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2.私、困ってます〜侍女視点〜①
「そう言えば、私、三日前にうっかり階段から足を踏み外したわ。それが原因かしら? ね、ゾーイ」
「奥様、違います。それ以前から侯爵様は危険人物でした」
「ふふ、そうだったわね。一週間前、旦那様が配達人を危うく殺しかけたの忘れてたわ」
鈴を転がすように笑う奥様につられて、思わず私――ゾーイも笑ってしまう。大変に不謹慎な二人であるけれど、なぜか奥様がいると和んでしまうのだ。
私は決して主人であるロース侯爵のことを旦那様とは呼ばない。
世間一般では仕える主人夫妻への呼称は”旦那様”と”奥様”である。しかし、侯爵は普通とは掛け離れたお方だ。
『お前達は私のことを旦那様とは決して呼ぶな。これは私のリリアだけのものだ。彼女の愛らしい唇から紡がれることに価値がある。ああ、リリアにもっと呼んでもらいたい』
侯爵は使用人達を集めて初日にそう命じた。しかし、後半部分はもはや独り言で、この時、私は心の中で『キモっ……』と呟いていた。
それならどう呼べばいいのかと、年嵩の使用人が質問をした。
『旦那様以外なら何でもいい』
『畏まりました、旦那様。あっ……』
他家に仕えていたのだろう、長年染み付いた習慣でついそう言ってしまった使用人。彼は慌てて謝ったが、その日のうちに侯爵家から消えてしまった。
そんな事実は奥様の耳には入っていないだろう。もし、入っていたら、誰かが消えてはいるはずだ……。
「それなら、一ヶ月前に庭で迷子に――」
「それも違います。それと奥様、庭で迷子になるのはおやめになってくださいませ」
「ふふ、ごめんなさい。ついうっかりしていて」
奥様は自分のことなのに、可笑しそうにまた笑う。侯爵夫人なのに気取ったところが全然ない。
そして、いくら屋敷の庭が広大だといっても、うっかり迷う人はたぶんこの国で奥様だけだ。
あの時は本当に怖かった。半狂乱になった侯爵が庭園の木々が邪魔だと、魔術を使って根こそぎ抜いていったのだ。
――ボコッ、ポイ。ボコッ、ポイ。
最初はやれやれと思いながらも、持ち主がどうしようと自由だろうと使用人達は見物していた。
しかし、すぐにその余裕は消え失せる。
頭上から大木が雨のように降り注いできて、私達は必死に逃げた。
すると、木々の間から鮮やかな色――奥様のドレスが除き見えた。救世主発見に私達は、歓喜の声を上げた。
『あら? 視界が急に明るくなったと思ったら、旦那様が雑草を抜いていたのね。なんか楽しそう。一緒にやってみてもいいですか? 旦那様』
『もちろんだ、リリア。ほら、集中して魔力を紡げば簡単に出来るから』
侯爵は奥様を見つけて心の安定を取り戻し、甘々な二人だけの世界に入っていく。まあ、それはいい。夫婦なんだから周囲がどうこういう権利はない。ただ、私達の存在を忘れてしまった。いいえ、最初から奥様以外は気にしていなかったっけ……。
(((やめろー、それに雑草じゃないっ!)))
