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二話
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※一部人によっては不快な表現があります。
*
アリアは平民の生まれだ。
生まれも育ちも平民で、過去に貴族との繋がりがあったようなこともない。
ごく普通の、平凡な農家の生まれだった。
この世界には魔法というものが存在して、魔法を使うための魔力を持つ人間が時折生まれる。
全ての人が平等に魔力を持つわけではないこの世界では、いわゆる政略結婚も多かった。
平民ならば養子、または婿か嫁に。
そうやって、地位を持つもの……貴族の連中は、魔力を持つものを血の中に取り込んできた。
魔力を持つものと多く婚姻を結んでいる貴族に、その力は偏りつつあるものの、平民の中でもぽっと魔力をもって生まれるものはまだ存在していた。
アリアもそんな人間の一人であった。
アリアの家族はアリアの将来は自分で選ぶといい、とそれなりに自由を与えてくれた。
これが貧しい家なら選択の余地などなく、口減らしのために売られることもあったのかもしれない。実際、そんな話も耳にしたことはあったが、幸せなことにアリアは自分で道を決めることを許されていた。
何もない農家ではあるが、家の後を継ぐ兄はいたし、村では美人と評判の姉も嫁ぎ先に困らなくて。
アリアが生まれてここ数年は目立った災害や飢饉もなく、平民にしてはそれなりに豊かな暮らしが出来ていたのも理由の一つだろう。
アリアは厄介な貴族に取り込まれる前に教会へ行って勉強することにした。
学校というのは一部の裕福な平民を除けば貴族が通うべきもので、その他大勢の平民というものは、広く門戸を開いている教会で文字や算数を習うのが一般的だ。
教会では治癒の魔法を使えるものが多く属しており、決して多くはない魔力もちの子供たちは、ここで扱い方を学ぶことがある。
平民には滅多に表れないものだし、貴族に取り込まれるのが殆どで、いるとすれば微量に魔力がある、程度の子供くらいのもので数が少ない。
アリアは教会に従事しながら、魔力を取り扱うすべを学んだ。
幸いにして不幸だったのは、アリアの魔力が膨大であったことと、誰よりも魔法を使う才能があったことだろう。
貴族の養い子になる話も当然のように来たが、教会に属しているからと、アリアは話を断った。貴族など、どろどろしていそうで面倒くさいことこの上ない。
強引な手を使われることはなかったからまだ良かった。
しかし、アリアが有能な魔導士として城に出仕することが決まったのは、そう遠くない日の話だった。
当時の王は、才能さえあれば貴賤は問わないと謳い、政治の手腕もよくそれに顕れていた。誰が見ても賢王であったし、アリア自身、この国に仕えることに誉れと考えていた。
何より、国に仕える魔導士というのは、平たく言ってしまえば給料が魅力的であった。
結局、貴族に近い場所に来てしまったものの、働くこと自体は嫌いではないし、家にお金を入れることが出来ると、アリアは素直に喜んだ。
面倒くさい貴族とのかかわりは増えてしまったものの、それなりに充実した時間を送っていた。
*
国境近くには白森と呼ばれる、魔力が濃密に満ちている不可侵地帯が存在しており、アリアの生まれた国の他、どこの所領でもない場所がある。
世界の各地にそういった場所はいくつもあるが、白森と呼ばれるその場所は、魔力に影響されて生まれたとされている、魔獣が跋扈しており、危険なのだ。
魔導士の主な仕事には、国を豊かにする道具や薬を発明することのほか、魔獣の討伐も含まれている。
魔獣の肉体も魔獣の核と呼ばれる心臓のような部位も含めて、魔獣の素材は有用で、討伐が危険であること以上に魅力的だった。ゆえに、魔獣を狩ることを中心とした職についている、冒険者と呼ばれるものも多くいるし、それを取りまとめる冒険者ギルドと呼ばれる場所もあった。魔導士になったアリアも、討伐に出る関係で、彼らとはそれなりに親交があった。
仕事は忙しかった。
