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しおりを挟む鷹宮のマンションは、凪にとって現実味のない場所だった。
高い天井。
足音を吸い込む床。
外の冷たい風を完全に遮断する、分厚いドア。
――ここに、自分がいていいのだろうか。
玄関で靴を脱ぎながら、凪は無意識に背中を丸めた。
「客用の部屋は使っていない。今日は、そこを使え」
「……ありがとうございます」
それしか言えない。
それ以上の言葉を持っていない。
部屋に案内され、荷物を置く。
小さなリュック一つだけなのが、妙に恥ずかしかった。
「体は」
「……大丈夫です」
反射的に答えてから、凪は少し考え、言い直した。
「……まだ、少し痛いです。でも、動けます」
正直に言うと、鷹宮は一瞬だけ驚いたように目を細めた。
「無理はするな」
「はい」
その返事も、癖だ。
凪は部屋を見回し、落ち着かない様子で立ったり座ったりしたあと、意を決したように言った。
「あの……何か、できることありますか」
「できること?」
「掃除とか……洗い物とか……」
自分が“何もしないで守られる存在”になるのが、どうしても耐えられなかった。
鷹宮は少し黙り、それから首を振る。
「今日は、何もしなくていい」
「……でも」
「条件があるとすれば」
そう前置きして、続ける。
「休むことだ」
凪は言葉を失った。
休む。
それは、凪にとって“許可が必要な行為”だった。
「……すみません」
また謝りそうになるのを、鷹宮は視線で止める。
「謝らなくていい」
きっぱりとした声だった。
⸻
夜。
鷹宮が簡単な食事を用意している間、凪はソファに座っていた。
何もしていないのに、落ち着かない。
立ち上がり、そっとキッチンを覗く。
「……あの、本当に、手伝わなくて」
「座っていろ」
振り向かずに言われ、凪は従った。
食事を前にしても、凪は箸を取るのをためらった。
「……いただきます」
小さな声。
食べる量も、控えめだった。
鷹宮はそれに気づき、皿を見て言う。
「遠慮するな」
「……癖で」
凪は少し困ったように笑った。
「誰かと食べるとき、残したら悪いなって……」
「君が倒れたら、もっと困る」
その言葉に、凪の手が止まる。
「……すみません」
「まただ」
鷹宮はため息をつきながらも、声は柔らかかった。
「凪。君が生きることは、誰かに迷惑をかけることじゃない」
凪は俯き、しばらく黙っていた。
「……そう、思えたら、楽なんですけど」
それは、弱音だった。
鷹宮はそれ以上追及せず、ただ言った。
「今は、思えなくていい」
⸻
風呂を使わせてもらい、清潔なタオルを受け取る。
「……洗濯、明日します」
「気にするな」
それでも、凪は濡れたタオルをきれいに畳み、端に揃えた。
客室のベッドに腰を下ろし、凪は天井を見上げる。
怖い夢を見たらどうしよう。
また、迷惑をかけたらどうしよう。
そんなことばかりが浮かぶ。
そのとき、ノックの音がした。
「……起きているか」
「はい」
鷹宮がドア越しに言う。
「何かあったら、遠慮なく呼べ」
その一言に、胸がきゅっと縮んだ。
「……ありがとうございます」
声が、少し震えた。
ドアが閉まり、静寂が戻る。
凪は布団に潜り込み、小さく丸くなった。
――居ていいと言われても、
――守られても、
それでも、凪は考えてしまう。
どうしたら、ここに居ていい理由を作れるのかを。
それが、凪の健気さであり、
同時に、壊れやすさでもあった。
冬の夜は、まだ長い。
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