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あるメイドは、おずおずと告げた。
「お屋敷においでになって一週間ほどは、ごく普通にお食事や部屋のご用意などもさせていただいておりましたが、それ以降は何も……」
「何も……とは!? では一体彼女は何を食べて暮らしていたのだっ!! 飲み物は!?」
「出入りの商人から、ご自身のお金で用立てていらっしゃったようです……」
「は……!? 自分のパンや飲み物を、自ら調達していたというのか……??」
「……そのようです」
「……」
また別のメイドは。
「お洗濯はご自分でしておいでだったようです……。裏庭で洗っていらっしゃるのを見たことがありますので……」
「辺境伯に嫁いだ女主人が、自分の下着やシーツを手ずから洗っていたと……?」
「……はい」
「なぜお前たちは、それをただ見ていたのだ……!?」
「……旦那様が、トリシア様はいないものとして扱ってよいとお命じになりましたので」
「……」
怒鳴り散らしたい気持ちをぐっとのみ込むしかなかった。
すでにガイジアにもわかっていた。たとえ使用人たちの行為が少々行き過ぎていたとしても、こうなった元凶は自分にあるのだと。
けれどどうにも怒りは収まらず、抑えきれない感情がジールへと向いた。
「ジール! お前は一体何をしていたのだっ!! 確かにトリシアを妻として認めるつもりはないとは言った。屋敷の諸々にも口を出させるな、とも。だが……!」
顔を真っ赤にしてジールを責め立てた。
「仮にもあれは、王命で結婚した令嬢だぞ!? 機嫌を損ねれば、この辺境領にとっても不利にもなることぐらい、家令のお前ならわかることだろうがっ!!」
「ぐっ……! そ、それは確かにそうではございますが……」
ジールの握りしめた両の手がぶるぶると震えた。
「……しかし、トリシア様は旦那様の元の婚約者様を追い出したも同然っ! 本当ならば今頃は、あの方と幸せな結婚生活を送られているはずでしたのに……! なのにトリシア様が邪魔を……!」
ガイジアは、その言葉にがっくりと肩を落とすしかなかった。
結果的に反故になった元の婚約者がこの屋敷に住まう日を、ジールは心待ちにしていた。
以前から、元婚約者をジールはいたく気に入っていたから。
その思いが、トリシアへの行き過ぎた嫌がらせにつながったらしい。
「……だが、この婚姻を決めたのは陛下なのだぞ。トリシアを虐げたところで、この婚姻がひっくり返るわけでもあるまい? ただあれの生家が潤沢な金を持っていたから、それを当てにしただけの婚姻だったのだから……」
「くっ……」
辺境の地を、ひいてはこの国の平穏を維持するためとはいえ、意に沿わぬ結婚に腹立たしさも感じていた。
けれどそれはトリシアとて同じことだったろう。はるばる生まれ育った王都を離れ、こんな何もない辺境の地に嫁ぎたかったはずはない。
(一体なぜこんなことに……? そもそものはじまりは、婚礼でトリシアの顔を見た時だ。あの瞬間、なぜかひどく嫌な気持ちになって……。だからつい、あんな態度を……)
婚礼の時、トリシアはまったくの無表情だった。美しいドレスに身を包んではいてもそこには何の感情の高鳴りも感じられず、ただ淡々と事実を受け入れたような顔をしていた。
あれはあきらめだったのか。それとも失望か。
(嫌々なのがわかって腹が立ったのか……? しかし確かに私も大人げなかったのは認めるが、何も突然家出などしなくても……)
だがきっと突然などではなかったのだろう。何度も自分に話をしようとして、その度にジールに阻まれていたに違いない。
それにもし直に話をする機会があったとしても、まともに取り合ったかどうか――。
ガイジアは深く深く嘆息した。そして無理矢理に頭を切り替えた。
今さら誰かを責め立てたとて、どうなるものでもない。
「とにかく……、こんなことが世間にも王宮にも知られてはまずい。今すぐにトリシアを探すのだっ!! どうにかなだめすかして、屋敷に連れ帰ってこい!! いいなっ!!」
そう命じて、ガイジアは痛む頭を抱え込んだのだった。
が、トリシアが手紙に書いていた通り捜索は徒労に終わった。
もともと見た目が貴族令嬢らしからぬ、大変に地味で目立たない風貌をしているせいもあるのだろう。町のどこにもトリシアの姿は見えず、誰も見たものはいなかった。
こうしてガイジアは、一層頭を抱え込む羽目になったのだった。
