チャラ男くんと委員長

秋月朔夕

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 彼がわたしに関わってくるようになったキッカケは些細なことだった。





 二年生に上がった梅雨の頃、クラスの風紀委員の子が風邪を引いて休んだ。タイミング悪くその日は風紀委員会が主体で行なっている服装検査の日だったのだ。
 その顧問をしていたウチのクラスの担任が早めに登校していたわたしを捕まえ、わたしが代わりにしてくれないかと担任に頼んできた。
 最初は誰がそんな面倒なだけで自分に得のないことをするかと内心の思いを腹に隠しながら、遠回しに教師に断った。
 しかし、それを見越した教師はわたしが断らないだろう条件を考えていたのだ。


『もしも受けてくれるならば学食を一週間ご馳走する』


 ゴクリと喉が鳴る。此処は所詮お金持ち達が通う進学校。政財界の子息、子女達が利用している食堂は基本的に高い。一度お昼ご飯を忘れた時にライスだけ頼もうとしたが単品でそんなものを置いてなく、他のメニューも舌平目のムニエルやら握り寿司やら鴨肉とフォアグラのソテーやら明らかに普通の高校生のお昼ご飯ではなかった為、すごすごと諦めたことがある。

 お昼ご飯を分けてくれる友達?
 学業に全集中するわたしにそんなものは居ない。
 仕方なくその日は食堂の水を飲み、空腹を誤魔化した状態で午後の授業を受けた。


 そんな苦い思い出の場所だがタダなら話は別だ。
 なにを食べても文句はないと言質もとれた。
 食費の心配をしなくてもいいご飯。なんて素敵なことなんだ。

(一週間分の食費がタダ!!)

 確かにわたし以外のクラスメイトだったらこの教師の提案を受けることはないだろう。
 しかしわたしは違う。
 たった一時間程の労働で食費が浮くなら安いものだし、なんなら内申だって少しは良くなるかもしれない――そんな打算の所為で、面倒ごとを抱え込むことになるとはこの時は思ってもいなかった。








(なんだ。思っていたより楽じゃない)


 雨がポツポツと降っていた為、傘を差しながら服装検査をしていた。そのためかお互いの顔を面と向かって見ることはあまりない。本来ならば髪の色やピアスや化粧やらをチェックしなければいけないのだが、そこまで積極的に注意している者はいない。
 そもそも服装検査を行う日程はあらかじめ周知してあった。だからこそ普段制服を着崩している生徒でも、怒られるのは面倒だから今日の朝だけはきちんと身なりを整えてきている。


(こんなことで学食が一週間タダだなんてラッキーよね)

 日頃、具のないおむすびで空腹をしのいでるのだ。少しくらい高いメニューでも許してくれるだろう。
 余談であるが、普段からおむすび一個でお昼を済ませているわたしに教師が同情した為に付けられた条件だったのはこの先も知ることはない。



(今日のお昼何にしよう。ローストビーフも美味しいって小耳に挟んだことあるし、日替わり洋食コースや鰻に懐石御膳もある。あー、どうしよう! なんでも好きなもの選んで良いって言ってくれたからこそ悩むわ)


 うふふ、と浮かれながら単純作業をこなしていく。けれど不意に明らかに校則違反をしてきた人物がわたしの脇を通り抜けていく。


「あの!」


 反射的に呼び止めたのに、それでも振り返ることなく校内に入っていこうとする人物に苛立ち、ついつい男を追いかける。


「服装検査まだ受けていないですよね?」


 咄嗟に男の腕を掴んで声を掛ければ、やっとそこで彼は立ち止まって眼が合う。
 あっ、と彼が誰であるか認識した時は既に遅かった。


(最悪……)

 よりにもよって呼び止めたのが『白鳥和馬』だったことに内心舌打ちした。

 理事長の息子で、全国模試トップの実力者。かつ、わたしのクラスメイト。しかし女癖は悪いし、チャラチャラとした雰囲気が苦手だ。
 彼と話したことは殆どなかったが声を掛けたせいでわたしを認識したらしい。新しいオモチャを見つけた子供のようにニヤニヤとこちらを見下ろしている。
 この時わたしはなんか腹立つから服装違反者として容赦なく教師に叩き出そうとコッソリ心に決めた。


