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1 侵入者
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たくさんの荷物を背負い、ぬかるんだ山道をゆっくりと進む。
半日かけて中腹まで進んだところで、さっきまでいた村を見下ろせる位置の岩で座り、自分で焼いたニセを食う。
冬の仕事が終わり自分の家がある山頂へ向けて歩き出したのは早朝だった。
山道を進むにつれ、ぬかるんだ道にはチラホラと残り雪が見える。
手早く2つの焼いたニセを腹に収め、皮筒の水を一気に飲み、大きな荷物を背負い山道を再び上り始める。
「暗くなる前にはつけるだろう」
誰に言うでもなく独り言つ。
たくさんの荷物には仕事の謝礼として受け取った布や食料が入っている。
春から秋にかけて過ごす山頂での一人きりの生活の必需品だ。
獣道にも雪が積もり何の目印もない、俺でなければ到底たどりつけない山の奥。
いくつもの小川を越え、川の表面が氷ついた頃、ようやく俺の家が見えてくる。
冬の重い雪を屋根に1ムタレほど乗せたままの俺の家は、今年もその重さにつぶれることはなかったようだ。
家の前に植えた、初夏にほの甘い実をつけるリゼの木藪が動物に食い荒らされたのか幹だけを残した状態になっていた。
この辺の生き物は冬の間4か月間ほど冬眠をする。
冬眠が空けたばかりの今頃に、俺の家がある山頂まで登ってきた生き物がいるのか?
疑問を感じながら閂を開け、シンと音のない生き物が一切いない山頂に、硬質な音を響かせ家の扉を開いた。
窓を開け、鎧戸の鍵を開けると暗かった室内に初春の柔らかな光が差し込んだ。
キラキラを光を受け輝くホコリ越しに室内を見渡し、手早くランプに火打石で炎を灯す。
狭い家の中に机、椅子、竈が出て行った時のまま存在する。
懐かしい気持ちに浸っている暇はない。
荷ほどき、掃除と畑の種まきなどしなければいけないことが目白押しだ。
机に荷を降ろし、寝室にしている奥の部屋への扉を開こうとした時、何かの気配を感じた。
首の後ろの毛が逆立つ。
危険を感じ、竈の横にある火かき棒を手に低い体勢で扉を静かに開く。
真っ暗な寝室に確かに何かの生物の気配がする。
目が慣れてくると、ランプの光がおぼろげに寝室を浮かび上がる。
藁に布をかぶせただけの簡易な寝床があるだけの寝室。
鎧戸が閉まっている窓の上の小さな換気口が少し開いているせいで、外の雪が吹き込んだのか床には積もった雪が見える。
(一体いつから開いていたのか)
雪だまりの高さから推察するにかなりの間この状態だったのだろう。
何の音もしない寝室。
だが確かに何かの生き物がいる。
そう直感した俺は火かき棒を手にしたまま、気配のする寝床の向こう側へとランプを翳した。
寝床と壁の間の20ソンツほどの隙間に光る赤い目が見える。
火かき棒を握る手に力を籠め、ランプを高く翳すと白い塊が見えた。
「出ていけば殺しはしない」
獣に言葉が通じるはずもないのに独り言つ。
カサリと音をさせ身じろいだのを感じ、ジリジリと下がりながら窓を開き鎧戸を開ける。
外の光が差し込み薄暗かった寝室が明るくなる。
寝床の布は汚れ、木の葉や土が見える。
侵入者が寝床の向こうでゴソゴソと動き、隠れようと体を丸めている。
「ここは俺の家だ、出ていけば殺しはしない」
通じるわけもないのに、同じことをもう一度言うと思ってもみなかった返事が返ってきた。
『ここ、ボクのいえ、だ!』
カタコトなのに強い言葉で話す生物。
この頭に響く話し方は『心話』という獣人独特の言葉で、口を使わずに直接脳に語り掛ける言葉だ。
先ほど見た獣だと思い込んでいた赤い目は獣人だったのか。
しかも声質からしてまだ幼そうな侵入者は続けて言葉を発する。
『ここ、ボクのいえ!でてけ、しないと、…ぶつぞ!』
手にしていた火かき棒とランプを床に置き、寝床の向こう側をのぞき込むと
布の端にくるまりプルプルと震える生物が、赤い瞳を潤ませ精いっぱいの威嚇でにらみつけてくる。
寝床の下には小さな木の実の殻の残骸。
数日でこんなにはならないだろう、この部屋にはこの生物が生活した痕跡と匂いが充満していた。
「…おまえ、まさかここで冬を越したのか?」
ありえないことと思いつつ問いかける。
冬眠しない俺でさえ冬をここで越すなんてことはできやしない。
全ての生物が死に絶える凍てつく山頂。
食べ物なんて1つも手に入らないここで冬を越すなどと考えられないことだった。
寝室から出て扉を閉める。
いったいどこから入り込んだんだ?
窓も鎧戸も閉まっていた。玄関にも重い閂をかけていた。
雪が吹き込んでいた寝室の窓の上の小さな換気口。
まさかあそこから入ったというのか?
