上 下
63 / 84
第七章 紫都の新しい旅

誘惑

しおりを挟む

     美隆の話に、ほとんど返事もしなかった。
     
    親が勧めてきた奥さんは、取引先の親戚のお嬢さんで育ちが良く、子育てが落ち着いたら店の手伝いもすると言っていた、と。
   
 「育ちがいいというか、ただ甘やかされてきただけの女だった。結婚した途端、上品さは消えて、ぐうたらしてるだけの女になってさ。おまけに、妊娠したらブクブクと風船みたいに膨れやがった」
   
  「………」
     
    膨れるっていうか妊婦はお腹が大きくなるのが普通じゃないの。
     黙っていても、私の言いたい事が分かるのか、
  
  「あの太りかたは妊娠だけが原因じゃない。その前から足も腹も肉割れし始めてた。ぽっちゃりの限度をこえてるんだって」
     
    まだ奥さんの陰口を叩く。
    こんな話、聞きたくない。
 
 「それが、私に一体、なんの関係があるの?」
    
    別れた女にする話?
    席を立とうとしたら、グッと太股に乗せる手に力を入れられた。

  「知ってるだろ? 俺の好み。俺はスレンダーで体の柔らかい女が好きなんだよ」


  「………そんなの聞いたこともない」
   
    バカだった。
    さっき、蛯原さんに助けのサイン出しておけば良かった。

  「いや、そうだよ。俺は昔から紫都みたいな華奢な女が好きだった」
 
    ずっと体型の話ばっかり。
 
 「あなたは、過去のモノばかり良く見えるのよ。今の生活を大事にしてください」
   
    私は、過去の恋愛よりも、今就いている業務の方が大事だ。
   
  「あ、おい、最後まで話を聞いてくれよ!」
    
    ようやく美隆の手から逃れて立ち上がった途端、 
 
  「……ぁ」

    また、目眩が起きた。
    ヤバい。
   
    こんな時に昨日からの引き続きの貧血だ。
    崩れるように椅子に倒れこんだ。
  
  「紫都…」
  
    不本意ながら美隆の両腕に支えられる。

  「………ごめんなさい、少ししたら治る」
     
    美隆の、シワ一つないシャツからは、甘いフルーツの柔軟剤の匂いがした。
    
   グウタラとか言われてるけど、奥さん、ちゃんと洗濯とかアイロンがけとかしてる人。
     
    無意味に、私の背中を擦る美隆が、
  
 「そういえば」
    
   何かを思い出したようにニヤリと笑った。
  
 「紫都って、生理の前後に貧血起こしてたよな」
    
    ″ 生理 ″ の話。

    丸っきり赤の他人になった男の口から聞くと、とても恥ずかしくなる。
    返事もしたくない。
   
    私は、俯いたまま、目眩が治まるまで目を閉じていた。
   
    治ったら、直ぐにここら出ていこう、と。
    
    けれども、少しだけ声を落として、耳元で話す美隆は何か勘違いをしてる。
   
  「青白くなったり、赤くなったり可愛いな、紫都は」
  
  「………」
   
  「生理の前なら、時期的に丁度良かったかもな。今夜か明日の夜に昔、いつも使ってたホテルへ行かない?」
   
    直接的な誘いに、その場から立たずにはいられなくなった。







しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】俺の愛が世界を救うってマジ?

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:26

沼田の若者が、牧場経営

現代文学 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

美人爆命!?異世界に行ってもやっぱりモテてます!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:469pt お気に入り:5

親父とヤクザ

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:71pt お気に入り:0

1000億円の遺産があります、異世界に

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:656

スイート×トキシック

ミステリー / 完結 24h.ポイント:170pt お気に入り:3

鬼上司と秘密の同居

BL / 連載中 24h.ポイント:3,437pt お気に入り:622

処理中です...