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甘くて大好きなキス
しおりを挟む――13年後。
成人を迎え、一層美しい令嬢へと成長したメリルの瞳には、常に憂いがあった。
ラウネル公爵家では、成人を迎えたメリルの為にお祝いのパーティを開いた。と言っても、人見知りの性格と、娘を溺愛する父ジランドの影響で他家の令嬢とあまり交流がないメリルなので参加者は父とメリル、それとラウネル家に仕える者達で行われた。
妻を失い、たった1人の娘を大事にしてきたジランドは、パーティが終わると庭園でぼんやりとしているメリルに呼び掛けた。
「メリル。こんな所にいては風邪を引くよ。屋敷に戻ろう」
「お父様」
振り向いたメリルは何拍か間を開けた後、いいえと首を振った。
「もう少しだけ、ここにいさせてください」
「メリル……」
「大丈夫です。……覚悟は、していました」
5歳の時結ばれた、魔界の第1王子フィロンとの婚約。出会ったその場でフィロンを好きになり、以降彼に相応しい女性となる為に勉学も苦手な魔法の練習も沢山頑張って来た。所がある日、急にメリルの魔力が失われてしまった。次期魔王の妻にも強力な魔力が要求される。高位魔族で魔王の妻になるに相応しい魔力容量の持ち主であった為に婚約者に選ばれた。
魔力を失ったメリルに婚約者の資格は消えた。
だが、今日に至るまで婚約は継続された。
魔王エフメスは――
『魔力が戻る可能性も考慮に入れ、成人まではこのままの状態を維持する』と2人の婚約を継続した。
フィロンは、初めて会うなりキスをしたメリルにいつも何処か冷たかった。毎日の訪問に訪れてもメリルに辛辣な言葉を投げるだけで優しさの欠片もない。魔力操作も下手で魔法も碌に扱えないメリルを魔力容量の持ち腐れ、とよく罵倒した。しかし、会うと必ずキスをされた。言葉や態度とは程遠い優しい口付けにいつも戸惑った。一度、勇気を振り絞ってキスをする理由を訊ねると――
『おれの所有物に何をしようがおれの勝手だ』と、もの扱いをされた。
メリルに対し情はない。自分の所有物だから好きに扱っているだけ。相手を想い続けている令嬢は、普通ならここで心が折れてしまっても可笑しくない。メリルもフィロンに言い放たれた際には固まってしまうも―
『はい! 私は殿下の婚約者ですよ!』と周囲に向日葵が咲きそうな満面の笑顔を見せた。フィロンが自分を婚約者だと意識してくれているのだとメリルは嬉しくなったのだ。……その時のフィロンがどんな顔をしていたか、嬉しさで周りが見えていなかったメリルは知らない。
「殿下……」
明日、魔王城へ登城するよう報せがラウネル公爵家に届いている。行くのはメリル1人だけ。ジランドも一緒に登城すると言うが最後位は自分だけでしっかりとけじめをつけたいと言うメリルの意思を尊重した。
きっとそこで、フィロンとの婚約解消を告げられるだろう。フィロンの次の婚約者は確定されていないが決まっていると言っても同然の相手がいる。イレーネ=アールズ公爵令嬢。魔界では珍しい輝かしい金糸に桃色の愛らしい瞳の娘。父親と弟以外の他人を毛嫌いしているフィロンが肌に触れるのを許している少女。メリルは恐れ多くて自分から触れようと等と思わなかった。主にフィロンの方から触れてきた。
魔力を失ってから、元から冷たかったフィロンは更に冷たくなった。メリルが隣にいてもいない者扱いをし、突き放す言葉の冷気が格段に増した。カップルとして出席必要な行事でも迎えやエスコートもなく、酷い場合はラウネル家に手紙が届かない様仕向ける程。
魔力を失った原因は未だ不明。魔界の名だたる医師や魔術師達がメリルを検査してくれたが、これといった原因が分からなかった。魔力なしのメリルを社交界ではこう呼んでいる。……『欠陥品』と。
「……」
明日の場に、フィロンだけではなく、イレーネもいる気がしてならない。2人が寄り添う合う姿を何度か目撃し、その度に表現が出来ない虚無感が生まれる。
メリルはラウネル公爵家の庭に咲く花を見やった。物欲が少ないメリルが毎回強く欲するのが花だった。見ているだけで心を落ち着かせ、穏やかな気持ちにさせてくれる花が大好きでよくジランドに色々な花が欲しいと強請っている。我儘をあまり言わないメリルのお願いに、極端に弱いジランドは辺境にしか咲かないと言われる珍しい花まで用意する。全ては、たった1人の愛娘の為に。