アリアは家族と、国と、守るためにあちこち駆けずり回り、気が付けば両親は寿命で天に昇っていたし、兄も姉も妹も、新しい家族を作って孫までできていた。気が付けば孫たちもを見送って、アリアの家族と呼べるだけの血の濃さを持つ人間は身近にはいなくなっていた。
魔力を持つものは総じて長命であった。あくまで人と比べての話である。
魔力を持たない平民が六十も生きれば長生きな方で、魔力を普通に持つ貴族ならば百も生きれば十分長い。
そしてついでに言えば、病気にもかかりにくかった。
だからこそ、魔力持ちは貴族に取り込まれやすかったともいえる。
アリアも例にもれず長命であったが、いくら長命な魔導士も、アリアよりもみな先に老いていった。
二百歳をゆうに過ぎても、アリアの見かけは二十よりも若く見えた。
魔力の保有量に個人差はあれど、アリア程の魔力を持つ人間は身近にいなかったので、誰とも比べようがない。
それに、アリアの持つ魔力は、他者とは違い、アリアの肉体を常に活性化させているらしく、それがいつまでもアリアを若く保つ。神様か妖精にでも祝福されているようだね、とかつての魔導士仲間の一人は言ったが、数多くの家族や友人を見送ってきたアリアからすれば、まるで呪いのようだ友感じていた。有り余る魔力が細胞の衰えを防ぎ、アリアの肉体はいつまでも若いままであった。少しも衰える気配はない。
多くの魔力もちは、確かにアリアと同じように年を取るのが緩やかではあったが、アリアのようにいつまでも若いまま、というのもあり得ない。
「私はいつまで若いままなのかしら」
アリアは親しくなった白森に棲んでいるドラゴンの友に聞いたことがある。
かつて魔獣と間違えてアリアが喧嘩を吹っ掛けたが、殴り合いの末に仲良くなった、今では最大の友人だ。
「私と同じくらいの魔力を持っているアリアなら、私と同じくらい生きるかもしれないね」
「貴方、今、いくつだったかしら」
「さぁ、千を超えたころからは面倒で数えるのをやめたよ」
――なんとまぁ、恐ろしいことを聞いた。
アリアはドラゴンではないし、流石に千もは生きないと思いたいが、死ぬ気配もない。
三百を超えても肉体は衰えることを知らず、アリアを古くから知っている友は、いつの間にかドラゴン一匹になってしまった。
親しい友は見送るばかり。
他にすることもなく、アリアは魔導士として仕事を続ける。
そのうちアリアは生きた聖女と呼ばれるようになった。仕事は嫌いではないし、アリアに救いを求める声には、出来る限り応えてきた。
だって他にやりたいことも思い浮かばない。
人に頼られるのは嫌いではなかったし、アリアにしかできないというのなら、と身を粉にして働く。
あっちで暴動が起きたとなれば鎮圧に行き、魔力暴走(スタンピード)が発生したとなれば飛んでいき、解決してきた。
いつしか、アリアの属する国はそんな彼女の存在に跨座を掻きだしたのにも気が付いていたが、もはや友と呼べる相手はドラゴン位なもので、仕事しかなかった彼女はますます仕事にのめり込み、ひたすら訪れる悪循環。
このままではよくない、それは分かっていたが、アリアを求める人の声に、アリアは応えてしまう。
ああでも、疲れないわけじゃない。
便利な聖女に敬意も払われなくなった頃、ふと、王族の誰かが「あの行き遅れ魔女のおかげで私の人生薔薇色だわ」と話しているのを聞いてしまった。
こき使われて、便利なものとして見られるようになって。
――その瞬間、たまりにたまっていた鬱憤は、ついに弾けてしまった。
アリアは好きで結婚しなかったのではない。
きっかけは、アリアがまだ外見の年齢と本当の年齢が釣り合っていた頃の話だ。
仕事が忙しくて結婚相手を探す暇などなかった、というのも嘘ではないが、アリアを狙っていた貴族の男の一人は、アリアの事を「孕み腹にはちょうどいい」「しょせん薄汚い平民の女の血だしな」「愛はなくても魔力だけは魅力的だからな」……と話していたのを聞いてしまってからは、結婚というものにすっかり希望が持てなくなった、というのが正しい。
思い出したら胃がむかむかしてくる。
「本当、面倒くさいわ……なぜ私は魔力なんて持って生まれたのかしら」
平民の男と結婚しようにも、魔力を持つがゆえに埋まらないものがあまりに多すぎる。
中には、イイ感じになった平民の男もいたが、アリアの姿は若くても母親よりも実年齢が高いと知ればすぐにアリアの傍を離れていった。
