クロと鈴香の将棋道-カラスが駒を見つけたら-

県田 星

文字の大きさ
34 / 113
第3章 七番勝負の開始

第34話 カラスと奨励会員が対局したら

しおりを挟む
土曜日の午後、馬場の家はいつもより賑やかだった。
鈴香に加えて、歩美と姉の菱子りょうこ、さらに馬場から連絡を受けた佐倉も来ていたからだ。
そしてもちろんカゴに入ったモルモットのホッペも。

「もう3級かあ。初めての女性棋士まで順調みたいだね」
「いやいや、初めての女性棋士は石川女流三冠だろうけど」
「ああ、そうか」
「でも、この調子なら5年後くらいには、菱子ちゃんも棋士になってるよな」
朝草将棋クラブで顔なじみの佐倉と馬場が菱子を持ち上げるものの、「…だと良いんですけど」と菱子は首を振って謙遜すると、肩のちょっと上辺りで切りそろえた黒髪が揺れる。

以前は歩美と同じように髪を長くしていたが、中学に入学したころから短く整えることが多くなった。
「あんまり余計な時間をかけたくないから…」
将棋の勉強に集中する時間を少しでも多く確保することが目的だ。

「三段リーグも厳しいですし」
「確かにな」
「むむ、そうだなあ」

史上5人目となる中学生棋士から若くして次々にタイトルを獲得した辻井八冠がきっかけとなって、戦後何度目かの将棋ブームが来ている。辻井八冠の活躍が大きな魅力に映るようで、棋士に憧れる子供達が増えた。必然的に棋士になるための機関である奨励会や、鈴香や歩美、以前の菱子も通っていた研修会を希望する子供達も増えている。

しかし会員が増えても、奨励会員から棋士、つまり四段になることができるのは基本的に年に4人。例外的な制度である次点2回を加えても5人のみ。
そうして出口が詰まった感じになっていることもあり、奨励会で最後の難関である三段リーグに在籍する会員は40人を超えた。半年に1回行われるリーグ戦を戦い上位2人に入る。もしくは次点2回を獲得するのは、相当の力量があっても難しい。

「まずは初段にならないと」
菱子が真剣な顔で目標を口にすると、馬場も佐倉も大きくうなずいた。

「ねえ、どっちが先に指す?」
鈴香がクロを連れてくると、歩美が菱子に尋ねる。
「私は後でも良いよ。って言うか、まずは直にクロの対局を見てみたいな」
菱子が譲ったため、まずは歩美がクロと2枚落ちで指すことになった。
鈴香が対局時計を持ってくる。

「時計は使う?クロも指した後に時計のボタンを押すようになったよ」
鈴香が言うと、歩美も菱子も、さらには佐倉も「へえ」と驚く。
「もっとも、時間は分かってないみたいだけど」
歩美が「…あのさあ」と呆れたような顔をする。
「まあ、将棋も分かっていないホッペよりはマシよね」
鈴香に反撃された歩美は、「それを言わないでよ」と抵抗した。

佐倉がスマートフォンで撮影の準備を終えると、歩美とクロの対局が始まった。
シュシュで髪を後ろに束ねた歩美が対局時計のボタンを押す。
それを見たクロが盤に乗って右側の銀をくわえる。

コトン

トットットットットッ

ポン

クロは銀を斜め前に置くと、盤上の駒を避けつつ対局時計の前まで歩いてクロ側のボタンをクチバシで押した。

「ほほぅ!」
「ふーん」
「へえ!」
佐倉、歩美、菱子が三者三様の反応を見せた。
そんな3人を見た鈴香は、どこか誇らしげだ。

ピシッ
ポン

後手の歩美は角道を開ける。
慣れた手つきで対局時計のボタンを押した。

その後も互いに一手ずつ進めていく。

コトッ

パチッ

カタン

ピシリ

駒落ち上手のクロは金銀4枚を中央に盛り上げていく。
飛車と角が無いことを除けば、先日の七番勝負の第1局を思わせる。

歩美は5筋に飛車を移動させた後、左右の銀を中央に展開させた。
王の囲いは最小限にとどめて、攻めの形を整える。

パチン

佐倉が驚く。
「もう…攻めるのか」
すぐにクロ陣へと攻めかかった。

通常の2枚落ちであれば、下手、つまりこの場合の歩美から攻めることが多い。
ただしクロの2枚落ちは下手よりも早く攻めるのが常だ。
そうしたクロの攻撃よりも、今回の歩美の攻撃はもっと早かった。

カタン

ピシッ

カタッ

パチッ

コトン

歩美は「ふぅ」と小さくため息をついて、パチン!と駒音高く角を銀と交換する。

コトッ

パシッ

トコン

パチッ!

