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 アイツは決して居間には入ってこない。
 寝室が自分の家だと言うように、居間は俺の家だという認識のようだ。

 これはたいそう助かる。
 アイツの手足は泥汚れで常に茶色くて、アイツが触れた窓の桟などの汚れがひどくて辟易とする。
 だがそれも仕方がないことだ。
 獣人の子供は親が毛づくろいして常に清潔に保つものだが、アイツにはそれがいないのだ。

 俺がしてやれればいいんだが--------


 未だに見える範囲には来ないアイツ。
 警戒感は薄れつつあるが、触れ合うなどということは到底できそうにもなかった。

 沢の水で手を洗う素振りをしつつ独り言つ。

「冷たい水が気持ちいいな。汚れた手もキレイになるしついでに顔も洗うか」

 早春の雪解け水で全身を洗うわけにはいかないが、手や顔くらいならガマンできないこともない。
 顔にもパシャパシャと水をかけ洗った後、腰に下げたボロ布で拭く。

「清潔にしないと病気になりかねないからな」

 もともと独り言の多かった俺だが、今はもう独り言ではない。
 頬がゆるむ、最近の俺は気づくと笑っていることが増えた。

 家へと水を運ぶべく来た道を戻りかけると、後方で水音がした。
 見えない場所まで行き、コッソリ振り返ると大きなふわふわした尻尾が見えた。

 やはり全身白いのか--------

 窓辺で見えた茶色い手は土汚れだったのか。
 ブンブンと左右に振られる見たこともないほど太く長い真っ白な尻尾。
 朝日を受けた体はキラキラと光り、雪の中であればどこにいるか見失うであろうことが伺える。

 見ていることを気づかれないうちに水桶を手に家へと戻る。


(アイツは置いてきたボロ布でちゃんと拭けるだろうか)


 気に掛ける誰かがいるということは幸せなことだ。
 両親が死んでからどれくらいたっただろうか。
 獣人のみならず獣や鳥までもが恐れて逃げ出す異質な存在アルゼ


 俺はこのまま一生孤独に死んでいくとばかり思っていた。




「火をくべる枯れ枝が減ってきたな、これではご飯が作れない」

 大きな声でそう言うと、寝室のアイツが寝床にしているカゴから出たであろう音が聞こえてくる。


「今日は山に枯れ枝を拾いに行くことにしよう」

 焼いたタエマラカスを腰袋に3つ詰めて、篭を背負い家を出る。
 扉を閉め閂を下ろしているとパタンと通気口の扉が開く音が聞こえる。

 獣道しかないような山道を、冬の雪の重みで折れて落ちている枯れ枝を集めて歩く。

「軽い乾いているヤツのほうが、よおく火がつくからな」

 篭を地面に置き少し離れた場所でかがんで枯れ枝を拾っていると、後ろのほうでアイツが走る音が聞こえる。
 10ムタレほど離れた場所から覗き見ると、小さな口で枯れ枝を咥えては篭へと運ぶのが見える。
 楽しいのか大きなフワフワの尻尾をブンブンと左右に振りながら、まるで宝探しをするように目をキラキラさせて弾むように走るアイツ。
 夢中になって注意散漫になってしまわないかハラハラする。
 近頃の俺が崖から離れた場所しか行かなくなったのは、あいつを危険な場所から遠ざけたいからだ。

 雪が融けるとこの山頂にも生き物が戻ってくる。
 アイツは俺以外の生き物を目にした時、どういう行動をとるんだろうか。

 アルゼ異質な存在ではあるが俺と同じではない--------

 誰からも恐れられ避けられる俺とは違ってアイツは見るからに愛らしい。
 持ってきた焼いたタエマラカスを倒木の上に1つ置き5ムタレほど離れた木の陰に腰かける。
 見ないようにしながら残り2つの焼いたタエマラカスにかぶりつくと芳醇な香りとともにあふれ出す汁が口いっぱいに広がる。
 植えてから7ドウほどで実がなるタエマラカスは、毎年1番最初に収穫できる神の恵みの作物だ。
 干してすりつぶして日持ちのする焼きベロッダにして食うこともできるし、焼かずにそのまま食べることもできる。
 チラリとアイツを覗き見ると、よっぽど美味しかったのかタエマラカスの芯まで食べようとしていた。

「芯は食えないことはないが旨くはないぞ、帰ったらもっといっぱいあるから芯は食うな」

 最近の俺は独り言ではなく、アイツに語り掛けるようになっていた。
 アイツも俺の言葉をよく聞き理解し行動するようになっていて




 俺は油断していた---------


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