「えー。だって俺必要ねぇもん」


 にへら、と嗤う男の目はどうやってわたしをいたぶろうかと嗜虐心に溢れた獰猛な光を放っていて、昔遭遇していた借金取りの奴らを思い出させる。
 ほとんど刷り込みじみた本能的な弱さを男にひけらかすまいと唇を噛み締め、睨みつけてやると男の口端が緩んだ。


「それはこちらで決めることでしょ」
「んー、じゃあセンセー達に俺が違反しているって伝えるの? 多分伝えても無理だと思うよ」


 ほら見てみなよ、と男が指差した方向を振り返れば、風紀委員会の人達はこちらを心配そうに見ていたのに、教師達はあからさまにこっちを見て見ぬフリをしていた。


「うそでしょ」
「だってセンセー達だって人間だよ? 誰だって面倒事に関わりたくないし、職場で上の人間の機嫌を損ねたくない。俺の親が理事長なんて仕事しているから余計に波風立てたくないんだろうねぇ」
「……それでも規則は規則でしょ」


 生まれた家だけでこうも待遇が違うのか。
 そのことが歯痒くて、他の人同様やり過ごせば済むものをつい反論してしまう。


「じゃあ、どうするの? 俺をセンセー達の所まで連れてく? 服装違反ですー、って。でもそんなのしたら面倒なことするなって睨まれるだけだよ」
「面倒?」
「そりゃね。いちいち親にチクるなんてダセェ真似なんかしねぇけど、教師からしたらそんなん知らないし。腫れ物に触るなんて誰だって嫌だろーし」


 卑屈めいたことを言うなと思った。
 誰だって生まれる先を選べない。
 それはわたしも彼も同じだ。
 先程からの言動は自分が生まれた場所や環境に対する不満が見え隠れする。
 それは種類が違えど、わたしが過去に思っていたことと同じ種類の淀に思えた。
 だからこそついつい口にしてしまったのだ。




「じゃあ自分から『腫れ物』にならなければいいじゃない」

 傘を首で固定して、空いた両手で彼の制服のボタンを閉めてやる。彼が平均よりも背が高いせいで、腕がプルプルして中々ボタンが止めにくいと思ったけれど、彼はわたしの突然の行動に驚いて固まっていたお陰でわりとスムーズに制服の乱れは直せた。


「……なんでこんなことするの?」
「だってもったいないわ。確かに明るい髪色は今すぐに直せないけどボタンをきちんと留めて、あとはピアスさえ外せばもう服装チェックはクリアするんだから」
「…………噂話とかで聞いてねぇの? この髪、地毛だし」
「お生憎様。そういうこと教えてくれる友達居ないの」


 当たり前のように尋ねられても人様の髪色なんて知ったこっちゃない。わたしの返しが予想外だったのかきょとりと目を丸くした後、勢いよく笑い出した。



「ふっ……はははっ! 最高! 友達居ないって……そんなんで知らねぇとかある?」
「だって事実だし……」


 そんなに有名なのだろうか。知らないものは知らない。というかこれ馬鹿にされてないか?
 ひいひいと笑い転げる様子にこちらとしては微妙な気持ちになった分だけジト目で彼に抗議する。


「……分かった。今日はピアス外すよ」
「いや、そこは今日だけじゃなく『ずっと』でしょ」
「んー。じゃあたまにマジメに制服着てみる日を作るし。俺がちゃんとしてなかった日はまた直して」
「は?」


 そんな面倒事ごめんだ、と文句を言う前に男はクルリと足取り軽く校舎に向かっていく。
 残されたわたしはただボンヤリと男が校舎に入っていく様子を眺めるだけだった。



 この時わたしは知らなかった。
 彼がわたしをやたらめったら構い倒すようになることも。
 何故か『いいんちょー』と呼ばれるようになることも。
 男に歪んだ執着心を芽生えさせたことも
 挙句、安い挑発に乗ったせいで男の『恋人』になることも。
 


 なにも知らないからこそ引き止めることなく呆然と背を見送ってしまったのだ。







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