8 / 10
8
しおりを挟むとある日の昼下がり、執務室の窓から外を見たレスリーは庭にクレアがいるのを見つけた。
花を見ているにしては花壇から距離が近く、座り込んでいるようだ。
何をしているのだろうかと、レスリーは様子を確認しに庭へと降りることにした。
「クレア様、良い天気ですね」
「レスリー様、こんにちは」
少し急ぎ足でクレアの元に向かったが、そんなふうに何気なく声をかけた。
レスリーの声かけに反応して振り返ったクレアに、レスリーは驚いた。
クレアはどうやら花を食べているようだった。
だが、レスリーはなんとか驚きを隠して、また注意するようなことを言わないように意識してクレアに尋ねた。
「美味しいのですか?」
そう言って、レスリーはクレアが食べていた花と同じものを取って自分も食べてみた。
少し酸っぱいような変な味だ。
美味しいとは思わなかったが、食べられなくはなかった。
微妙な表情のレスリーにクレアは小さく笑った。
「前に王宮にいた時に、同じ花をよく食べていたんです。このお屋敷のお庭にも咲いていたのでつい食べてしまいました」
「そうだったんですね。この花はいろいろなところに咲いていますよね」
クレアが手に持つ黄色の小さな花はカタバミといって、実は花壇で育てている花ではなく雑草だ。
けれどレスリーは、今後は庭師に指示してその花の花壇を作ることにしようと決意した。
クレアがプレスコット公爵邸に来てから2週間が経とうとしていた。
初めてクレアが屋敷に来た日の夜、泣きながら眠りについた彼女は目が覚めると付き物が落ちたように明るくなった。
レスリーや使用人たちによく話しかけたり、屋敷の中を楽しそうに回ってみたりしていた。
その中で、クレアには全く意図はないのだろうが、普通とは違った驚くような行動をすることが多々あった。
きっと王宮ではほとんど1人で過ごしてきたクレアにとっては普通のことなのだろうが、プレスコット邸の人間たちは驚かされてばかりだった。
屋敷の主人であるレスリーはそのクレアの行動に振り回されてはいたが、レスリーにとってそのことは全く苦ではなかった。
「この花は幸運の花なんです」
クレアは新しく摘んだ花を口に運びながら嬉しそうにそう言った。
レスリーはこの花について名前は知っていたが、そういった話は聞いたことがなかった。
「幸運の花ですか?」
「はい。王宮にいた時、お腹が空いてどうしようもないと思っていた時に見つけました。食べても大丈夫なものなのか分かりませんでしたが、食べてみたらお腹を壊すこともなくちょっと元気にもなったんです」
「……そうですか。そんなにお腹が空くことがあったのですね」
「あ、でも、他にもお腹が空いている時に、空からうっかり鳥が落としたパンが降ってきたことがあったり、動物が起き忘れたのか扉の前に木の実が置いてあることもありました。そんな幸運ばかりでした」
クレアはそうやって明るく嬉しそうに話すが、レスリーは彼女に共感できず、酷く胸が痛んだ。
クレアは本心から良かったと思っているのだろう。
彼女は自分が置かれていた状況をおかしいと思うことなく受け入れてきたから。
クレアは話を聞いて黙り込んでしまったレスリーに、不安げな表情を向けた。
「私はまた何か、間違ったことを言ってしまいましたか?」
「あなたは何も間違っていません。あなたが色々なことに幸運だと思うことは素敵なことです。ですが、あなたの今までの状況は全部間違っています。あなたがそんなことをされていたことが許せません」
クレアの王宮での暮らしは普通以下で、本来なら当たり前に受け取れることさえ受け取れずにいた。
そんな環境にいれば常識など分かるはずもなく、幸運の基準も低くなるだろう。
彼女が幸運だと思えることは素晴らしいことだ。
けれど、今の彼女の幸運を当たり前にして、さらに幸運なことはこの世に溢れていることを彼女に知ってもらいたいと思った。
「クレア様。きっとあなたはこれから色々なことを知って、色々なことを感じていくと思います。その中で、僕と一緒に新しい幸運もたくさん見つけていきましょう」
レスリーは優しくクレアの手を取り、そう言った。
クレアは言われたことの意味を完全には分かっていないようだった。