国が聖女と持ち上げ始めてからは、色ごとにうつつを抜かす暇もなく、仕事、仕事、仕事! 家族も親戚もはかなくなってからは帰る家もなくした。
賢王の時代は、それなりに世話になったし、アリアの働きで家族も不自由暮らせていたと思う。
それに恩義を感じていたからこそ、何百年と国に仕えていたが、アリアが国に仕えることを当たり前のこととして、こき使うようになってしまった今の王族にも、国にも、アリアはもはや何の恩義も感じていない。
今の王ははっきり言って高位貴族にいいように使われている傀儡である。
それを差し引いて「行き遅れ」などと! どの口が言うのだ。馬鹿な王女。
アリアの恩恵をたっぷり受けたこの国は、他のどの国と比べても豊かである。
アリア以外の魔導士の存在もあり、生み出された多くの便利な魔道具が生活に寄り添い、危険な魔獣は魔導士によって全てが排除され、どんなに強大な魔獣が現れようと、アリアがいる限りは脅威に脅かされることがない。
アリアよりも強いとされるのは、白森の古代竜くらいしかいないのだから。
平和で豊かな国と、縁を結びたいものは多く、この国の王族も引く手数多といえた。それは別にいい。
別にいいが、アリアに対し
「あのおばあさん今いくつでしたっけ?二百?三百?そんなに年を取っているなら一年や十年はさして変わらないわよね」
「それに、恋人もいらっしゃらないんでしょう?あそこにクモの巣でも張っていそうよね」
「まぁ、流石に下品よ」
「見かけだけのおばあさんなんて抱きたい殿方などいらっしゃらないでしょう」
「あら、でも年を取らないのはうらやましいわ」
「おほほほ、でも若作りの老人はいやよ」
「そうよねえ」
「でもあのおばあさんのおかげで私の人生は薔薇色よ」
「あの人の代わりに幸せになってあげるのだから、喜ぶべきよね」
……だなんて、笑ってしまう。
他にも好き放題話しているのを何度も聞いた。
貴族や王族の、アリアに対する『軽口』は、何もこれが初めてではない。
こんなのが仕えている国の王女様で、あまつさえそれを誰も咎めようとせずに笑っている。
平和に慣れ過ぎた弊害だ。
――アリアは疲れていた。
肉体はいつまでも若々しく見えたかもしれないが、精神的にはとっくに疲れ切って限界だった。
国にも人にもいいようにしか使われない自分の存在が。いつでも好きなように呼び出されて、眠る時間もほとんどない。便利なだけの魔導士、便利なだけの、名前ばかりの聖女。
だから、そのまま国を出ることにしたのだ。
急な思い付きでもなかった。
アリアはいずれは国を出るつもりでいた。
本当は、ずっと自由になりたかった。
そのための力も金もある。
なんだかんだで、結局は国に引き留められ、家族のこともあり、出ていくタイミングを逃していただけでしかない。無駄にあった責任感がそうさせた。
そのためには後進をある程度育成してからだと思っていたが、これはその予定を先送りにするばかりの『いつか』が少し早まっただけだと思うことにした。
白森にひそかに作ったアリアだけの素敵な一軒家。
アリアの為の素敵なお城。
決して豪華でもなく、一人暮らしをするのに十分な広さの家は、アリアが稼いだお金で最高級だが華美ではなく機能性を重視したものを取りそろえ、快適に整えられている。
白森の奥の奥。森の奥に分け入る程に魔力は濃密で、一定の境界を越えれば魔力を持たない人間なら数十分で気が触れしまうとされているし、魔力をもつ人間でも、頭痛と吐き気で小一時間もすればまともに歩くことも難しいとされているが、アリアは別だ。
それを凌駕する魔力を身の内に湛えているアリアには、むしろ口うるさいコバエがいなくて快適なくらいだった。
アリアは自身に眠りの魔法を掛ける。
たっぷり働きづめだった分、たっぷり休んでやろうと惰眠を貪ることに決めた。
自分にとって煩わしいものがいなくなって、聖女などという便利なだけの存在が、幻になるくらいまで。
目を覚ますのが何十年先、何百年先になろうが、アリアの内にある魔力がアリアを生かし続ける。
アリアの魔力はそういうものだ。
頭にふと、自分の唯一の友のことがよぎったが、それを思い出したのは、アリアの怒りがいくらかましになり、完全に眠りにつく直前のことであった。