「お屋敷においでになって一週間ほどは、ごく普通にお食事や部屋のご用意などもさせていただいておりましたが、それ以降は何も……」
「何も……とは!? では一体彼女は何を食べて暮らしていたのだっ!! 飲み物は!?」
「出入りの商人から、ご自身のお金で用立てていらっしゃったようです……」
「は……!? 自分のパンや飲み物を、自ら調達していたというのか……??」
「……そのようです」
「……」
また別のメイドは。
「お洗濯はご自分でしておいでだったようです……。裏庭で洗っていらっしゃるのを見たことがありますので……」
「辺境伯に嫁いだ女主人が、自分の下着やシーツを手ずから洗っていたと……?」
「……はい」
「なぜお前たちは、それをただ見ていたのだ……!?」
「……旦那様が、トリシア様はいないものとして扱ってよいとお命じになりましたので」
「……」
怒鳴り散らしたい気持ちをぐっとのみ込むしかなかった。
すでにガイジアにもわかっていた。たとえ使用人たちの行為が少々行き過ぎていたとしても、こうなった元凶は自分にあるのだと。
けれどどうにも怒りは収まらず、抑えきれない感情がジールへと向いた。
「ジール! お前は一体何をしていたのだっ!! 確かにトリシアを妻として認めるつもりはないとは言った。屋敷の諸々にも口を出させるな、とも。だが……!」
顔を真っ赤にしてジールを責め立てた。
「仮にもあれは、王命で結婚した令嬢だぞ!? 機嫌を損ねれば、この辺境領にとっても不利にもなることぐらい、家令のお前ならわかることだろうがっ!!」
「ぐっ……! そ、それは確かにそうではございますが……」
ジールの握りしめた両の手がぶるぶると震えた。
「……しかし、トリシア様は旦那様の元の婚約者様を追い出したも同然っ! 本当ならば今頃は、あの方と幸せな結婚生活を送られているはずでしたのに……! なのにトリシア様が邪魔を……!」
ガイジアは、その言葉にがっくりと肩を落とすしかなかった。
結果的に反故になった元の婚約者がこの屋敷に住まう日を、ジールは心待ちにしていた。
以前から、元婚約者をジールはいたく気に入っていたから。
その思いが、トリシアへの行き過ぎた嫌がらせにつながったらしい。
「……だが、この婚姻を決めたのは陛下なのだぞ。トリシアを虐げたところで、この婚姻がひっくり返るわけでもあるまい? ただあれの生家が潤沢な金を持っていたから、それを当てにしただけの婚姻だったのだから……」
「くっ……」
辺境の地を、ひいてはこの国の平穏を維持するためとはいえ、意に沿わぬ結婚に腹立たしさも感じていた。
けれどそれはトリシアとて同じことだったろう。はるばる生まれ育った王都を離れ、こんな何もない辺境の地に嫁ぎたかったはずはない。
(一体なぜこんなことに……? そもそものはじまりは、婚礼でトリシアの顔を見た時だ。あの瞬間、なぜかひどく嫌な気持ちになって……。だからつい、あんな態度を……)
婚礼の時、トリシアはまったくの無表情だった。美しいドレスに身を包んではいてもそこには何の感情の高鳴りも感じられず、ただ淡々と事実を受け入れたような顔をしていた。
あれはあきらめだったのか。それとも失望か。
(嫌々なのがわかって腹が立ったのか……? しかし確かに私も大人げなかったのは認めるが、何も突然家出などしなくても……)
だがきっと突然などではなかったのだろう。何度も自分に話をしようとして、その度にジールに阻まれていたに違いない。
それにもし直に話をする機会があったとしても、まともに取り合ったかどうか――。
ガイジアは深く深く嘆息した。そして無理矢理に頭を切り替えた。
今さら誰かを責め立てたとて、どうなるものでもない。
「とにかく……、こんなことが世間にも王宮にも知られてはまずい。今すぐにトリシアを探すのだっ!! どうにかなだめすかして、屋敷に連れ帰ってこい!! いいなっ!!」
そう命じて、ガイジアは痛む頭を抱え込んだのだった。
が、トリシアが手紙に書いていた通り捜索は徒労に終わった。
もともと見た目が貴族令嬢らしからぬ、大変に地味で目立たない風貌をしているせいもあるのだろう。町のどこにもトリシアの姿は見えず、誰も見たものはいなかった。
こうしてガイジアは、一層頭を抱え込む羽目になったのだった。
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