けれど、レスリーからの提案に嬉しそうに頷いた。
執務室に戻ったレスリーは、机の上に置いていた報告書に目を落とした。
今朝届いたばかりの王宮でのクレアについての報告書だ。
クレアはハズレ姫と呼ばれ、王宮でも冷遇されていたのだろうと想像はしていたが、その報告書には予想以上のことが書かれていた。
小さい子供の頃からクレアを王宮内の小屋に追いやり、身の回りの世話も十分にしない。食事も十分には与えない。
王族としての教育をしないどころか、使用人さえクレアを王族として扱っていなかったという。
しかも、やはりクレアは成人していなかった。
成人まではあと半年あるという。
正直なところ、もっと幼いのではないかと思っていたが、王宮での生活では十分に成長できなかったのだろう。
そして、レスリーが一番気になっていたクレアの母親について。
クレアの母親が亡くなった原因は、やはりクレアが王宮の人間から言われていたようなものではなかった。
それどころか、クレアの母親は国王に殺されていた。
クレアが生まれてすぐに魔力がないと分かった国王がクレアを殺そうとした。
それを阻止しようとして、母親は殺されてしまった。
そして、殺される直前、彼女は最大級の加護魔法“母の敬愛”をクレアにかけた。
“母の敬愛”は実際にはまじないのようなものだ。
子供が大人になるまでに病気にかからないように、事故に遭わないように成長できますようにという願いを込めたもの。
だが、偉大な魔術師の母親がかけたそれは、まじないどころではなく国宝級の魔法といっても過言ではなかった。
クレアに危害を加えることはできないし、そんなことをした者には災いが降りかかるだろうとされていた。
だから、クレアは酷い扱いであっても生かされ、王宮に置かれていた。
加護魔法があるうちはクレアには誰も何もできない。
だが、母親の加護魔法が切れた後は、魔力も一切ないクレアを守るものは何もない。
もし、クレアがあのまま王宮で暮らし、成人を迎えて加護がなくなっていたら……
そうだった時のことを考えたレスリーは報告書を破り捨てたい気持ちになったが、部下が苦労して作成してくれたことを思い出して机に置いた。
そして心の内を整えるように、先ほどクレアが帰り際「これは特別に美味しそうです」と選んで渡してくれた花に視線を移した。
劣悪な環境にいたにも関わらず、純粋で優しい心をもったクレアには幸せになってもらいたい。
幸せにしてあげたい、そう思わずにはいられない。
……でも、彼女にとってのその存在が自分でいいのだろうか。
レスリーは鍵のかかった引き出しを開けて、1つの封筒を見つめた。
その中には、未記入の離婚届が入っている。
「またそんなもの眺めて。出すつもりなんてないくせに」
ティーセットを持って部屋に入ってきた執事のロイが呆れたようにレスリーに声をかけてきた。
「公爵家の主人に対して、なんて口の聞き方だ」
「これは大変失礼いたしました。使用人としてではなく、乳母兄弟としての助言が必要かと思いましたので」
ロイはトレイを手にしたまま器用に礼儀正しく深々と頭を下げた。
主人に対して手本のような所作ではあったが、どこか呆れた感じが伝わってくる。
ロイには全部見透かされているようだ。
侍女だったロイの母親を乳母として育ったレスリーはロイとは小さい頃は兄弟のように接していた。
楽しいことも悩みも共有してきた。
だから、ロイにはレスリーの今の悩みもバレバレなのだろう。
「怖いんだ。クレア様にもいつか見放される時が来るんじゃないかって」
「だから、その前にクレア様から離れようと?クレア様と必要以上に関わらないようにしようと?まあ、それは全然できていませんけど」
「うっ……それは……。クレア様は危なっかしくて放って置けないから。それに、彼女にはまだ助けが必要だ。だから、つい気にしてしまうというか」
「クレア様もレスリー様も楽しんでいらっしゃるのですから、それでいいのではないですか?」
そう、クレアと話すのも過ごすのもとても楽しいのだ。
だからこそ、これ以上親密になってから彼女が自分から離れていくようなことがあると考えると辛い。
レスリーにはこの屋敷の人間以外にほとんど親密な人間はいない。