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アリアは平民の生まれだ。
生まれも育ちも平民で、過去に貴族との繋がりがあったようなこともない。
ごく普通の、平凡な農家の生まれだった。
この世界には魔法というものが存在して、魔法を使うための魔力を持つ人間が時折生まれる。
全ての人が平等に魔力を持つわけではないこの世界では、いわゆる政略結婚も多かった。
平民ならば養子、または婿か嫁に。
そうやって、地位を持つもの……貴族の連中は、魔力を持つものを血の中に取り込んできた。
魔力を持つものと多く婚姻を結んでいる貴族に、その力は偏りつつあるものの、平民の中でもぽっと魔力をもって生まれるものはまだ存在していた。
アリアもそんな人間の一人であった。
アリアの家族はアリアの将来は自分で選ぶといい、とそれなりに自由を与えてくれた。
これが貧しい家なら選択の余地などなく、口減らしのために売られることもあったのかもしれない。実際、そんな話も耳にしたことはあったが、幸せなことにアリアは自分で道を決めることを許されていた。
何もない農家ではあるが、家の後を継ぐ兄はいたし、村では美人と評判の姉も嫁ぎ先に困らなくて。
アリアが生まれてここ数年は目立った災害や飢饉もなく、平民にしてはそれなりに豊かな暮らしが出来ていたのも理由の一つだろう。
アリアは厄介な貴族に取り込まれる前に教会へ行って勉強することにした。
学校というのは一部の裕福な平民を除けば貴族が通うべきもので、その他大勢の平民というものは、広く門戸を開いている教会で文字や算数を習うのが一般的だ。
教会では治癒の魔法を使えるものが多く属しており、決して多くはない魔力もちの子供たちは、ここで扱い方を学ぶことがある。
平民には滅多に表れないものだし、貴族に取り込まれるのが殆どで、いるとすれば微量に魔力がある、程度の子供くらいのもので数が少ない。
アリアは教会に従事しながら、魔力を取り扱うすべを学んだ。
幸いにして不幸だったのは、アリアの魔力が膨大であったことと、誰よりも魔法を使う才能があったことだろう。
貴族の養い子になる話も当然のように来たが、教会に属しているからと、アリアは話を断った。貴族など、どろどろしていそうで面倒くさいことこの上ない。
強引な手を使われることはなかったからまだ良かった。
しかし、アリアが有能な魔導士として城に出仕することが決まったのは、そう遠くない日の話だった。
当時の王は、才能さえあれば貴賤は問わないと謳い、政治の手腕もよくそれに顕れていた。誰が見ても賢王であったし、アリア自身、この国に仕えることに誉れと考えていた。
何より、国に仕える魔導士というのは、平たく言ってしまえば給料が魅力的であった。
結局、貴族に近い場所に来てしまったものの、働くこと自体は嫌いではないし、家にお金を入れることが出来ると、アリアは素直に喜んだ。
面倒くさい貴族とのかかわりは増えてしまったものの、それなりに充実した時間を送っていた。
*
国境近くには白森と呼ばれる、魔力が濃密に満ちている不可侵地帯が存在しており、アリアの生まれた国の他、どこの所領でもない場所がある。
世界の各地にそういった場所はいくつもあるが、白森と呼ばれるその場所は、魔力に影響されて生まれたとされている、魔獣が跋扈しており、危険なのだ。
魔導士の主な仕事には、国を豊かにする道具や薬を発明することのほか、魔獣の討伐も含まれている。
魔獣の肉体も魔獣の核と呼ばれる心臓のような部位も含めて、魔獣の素材は有用で、討伐が危険であること以上に魅力的だった。ゆえに、魔獣を狩ることを中心とした職についている、冒険者と呼ばれるものも多くいるし、それを取りまとめる冒険者ギルドと呼ばれる場所もあった。魔導士になったアリアも、討伐に出る関係で、彼らとはそれなりに親交があった。
仕事は忙しかった。
アリアは家族と、国と、守るためにあちこち駆けずり回り、気が付けば両親は寿命で天に昇っていたし、兄も姉も妹も、新しい家族を作って孫までできていた。気が付けば孫たちもを見送って、アリアの家族と呼べるだけの血の濃さを持つ人間は身近にはいなくなっていた。