さらに激しく攻め立てて、クロ陣深くに飛車を成り込むことに成功した。
クロ陣はスカスカな上に、歩美の持ち駒は銀が2枚に桂馬、そして歩が2枚と攻撃を続けるのに十分だった。

奨励会員の菱子だけでなく、アマ有段者の佐倉や馬場の目にも歩美が優勢だと分かる。もちろん、クロの側で手助けしている鈴香も、それを感じていた。ここからどのように歩美が詰みまでまとめていくか。そんな風に見ている人達の雰囲気が緩む一方、盤面を見つめつつ前のめりな歩美の姿勢は変わらない。

パチン

コトッ

ピシリ!

クロの王の頭に歩美の銀が成った。

「クワア」
クロが弱々しく鳴いて、駒台に羽根を乗せた。
「クロが『負けました』って」
それを聞いた歩美も「ありがとうございました」と頭を下げた。
菱子、そして馬場と佐倉が拍手する。
「とことん攻め切ったねー」
馬場の褒め言葉に、ようやく歩美の顔が緩む。
「ありがとうございます」

鈴香は「クロー、お疲れ様」とクロを手招きすると、カニカマを小さく切ったもの鼻先に出す。
クロは「いただきます」と言うように「クワッ」と鳴いて、カニカマを食べた。
「次は菱子お姉ちゃんとだけど、大丈夫?」
鈴香の問いに、クロは元気よく「カア」と鳴いた。

歩美の座っていた場所に菱子が座る。
馬場が「手合いはどうする?」と聞く。
「飛車落ちか、飛香落ちくらい?」
「うーん」
しばらく悩んだ末、菱子は「飛車落ちで」と答える。
これまでの対局を考えると、下手、つまり菱子にちょっと厳しいハンデだ。

鈴香と菱子が駒を並べ終えた後、駒箱に除けておいた角を鈴香がクロ陣に並べた。
「よろしくお願いします」
「お願いします」
菱子と鈴香が礼をすると、クロも頭を下げつつ「クワッ」と鳴いた。

菱子が対局時計のボタンを押す。
クロは左側の銀をクチバシでくわえて、斜め前に置いた。

コトン

トットットットットッ

ポン

対局時計のボタンをクチバシで押す。

パチン

菱子はすぐに角道を開けた。

カタン

クロは5筋の歩を突く。

ピシリ

一瞬、その歩に菱子が視線を留めたものの、飛車先の歩を突いた。

コトッ

クロは5筋に銀を上がる。

徒野流あだしのりゅうだ」
「ああ」
佐倉や馬場が小声で話す。

アマチュア強豪が発案した戦法である徒野流あだしのりゅう。その後も様々な工夫を加え、棋士の公式戦などでも指されるようになっている。初手に銀を動かす戦法は異色ながらも、辻井八冠も「一本筋の通った戦法」と評したことで有名だ。

ただし、今のクロ陣は飛車落ちであり、攻めも守りも手薄になるのは避けられない。

パチン

カタッ

ピシリ

コトン

その後は菱子は飛車の前に右の銀を繰り出して棒銀模様に、クロは角を引いて2つの銀を中央から盛り上げて行く。

パチッ!

“戦いは歩の突き捨てから”の格言に沿うように菱子が歩を突く。
そこから菱子の攻撃が始まった。

棒銀は銀が5段目に進めば成功と言われることが多い。
もちろん理想的には敵陣を破ることができれば良いのだが、相手も守っているだけに簡単には行かない。
また、攻撃の銀と守りの銀を交換できれば成功ともされている。それを目指す意味でも銀を5段目に進めることを目指す。仮に銀を交換できなくても、5段目まで進んだ銀は敵陣を圧迫するのに十分だからだ。

コトン

クロも負けてはいない。
すんなりと菱子の指し手に乗るような格好をしつつ、右に展開した角で飛車の小びんを狙う。小びんは漢字で「小鬢」と書き、元は頭の左右側面のやや前、こめかみの辺りに生える髪を表す言葉だ。将棋では飛車の弱点である斜め前を指すことが多い。縦横には大きく働く飛車も斜めの弱点を攻められると、あっけなく崩れることがある。

ピシリ

カタッ

パチン

コトッ

「どっちが良い?」
「難しいなあ。ただハンデの飛車落ち分は少し詰まってると思う」
アマ強豪である佐倉の判断は間違っていなかった。

棒銀から始まった菱子の攻撃は厳しかったが、クロの反撃は一段上だった。
中盤以降、指し手を重ねるごとにクロ陣の金銀が盛り上がり、菱子陣の攻め駒である飛角銀が押し込まれていく。