特に、メリルの大好きな花が薔薇だった。赤、白、黄色、桃色、魔界でしか咲かない青もある。薔薇はフィロンが好きな花でもある。大好きなフィロンと同じ花が好きだと知った際には無邪気に喜んでいた。……その時のフィロンがどんな気持ちがメリルを見ていたかは、やはり嬉しくて周りが見えていなかったメリルは知らない。
「大丈夫、大丈夫よ。メリル」
自分に言い聞かせるように何度も大丈夫と念を押し、屋敷の中へ戻った。
*******
翌日――。
城から、使者がメリルを迎えに来た。不安げな面持ちで見送るジランドと使用人達に精一杯の笑みを浮かべ、馬車に乗り込んだ。俯いたまま座ったメリルは、向かいに自分以外の誰かが乗っていることに気付く。訝し気に顔を上げ――驚き過ぎて声が出なかった。
青みがかった銀糸、髪色と同じ長い睫毛に覆われた紺碧の瞳が冷たくメリルを見ていた。否、睨んでいるといっていい。
「で、殿下っ? どうして、ここ――んん!」
何故、今日婚約破棄をする令嬢の馬車にフィロンがいるのか。此処にいる理由を問おうとしたメリルの腕を強引に引っ張り、もう片方の手で顎を掴んで無理矢理口付けた。
微かに開いていた口内にフィロンの舌が差し込まれた。同時に、甘い味がメリルに伝わる。乗っていた間に紅茶でも飲んでいたのか、とても甘い。
魔力を失ってからも、こうしてキスをされていた。年齢を重ねていく毎にキスは激しくなり、舌を入れられ始めたのも3年前から。
抵抗をしたのもほんの一瞬。態度と言動からは遠く離れた優しいキスにいつも虜になった。奥に引っ込むメリルの舌を、逃がさないとフィロンの舌が追って絡めた。紅茶の甘い味がより強くなる。
「んん……あ……」
「ん……」
腕を引っ張った手を後頭部に回し、栗色の髪を指に絡め撫で始めた。頭を撫でられる感覚、甘いキスをされて感じる甘い快感。馬車にフィロンが乗っている理由も、婚約が解消となる令嬢にどうしてこんなキスをするのかという疑問も。
……全部捨て去った。
「殿、下……」
「……お前は」
「んん……」
「お前は……おれの所有物だ。そうだろう?」
「は……い……。私は、殿下の、んん……ものです」
それも今だけ。
魔王城に着き、婚約を解消させられるまでは――メリルはフィロンのもの。
何故、フィロンがそんな事を問うのかメリルには分からない。考えられない。
……キスだけで蕩けた瞳を向けてくるメリルを、冷たい紺碧が見下ろす。最奥に、決して消えない情火がゆらゆらと揺れていた。
「お前はおれの所有物だ。そうやって、おれだけを見ていろ」
「んう、んん……んっ……」
「舌を出せ」
「は、い……」
言われた通り、舌をフィロンへ見せた。微かに表情を変えたフィロンが甘くメリルの舌を噛んだ。メリルの全身に快感に痺れる電流が走った。
メリルの両手を自分の首に回させると、柔らかな椅子の上にメリルを押し倒した。
一層深くなったキスのせいでメリルの体がぶるりと震えた。
「怖いか?」
唇を離したフィロンが気遣うように聞く。
「怖く、ないです……」
こうやって押し倒されてキスをされたのは初めてで、深いキスに一瞬の恐怖を抱いたのは事実。だが、フィロンを心配させない為に嘘を吐いた。頬は真っ赤に染まり、情欲に濡れた青紫の瞳がフィロンに微笑む。
「なら、大人しくしていろ」
「んんっ!」
「そうしたら、もっと気持ち良くしてやる」
「ん……んんっ……、殿下っ、殿下……」
急に荒々しく口付けたフィロンがどんな表情で見つめているか。
大人しくキスを受け入れるメリルは、宣言通り更に気持ちが良いキスをされて思考を遠い彼方へと追いやった。
これが最後のキスになるなら、と……。
――馬車が魔王城の裏手に停車し、御者は中を開けてフィロンがいて驚いた。更にメリルが快楽に染まった表情で押し倒されているのを目撃し混乱した。
「は……あ……」
衣服の乱れは2人共ない。だが、艶やかな吐息を零した姿に見惚れ――フィロンから強烈な殺気を食らった。情けない悲鳴を上げて逃げて行った。
「……」
キスだけでこんなにも乱れるメリルを、婚約を解消するせいで手放す。なんて考えはフィロンの中に存在しない。
幼い頃メリルが言ったのだ。
"私は殿下のものですよ!"
あの時から彼女は――抑々婚約を結ばれてから――フィロンのもの。誰が、何と、言おうと……
「メリル。お前はおれだけの所有物だ」
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