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第九章 出戻り貴妃は皇帝陛下に溺愛されます
溺愛
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再び後宮での生活に慣れるのは簡単だった。何もせずとも良かった。全ては侍女と宮女がやってくれる。ただ寝て起きて食べるだけ。自堕落な生活に厭けば、陛下が贈ってくれた書物の叡智が精神を満たしてくれる。
ただ宮にこもってばかりいては、身体が鈍ってしまいそうだった。
夜の帳とともに訪れた奕晨に私は聞いた。
「黒曜はどこにおります?」
その質問をした私は少し驚いたようだった。
「黒曜というのは、龔鴑から雲泪が乗って帰ってきた馬のことか」
「そう、私たちと帰ってきたでしょう?」
私ははやる気持ちを抑えながらも、前のめりになってしまう。陛下は穏やかな笑顔で私に答えた。
「厩舎に入れてある。繁殖させたいけれど既に10月を過ぎて適当な雌馬がみつからない。繁殖は年が明けてからになるだろうね。会いたいなら取りはからおう」
私を抱き寄せて、低い声で続けた。
「ところで、あれは王の馬かな?」
なぜ、そんな質問を陛下がするのか分からない。
「ええ。そうだけど、なぜ?」
「古の時代に、我が国が数十万の兵を差し向けたとも言われている馬だよ。それでも王の馬など手に入らなかった」
奕晨は愉快そうに笑った。
「だからね、手に入れた宝は二つじゃない。黒曜を含めれば三つということになる。そなたはこれまで数十万の兵が成し遂げられなかった偉業をたった1人でやったわけだ」
「そんな…無我夢中だっただけよ…」
上機嫌な陛下とは裏腹に、私は少し困惑していた。私のことを買い被りすぎというか、褒めすぎる陛下に居心地の悪さを覚えたわけではない。そんなことはどうでもいい。
奕世の愛馬だということを突然思い出してしまったのだ。その居場所を聞いた時、私は黒曜に乗りたかっただけだった。だけど、奕晨の言葉を聞いて、仕方なかったとはいえ、私はとんでもない事をしたのではないかと思ってしまった。
果てない悠久の草原で、黒曜を駆る奕世の残像はまだ脳裏に鮮やかだった。黒曜は彼のもので、あそこにいるべきだ。
「雲泪聞いて」
今夜の陛下の声は低くて穏やかで柔らかいのに、まるで真綿で首を絞めてくるような威圧感があった。
「龔鴑との戦争は避けられなさそうだ。そなたを差し出す気も、あの馬を返す気も全くない」
「私を要求されているの?」
陛下の言葉はそう聞こえた。
「そなたと堯舜、そして黒曜が向こうの要求のようだ」
奕世の怒りがどんなものか、今どんな状態か想像しただけで何故か指先が震えた。私が失いたくなかったなら…大事にすれば良かっただけじゃない。恐怖と怒りが入り混じっていた。
「こちらも銀蓮を返してほしいと思っている」
その名を耳にすると、冷水をかけられたかのように心臓がキュッとなる。私の変化に気づいた陛下は優しく抱きしめてくる。
「雲泪身体が冷えて震えてる。寒い?」
言葉を出せずに、震える私に陛下はもう微笑んでなどいない。
「可哀想に、怖がらせてすまない。雲泪をそこまで怯えさせる龔鴑など全て八つ裂きにして皮を剥いで犬の餌にしてやろう」
あまりの言葉に私は思わず奕晨を見る。私の肩を頭を撫でて、落ち着かせようとしている。
「やめて…」
口が渇く。掠れて、うまく声にならない。
「奕世は…あなたのお兄さんだから…平和的に話し合えば…」
「話せばわかるとでもいう?本気で言ってる?」
奕晨の声は部屋に冷たく響いた。私を抱きしめたままなのに、奕晨はすごく遠く感じる。
脳裏に奕世と初めて唇を重ねた時が映る。
「兄弟だもの、一度会って話をすれば…」
「きっと分かり合える?本気で言ってる?」
真っ直ぐ弓で射抜くような視線で、私の心に矢が刺さる。
「雲泪は龔鴑の王を名前で呼ぶんだな」
陛下の手が私の髪を掴む。耳元で囁く。
「もしかして死んでほしくないと思っている?」
私の髪を掴んで押し倒すと、陛下が私に馬乗りになった。
「いや、やめてっ」
「あの男がそなたを愛しただけでなく、あの男に抱かれて情が移っているのか?」
答えない私の唇を奕晨の舌がこじ開ける。
「奕晨、やめ…てっ…」