親しかった人間も、皆、何度もレスリーの不運を目にするといつの間にか遠ざかっていく。
それは仕方がないことだ。
誰だって、そんな不運ばかりの人間と一緒にいたいとは思わないだろう。
巻き込まれることもあるかもしれないと、忌避するのは当然だ。
だから、レスリーは誰かと親密になることを諦めていた。
今のクレアは雛鳥のようなものだ。
不当な扱いから正当な扱いを初めて受けて、普通の世界を知り始めたばかりだ。
レスリーを好意的に見てくれているのも、まだ他の世界を知らないから。
クレアはレスリーの不運を何度か目にしているのに、レスリーと一緒にいることを嫌がらない。
レスリーと親しくなろうとしてくれている。
けれど、他にも王宮以外には素敵な人がたくさんいると知ったら、不運ばかりのレスリーにはきっと愛想を尽かして見捨てるだろう。
「……本当にそう思いますか?クレア様がそんな人間だと」
「思わない。彼女はそんな人じゃない!」
さすが、長い付き合いの男だ。
レスリーが考え、悩んでいることなどお見通しのようで、その上どう言えばレスリーにハッパをかけられるか分かり切っていた。
思わず声を上げたレスリーに対して、ロイはにっと兄弟に向けるように笑った。
「じゃあ、どうすればいいか分かるだろう?自分の心に従えばいいだけだ」
分かっている。
分かってはいるけれど、まだレスリーにはその言葉にすぐに頷くことはできなかった。
9
あなたにおすすめの小説
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
妹の身代わりだった私に「本命は君だ」――王宮前で王子に抱き潰され、溺愛がバレました。~私が虐げられるきっかけになった少年が、私と王子を結び付
唯崎りいち
恋愛
妹の身代わりとして王子とデートすることになった私。でも王子の本命は最初から私で――。長年虐げられ、地味でみすぼらしい私が、王子の愛と溺愛に包まれ、ついに幸せを掴む甘々ラブファンタジー。妹や家族との誤解、影武者の存在も絡み、ハラハラと胸キュンが止まらない物語。
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件
水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
以後、
寝室は強制統合
常時抱っこ移動
一秒ごとに更新される溺愛
妻を傷つける者には容赦なし宣言
甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。
さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――?
自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。
溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ
不機嫌な侯爵様に、その献身は届かない
翠月 瑠々奈
恋愛
サルコベリア侯爵夫人は、夫の言動に違和感を覚え始める。
始めは夜会での振る舞いからだった。
それがさらに明らかになっていく。
機嫌が悪ければ、それを周りに隠さず察して動いてもらおうとし、愚痴を言ったら同調してもらおうとするのは、まるで子どものよう。
おまけに自分より格下だと思えば強気に出る。
そんな夫から、とある仕事を押し付けられたところ──?
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
悪魔が泣いて逃げ出すほど不幸な私ですが、孤独な公爵様の花嫁になりました
ぜんだ 夕里
恋愛
「伴侶の記憶を食べる悪魔」に取り憑かれた公爵の元に嫁いできた男爵令嬢ビータ。婚約者は皆、記憶を奪われ逃げ出すという噂だが、彼女は平然としていた。なぜなら悪魔が彼女の記憶を食べようとした途端「まずい!ドブの味がする!」と逃げ出したから。
壮絶な過去を持つ令嬢と孤独な公爵の、少し変わった結婚生活が始まる。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる