五番目の婚約者

シオ

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「それでは、おやすみなさい。ノウェ様」
「おやすみ、イェルマ」

 就寝の時間を迎えて、イェルマが部屋から出ていく。すぐ隣にある侍従部屋で寝るくらいなら、ここで寝てくれたら良いのに。そう思うが、それをあの男が許さないことくらいはもう分かってきた。

 あの男は、俺のことを愛していると言い、どうしても俺と一緒に寝たいのだという。同性である俺に必死になるその姿は、異質に思えたが、悲しいことに少しずつ慣れてきたように思う。

 何もしないと誓った言葉は反故にされず、あれから男は一度も俺に触れてこない。約束を守ることなんて当然のことだし、あんなことをしておいて最低な奴だとは思うが、どうしても警戒心は薄らいできてしまった。

 とはいえ、同じ寝台で寝るのは嫌だ。絶対に絶対に嫌だ。それを許してしまえば、あの最低な行いも許したような空気になってしまう。それだけは駄目だ。あの行いを永遠に許す気などない。

 頑なにその思いを抱きながらも、本当に床で寝ていて辛くないのだろうかと考えてしまった。故郷にいた時は天幕の中で寝ていたけれど、何枚も絨毯を重ねてふかふかにしたところに寝ていたので、痛みなどは感じなかった。だが、今あの男が寝ているところには絨毯一枚とクッションしか置かれてない。痛そうに見えてしまう。

 あの男が俺の隣で寝ないようにと、イェルマが毎日床にクッションとシーツを置いてあの男のための寝床を作っている。置かれているクッションは三つ。本当にこれで十分なのだろうか。

 なんで俺があいつの寝心地を考えてもやもやしなくちゃいけないんだ、と腹を立てながら寝台の上に置かれたクッションを一つ床に落とした。そもそも俺にはたくさんのクッションなんていらない。いらないから、床に落としただけだ。

 そんな言葉を自分に言い聞かせながら、俺はシーツを己に掛ける。早く寝てしまおう。そう思っていた矢先に、小さなノック音がして扉が開いた。あの男がやってきた。眠気は全く来ないけれど、目を瞑って寝たふりをしよう。

「これ……、ノウェが置いてくれたのか?」

 俺の寝たふりは、即座に看破されてしまった。男が話しかけてくる。いつもよりも置かれたクッションが多いことに、この男はすぐ気付いた。昨夜まで置かれていたクッションの数を覚えていたのだろう。物覚えが良すぎるのも考えものだ。

 ゆっくりと目を開けて、横目でちらりと見た。男は執務の時に来ているシャツとスラックスを身に纏ったままだが、髪の毛の先が僅かに濡れている。どこかで湯浴みでもして来たようだった。

「……邪魔だったから落としただけだ」
「ありがとう」

 人の話を聞いているのだろうか。俺は邪魔だから、落としたと言ったのだ。間違っても感謝される言葉ではない。お前の体が辛そうだからと気遣ってクッションを落としたわけでは、決してないのだ。それなのに、男は嬉しそうな声を出す。背を向けていた体を反転させて、男の方を見た。

「なんでわざわざ床で寝るんだ。俺への当て付けか?」
「そんなわけないだろう」
「だったら、もう一つ寝台を持ってくるとか、別の部屋とか、もっとマシなところで寝ればいいだろ」
「ここが一番ノウェに近い」

 回答は簡潔だった。ここが、俺から一番近い。寝台に乗ることは俺が許していないから、そのすぐそばに床で寝る。分かりやすい答えではあったけれど、微塵も理解出来なかった。とても邪魔ではあるが、もう一台、寝台を持ってきて横に並べるのではいけないのだろうか。

「……どうかしてる」

 そう告げれば、肩を竦めて困ったように笑う。寝台の上で横になって男を見る俺と、寝台のそばに立って俺を見下ろす男。俺たちの会話は続いた。

「ノウェを初めて見たのは、十年以上前のことだ」
「十年……?」

 八年の間違いではないのか。俺たちが初めて顔を合わせたのは、俺がリオライネンに来た八年前のことだ。その時だって、この男はろくに俺の顔を見なかった。

「ロアの地へ行ったことがあるんだ。その時にノウェを見た。馬に乗って、楽しそうにしているノウェを見て一目で惹かれた。その時からずっと、ずっと、ノウェに恋心を抱いている」
「一目でって……そんな、俺のことを何も知らない状態で好きになったって言うのか」
「あぁ、そうだ」
「そんなの、恋じゃない。恋って言うのは、相手のことを知って、少しずつ好きになるものだろ」

 悲しいことに、そんな恋の経験は俺にはなかった。初恋すらまだない俺が恋愛について語るのは可笑しいのだと思う。けれど、人々がそのように語ることを聞いたことがあるし、物語の中でそんな感じで描かれていることが多い。根拠が薄いことは理解していたけれど、きっとそういうものなのだろう。勢いよく断言した俺を見て男は困ったように笑った。

「どうなんだろうな。俺にはそれが分からない。……今まで多くの人間と会ってきたし、深く内面まで知る相手もいた。俺に好意を持つ者も何人かいた。だが、そのどれも、ノウェほど強烈に俺を魅了しない。……どうして、ノウェだけが違うんだ?」
「……そんなこと、俺が分かるわけないだろ」

 絶対に絶対に俺よりも賢いくせに、俺に答えを求めるなんてどうかしている。思わず顔が赤くなって、大きな声が出てしまった。恋の定義なんて知らない。

 確かに、好きと言うのは何で判断するのだろう。どういう気持ちになったら、好きなのだろう。自覚する瞬間があるのだろうか。この人を愛していると、理解する時が訪れるものなのだろうか。