激情にかられる陛下を見るのは初めてだった。
「安心するがいい。彼の国を必ず滅ぼし、あの男を切り刻み犬の餌にしてくれよう」
奕晨はそう言うと、東の空が白けるまで幾度となく私を抱いたのだった。
ただ宮にこもってばかりいては、身体が鈍ってしまいそうだった。
夜の帳とともに訪れた奕晨に私は聞いた。
「黒曜はどこにおります?」
その質問をした私は少し驚いたようだった。
「黒曜というのは、龔鴑から雲泪が乗って帰ってきた馬のことか」
「そう、私たちと帰ってきたでしょう?」
私ははやる気持ちを抑えながらも、前のめりになってしまう。陛下は穏やかな笑顔で私に答えた。
「厩舎に入れてある。繁殖させたいけれど既に10月を過ぎて適当な雌馬がみつからない。繁殖は年が明けてからになるだろうね。会いたいなら取りはからおう」
私を抱き寄せて、低い声で続けた。
「ところで、あれは王の馬かな?」
なぜ、そんな質問を陛下がするのか分からない。
「ええ。そうだけど、なぜ?」
「古の時代に、我が国が数十万の兵を差し向けたとも言われている馬だよ。それでも王の馬など手に入らなかった」
奕晨は愉快そうに笑った。
「だからね、手に入れた宝は二つじゃない。黒曜を含めれば三つということになる。そなたはこれまで数十万の兵が成し遂げられなかった偉業をたった1人でやったわけだ」
「そんな…無我夢中だっただけよ…」
上機嫌な陛下とは裏腹に、私は少し困惑していた。私のことを買い被りすぎというか、褒めすぎる陛下に居心地の悪さを覚えたわけではない。そんなことはどうでもいい。
奕世の愛馬だということを突然思い出してしまったのだ。その居場所を聞いた時、私は黒曜に乗りたかっただけだった。だけど、奕晨の言葉を聞いて、仕方なかったとはいえ、私はとんでもない事をしたのではないかと思ってしまった。
果てない悠久の草原で、黒曜を駆る奕世の残像はまだ脳裏に鮮やかだった。黒曜は彼のもので、あそこにいるべきだ。
「雲泪聞いて」
今夜の陛下の声は低くて穏やかで柔らかいのに、まるで真綿で首を絞めてくるような威圧感があった。
「龔鴑との戦争は避けられなさそうだ。そなたを差し出す気も、あの馬を返す気も全くない」
「私を要求されているの?」
陛下の言葉はそう聞こえた。
「そなたと堯舜、そして黒曜が向こうの要求のようだ」
奕世の怒りがどんなものか、今どんな状態か想像しただけで何故か指先が震えた。私が失いたくなかったなら…大事にすれば良かっただけじゃない。恐怖と怒りが入り混じっていた。
「こちらも銀蓮を返してほしいと思っている」
その名を耳にすると、冷水をかけられたかのように心臓がキュッとなる。私の変化に気づいた陛下は優しく抱きしめてくる。
「雲泪身体が冷えて震えてる。寒い?」
言葉を出せずに、震える私に陛下はもう微笑んでなどいない。
「可哀想に、怖がらせてすまない。雲泪をそこまで怯えさせる龔鴑など全て八つ裂きにして皮を剥いで犬の餌にしてやろう」
あまりの言葉に私は思わず奕晨を見る。私の肩を頭を撫でて、落ち着かせようとしている。
「やめて…」
口が渇く。掠れて、うまく声にならない。
「奕世は…あなたのお兄さんだから…平和的に話し合えば…」
「話せばわかるとでもいう?本気で言ってる?」
奕晨の声は部屋に冷たく響いた。私を抱きしめたままなのに、奕晨はすごく遠く感じる。
脳裏に奕世と初めて唇を重ねた時が映る。
「兄弟だもの、一度会って話をすれば…」
「きっと分かり合える?本気で言ってる?」
真っ直ぐ弓で射抜くような視線で、私の心に矢が刺さる。
「雲泪は龔鴑の王を名前で呼ぶんだな」
陛下の手が私の髪を掴む。耳元で囁く。
「もしかして死んでほしくないと思っている?」
私の髪を掴んで押し倒すと、陛下が私に馬乗りになった。
「いや、やめてっ」
「あの男がそなたを愛しただけでなく、あの男に抱かれて情が移っているのか?」
答えない私の唇を奕晨の舌がこじ開ける。
「奕晨、やめ…てっ…」
激情にかられる陛下を見るのは初めてだった。
「安心するがいい。彼の国を必ず滅ぼし、あの男を切り刻み犬の餌にしてくれよう」
奕晨はそう言うと、東の空が白けるまで幾度となく私を抱いたのだった。
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