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第七章 紫都の新しい旅
誘惑
しおりを挟む美隆の話に、ほとんど返事もしなかった。
親が勧めてきた奥さんは、取引先の親戚のお嬢さんで育ちが良く、子育てが落ち着いたら店の手伝いもすると言っていた、と。
「育ちがいいというか、ただ甘やかされてきただけの女だった。結婚した途端、上品さは消えて、ぐうたらしてるだけの女になってさ。おまけに、妊娠したらブクブクと風船みたいに膨れやがった」
「………」
膨れるっていうか妊婦はお腹が大きくなるのが普通じゃないの。
黙っていても、私の言いたい事が分かるのか、
「あの太りかたは妊娠だけが原因じゃない。その前から足も腹も肉割れし始めてた。ぽっちゃりの限度をこえてるんだって」
まだ奥さんの陰口を叩く。
こんな話、聞きたくない。
「それが、私に一体、なんの関係があるの?」
別れた女にする話?
席を立とうとしたら、グッと太股に乗せる手に力を入れられた。
「知ってるだろ? 俺の好み。俺はスレンダーで体の柔らかい女が好きなんだよ」
「………そんなの聞いたこともない」
バカだった。
さっき、蛯原さんに助けのサイン出しておけば良かった。
「いや、そうだよ。俺は昔から紫都みたいな華奢な女が好きだった」
ずっと体型の話ばっかり。
「あなたは、過去のモノばかり良く見えるのよ。今の生活を大事にしてください」
私は、過去の恋愛よりも、今就いている業務の方が大事だ。
「あ、おい、最後まで話を聞いてくれよ!」
ようやく美隆の手から逃れて立ち上がった途端、
「……ぁ」
また、目眩が起きた。
ヤバい。
こんな時に昨日からの引き続きの貧血だ。
崩れるように椅子に倒れこんだ。
「紫都…」
不本意ながら美隆の両腕に支えられる。
「………ごめんなさい、少ししたら治る」
美隆の、シワ一つないシャツからは、甘いフルーツの柔軟剤の匂いがした。
グウタラとか言われてるけど、奥さん、ちゃんと洗濯とかアイロンがけとかしてる人。
無意味に、私の背中を擦る美隆が、
「そういえば」
何かを思い出したようにニヤリと笑った。
「紫都って、生理の前後に貧血起こしてたよな」
″ 生理 ″ の話。
丸っきり赤の他人になった男の口から聞くと、とても恥ずかしくなる。
返事もしたくない。
私は、俯いたまま、目眩が治まるまで目を閉じていた。
治ったら、直ぐにここら出ていこう、と。
けれども、少しだけ声を落として、耳元で話す美隆は何か勘違いをしてる。
「青白くなったり、赤くなったり可愛いな、紫都は」
「………」
「生理の前なら、時期的に丁度良かったかもな。今夜か明日の夜に昔、いつも使ってたホテルへ行かない?」
直接的な誘いに、その場から立たずにはいられなくなった。
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