使用人一同の心の声は一致していたが、届くことはなかった。
奥様が見つかって安堵したのもつかの間、今度は落下してくる大小の木々に逃げ惑うことになったのだった。
怪我人が出なかったのは、持って生まれた特異な才能によって過酷な人生を歩んできた強者揃いだったからだろう。
あの時の恐怖を思い出しながら、よくぞ乗り切ったと過去の自分を労う。
そんな私に気づくことなく、奥様はのほほんと侯爵のヤンデレ化の究明を続けていく。
「やはり私が誘拐されかけた件をまだ気にしているのかしら? 何もなかったのだから、気にする必要ないのに」
「さあ、どうでしょうか。私は、その後から雇われたのでよく分かりません」
冷めてしまったのでお茶を淹れ直しますと、私はまだ十分に温かいカップを持ってこの場から離れる。……この話を自然に終わらせるために。
奥様は一年ほど前に誘拐された。その件があって、それまで侯爵家に仕えていた使用人達は全員解雇された。理由は侯爵夫人を守れなかった職務怠慢だが、それは表向きであって実際のところは違う。
今いる使用人達はその事件の後に一斉に雇われた者達だ。そのうちの三分の二は平民で、私だってそのうちの一人。
それもただの平民ではなく、親が税収を横領し爵位を取り上げられた元貴族である。普通ならば、侯爵家の使用人としてあり得ない経歴といっていいだろう。
しかし、最低限の礼儀作法と教養があれば身分は問われなかった。
ただし、雇用の絶対条件はあった――それは”視える”こと。
奥様本人はご存知ないが、リリア・ロースは一年前に亡くなっている。
「奥様、違います。それ以前から侯爵様は危険人物でした」
「ふふ、そうだったわね。一週間前、旦那様が配達人を危うく殺しかけたの忘れてたわ」
鈴を転がすように笑う奥様につられて、思わず私――ゾーイも笑ってしまう。大変に不謹慎な二人であるけれど、なぜか奥様がいると和んでしまうのだ。
私は決して主人であるロース侯爵のことを旦那様とは呼ばない。
世間一般では仕える主人夫妻への呼称は”旦那様”と”奥様”である。しかし、侯爵は普通とは掛け離れたお方だ。
『お前達は私のことを旦那様とは決して呼ぶな。これは私のリリアだけのものだ。彼女の愛らしい唇から紡がれることに価値がある。ああ、リリアにもっと呼んでもらいたい』
侯爵は使用人達を集めて初日にそう命じた。しかし、後半部分はもはや独り言で、この時、私は心の中で『キモっ……』と呟いていた。
それならどう呼べばいいのかと、年嵩の使用人が質問をした。
『旦那様以外なら何でもいい』
『畏まりました、旦那様。あっ……』
他家に仕えていたのだろう、長年染み付いた習慣でついそう言ってしまった使用人。彼は慌てて謝ったが、その日のうちに侯爵家から消えてしまった。
そんな事実は奥様の耳には入っていないだろう。もし、入っていたら、誰かが消えてはいるはずだ……。
「それなら、一ヶ月前に庭で迷子に――」
「それも違います。それと奥様、庭で迷子になるのはおやめになってくださいませ」
「ふふ、ごめんなさい。ついうっかりしていて」
奥様は自分のことなのに、可笑しそうにまた笑う。侯爵夫人なのに気取ったところが全然ない。
そして、いくら屋敷の庭が広大だといっても、うっかり迷う人はたぶんこの国で奥様だけだ。
あの時は本当に怖かった。半狂乱になった侯爵が庭園の木々が邪魔だと、魔術を使って根こそぎ抜いていったのだ。
――ボコッ、ポイ。ボコッ、ポイ。
最初はやれやれと思いながらも、持ち主がどうしようと自由だろうと使用人達は見物していた。
しかし、すぐにその余裕は消え失せる。
頭上から大木が雨のように降り注いできて、私達は必死に逃げた。
すると、木々の間から鮮やかな色――奥様のドレスが除き見えた。救世主発見に私達は、歓喜の声を上げた。
『あら? 視界が急に明るくなったと思ったら、旦那様が雑草を抜いていたのね。なんか楽しそう。一緒にやってみてもいいですか? 旦那様』
『もちろんだ、リリア。ほら、集中して魔力を紡げば簡単に出来るから』
侯爵は奥様を見つけて心の安定を取り戻し、甘々な二人だけの世界に入っていく。まあ、それはいい。夫婦なんだから周囲がどうこういう権利はない。ただ、私達の存在を忘れてしまった。いいえ、最初から奥様以外は気にしていなかったっけ……。
(((やめろー、それに雑草じゃないっ!)))
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奥様が見つかって安堵したのもつかの間、今度は落下してくる大小の木々に逃げ惑うことになったのだった。
怪我人が出なかったのは、持って生まれた特異な才能によって過酷な人生を歩んできた強者揃いだったからだろう。
あの時の恐怖を思い出しながら、よくぞ乗り切ったと過去の自分を労う。
そんな私に気づくことなく、奥様はのほほんと侯爵のヤンデレ化の究明を続けていく。
「やはり私が誘拐されかけた件をまだ気にしているのかしら? 何もなかったのだから、気にする必要ないのに」
「さあ、どうでしょうか。私は、その後から雇われたのでよく分かりません」
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今いる使用人達はその事件の後に一斉に雇われた者達だ。そのうちの三分の二は平民で、私だってそのうちの一人。
それもただの平民ではなく、親が税収を横領し爵位を取り上げられた元貴族である。普通ならば、侯爵家の使用人としてあり得ない経歴といっていいだろう。
しかし、最低限の礼儀作法と教養があれば身分は問われなかった。
ただし、雇用の絶対条件はあった――それは”視える”こと。
奥様本人はご存知ないが、リリア・ロースは一年前に亡くなっている。
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