魔力を持つものは総じて長命であった。あくまで人と比べての話である。
魔力を持たない平民が六十も生きれば長生きな方で、魔力を普通に持つ貴族ならば百も生きれば十分長い。
そしてついでに言えば、病気にもかかりにくかった。
だからこそ、魔力持ちは貴族に取り込まれやすかったともいえる。
アリアも例にもれず長命であったが、いくら長命な魔導士も、アリアよりもみな先に老いていった。
二百歳をゆうに過ぎても、アリアの見かけは二十よりも若く見えた。
魔力の保有量に個人差はあれど、アリア程の魔力を持つ人間は身近にいなかったので、誰とも比べようがない。
それに、アリアの持つ魔力は、他者とは違い、アリアの肉体を常に活性化させているらしく、それがいつまでもアリアを若く保つ。神様か妖精にでも祝福されているようだね、とかつての魔導士仲間の一人は言ったが、数多くの家族や友人を見送ってきたアリアからすれば、まるで呪いのようだ友感じていた。有り余る魔力が細胞の衰えを防ぎ、アリアの肉体はいつまでも若いままであった。少しも衰える気配はない。
多くの魔力もちは、確かにアリアと同じように年を取るのが緩やかではあったが、アリアのようにいつまでも若いまま、というのもあり得ない。
「私はいつまで若いままなのかしら」
アリアは親しくなった白森に棲んでいるドラゴンの友に聞いたことがある。
かつて魔獣と間違えてアリアが喧嘩を吹っ掛けたが、殴り合いの末に仲良くなった、今では最大の友人だ。
「私と同じくらいの魔力を持っているアリアなら、私と同じくらい生きるかもしれないね」
「貴方、今、いくつだったかしら」
「さぁ、千を超えたころからは面倒で数えるのをやめたよ」
――なんとまぁ、恐ろしいことを聞いた。
アリアはドラゴンではないし、流石に千もは生きないと思いたいが、死ぬ気配もない。
三百を超えても肉体は衰えることを知らず、アリアを古くから知っている友は、いつの間にかドラゴン一匹になってしまった。
親しい友は見送るばかり。
他にすることもなく、アリアは魔導士として仕事を続ける。
そのうちアリアは生きた聖女と呼ばれるようになった。仕事は嫌いではないし、アリアに救いを求める声には、出来る限り応えてきた。
だって他にやりたいことも思い浮かばない。
人に頼られるのは嫌いではなかったし、アリアにしかできないというのなら、と身を粉にして働く。
あっちで暴動が起きたとなれば鎮圧に行き、魔力暴走(スタンピード)が発生したとなれば飛んでいき、解決してきた。
いつしか、アリアの属する国はそんな彼女の存在に跨座を掻きだしたのにも気が付いていたが、もはや友と呼べる相手はドラゴン位なもので、仕事しかなかった彼女はますます仕事にのめり込み、ひたすら訪れる悪循環。
このままではよくない、それは分かっていたが、アリアを求める人の声に、アリアは応えてしまう。
ああでも、疲れないわけじゃない。
便利な聖女に敬意も払われなくなった頃、ふと、王族の誰かが「あの行き遅れ魔女のおかげで私の人生薔薇色だわ」と話しているのを聞いてしまった。
こき使われて、便利なものとして見られるようになって。
――その瞬間、たまりにたまっていた鬱憤は、ついに弾けてしまった。
アリアは好きで結婚しなかったのではない。
きっかけは、アリアがまだ外見の年齢と本当の年齢が釣り合っていた頃の話だ。
仕事が忙しくて結婚相手を探す暇などなかった、というのも嘘ではないが、アリアを狙っていた貴族の男の一人は、アリアの事を「孕み腹にはちょうどいい」「しょせん薄汚い平民の女の血だしな」「愛はなくても魔力だけは魅力的だからな」……と話していたのを聞いてしまってからは、結婚というものにすっかり希望が持てなくなった、というのが正しい。
思い出したら胃がむかむかしてくる。
「本当、面倒くさいわ……なぜ私は魔力なんて持って生まれたのかしら」
平民の男と結婚しようにも、魔力を持つがゆえに埋まらないものがあまりに多すぎる。
中には、イイ感じになった平民の男もいたが、アリアの姿は若くても母親よりも実年齢が高いと知ればすぐにアリアの傍を離れていった。
国が聖女と持ち上げ始めてからは、色ごとにうつつを抜かす暇もなく、仕事、仕事、仕事! 家族も親戚もはかなくなってからは帰る家もなくした。
