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30.私は……
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「レティシア様はいつだって微笑んでいるとメルア達から聞いています」
……そう、私はちゃんとやれていたのね。
引き籠もっている私を案じている侍女達に、これ以上心配かけたくなかった。
マールの言葉を聞いてほっとしている私と対称的に、彼の眉間の皺は深くなる。なぜ彼はあんな顔をしているのだろう。立ち直りつつある私を医者とし安堵するべきなのに……。
「同じような経験をした人の中には、レティシア様のように気丈に振る舞っている人もいました。でも、感情をぶつける相手――辛さを共有する夫がいた。ですが、ロイド・ホグワルではその相手となり得ない」
マールはすべてを知っているようだ。アリーチェを診た時に義父から知らされたのかもしれない。
たぶんメルアからロイドの態度も聞いたのだろう、最後の言葉には怒りが込められていた。
――義父やロイドと違って、彼は男性優位の考えに染まっていない珍しい人だから。
「このままでは心が壊れます。みな、それを案じております。レティシア様、医者には守秘義務があります。何を聞いても何を見ても漏らすことはありません」
彼は自分に心の内をぶつけて構わないと言っているのだ。でも、彼にロイドの役割をさせるなんて間違っている。
――そこまで甘えられない。
私は手をぎゅっと膝の上で握りしめて、力なく首を振る。
「私は大丈夫ですわ」
「医者としての私は、信用できませんか?」
「信用しております、マール先生」
私はすかさず返事をする。医者としても友人としても、彼のことを信頼している。
「そうですか。では私のために、それを証明してくださいませんか?」
彼は遠回しに吐露できる状況を作り、どこまでも私に手を差し伸べてくる。その優しさに心を揺さぶられ、私の唇は勝手に動いてしまう。
「ロイドは父親のくせに、あの子のことを悼んでくれませんでした。自分のことばかりで。あんな人、大嫌いです。お義父様も勝手なことばかり。お義母様もそう。壊れていたから仕方がない? いいえ、ぶつける相手が違います。ちゃんと自分の夫と向き合えば良かったんです! そうすれば、こんなことにはならなかったのに」
堰を切ったように、私は醜い心のうちをさらけ出していく。
彼は私の言葉に耳を傾け、『そうですね』とか『それで』とか話を促すだけの相槌を打つ。
その眼差しには嫌悪も侮蔑もなく――温かさしかない。この人はどこまで優秀な医者なのだろう。
「レティシア様、続けてください」
これ以上何を言えばいいのだろうと、彼を見つめ返す。醜い感情は全て吐き出していたから。すると、彼はまた自分の胸を叩き『もっと奥にあるものです』と告げてくる。
――その眼差しは嘘を見抜く目をしていた。
彼には狡い私がお見通しなのだろう。
私は口もとに手を当て嗚咽しながら、言葉を振り絞っていく。
「……っ……私が、あの子を殺したんです。ね? 先生」
ずっとそう思っていた。あの場から私がすぐに出ていけば、きっとこうならなかったと。
ロイド達を責めることで、私は事実から目を逸らしていた。
私が弱かったからいけないのに……。
「それは違いますと、医者として断言します」
彼は強い口調でそう告げてくる。
「でも、あの子を守れなかった。……生んであ……げたかった……」
あの子がいない空っぽなお腹に手を添える。
「一週間だけでしたけど、あなたのお腹に宿ったことを、あの子は喜んでいます。レティシア様は素敵な母親でした。そして、懸命に頑張ったあの子も強い子でした」
マールはあの子の気持ちを勝手に代弁する。知りもしないくせにとは思わなかった。彼はあの子を救おうと全力を尽くしてくれたから。
ただ泣き続ける私を、彼は静かに見守っていた。
彼との会話で、あの子を失った苦しみがなくなったわけではない。でも、話す前と、今では少しだけ心が穏やかになった気がした。
たぶん、心のうちを吐き出したからだけではなく、彼があの子にも寄り添ってくれたから。
ねえ、赤ちゃん。あなたのことを想ってくれている人はここにもいたわ。
私は窓の外に目をやり、あの子がいる空に向かって心の中で語りかけた。
◇ ◇ ◇
メルアが戻ってきたのは、だいぶ経ってからだった。
「遅くなって申し訳ございません、準備に手間取ってしまいまして。さあ、召し上がってくださいませ、マール先生」
「メルアさん、有り難うございます。では、レティシア様も一緒にいただきましょう」
彼女は薄く切った数種類の果物を載せたお皿を、私達の前に置く。
目を赤くしているだろう私を見ても、メルアはなにも言わなかった。
普通なら用意にこんなに時間は掛からない。きっと、彼女は優秀なお医者様に私を託したのだ。そして、それが良い方向に向かったと分かったのだろう。だから、目尻を下げて涙ぐんでいる。
一方、マールは果物を口に運びながら苦しそうな顔をしている。たぶん、お腹はいっぱいなのだ。
「ありがとう、メルア。私がいただきますから無理しないでくださいね、マール先生」
