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<前編>

第2話 リリアン・オッソーというメイド

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 オーディーンメイド紹介所はイベント時やメイド短期間増員などに、質の良いメイドを派遣するメイド派遣会社だ。この場合の質の良いとは、出しゃばらず、口数は少なく、言われたことは完璧にやってのけることを指す。ずっとそこで働くならいざ知らず、短期のメイドに望まれるのは気が利くことでも頭がいいことでもなく、言われたことを適確に受け取り遂行することだ。仕事内容は下級使用人から上級使用人の仕事、そして料理までなんでもござれだ。わたしはそこの稼ぎ頭である、リリアン・オッソーを名乗っている。

 噂話を嫌う貴族は、働き手を長く雇い外に情報を漏らさないようにする。だから事業として立ち上がった時、派遣のメイドなんて見向きされないと誰もが思った。ところが事業は成功した。メイドの教育を徹底したからだ。本当のところ、資金繰りに困っている貴族なんかもいる。そんな貴族たちはいつも従業員を余剰に抱え込むのは辛かった。それが夜会や何かあるイベントの時だけ働き手を雇うことができ、口は固く礼儀作法も身についていて、その仕事は完璧となれば使わない手はない。オーディーンメイド紹介所はたちまち有名になった。他にも真似するところも出てきたけれど、メイドの質がものをいい、オーディーンは生き残ってきた。
 そしてこのオーディーンメイド紹介所を立ち上げた裏の功績者は何を隠そうわたしである! 表舞台にはオーディーン夫人に立ってもらっているけどね。

 リリアン・オッソー、18歳。背の高さも普通なら、佇まいも、空気感も、あれ?いたっけ?と思わせるぐらいに地味だ。榛色の髪のウイッグをつけ、ありふれた茶色の瞳をしている。特徴と言えば右目の下にキャムの根汁で泣き黒子を描いているので、そこに印象は集まるだろう。キャムの根汁で描くとリポナ蜘蛛の糸を溶かしたお湯でしか落とすことができないので、こういう使い方にもってこいなのだ。
 メイドは空気になれないといけない。決して目立つことなく、ご主人様たちの必要な時に、必要なところだけ手助けすることが重要だ。目立ちはしないが頼れば心強い存在。わたしはそうあるよう心がけてきた。

 なんて。〝できるメイド〟というのは仮の姿で、わたしはただの16歳の男爵令嬢に過ぎない。ファニー・イエッセル・クリスタラー。それがわたしの本当の名前だ。なんで令嬢が偽って働いているかって? それは我が家が果てしなく貧乏で、爵位が高くもないのに特殊な血筋ゆえに働いてはいけないとされているからだ。
 働いちゃいけない? 働かなければお金は入ってこない。お金がないのにどう生活して、どう生きろと? わたしは真剣に問いたい。

 わたしが事故で両親を亡くしたのは10歳の時だった。父の歳の離れた弟である当時18歳の叔父が当主となりわたしを引き取ってくれた。父の代の時にはすでに貧乏だったが、叔父は優しく信じやすい性格が災いし、妻に迎えた人に散財され借金を背負わされ、そして離婚した。それまで貧乏だったのが借金というマイナスにまでなった。

 わたしは両親を亡くしてから、ある日唐突に前世のことを思い出した。前世のわたしは日本という国に住む、派遣会社に登録して働く普通の女性だった。いろんな会社の仕事に行った。派遣社員に優しい会社もあれば、数日のお手伝いということでこき使うだけ使うスタンスの会社もあった。でもわたしは概ね楽しんで暮らしていたようだ。
 新しく生を受けたということは、何かしらで死んだのだろうけれど、その記憶ははっきりしていない。ただ30代ぐらいまでの記憶しかないから、そのあたりで何かあって亡くなったのかなと思っている。

 叔父を叱咤してたくましく生きてこられたのは、その記憶があったからだと思う。叔父とは8つしか歳が違わないこともあり、小さい頃から「お兄様」と呼んでいた。兄弟はいないがお兄様がいるから淋しくなかった。

 10歳のわたしが手にすることができたのは、聖地と呼ばれるだけの広い森、修繕費ばかりがかかるボロボロの屋敷、母から叩き込まれた作法、父から受け継いだ食べることへの尽きない興味、そして前世の記憶だった。ただわたしは10歳で、働くことは難しくまた体力もなかった。

