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4章
交錯する記憶
しおりを挟む「……だろ。しかし約束通り……せば、一億ガルは……」
「でも……したら、……守るとは……じゃねえか」
馬車は、いつの間にか停車していました。
耳にかすかに聞こえてくるのは、男たちの話し声。
「……して、引き渡せば……たって、王女様……らな」
「シッ! 馬鹿野郎っ。声が大きいっ。誰か……うするんだっ」
王女様……?
一億ガル?
一億ガルといえば、大きなお屋敷が買えるほどの莫大な金額です。
それが身代金の額だとしても、宰相の妻という人質に見合うとは思えません。
それに、王女様、とは?
次の瞬間、かちり、と頭の中で音がして、自分の身に起きたことを理解しました。
きっと私は、アリシア王女殿下と間違えられて誘拐されたのでしょう。
あの日アリシア様は、お忍びで護衛のひとりもつけずに、屋敷へとひとりやってきたのです。ひと目で王宮のものと分かる、印の入った馬車で。
もしそれを、誰かが見ていたとしたら?
そしてその者がアリシア王女の顔を知っていて、悪意を働かせたとしたら?
王女を誘拐するには、あれ以上のチャンスはないでしょう。
もちろんアリシア様が屋敷にお忍びできたのは、あの日のたった一度きり。
けれど、私との仲睦まじい様子を見て度々屋敷を訪ねてくるのかもしれないと思い込んだのだとしたら?
ならば、一億ガルという身代金の額にも納得がいきます。
でも実際には私は王女などではなく、宰相の妻なのです。
ごくり、と息をのみました。
バクバクと心臓が激しく鼓動し、冷や汗がだらだらと流れ落ちます。
もし人違いだと男たちが気づいたら、きっと私は――。
その後少しして、また馬車は動き出しました。
もし私が王女と間違えて誘拐されたのだとしたら、今頃王宮もしくは隣国の王家へと身代金の要求が伝えられているはず。
もしかすると、犯人たちの目的はお金だけではないのかもしれません。アリシア様を拘束し、隣国の現体制を揺さぶる道具として使う可能性だってありますから。
けれどアリシア様は今はもう、隣国へと向かう道中のはず。
「捕まったのがアリシア様じゃなくて良かったわ……」
奇妙な巡り合わせとは言え、せっかくできたご縁です。
あのかわいらしいお顔が、悲しみと苦しみに歪むのを見たくはありません。
ようやく少し意識が現実に引き戻され、平静さを取り戻します。
とはいえ、男たちにまた囲まれてしまえばパニックを起こしてしまうでしょうが。
しばらく馬車はまたガタゴトと進み。
足場が舗装された道に変わったのか車輪の立てる音が変わり、スピードも少しゆるやかになった気がします。
ざわざわとした人の話し声や遠くに教会の鐘の音も聞こえてくるところをみると、どこかの町にたどり着いたのかもしれません。
そして、馬車はゆっくりと止まり。
ギシッ。……バタンッ。
木のきしむ音がして、思わずぎゅっと身を胎児のように縮こまらせて息をのみます。
そして、私が閉じ込められていた木箱の蓋がゆっくりと開き――。
「よう、王女さん。ぐっすり眠れたかい? へっへっへっ」
「……っ!!」
一気に全身に鳥肌がぞわりと広がり、全身がガタガタと震えだします。
そして聞こえる、男たちの下品な笑い声。
「おい、見ろよ! ガタガタ震えちまってるぜ」
「はっはっはっはっ! すげぇな、ぶるぶる震えちまってかわいそうに。俺たちがよほど怖いと見える」
箱の中で縮こまる私を男たちは交互におもしろそうにのぞき込み、楽しげに笑い。
それに私は、ただ身を縮めて耐えるしかなく。
悔しさと情けなさとで涙をぽろぽろとこぼす私に、ひときわ大柄なひげ面の男が歩み出ます。
おそらくはこの男がリーダー格なのでしょう。他の二人の男たちが、すっと後ろに下がります。
大柄な男はその毛むくじゃらの太い腕をこちらに伸ばすと。
無言で、箱の中にいた私の体を軽々と持ち上げたのです。
そして――。
「くくっ……。おい、姫さんよ。うらむんなら俺たちじゃなく、あんたの誘拐を企てた旦那をうらむんだな。夜には旦那があんたを迎えにくる。それまで、騒がずおとなしくしてな」
そう言うと男は、下卑た笑いを浮かべ顔を近づけてきました。
その生臭い酒の匂いが漂う息に、思わず顔を背けると男はちっ、と舌打ちをし。
「でももしちょっとでも騒いだら、その喉かっ切って二度とおしゃべりができないようにしてやるからな。逃げ出そうとしたら……そうだな。腕の一本や二本は落としてもいいんだぜ? 生きてさえいりゃ特に問題ねぇらしいからな」
強い力で身体を持ち上げられ宙に足が浮いた状態のまま、ぎりぎりと強い力で締め上げると。
ゆっくりと片方の腕が、私ののど元へと伸び。
ぐぐっ……。
「……っ。ぐ……うぅ……」
首にかけられたその手に少しずつ力が込められていき、そのうち喉からヒューヒューと空気のような音が漏れ出した時。
私は、過去にフラッシュバックしました。
あの日の記憶に。
あの時も同じように喉元に手をかけられ、ゆっくりといたぶるように強く力を込められ。
そして、もう片方の手に握られたギラリと鈍色に光るナイフが振り下ろされ――。
過去と今とが入り混じり、パニックに陥った私は。
「あ、あああ……、はっ……! ぐっ、かはっ……! はぁっ……、はぁっ……」
呼吸すらうまくできなくなり。
息を吸えばいいのか吐けばいいのかも分からなく、真っ白になっていく頭と息苦しさとで意識が遠ざかるのを感じていました。
「おいっ! それ以上やったら大事な金づるが死んじまうっ。旦那に生きている状態で引き渡さねぇと、一文にもならねぇんだぞ?」
他の男の制止がなければ、きっとこのまま殺されていたかもしれません。
やっと男の手の力がゆるみ、地面に放り出された私は。
「……っ。ふ……うぁ……。げほっ……。う……」
荒く息を繰り返しながら、ただ朦朧としていました。
地面に打ち付けられた痛みすら、何も感じずに。
「まったく、豚の方がよほどさらいがいがあるってもんだ。悲鳴ひとつあげやがらねぇ」
「まぁその方が、手間が省けていいさ。さっさと王女様と金をたんまりもらって、女でも買いにいこうぜ」
薄れゆく意識の中で、男たちの声を遠くに聞きながら。
力の抜けた私の身体は再び担ぎ上げられ、どこかの建物の中へと乱暴に放り出されたのでした。
ガチャリ……。
遠ざかる男たちの笑い声と、鍵のかかる音。
そして私は、意識を失ったのでした。
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