドアの表情が、かすかに凍りつく。
だが、リリアナはそれ以上言わず、唇を近づけた。
舌先が、男の耳の裏を撫で、低く甘い吐息が落ちる。
「ねえ、今日も悦ばせてあげる。……その代わり、何も問わずに、私だけを感じて」
男の腕に身を委ねながら、リリアナは思う。
(これは罰。快楽で支配して、捨てられた痛みのすべてを返してあげる)
けれどその毒の中には、確かに甘い蜜が混じっていた。
かつて愛した男が、自分を思い出しかけている――その事実が、
復讐だけでは到底済まされないほど、心をかき乱す。
* * *
仄暗い部屋の中央に、大きな姿見が置かれていた。
金色の装飾が施されたその鏡は、娼館の奥でも限られた客しか使用を許されない特別調教室の象徴だった。
リリアナ――黒百合は、ゆっくりとセオドアの背後に回り、両腕を彼の肩にかける。
「鏡に映る貴方の顔……自分で見てごらんなさい」
囁くように命じると、セオドアの視線が鏡の中へと向かう。
そこには、既に彼の理性を手放しつつある姿が映っていた。
シャツははだけ、ベルトも外された状態で椅子に腰かける。
その膝の上には、リリアナが片脚を絡めて乗せている。
黒のガウンの裾がめくれ上がり、うっすらと濡れた下腹部が光を反射する。
彼の太腿の上で、ぬかるんだ熱がじわりと滲み、まだ挿れられていないという事実が、却って空気を濃密にさせていた。
「こんなに昂ってるのに……まだ入れてもらえないなんて、惨めね」
リリアナはくすりと笑い、彼の中心を指先で撫でる。
濡れた音が響くたびに、セオドアの喉がかすかに鳴る。
「……もう……限界だ……」
「本当に? 私の前で、鏡に映りながら果てるところを、ちゃんと見せてくれる?」
リリアナは、鏡越しに彼の目を見つめた。
「私に悦ばされてる顔……どんなにいやらしいか、自分で確かめて」
そのまま、彼女はゆっくりと腰を沈めた。
濡れた音が肉を割り、熱の芯が彼女の奥へと沈み込んでいく。
セオドアの顔が歪む。
鏡の中、彼はそれを目の当たりにし、自らの愚かしさと快楽の混濁に震える。
「……あっ、く……ぅ……!」
リリアナはゆっくりと、だが確実に動き始める。
奥へ、浅く。
そして角度を変えながら、彼のもっとも敏感な場所を的確に擦り上げていく。
「見て。私が貴方をどうしてるか、自分の目で見なさい」
「……や、やめ……」
「いや、じゃない。――悦んでる顔、晒してるでしょう?」
鏡の中、彼の顔は赤く染まり、汗が首筋を伝って落ちていた。
リリアナはその汗を舌で舐めとり、耳元でささやいた。
「貴方みたいな男が、一人の娼婦にこんなに夢中になって……
可哀想に。誰にも言えないのよね、こんな情けない姿」
セオドアの手が、彼女の腰にしがみつく。
が、もう彼は拒まない。ただ、彼女の内側にすがりつくように、浅ましく喘ぐだけだった。
「……君の、名前を……教えてくれ……」
その声が、喉の奥から洩れたとき――
リリアナの動きが、ぴたりと止まった。
「……どうして?」
「……おまえを……知りたい……素顔も、名前も……。君を、抱きしめたいんだ。名も、すべてを……」
その願いは、彼にとっては自然なものだったのかもしれない。
けれどリリアナには、胸を裂かれるような痛みを伴う。
(知りたい? 今さら? 名前も、素顔も――何もかも捨てたくせに)
彼女は、ゆっくりと彼の胸に手を置いた。
まるで撫でるように、その胸板をなぞる。
「……それは叶わないわ。私は黒百合。それ以上でも以下でもない」
「……っ」
「貴方が欲しいのは、私の身体。そうでしょう? それなら――ちゃんと、悦ばせてあげる」
リリアナは再び腰を沈め、奥まで彼を咥え込んだ。
ぐちゅ、と淫靡な音が部屋に響き、彼女の内壁がきゅうと締めつける。
その締まりに、セオドアが嗚咽のような声を上げた。
「……くっ、ぁあっ……」
彼の恋慕も、執着も、懇願も。
すべてを肉に刻み込みながら、リリアナは復讐の火を燃やす。
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