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第五章【僕は僕の仕事をするだけさ】

第36話『舞のやりたいことをしましょう』

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 ……こんなの、私は絶対に認めない。

「お、お姉ちゃん……体が凄く熱い……」
「わかったわ、すぐに新しい氷を持ってくるわね」

 私はすぐに立ち上がり、台所へ向かった。


 舞が深刻な状況に陥ってしまっているのは、素人の私でもわかる。
 だけど、ここで救急車を呼んで、一時的に助かったとして、その後は? 私の妹はどうなってしまうの? 国の研究材料として、その命が絶えるまで苦しい想いをし続けなければならないの?
 ふざけないで。
 そんなことは絶対にさせない。絶対に。

 氷枕に氷を敷き詰めるのも今日で五回目。
 まだお昼だというのに、あと何回続くのかしら……自分の手だというのに、冷たさに真っ赤になってもどこか他人事に思ってしまう。
 冷たくたって、切れて血が出たって関係ない。
 これは自分のためにやってるんじゃない、舞のためにやっているのだから、痛くも痒くもない。
 だってそうでしょう、今現在苦しんでいるのは私じゃなくて舞なのだから。

 よし、二つ分できた。
 早く舞のところへ。


「舞、新しいのを持ってきたわよ」
「ありがとう」

 舞は、辛そうに顔を赤く染めている。
 苦しそうに「こほんっこほん」と何度も咳をして。

「ちょっと体をごろんとするわね」
「うん」

 そっと、優しく毛布と掛け布団を剥がす。
 辛そうにしているところごめんなさいね。

「よし、終わったわよ」
「お姉ちゃんありがとう」

 首の裏と膝の裏にある氷枕を取り替え終えた。
 熱さまシートも交換してあげて、首の付け根ぐらいのところに薬も塗って、と。
 大体これぐらいで大丈夫かしらね。

「舞、そろそろお昼ご飯の時間だけど、何か食べたいものはある?」
「な、何が食べたいのかな」
「……そうよね。病人に食べたいものを訊くのはダメよね。喉が通りやすい。うどんとかおかゆにしましょう」
「……あっ」

 立ち上がろうとした時だった。

「私の一番大好きな、生姜焼き定食……が、食べたい、な」
「……」
「しかも、ちゃんとしたフルセット。あったかくてほくほくのご飯、シャキシャキサラダの上に乗った豚の生姜焼き――」
「体の芯から温まるアサリの味噌汁、キンキンに冷えたアセロラジュース、最後に小皿に分けられた梅干し」
「そうそう、それそれっ」
「良かったわ。偶然、昨日買い物へ行った時に材料を揃えられていたから、今すぐに作れそうよ」
「やっ――こほんこほん……やったー」

 こんな苦しそうな姿を、私が目線を逸らしてはいけない。

「独りにさせちゃってごめんなさい。できるだけ早く作り上げるから待っててちょうだい」
「うん、私は大丈夫だから。いってらっしゃい」

 私は駆け足で台所へ向かった。
 まるで、舞が苦しんでいる姿を少しでも見なくて済むかのように。



「ごめんなさい。舞のことを考えて、量は少なくしたわ」
「ううん。全然大丈夫だよ」

 お盆を一旦照明台へ置いて、体を起こすのを手伝う。
 体は発熱しているせいで、熱々になってしまっている。
 それに、背中を触った瞬間に分かるほどには沢山の汗をかいていた。

「ご飯が終わったら、お姉ちゃんが体を拭いてあげる。そして、お着替えもしましょうか」
「何から何まで、本当にありがとう」
「良いのよ。こういう時ぐらい、何も考えずに甘えなさい」

 舞はゆっくりと食べ物を口の中に運んでいく。
 時折咽ながらも、確実に咀嚼している。

 こんな時にこそ、願ってしまうものね。
 どうか今までのことが間違いで、このご飯を食べている最中に元気を取り戻してしまうのではないか、と。
 いつもみたいに、ガツガツと行儀の欠片もない食べ方をして、「美味しい、美味しいっ」て言ってほしい。

 今では、頭の端にあった程度の懸念が現実を帯びてきてしまっている。
 舞は自分で体を見渡せないからわかっていないのだろうけれど、介抱している私は目を背けられない。
 数日前にあった黒い痣は、今はもう背中全体まで広がっている。
 これはニュースでやっていたことがそのまま起きていて、風邪の症状などもそのまま。
 汗を拭くついでに、少しだけ強くこすってみたけれど、タオルに極微少たりとも付着しなかった。直接手で触っても変わらず。
 だからこそ私は疑問に思った。
 こんな世にも奇妙な現象を、医者に診せたところで何が変わるのかを。

 ……確かに言っていたわ。
 この【黒霊病】という病気の疑いがある人は、通常の病院へ行かず、国立病院に電話をしろ、と。
 でも、だからと言って治る保証は? 病院に運ばれた後は?
 間違えなく面会謝絶に決まっている。