 分からないというこの男のように、俺にも分からない。身近にいる人で、好きな人と言えばイェルマだ。だがそれは恋ではない。家族だから好きなのであって、俺はイェルマに恋をしているわけではないのだ。

 好きの区別をどのようにすれば良いのだろうと考えていたら、目の前で男が服を脱ぎ始めた。一瞬、体を強張らせてしまうが、ただ寝着へと着替えるだけのようで、怯えてばかりの自分に嫌気がさす。

 男がこちらに背を向けているせいで、逞しい背中が見えた。鍛えている姿を見たことはないけれど、とても程よく筋肉がついている。背も高く、体格に恵まれた上に筋肉も持っているなんて、羨ましすぎる。

 悔しい気持ちを込めながらその背中を凝視していると、男が大きな欠伸をしたのが見えた。どうやら、疲れているようだ。そんなに疲れているのなら、きちんと休めば良いのに。

「……俺が別の部屋で寝れば、お前がここで寝れるだろ」
「それは嫌だ。床で寝ることになっても、ノウェと同じ部屋で寝たい」
「頑固だな、お前」
「譲れないんだよ」

 床に置いたクッションを使いつつ、男が体を横たえる。姿が見えなくなった。いつも俺は、寝台の上でも男から一番遠い場所で寝ていた。だというのに、何を思ったのか反対側へと這って進む。つまりは、男に近い場所へ自らの意思で行っていたのだ。

「だったら、せめてソファで寝ろよ。あっちの方が疲れが取れるだろ」
「ノウェの顔を見てるだけで、疲れは十分取れるよ」
「そんなわけない」
「本当のことだ」

 寝台の淵から少しばかり顔を出して、下で横になる男を見下ろした。男が青白い顔をしているように見えるのは、俺の見間違いだろうか。ランプの灯りは仄かに室内を照らすだけなのに、それでもはっきりと分かるほどに不健康な顔色をしている。

「嬉しい」

 青白い顔のまま、男は笑っていた。何が嬉しいかを問うまでもない。こうして俺と顔を見合わせて会話をするのが嬉しいのだ。自惚れているわけではないが、それが俺の勘違いではないことが分かってしまう。なんとも複雑な気持ちだ。

「お前はリオライネンの長なんだろ……。長なら、もっとシャキッとした顔しろ」
「そうだね」

 ふにゃふにゃとした情けない顔をしていた。威厳など微塵もなくて、だらしない顔だった。いつまでも俺の顔を見ている男を、ついつい俺も見返してしまう。よくよく見れば、目の下には隈もあった。

「……皇帝の仕事って、そんなに忙しいのか」
「忙しいかどうかは、比較対象が無いからよく分かららないな。……ただ、やることはたくさんある」
「ふーん……どんな?」

 一体、皇帝の仕事とは何なのか。全く想像することも出来ない仕事の内容に、少し興味が湧いた。自然に会話してしまっている自分自身には、気付きたくなかった。

「基本的に、政策は議会が考えるんだ。それを宰相がまとめ上げて内務卿に提出する。そして、それを内務卿であるイーヴが精査して、重要度で振り分けたり、内容に虚偽が無いか、根拠はあるのかといった確認作業をしてくれる。内務卿の点検を終えたものが、俺のもとにくる。その内容を査読したり、最終的な決定をするのが俺の仕事だよ」
「……難しそう」
「そうでもない。馬上で弓を扱うことの方が難しいさ」
「そんなわけないだろ」
「俺は馬に乗りながら手綱から手を離して弓を射るなんて、怖くて出来ない」
「あれの何が怖いんだ」

 馬上で弓を引くことなど、ロア族の男であれば十歳にもならない子供たちが容易く行う。それが皇帝の仕事よりも難しいだなんて、分からないものだ。

「そういえば、馬に乗りたいと言っていたな。場所と馬を用意するよ」
「……え?」

 突然齎された言葉に、俺は耳を疑う。馬に乗ることを許可されるのは、こいつを寝台の上に乗せることを許した場合ではないのか。イーヴァンはそのようなことを言っていた。

 俺は、同じベッドで眠ることをまだ許していない。あの日から数日が過ぎて警戒心が薄らいでいるのは事実だが、それでも、振われた暴力を思い出すとどうしても許す気にはなれないのだ。それなのに、俺だけ馬に乗って良いのだろうか。

「……いいのか?」
「もちろん。ずっと許可が出せなくてすまなかった」
「あ……、それは、別に、良い……けど。……ありがとう」

 どうして、ありがとう、なんて言ってしまったのだろう。馬に乗ることに許可がいるなんて可笑しい。俺は自由にしたいことをしても良いはずだ。それなのに、許可されたことに感謝している。なんだろう。心がもやもやとして、釈然としない。

「どういたしまして」

 そう言って嬉しそうに笑うのだ。そんな顔を向けるなと怒鳴りたくなる。俺はふい、と顔を逸らし寝台の上の定位置に戻って勢いよくシーツを被った。

「早く寝ろよ。疲れてるんだろ」
「ノウェとこうして話してるおかげで、随分と疲れが取れたよ」
「それは勘違いだ。良いから、さっさと寝ろって」
「あぁ、そうするよ。おやすみ、ノウェ」

 男の方に背を向けて目を閉じた。ごそごそと動く音が微かに俺の鼓膜を震わせる。男がシーツを被り直しているようだ。よくそんなところで寝られるな、と呆れに似た感心を抱く。

「……おやすみ」

 それは、自然と俺の口を突いて出た言葉だった。何故そんなことを言ったのだろう。就寝の挨拶などを交わしてしまった俺の気持ちが、俺自身、分からなくなっていた。


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