優しい嘘に包まれて、私は久しぶりに穏やかに笑えていたと思う。
……そう、私はちゃんとやれていたのね。
引き籠もっている私を案じている侍女達に、これ以上心配かけたくなかった。
マールの言葉を聞いてほっとしている私と対称的に、彼の眉間の皺は深くなる。なぜ彼はあんな顔をしているのだろう。立ち直りつつある私を医者とし安堵するべきなのに……。
「同じような経験をした人の中には、レティシア様のように気丈に振る舞っている人もいました。でも、感情をぶつける相手――辛さを共有する夫がいた。ですが、ロイド・ホグワルではその相手となり得ない」
マールはすべてを知っているようだ。アリーチェを診た時に義父から知らされたのかもしれない。
たぶんメルアからロイドの態度も聞いたのだろう、最後の言葉には怒りが込められていた。
――義父やロイドと違って、彼は男性優位の考えに染まっていない珍しい人だから。
「このままでは心が壊れます。みな、それを案じております。レティシア様、医者には守秘義務があります。何を聞いても何を見ても漏らすことはありません」
彼は自分に心の内をぶつけて構わないと言っているのだ。でも、彼にロイドの役割をさせるなんて間違っている。
――そこまで甘えられない。
私は手をぎゅっと膝の上で握りしめて、力なく首を振る。
「私は大丈夫ですわ」
「医者としての私は、信用できませんか?」
「信用しております、マール先生」
私はすかさず返事をする。医者としても友人としても、彼のことを信頼している。
「そうですか。では私のために、それを証明してくださいませんか?」
彼は遠回しに吐露できる状況を作り、どこまでも私に手を差し伸べてくる。その優しさに心を揺さぶられ、私の唇は勝手に動いてしまう。
「ロイドは父親のくせに、あの子のことを悼んでくれませんでした。自分のことばかりで。あんな人、大嫌いです。お義父様も勝手なことばかり。お義母様もそう。壊れていたから仕方がない? いいえ、ぶつける相手が違います。ちゃんと自分の夫と向き合えば良かったんです! そうすれば、こんなことにはならなかったのに」
堰を切ったように、私は醜い心のうちをさらけ出していく。
彼は私の言葉に耳を傾け、『そうですね』とか『それで』とか話を促すだけの相槌を打つ。
その眼差しには嫌悪も侮蔑もなく――温かさしかない。この人はどこまで優秀な医者なのだろう。
「レティシア様、続けてください」
これ以上何を言えばいいのだろうと、彼を見つめ返す。醜い感情は全て吐き出していたから。すると、彼はまた自分の胸を叩き『もっと奥にあるものです』と告げてくる。
――その眼差しは嘘を見抜く目をしていた。
彼には狡い私がお見通しなのだろう。
私は口もとに手を当て嗚咽しながら、言葉を振り絞っていく。
「……っ……私が、あの子を殺したんです。ね? 先生」
ずっとそう思っていた。あの場から私がすぐに出ていけば、きっとこうならなかったと。
ロイド達を責めることで、私は事実から目を逸らしていた。
私が弱かったからいけないのに……。
「それは違いますと、医者として断言します」
彼は強い口調でそう告げてくる。
「でも、あの子を守れなかった。……生んであ……げたかった……」
あの子がいない空っぽなお腹に手を添える。
「一週間だけでしたけど、あなたのお腹に宿ったことを、あの子は喜んでいます。レティシア様は素敵な母親でした。そして、懸命に頑張ったあの子も強い子でした」
マールはあの子の気持ちを勝手に代弁する。知りもしないくせにとは思わなかった。彼はあの子を救おうと全力を尽くしてくれたから。
ただ泣き続ける私を、彼は静かに見守っていた。
彼との会話で、あの子を失った苦しみがなくなったわけではない。でも、話す前と、今では少しだけ心が穏やかになった気がした。
たぶん、心のうちを吐き出したからだけではなく、彼があの子にも寄り添ってくれたから。
ねえ、赤ちゃん。あなたのことを想ってくれている人はここにもいたわ。
私は窓の外に目をやり、あの子がいる空に向かって心の中で語りかけた。
◇ ◇ ◇
メルアが戻ってきたのは、だいぶ経ってからだった。
「遅くなって申し訳ございません、準備に手間取ってしまいまして。さあ、召し上がってくださいませ、マール先生」
「メルアさん、有り難うございます。では、レティシア様も一緒にいただきましょう」
彼女は薄く切った数種類の果物を載せたお皿を、私達の前に置く。
目を赤くしているだろう私を見ても、メルアはなにも言わなかった。
普通なら用意にこんなに時間は掛からない。きっと、彼女は優秀なお医者様に私を託したのだ。そして、それが良い方向に向かったと分かったのだろう。だから、目尻を下げて涙ぐんでいる。
一方、マールは果物を口に運びながら苦しそうな顔をしている。たぶん、お腹はいっぱいなのだ。
「ありがとう、メルア。私がいただきますから無理しないでくださいね、マール先生」
優しい嘘に包まれて、私は久しぶりに穏やかに笑えていたと思う。
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