「うーん」
ここまで1分前後で指していた菱子の手が初めて止まる。
そのまま2分、3分と時間が過ぎた。
さらに4分、5分と持ち時間が減って行く。
元より、厳密な持ち時間を定めた対局ではなかったものの、5分を超えるような時間の消費は珍しかった。

菱子は小声で「よし」とうなずくと、角でクロ陣の金を取る。

「クワッ」
クロが鳴く。
そして菱子の顔を見上げた。

ほぼ同時にクロ以外の人間から「あっ」とか「えっ」とかの声が漏れる。
クロが対局相手の顔を見る意味を分かっているからだ。

クロは菱子の角をくわえて駒台に移すと、空いた升目に銀を置く。これは当然の一手。しかしながら、そこからはクロの丹念な指し手を追っかけるばかりになった。

菱子は取った金をクロ陣深くに打ち込んでクロ陣の裏側から荒そうとするが、クロは桂馬や香車を巧みに動かして、それ以上の駒損を防ぐ。手数を重ねて菱子の金がクロの香車をとるものの、それ以上の戦果は望めそうになかった。

「駒割は角と金香の交換だけど…」
「ただ金が遊び駒になってるから」
「だよなあ」

通常、大駒である飛車や角と金香や銀桂など小駒2枚との交換であれば、小駒2枚の方が良いとされる。
“二枚替えなら歩ともせよ”なんて格言があるのも、それにかなったものだ。
しかしそれは取った駒が十分に活躍しての話。クロ陣で香車を取った菱子の金は、その後の働きが望み薄だ。

カタン

パチッ

カタッ

パチン

コトッ

菱子が飛車を動かしたところで、クロは菱子から貰った角を打ち込んだ後、自陣に成り返して馬を作る。“馬の守りは金銀三枚”とあるように、クロ陣に元からある金銀と引き付けた馬とがガッチリ組んで守る。

ピシリ

コトッ

パチン

カタッ

「ふぅ」
菱子は一息ついて「負けました」と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「クワッ」
鈴香も深く一礼し、クロも羽根を広げつつ数回頭を下げた。

菱子陣の玉将は手つかずであり、最後まで詰まされるまでには、まだまだ手数がかかるだろう。それでも攻め駒の要である飛車が封じ込められており、2枚目の角が成るのがほぼ確実になった局面では、クロを相手に逆転は難しいだろう。

「角切り…だったのかなあ」
佐倉が局面を戻す。
クロが菱子の顔を見上げたところだ。
「それほど悪い手ではないと思うけど…」
馬場の言葉に佐倉も「うん」とうなずく。
「ただ、クロが相手では響かなかったな」
「じゃあ、どうすれば…」
その局面を前にしながら誰も手を出さない。
皆、クロが動かないかと待っていた。
しかしクロはクチバシで羽根を繕うばかりで、全く盤面に興味を示さなかった。

「まあ、それまでにもジワジワと押されていたからなあ」
佐倉が一手ずつ局面を戻していく。
「クワッ」
中盤の入り口まで戻ったところで、クロが盤に跳び乗った。
「おっ!」
佐倉が手を引っ込めると、クロが菱子の角をくわえて、クロ陣の歩のあるところに重ねた。
「ここで角切り?」
佐倉が歩を菱子の駒台に乗せる。

角と歩の交換ながら、実質的には角損になる手。

しばらく皆が考える中で、菱子が「あっ」と口に出す。
「歩が1枚増えるんなら…」と数手進める。
佐倉も「そうか」と気づいた。
鈴香と馬場は分からなかったが、「ここに歩を垂らせば…」と佐倉が言ったことで鈴香が気づいた。
「そっか、と金が厳しいんだね」
佐倉が駒音高く歩を裏返す。
「これならクロは桂香を逃げづらいし、クロが角を打ち込む隙もほとんどない」
「終盤はともかく、飛車落ちのハンデは十分に生きるわけか…」

その後も4人での検討が繰り返される。
感想戦を分かっているのか分からないのか、クロは羽根をつくろいつつ時折盤面に目を向けるばかりだった。

「ありがとうございました」
ひと通り振り返った後、菱子が再度一礼して座布団から立ち上がる。

「もう1局行けるかな?」
佐倉の問いに、鈴香が「大丈夫だって」とクロの頭を撫でつつ答える。
「ちょっと考えてきた作戦があるんだ」
空いた座布団に座った佐倉と鈴香が駒を整えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

処理中です...