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1.悪女の誕生

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半年前に結婚した夫カイル・ターナーと私サマンサ・ミラーは学園に在学中に婚約をした、彼が17歳で私が15歳の時だった。


それはお互いの意思など関係なく家と家との利害の一致から結ばれた婚約で貴族なら珍しいことではなかった。
財があるターナー子爵家は高位貴族との繋がりを欲し、由緒ある家柄だが没落気味のミラー侯爵家は金銭的な援助が欲しかった。

ただそれだけ。

だからカイル・ターナーと私の間には愛はなかった、婚約者として丁寧に扱われていたが…。

なのに私はカイルを愛してしまった。


逞しい長身に黒髪黒目で鋭い眼差しの見た目は怖そうで一見すると近寄りがたく思われる。
だが低音の声音はどこまでも優しく安心感を与えてくれ、そして笑った顔は少年のように無邪気だ。

彼はみなから頼られるそんな好青年だった。

学園の女子生徒達はそんな彼にみな憧れていて、私もその中の一人だった。
だから婚約者となった私が彼を好きになるのも自然なことだった。


でもカイルは違った、彼には婚約前から学園にすで愛する人がいたのだ。伯爵家の三女で儚げな容姿のエミリー様が彼の恋人だった。

相思相愛なのは一目瞭然でお似合いの二人だった。

それは学園内の誰もが知っていた事実。もちろん私の両親やターナー子爵夫妻もそれを知っていたがそれでも婚約を結ばせた。


『貴族なのだから結婚は義務だ、彼だってそれは承知しているから大丈夫だ。お前をとして大事にしてくれる、心配はない幸せになれる』

そう言った父とそれに頷いている母は貴族の顔をしていて迷いなど微塵もなかった。

貴族の家に生まれた私がそれに反論する選択肢はない、我が侯爵家の現状を考えれば黙って受け入れるしかなかった。

貴族の婚姻に愛は必ずしも必要はない。相思相愛でなくても夫婦として良好な関係を築くことは出来る。
たとえ愛人がいても夫が妻を正妻として尊重するのなら、妻は夫の愛人を受け入れることを求められる。

心では愛人の存在を拒絶しようがそれを表面に出さないのが良き妻とされるのだ。

それは貴族社会の抗えない現実、受け入れるしかない。
だから私は自分の想いをそっと胸に仕舞い込み婚約者の恋人も見て見ぬふりをした。

相思相愛の恋人達にとって邪魔者は明らかに婚約者である私の方なのだから。


 仕方がないわ。
 これが現実なのだから。
 愛し愛されるは当たり前のことではないもの…。
 彼に恋人がいるのは仕方がない。
 貴族なんてそんなものだもの。
 大丈夫、きっと大丈夫よ。 


だが私が弁えれば上手くいくはずという考えは甘かった。
婚約してから私を取り巻く学園生活は一変した。それまでは楽しく過ごしていたのに、カイルの婚約者になった私はなぜかとなってしまった。

『家の力で無理矢理婚約者になった女狐』
『仲睦まじい恋人達を引き裂く酷い女』

私の横を通り過ぎながら聞こえるように話される悪口の数々に胸が苦しくなる。
親しかった友人達もいつの間にか私から離れていってしまった。


切れ長の二重の目は少しだけきつい印象を人に与えるが、それでも今までは綺麗だと評されていた外見だった。だが今は『ほら見て、あの冷たそうな顔つき、やっぱりね‥‥』と言われている。


私は何も変わっていなかった、外見も中身も前と同じだ。ただ恋人がいるカイルの婚約者になっただけ、それも自分の意志でもない。

だけど傍から見れば爵位の釣り合いが取れている恋人同士に無理矢理割り込んできた侯爵家の令嬢に見えたのだろう。
『身分を笠に着て婚約者に納まった女』と陰口を叩かれる。だが私から我が家の恥となる内情を伝える訳にはいかない。そしてカイルも何も言わなかった。彼の場合は言えないというよりは自分にとって言う必要がないから言わないのだろうが…。

