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第三章 紫都と恋の風

トラブル発生

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   昨日から予測はしていたけれど、やっぱり、 霧島神宮の次の予定地の桜も、殆ど散ってしまっていた。
  
「楽しみにされていたのに、申し訳ありません」
    
  バスの中でお客様に謝る。
  
 「ほんとクソみてーなツアーだ、どうしてくれんだよ?、金、返してくれるのかよ?」
    
   そう、罵声を浴びせてきたのは、まだ午前中だというのにビールを飲んでいる南条さんだった。
   
 「いえ、それは出来ないです……」
     
   昨日とは質の違う絡みに、ちょっとだけおののいた。

 「じゃあ、せめて客を楽しませてくれよなぁ」
 
   何?
   昨夜までの性的なからかいとは違い、どことなくトゲのある言い方をする南条さん。
   バスの中がざわめく。
  
 「……そうですね、桜より楽しめる場所を急遽探します」
     
  こんなこともあろうかと、代案を昨日の打ち合わせで考えていた。
   けれども、
 
 「今、つまんねーんだよ!添乗員なら、バスの中を盛り上げろよ! 歌とか唄ってさー!野球拳でも構わねーぞ!」
 
   南条さんは、私を困らせるようなヤジを飛ばし続ける。

 「おい!」
     
   正義感溢れる声を出して、三宅くんが立ち上がった時だった。
   
 「スミマセ~ン! バスの中を唄って盛り上げるのはガイドの仕事です! 添乗員さん、私の見せどころ奪わないでね!」
    
   蛯原さんが私からマイク取り、歌うように言った。
  
「また、あんたか!ババアがしゃしゃり出てくんじゃねーよ!」
   
   南条さんのキツいヤジに一瞬、顔をひきつらせるも、昨日の岡田の言葉が効いたのか笑顔で応え、
  
「ババアだからしゃしゃり出てくるんです!それに添乗員さんは、あくまでも旅の行程を管理する人で、ガイドの仕事まで手を出した場合は訴えられることもあるんです。どうぞ両者の立場をご理解くださいね、ということで一曲……」
    
   アカペラで鹿児島にちなんだ唄を歌い始めた。
    
   元ちとせさんが唄っていた、【黒だんど節】を。
   
   話し声とはうってかわって、蛯原さんの歌声は低いのにとても綺麗で、始め小バカにしていた南条さんも、途中から聞き惚れているようだった。

 「お粗末さまでしたー」
      
   蛯原さんが歌い終わると、真っ先に三宅くんが拍手をし、 他のお客様もそれに続けて惜しみ無い拍手を送った。
  
 「ガイドさん、歌手みたいだね!  私のリクエストに応えてくれる?」
    
    赤石さんが、昔の歌謡曲をお願いしても、蛯原さんはちゃんと知っていて、時々、歌詞を誤魔化しながらも目的地に着くまで笑顔で歌っていた。
 
   なにをかくそう、 蛯原さんは、添乗員の間でも、″ 歌が上手い・歩くカラオケ ″ として有名なガイドだった。
   
   そろそろ予定の公園に着くかな、と外を確認していると、バスが急停車した。

 「どうしたんですか?」
   
   運転席に近寄って、岡田の顔を見た。
 
 「このまま進むと、あれを折ってしまう」
    
   岡田の目線は、バスの前方を塞ぐ桜の枝にあった。
    
   大型車の規制のない、一方通行の登り道。
    
   満開ならば、さぞや美しかったであろう桜の並木道だけど、剪定のされていない伸び放題の枝がいくつも垂れて、前進不可能だ。
    
   後ろからは一般の車が続いていた。
 
 「バックして少し広めの所で後の車を行かせる。そして入口に戻る」
  
 「こんな狭い急斜面をバックするんですか?」
  
 「じゃないと、桜にもバスにも傷がつく」
   
   岡田の決断は、運転テクニックを試される、非常に難しい事だった。

 「ええっ?!こんなところをバック?」
   
   赤石さんが軽い悲鳴を上げる。カメラをおろして窓から見える斜面に不安を隠せないようだ。
   
 「桜と客、どっちが大事なんだよ!」
     
   南条さんも岡田に向かって文句を言い始め、後方の一般車両からもクラクションを鳴らされた。

 「私、後ろの車に迂回できる所まで下がるように言ってきます!」
  
   蛯原さんがバスを降り、
 
 「じゃあ、私はバスのバックの誘導しますね」
   
   私もバスを降りて、車幅ギリギリの道の死角を確認する。

   現在のバスには大抵、バックモニターが付いている。
   このため、バスのワンマン走行が緩和されたと言っても過言じゃない。
     
   それでも、どうしても運転手からは死角になる部分は出てくる。車両だけじゃなく、人、物、今回は桜の枝。
    
   ガイドがやるように、添乗員もバックの誘導が出来ないとダメだ。
 
    私は、バスの後方に付いたマイクを取り、くねくねの道と、ミラーに映る自身の位置を確認しながら、手振りを交えて「オーライオーライ」を繰り返した。
    
   後方車の誘導を終えた蛯原さんが、深く頭を下げている。
    
    バスが脱輪しないように慎重に、岡田が細かにハンドルを切りながら下がっていく。
   溝がないのも救いだった。

 「はーい、OKです」

   入口迄 無事に戻れた時には、ちょっとだけ涙が出そうだった。
    
   実は、バックの誘導は研修以来、やったことが無かったから。

 「……お疲れ」
     
   自身が一番神経を遣っただろうに、ドアを開けた岡田が、私を見て口元を緩めて労った。
  
   その笑顔を見ると、また目頭が熱くなった。
   
   良かった、事故が起きなくて。
  
   私と蛯原さんが車内に戻ると、何故か拍手が起きた。
   お客様も一安心している様子。
 
  「皆様、ご心配おかけして申し訳ありません。
ドライバー岡田の安全運転と添乗員の桑崎の正確な誘導で、桜を傷付ける事なく広い道に出る事ができました。来年も綺麗な花を咲かせてくれる事と思います。さて、次の予定地は、宮崎県の関之尾滝でございます」
    
   蛯原さんが話している間、一人を除いては笑顔で耳を傾けてくれている。
    
   あの南条さん以外はーー
    
   忌々しそうな目で私を見つめ、口元をへの字に歪めていた。
     
   私、何かやらかした?
    
   昨夜の宴会で、適当にあしらったせいだろうか?    そんなことは良くある。
   気にしないことにした。



 
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