直径15ソンツほどしかない、部屋の空気を入れ替えるためのあの小さな穴を使って入ったとすればまだ幼体の獣人だろう。
こちらの部屋に入った形跡がないのは、扉が重すぎて開けなかったのか。
だとしたら食べ物が一切ない寝室であの獣人の子供はどうやって生き延びたのか。
そもそも、この山麓に生きる獣人たちはみな冬の間は冬眠をする。
秋に食べ物をたくさん取り、地下室で春が来るまで眠る。
そんな村で俺は異端児だった-----
***************
読んでくださりありがとうございます
半日かけて中腹まで進んだところで、さっきまでいた村を見下ろせる位置の岩で座り、自分で焼いたニセを食う。
冬の仕事が終わり自分の家がある山頂へ向けて歩き出したのは早朝だった。
山道を進むにつれ、ぬかるんだ道にはチラホラと残り雪が見える。
手早く2つの焼いたニセを腹に収め、皮筒の水を一気に飲み、大きな荷物を背負い山道を再び上り始める。
「暗くなる前にはつけるだろう」
誰に言うでもなく独り言つ。
たくさんの荷物には仕事の謝礼として受け取った布や食料が入っている。
春から秋にかけて過ごす山頂での一人きりの生活の必需品だ。
獣道にも雪が積もり何の目印もない、俺でなければ到底たどりつけない山の奥。
いくつもの小川を越え、川の表面が氷ついた頃、ようやく俺の家が見えてくる。
冬の重い雪を屋根に1ムタレほど乗せたままの俺の家は、今年もその重さにつぶれることはなかったようだ。
家の前に植えた、初夏にほの甘い実をつけるリゼの木藪が動物に食い荒らされたのか幹だけを残した状態になっていた。
この辺の生き物は冬の間4か月間ほど冬眠をする。
冬眠が空けたばかりの今頃に、俺の家がある山頂まで登ってきた生き物がいるのか?
疑問を感じながら閂を開け、シンと音のない生き物が一切いない山頂に、硬質な音を響かせ家の扉を開いた。
窓を開け、鎧戸の鍵を開けると暗かった室内に初春の柔らかな光が差し込んだ。
キラキラを光を受け輝くホコリ越しに室内を見渡し、手早くランプに火打石で炎を灯す。
狭い家の中に机、椅子、竈が出て行った時のまま存在する。
懐かしい気持ちに浸っている暇はない。
荷ほどき、掃除と畑の種まきなどしなければいけないことが目白押しだ。
机に荷を降ろし、寝室にしている奥の部屋への扉を開こうとした時、何かの気配を感じた。
首の後ろの毛が逆立つ。
危険を感じ、竈の横にある火かき棒を手に低い体勢で扉を静かに開く。
真っ暗な寝室に確かに何かの生物の気配がする。
目が慣れてくると、ランプの光がおぼろげに寝室を浮かび上がる。
藁に布をかぶせただけの簡易な寝床があるだけの寝室。
鎧戸が閉まっている窓の上の小さな換気口が少し開いているせいで、外の雪が吹き込んだのか床には積もった雪が見える。
(一体いつから開いていたのか)
雪だまりの高さから推察するにかなりの間この状態だったのだろう。
何の音もしない寝室。
だが確かに何かの生き物がいる。
そう直感した俺は火かき棒を手にしたまま、気配のする寝床の向こう側へとランプを翳した。
寝床と壁の間の20ソンツほどの隙間に光る赤い目が見える。
火かき棒を握る手に力を籠め、ランプを高く翳すと白い塊が見えた。
「出ていけば殺しはしない」
獣に言葉が通じるはずもないのに独り言つ。
カサリと音をさせ身じろいだのを感じ、ジリジリと下がりながら窓を開き鎧戸を開ける。
外の光が差し込み薄暗かった寝室が明るくなる。
寝床の布は汚れ、木の葉や土が見える。
侵入者が寝床の向こうでゴソゴソと動き、隠れようと体を丸めている。
「ここは俺の家だ、出ていけば殺しはしない」
通じるわけもないのに、同じことをもう一度言うと思ってもみなかった返事が返ってきた。
『ここ、ボクのいえ、だ!』
カタコトなのに強い言葉で話す生物。
この頭に響く話し方は『心話』という獣人独特の言葉で、口を使わずに直接脳に語り掛ける言葉だ。
先ほど見た獣だと思い込んでいた赤い目は獣人だったのか。
しかも声質からしてまだ幼そうな侵入者は続けて言葉を発する。
『ここ、ボクのいえ!でてけ、しないと、…ぶつぞ!』
手にしていた火かき棒とランプを床に置き、寝床の向こう側をのぞき込むと
布の端にくるまりプルプルと震える生物が、赤い瞳を潤ませ精いっぱいの威嚇でにらみつけてくる。
寝床の下には小さな木の実の殻の残骸。
数日でこんなにはならないだろう、この部屋にはこの生物が生活した痕跡と匂いが充満していた。
「…おまえ、まさかここで冬を越したのか?」
ありえないことと思いつつ問いかける。
冬眠しない俺でさえ冬をここで越すなんてことはできやしない。
全ての生物が死に絶える凍てつく山頂。
食べ物なんて1つも手に入らないここで冬を越すなどと考えられないことだった。
寝室から出て扉を閉める。
いったいどこから入り込んだんだ?
窓も鎧戸も閉まっていた。玄関にも重い閂をかけていた。
雪が吹き込んでいた寝室の窓の上の小さな換気口。
まさかあそこから入ったというのか?
直径15ソンツほどしかない、部屋の空気を入れ替えるためのあの小さな穴を使って入ったとすればまだ幼体の獣人だろう。
こちらの部屋に入った形跡がないのは、扉が重すぎて開けなかったのか。
だとしたら食べ物が一切ない寝室であの獣人の子供はどうやって生き延びたのか。
そもそも、この山麓に生きる獣人たちはみな冬の間は冬眠をする。
秋に食べ物をたくさん取り、地下室で春が来るまで眠る。
そんな村で俺は異端児だった-----
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