彼にとって守るべき相手はエミリー様であって婚約者の私ではなかった。

なので私は悪女となりカイルとエミリー様は守られるべき恋人達となった。


 どうしてこんなことになったのか。
 これはよくある貴族同士の政略結婚で私だけが責められる謂れなどないはずなのに。


カイルの恋人のエミリー様は人当たりが良く儚げな容姿と可憐な微笑みで多くの生徒達から好かれている、だからだろうか…。
それとも貴族が好む噂話に悪女の存在が丁度良かったのだろうか。



考えても仕方がないと分かっていても婚約解消を考えてしまう。これは家同士の契約で私の意見でどうにかなる問題ではないのに。


私は両親や婚約者やターナー子爵家に自分が置かれた状況を正直に伝えていた。彼が恋人と別れるのを求める為ではなく、私自身を取り巻く環境を変えたかったから。
婚約の解消が出来ないとしても噂を否定する手段を講じて欲しかった。


だが誰も動くことはなかった。

両親はちゃんと私が辛い思いをしているのを理解はしていたが、学園内の些細な噂で騒いで婚約解消になり金銭的援助がなくなることを恐れていた。だから『人の噂など気にするな、私達はちゃんと分かっているから大丈夫だ』と娘である私をただ慰めた。

 そんなことを求めていないわ。
 慰めなんて…いらないのよ、お父様。


ターナー子爵夫妻も同じようなものだった。家の為に政略結婚を受け入れた息子に煩くいって揉めるよりは見て見ぬふりをすることを選んだ。
『噂など一時だから。あまり気にせずにいてください。サマンサ様が将来のターナー子爵夫人なのですから』と笑って言っていた。

言われている当事者でない彼らには一時の私の辛さなど気にする価値もないのだろうか。


『悪女なんてただの噂だよ、サマンサ。
君がそんな女性でないことぐらい婚約者の私はちゃんと分かっている。それに…エミリーとはただの友人だから気にしないでくれ』

私が好きな優しい声で残酷な言葉を口にする婚約者。貴方のその言葉が私にとって一番辛いものだということに気がついているのかしら。
貴方は『ちゃんと分かっている』のに酷い噂を放置しているのだと私に告げたのよ。
そして嘘まで吐いている。

 
 ただの友人でないのは知っているわ。
 木陰で愛を囁いていたでしょう?
 指を絡ませていたでしょう?
 友人ならそんなことはしないものよ…、知らなかったの?


私の言葉を待つ彼らの視線に微笑みを返す。
この場では同意しか求められていない。そんなこと分かっている、だから私は求められている言葉を紡ぐ。

『ええ、分かっておりますわ』

私の言葉を聞き満足した人達は私の存在を忘れたかのように談笑し始める。
私への負い目を隠したいからなのか、それとも自分達の身勝手さを忘れたいからなのか、彼らが話す未来はいつも明るいものだった。

ただ私だけはその話の輪のなかには入らなかった、それだけが私に出来る小さな抵抗だった。



それからも私の学園生活は辛いことが多いままだった。誤解したままの人々、仲睦まじい恋人達、そして惨めで冷たい悪女のままの私。

どう足掻こうと配役は変わらない。それが人々が求めている真実だから。


だが私は侯爵家の娘として毅然とした態度で過ごしていた、それしか私に出来ることなどなかったからだ。
そしてその態度がまた周囲からは『傲慢な女』と新たな評価を受けるようになった。

人は勝手なものだ、婚約以前なら『立派な侯爵令嬢』と評していた態度も今は真逆の評価を下す。

 いったい何を見ているのだろうか。
 なにも変わってなどいないのに…。

不思議なものだ、何も変わっていなくても解釈を変えてまったく違うものするなんて。
もう私の立ち位置は決定されていて悪女の評価は変えようがなかった。



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