 そんなとき、領地にフラッと現れたのが未亡人になり悲しみに囚われていたオーディーン夫人だった。夫人は悲しみの中にいた。そしてほとほと困っていた。亡くなった夫の遺言状を親族たちにいいようにとらえられ、夫人は屋敷以外全てを取られてしまったのだ。夫の死を悲しんでもいられないのがまた悲しくて、そんな自分がいやで辛いのだと、10歳の子に偽ることなく心を明かしてくれた。
 わたしは夫人の力になりたいと思った。大切な人を亡くしたやるせなさも、でもそれだけに心を置いておけないのが生きていくことだと思うことも、シンパシーがありすぎて放っておけなかった。わたしは毎日夫人に話しかけ、親しくなり、ついにはメイド派遣業の構想も話した。最初はお愛想で聞いていた夫人だが、熱心に語るうちに彼女の中でその事業は形になっていった。
 紆余曲折あったが彼女はやり遂げ、オーディーンメイド紹介所は立ち上がった。そしてわたしが14歳になってからは雇ってもらっている。おかげでこうしてバレずに働きに出ることができ、なんとか暮らしていけている。

 普通の男爵家なら貧乏なこと以外に問題はなかったんだよね。貧乏なら働けばいいだけの話だ。
 領地がねー。それも何百年以上も前の話。もともと領地はクロエール王国という小さい国だった。精霊に好かれ精霊と暮らし、魔力が多いものが生まれたらしい。特に精霊に好かれるのは薄い緑色の髪と翡翠色の瞳を持つ乙女だった。王族の女性は緑の髪と翡翠の瞳を持つものが必ず生まれ、緑の乙女と呼ばれた。クロエール王国は精霊の生まれる森を所有し守ってきた。だが、その血筋と精霊の森を侵略する国が現れた。ゲルスター王国だ。
 ゲルスターから見て、クロエールの先にある2つの国が土地が豊かな上、鉱物も出てそこに目をつけていた。2つの国を取り入れるためにその間にあるクロエールを足掛かりにしたのだ。
 クロエールの王女はゲルスターの王都に連れ去られたそうだ。緑の乙女が精霊の森という聖地を離れて少しすると、天候が荒れ狂い、農作物が枯れていった。自分には見えない精霊を信じていなかったゲルスターもこれには驚き、すぐに王女は聖地に戻された。やはり不可侵な場所なのだと人々は恐れたが、王はクロエールをゲルスター王国の一部にしたことは変えなかった。ゲルスターの中の領地としてクロエールの血筋のものに爵位を与え管理を任せた。それがクリスタラー家の始まりとされている。なにぶん昔話なのではっきりしたことはわからない。ただその領地にいて森さえ守っていればいいからと男爵という爵位を持たせたという。

 そんな経緯から、クロエールの血筋は領地から長く出てはならないとされた。精霊を二度と怒らせないようにと。だからクロエールはいつもクロエールの領地内で穏やかに暮らしていなくてはならない。国から雀の涙ほどのお金はもらっている。が、国としては小さくても領地としては決して小さくない。古い屋敷の修繕はそれだけでは絶対に賄えない。無駄に費用がかかるのだ。森以外、特に豊かな何かがあるわけでもなく、領民は影ひなたなく働いてくれているが、それだって暮らしていくのに精一杯。
 そもそも精霊がいるとは本当のことなのか怪しいぐらいだし、もう昔話だし、髪と瞳の両方に緑を持つ乙女はもう何代も前から生まれていない。だから一層のこと自由にしてほしいと望むがそれも許されず、お兄様に女の子が生まれない限り、身に緑を持っていなくても、女はわたしだけなので現・緑の乙女(仮)なのだ。緑の乙女は、精霊の元でただ幸せに在ることを望まれている。緑の乙女は働いてはいけないらしい。国から支払われるお金はそのためのものなのだ。

 本当の髪の色は明るくない緑だが、小さい頃からそれを赤い葉の根汁で染めている。緑を持っていると変に担がれたりすることを危惧して両親がしてくれたことだ。緑の毛を赤色で染めると、暗い赤毛に見えるのだ。瞳は薄い茶色だ。瞳こそ隠せないから瞳が緑色でなくて本当によかったと思う。
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