クロと鈴香の将棋道-カラスが駒を見つけたら-

県田 星

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第4章 棋士の立場

第80話 カラスが軍曹と対局したら(その2)

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「まいったなあ」

水瀬石也みなせ せきや九段は思わず心境をもらしてしまう。
相掛かりを考えて研究していた構想が大きく崩れたからだ。

厳密に言えば、ここから相掛かりに進む可能性も十分にある。
ただし、その場合でも水瀬の構想とは完全に違ってしまう。

その声は小さかったが、向かいに座る鈴香と読み上げ係を務める宙奈々実ちゅう ななみ女流三段にはしっかり聞こえた。
盤を見ていた鈴香は顔を上げて水瀬を見たが、水瀬はたった2手だけ指した盤面に集中していた。
2人を横から眺める宙は、表情を変えずにチラリと時計を見る。

「1分経過しました」
「はい」

水瀬はジッと盤面を見つめたまま動かない。

「2分経過しました」
「はい」

「3分経過しました」
「はい」

ようやく水瀬が盤に手を伸ばす。
クロが歩を動かした筋の反対側にある歩に触れる。軽くつまんで1つ前に進めた。

パチリ

「先手、1六歩」

1筋と2筋にある2つの歩が、ともに1つ前に進んで並んだ。

「うーん、また難しい手ですねえ」

解説室にいる久利保秋くり やすあき九段が額に手を当てる。

「これも水瀬先生の研究なんでしょうか?」

聞き手の加納梅子かのう うめこ女流四段が尋ねると、久利が首を振った。

「どうかなあ。断定してはだめかもしれませんが、さすがに研究ではないと思います」
「そうなんですね」
「まあ言うなれば、悪くならない手、でしょうか」
「悪くならない手?」
「ええ、はっきりとプラスを目指すわけではありませんが、マイナスになりにくい手です」
「なるほど」

2人が盤面を見つめていると、クロが角道を開けた。

「後手、3四歩」

クロの側は1つ空けて2つの歩が前に進んだ。

パシッ

コトリ

パチン

カタッ

その後はパタパタと手が進む。

水瀬と同じようにクロも居飛車のままながら、既に定跡手順から外れている。

「ここまで同一手順となった公式戦の棋譜はありません」

加納が手元のタブレットを確認しつつ述べた。

「まさに前人未到ぜんじんみとうと」

そう言って久利が大盤の駒を動かす。
そこで加納が尋ねる。

「両方とも居飛車ですよね。相掛あいがかりではないんでしょうか?」
「うーん」

久利が腕組みする。

「確かに相掛あいがかりと言えなくはないんですけど…」
「ええ」
「既存の相掛あいがかりに当てはまらないんですよね」
「そうですね」

指し手に合わせて大盤の駒を動かす。

「ソフトの形勢判断はどう?」

加納はタブレットを確認する。

「えーっと、まだ、ほぼ互角ですね」
「これが新たな定跡形になるかもしれません」
「すると、水瀬先生とクロさんで新たな定跡の発見ですか?」
「あははっ、十分あり得ます」

逆に久利が加納に尋ねる。

「加納さんだったら、どっちを持ちたいですか?」
「ええっ!」

聞かれた加納が首をかしげる。

「水瀬先生の方が攻勢こうせいですよね」
「ええ、飛車角を含めて陣形が伸び伸びしています」
「クロさんの方が玉形ぎょくけいは固いと…」
「はい、そうですね」

加納はクロ陣の王将に触れる。

「私は自陣が固い方が好みなのでクロさんかなあ」
「ふーん、分かれましたね」
「すると、久利先生は先手持ちですか?」

加納に聞かれて、久利は「うんうん」とうなずく。

さばくのが好きな人であれbな、先手を持ちたいと思いますよ」
「なるほど“アーティスト”ですね」

久利保秋くり やすあき九段は、“さばきのアーティスト”や“カルサバ日本一”などのニックネームを持っている。いずれも軽くさばくことを得意とした指し口からついたニックネームだ。

「うん?そろそろ戦いが始まりそうですよ」

パチリ

水瀬が5筋の歩をつっかけた。

将棋には「戦いは歩の突き捨てから」の格言がある。
ここでクロが同歩と応じれば、解説の久利が好みそうな捌く展開になりそうだった。
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