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第一章 紫都と散り桜
曽木の旅と恋の予感?
しおりを挟むお昼は、一人のお客様が配膳ごとひっくり返すというトラブルがあったものの、時間内に全員が食事終了。
「お帰りなさい」
バスに戻ってくるお客様を、入口で蛯原さんと共に見守っていると、
「これ、よかったらどうぞ」
カメラマンの三宅くんが私に紙袋を持たせた。
「え、ありがとうございます、いいんですか? 」
そっと中身を見たら、曽木の滝の名物、【かっぱどら】だった。
スイーツ好きで有名なタレントがテレビでも紹介するほど美味しいと評判のどら焼だ。
「ええ、次の休憩場所ででも食べてください」
三宅くんはニッコリと笑って席に戻っていた。
和菓子は甘すぎて苦手だけど、……嬉しい。
実は、昼食を食べ損ねて空腹だった。
「…何で桑崎さんだけ?」
隣に並んでいた蛯原さんが不満そうな顔をしている。
「あ、きっとスタッフ皆さんでどうぞって事だと思います」
お客様からドライバーや添乗員に差し入れがあるのは珍しくない。
「…そうかなぁ? あの子、桑崎さんだけを見てたけど」
「気のせいですよ、後で頂きましょう」
気になっても絶対にその素振りは見せない。
器用じゃない分、仕事中は仕事だけに専念しないと……。
私は、先ほど蛯原さんと相談した上で決めた代案を、岡田に伝えた。
桜の名所巡りツアーだけれど、桜がないのなら仕方ない。
「曽木発電所遺構って分かりますか?」
産業遺跡や歴史が好きな人なら間違いなく満足する場所を提案してみた。
曽木発電所は明治42年に建設され、昭和40年に下流の鶴田ダムの完成により60戸の民家と共に、人工の湖に沈んだ。
その数年後、雨量の多い夏にダムの水位を下げたところ、中世ヨーロッパの城を思わせるルネサンス様式の発電所が姿を現せて、人々をあっと驚かせたのだという。
「ここから2キロくらいだし、行けるは行けるが…」
岡田が快諾しなかったのは、ダムの水位が下がるのが5月から9月で、今の時季に行っても、遺跡の全貌を見ることが出来ないからだった。
「少しだけ見えても神秘的な場所よ」
ガイドの蛯原さんも、一部だけでも見る価値があると推したので、岡田は、「……分かった」と、そちらにバスを走らせた。
「ダムに沈んだ発電所は、人々の記憶から消えつつありましたが、水にさらされながらもその神秘的な姿を残す遺構を何とか存続させようと補強し、2006年に登録有形文化財に登録。2007年に近代化産業遺産に認定されました」
蛯原さんのガイドをお供に、展望所から、ダムの水面に少しだけ顔を覗かせた発電所遺構を眺める。
私自身、ここへ来たのは初めてだったけれど、全貌を見せる夏場にもう一度訪れたいと思うほど、その廃墟が生み出す幻想的な雰囲気は魅力だった。
花を撮るのが生き甲斐だという赤石さんも、しきりにデジカメで撮影。
「夏場の写真をネットで見たことあるけど、まさにラピュタの世界でした」
そう言って、本格的なカメラで撮影する三宅くんが、私の隣にやって来た。
「良かったら、添乗員さんの写真を撮らせてください」
え?
「私、ですか?」
添乗員は私しかいないのだけど、
「そうです、記念に」
こんな若い男性に撮らせてと言われた事はない。
「あ、記念なら、三宅さんも一緒に、どなたかに撮って貰いましょう」
周囲を見回すと、説明を終えた蛯原さんと目が合う。
が、分かりやすく彼女は不機嫌だ。
「一応、僕はプロとして仕事してたんで他の人にカメラは触らせたくありません。僕が、あなたを撮影したいんです」
″ あなたを ″ ーー
何で、こんな地味な私なんか……。
メイクだって、日焼け止めのファンデーションと色づく薬用リップを塗ってるだけだし。
「必ず綺麗に撮りますから」
三宅くんの自信ありげな口調に、私もノーとは言えず、愛想笑いを浮かべて、彼の向けるレンズに収まった。
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