賢王の時代は、それなりに世話になったし、アリアの働きで家族も不自由暮らせていたと思う。
それに恩義を感じていたからこそ、何百年と国に仕えていたが、アリアが国に仕えることを当たり前のこととして、こき使うようになってしまった今の王族にも、国にも、アリアはもはや何の恩義も感じていない。
今の王ははっきり言って高位貴族にいいように使われている傀儡である。
それを差し引いて「行き遅れ」などと! どの口が言うのだ。馬鹿な王女。
アリアの恩恵をたっぷり受けたこの国は、他のどの国と比べても豊かである。
アリア以外の魔導士の存在もあり、生み出された多くの便利な魔道具が生活に寄り添い、危険な魔獣は魔導士によって全てが排除され、どんなに強大な魔獣が現れようと、アリアがいる限りは脅威に脅かされることがない。
アリアよりも強いとされるのは、白森の古代竜くらいしかいないのだから。
平和で豊かな国と、縁を結びたいものは多く、この国の王族も引く手数多といえた。それは別にいい。
別にいいが、アリアに対し
「あのおばあさん今いくつでしたっけ?二百?三百?そんなに年を取っているなら一年や十年はさして変わらないわよね」
「それに、恋人もいらっしゃらないんでしょう?あそこにクモの巣でも張っていそうよね」
「まぁ、流石に下品よ」
「見かけだけのおばあさんなんて抱きたい殿方などいらっしゃらないでしょう」
「あら、でも年を取らないのはうらやましいわ」
「おほほほ、でも若作りの老人はいやよ」
「そうよねえ」
「でもあのおばあさんのおかげで私の人生は薔薇色よ」
「あの人の代わりに幸せになってあげるのだから、喜ぶべきよね」
……だなんて、笑ってしまう。
他にも好き放題話しているのを何度も聞いた。
貴族や王族の、アリアに対する『軽口』は、何もこれが初めてではない。
こんなのが仕えている国の王女様で、あまつさえそれを誰も咎めようとせずに笑っている。
平和に慣れ過ぎた弊害だ。
――アリアは疲れていた。
肉体はいつまでも若々しく見えたかもしれないが、精神的にはとっくに疲れ切って限界だった。
国にも人にもいいようにしか使われない自分の存在が。いつでも好きなように呼び出されて、眠る時間もほとんどない。便利なだけの魔導士、便利なだけの、名前ばかりの聖女。
だから、そのまま国を出ることにしたのだ。
急な思い付きでもなかった。
アリアはいずれは国を出るつもりでいた。
本当は、ずっと自由になりたかった。
そのための力も金もある。
なんだかんだで、結局は国に引き留められ、家族のこともあり、出ていくタイミングを逃していただけでしかない。無駄にあった責任感がそうさせた。
そのためには後進をある程度育成してからだと思っていたが、これはその予定を先送りにするばかりの『いつか』が少し早まっただけだと思うことにした。
白森にひそかに作ったアリアだけの素敵な一軒家。
アリアの為の素敵なお城。
決して豪華でもなく、一人暮らしをするのに十分な広さの家は、アリアが稼いだお金で最高級だが華美ではなく機能性を重視したものを取りそろえ、快適に整えられている。
白森の奥の奥。森の奥に分け入る程に魔力は濃密で、一定の境界を越えれば魔力を持たない人間なら数十分で気が触れしまうとされているし、魔力をもつ人間でも、頭痛と吐き気で小一時間もすればまともに歩くことも難しいとされているが、アリアは別だ。
それを凌駕する魔力を身の内に湛えているアリアには、むしろ口うるさいコバエがいなくて快適なくらいだった。
アリアは自身に眠りの魔法を掛ける。
たっぷり働きづめだった分、たっぷり休んでやろうと惰眠を貪ることに決めた。
自分にとって煩わしいものがいなくなって、聖女などという便利なだけの存在が、幻になるくらいまで。
目を覚ますのが何十年先、何百年先になろうが、アリアの内にある魔力がアリアを生かし続ける。
アリアの魔力はそういうものだ。
頭にふと、自分の唯一の友のことがよぎったが、それを思い出したのは、アリアの怒りがいくらかましになり、完全に眠りにつく直前のことであった。
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