「お姉ちゃん、ごちそうさまでした」
「――え、ええ。お粗末様でした」

 いけない。
 私としたことが、連日の看病で疲労が蓄積してしまっているのね。少しだけボーッとしてしまっていたわ。
 それに、余計なことばかり考えてしまう。

「じゃあ片付けてくるわね」
「うん、ありがとう」


 ……もしかしたら。
 食器を洗いながら、あの男の顔が浮かび上がってしまう。
 以前、気になって調べてみたことがある。
 嘘か本当かはわからないけれど、この世界には祓魔師という人達が存在するらしい。
 その人達は、今の時代に存在するとは到底思えない、霊や怪異なるものを相手にしているとかなんとか。
 最初は、そんな物語の中でしか登場しないような人達が存在するわけない、と鼻で笑っていた。
 だけど、最近であったあの男は、それらが存在の象徴として身に付けている十字架のネックレスを首から下げていた。
 でも、それだけで祓魔師と判断していいのかしら。
 見るからに頭の悪そうな顔つきに、物語の中の彼らみたいな身体能力を持ち合わせているようには見えない。
 信仰心も幸も薄そうな彼が、本当に祓魔師なの?
 それに、彼が本当に祓魔師だとして、これが霊的な現象だと言えるの?
 こんな使えない情報ばかり手に入れたって仕方がない。
 ネットには【黒霊病】についての記事がただの一つもなかった。
 それほどまでに国が情報を隠蔽しようとしているの? いや、それではそもそもニュースなんかで大体と報道なんてしない。
 では、情報操作?

 ……悔しい。何も知らない私が情けない。

 もしも、もしも彼に相談したのなら、何か解決策が見つかるというの?
 だとしても、彼の連絡先なんか知らないし、私は彼に酷い態度をとり続けた。
 笑っちゃうわね。
 頼れる人も、気軽に話せる人もいない。
 これは、私が自分で選んだ道――だというのに、それが今となって仇となるなんて本当に情けないわね。
 何を弱気になっているのよ、私。
 私はずっと前から決めているじゃない、私が舞を護るの。
 私だけが舞を護れるのよ、こんな私が弱気になっていたら舞を心配にさせてしまうじゃない。

 私は両手で頬を強く叩く。

 痛くなんかない。
 今苦しんでるのは舞よ。

 食器を全て片付け、部屋へ足を進めた。


「舞、何かお姉ちゃんに頼みたいことはある?」
「え? うーん、お姉ちゃんに頼みたいことかぁ。今もすっごくいろいろなことをやってくれてるし……」
「いいのよ、どんな些細なことでも」

 舞は、「うーんうーん」と喉を鳴らしながら必死に考えている。

「まあ思いついた時に言ってちょうだいね。舞がちゃんと治るまで私が看病するから」
「あっ。本当になんでも良いの?」
「ええ良いわよ。お姉ちゃんに二言はないわ」
「じゃあ……怒らないでね? ……お外に行きたいなって」
「……」
「憶えてる? 私とお姉ちゃんが、二人でお弁当を持って遊びに行ったあの川辺」
「ええ、憶えているわよ。学校のない休日、私達はピクニック気分であそこに行っていたわね」
「そうそう、あそこに行きたいの……だめ、かな?」

 これは、本当ならば心を鬼にして断らなければならない。
 だとはわかっていても、舞のお願いを……私は……。

 どうして、そんなはずは絶対に無いのに、どうしてなの。
 どうして、そんな顔をするの。
 どうして、これが最後のお願いみたいな顔をしているの。

 まるで、まるでこのお願いが叶ったら、死んでしまうような、なんで、どうして。
 私は、どうしたらいいの。
 このまま願いを聞き入れず、このままならどうなってしまうの。
 本当にこのまま死んでしまうとして、そんな心残りをさせてしまっていいの?

「お姉ちゃん……泣いてるの……?」
「……ごめんなさい。ちょっとあくびを我慢しちゃって」

 人差し指で、涙を拭った。
 自分の感情を押し殺すように、拳が震えるほど力強く握る。

「あははっ、あるよねそういうの。ごめんね無理言っちゃって。お姉ちゃんだって疲れてるもんね。わがまま言っちゃってごめんね」

 ……舞のお願いを叶えられずして、何がお姉ちゃんよ。
 ダメね、意地を張っている場合ではない。
 私にとってたった一人の家族であり、世界一大切な妹のお願いぐらい叶えられなきゃお姉ちゃん失格よね。

「ううん。行きましょうか」
「え? 良いの?」
「でも条件があるわ」
「痛いのだけは勘弁してください」
「ふふっ、違うわよ。舞が歩くのは禁止。昔みたいに、私が舞をおんぶしてあげるわ」
「私は全然良いけど……お姉ちゃんより、私の方が体重あるよ?」
「ふふん、だてにずっと家事をやっていないわよ。私にどんと任せなさい」
「お姉ちゃんが言うと説得力あるね。じゃあ、お願いしちゃおうかな」
「そうと決まれば、まずはおめかしね」

 それから汗の処理をして、お出掛け用の洋服に二人して着替え終えた。
 私達が家を出たのは、一時を過ぎた頃だった。
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