これで最後ですから覚悟してくださいませ、旦那様!

矢野りと

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8.妻は離縁の申し出を撤回しない

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――バンッ!

夕食の支度をしていると玄関の扉が勢いよく開けられる音がした。

泥棒かも?と慌てたりはしない。この家に盗むものなんてないから。でも可愛い娘になにかあったら大変なので、近くにあった物を武器とする。

 ……小さい…わ…

とっさに手に取ったのすり棒だった。副団長の奥さんから棍棒を借りておけば良かったと後悔していると、台所に誰かが飛び込んできたのでポカリと叩くと――それは夫だった。

 あらあら、どうしましょう…

幸いなことに夫は叩かれたことに気づいていない。いいえ、気づかないふりをしてくれている?
この際どっちでもいい、なかったことにしよう。


「うっ、うう…、カサナ……」
「おかえりなさい、リヴァイ」

涙と鼻水で顔を濡らした夫が強く抱きしめてくる。これは私が叩いたせいではない、帰ってきた時からこうだった。

明日の奥様情報網の新しい話題は『ぐしょぐしょリヴァイ、誰か見た?!』に違いない。


夫は私の名前を呼び続けながら、ぎゅうと更に力を込めて来る。抱きしめられているというよりは縋られている感じだ。

 夫よ、私は木じゃないぞ……。



トントンと夫の背中を手で叩き続ける。ぐずった娘をあやすように優しく、優しく、愛を込めて。

 …もう知っちゃったんだよね……?


彼は今日副団長の奥さんを訪問すると出掛けた。
そこで答えを見つけて、きっとそのご褒美に彼女から私が病魔に侵されていることを教えてもらったのだろう。

大の男が泣いて情けないとは思わない。

想い想われ、こうしてちゃんと向き合えて幸せだなって思っている。

甘いと言う人もいるかもしれない。
でも、愛の形に正解はないよね…。

  


「どうして病気のこと話してくれなかったんだ…」
「ごめんね、リヴァイ。もし先に伝えたら、あなたは私から離れなかったでしょ?私の病気のことで頭がいっぱいになって、それ以外は考えられなくなっていたでしょ?だから言わなかったの、未来のために」
「一分一秒だって離れなかった!でも、考えることは出来た……たぶん…」

夫は泣きながら弱々しく抗議してくるが、私はそうは思わない。

「本当にそれが出来たとリヴァイは思える?」

疑ってますと口調と眼差しで訴える。

「…っ……」

ほら、言葉に詰まっている。『出来るさっ!』と嘘をつかない点は褒めてあげるけど。

やはり真っ直ぐすぎる脳筋には難しいのだ、つまり話さなくて正解。

 

「リヴァイはどこまで聞いたの?」

取り乱しているところをみると、全部なんだろうと思うけど一応確認しておく。これから話し合いをするのに『それは聞いてない』では話が進まないから。

「カサナが病気で、一週間後に手術の予定だって。…でもとても危険な手術だって聞いた」

その認識で合っている。
どうやら副団長の奥さんの話にちゃんと耳を傾けていられたみたいだ。もし私が話していたら、きっとこうはいかなかった。

途中で夫がわんわん泣き始め、『最後までちゃんと聞いてっ!』と私が叫んで、進展がないまま一日が終わったに違いない。


――友人の判断に心から感謝する。



「手術が成功する確率は五パーセントくらいだって言われたわ」
「大丈夫だ!俺がちゃんと支えるから、一緒に頑張ろなっ、カサナ」
「もちろん頑張るわ。ほら、めそめそしないで、死ぬって決まっているわけじゃないのよ」

決定事項ではないけれど、成功率を考えたら片足が棺桶に入っている状態ともいえる。
でもちゃんと手術は受けるし生還するつもりだ。

備えあれば憂いなしだから、いろいろ考えて備えているだけ。格好良く言えば、真摯に現実と向き合っているというところだ。

良くも悪くも現実主義の私は、奇跡に縋るつもりはない。

 神様って気まぐれだしね…。

神を冒涜しているつもりはないけど、たまにしか起こらないから奇跡。…つまり期待はできない。




「死ぬなんて言うなっ!絶対に死なない、何があっても死んだりしないからな、カサナは!」

 ……死ぬって言い過ぎだからね……

「リヴァイのほうがたくさん死ぬって言ってるけど、いいの?」
「へ?……あっ!…。わ、忘れてくれ!」

私に指摘されると、夫は一瞬呆けてから気づき、青ざめ、それから分かりやすく落ち込んでいる。
必死なのにどこか抜けていてる夫のお陰で、いい感じに私の肩から力が抜けた。

夫婦って不思議なもので、変な感じでバランスが取れている。
 

『絶対に死なないのはゾンビだけよ』なんて冗談を言いたかったけど、今はそんな雰囲気ではなく、私は夫の涙が止まるのを待つ。

こんな泣き顔も好きだなと思いながら、彼の姿を目に焼き付ける。

――どんな夫でも覚えておきたい。

こんな時間でも私にとっては大切な時間。

 あとどれくらいこんな時間があるのかな…。



しばらくして夫が泣き止んでから私は口を開く。

「話し合いの続きをしましょう。答えを聞かせて、リヴァイ」
「ああ、聞いてくれ」

彼は真剣な表情で話し始めた。
リストに載っていた人達から聞いた話、感じたことなどを自分の言葉で丁寧に話す。決して話が上手な訳ではない。
途中で言い直したり、言葉に詰まって考え込んだり、それでも自分がそこから学んだことを必死に伝えてくる。

『許して欲しい』とは言わずに『傷つけてすまなかった』と言ってくれた。
……私の心に寄り添おうとしている。

彼は自分のしたことの意味を理解して後悔している。でも彼の過去の過ちは消えないし、私の心の傷もなくならない。

だから私は『本当に傷ついたのよ!』としっかりと怒る。

――許すなんて絶対に言わない。同じ過ちを繰り返さないで欲しいから。


私も自分の気持ちを隠すことなくぶつけていく。
言葉を惜しむことなく、時間を気にすることなく、お互いに目を逸らすことなく向き合い続けた。

ライラはその間ずっとすやすやと眠っていた。父と母のことを見守るかのように。

――頑張れ、二人とも!と夢の中で応援しているのかな。




自分の言葉ですべてを話し終えた夫は項垂れていた。今更だけど、自分の過ちの大きさに打ちのめされている。

 本当に遅いっ!

けど、気づけたからぎりぎり合格。
これも計画通りと言いたいところだけど、実は内心『分かりませんでした…』と言ってきたらどうしようと焦ってもいた。
常識から一人だけ抜け出すことは難しい、でも彼はやってくれた。

まだ気づけただけだけど、彼ならこれから本当の意味で変われると思う。これなら未来はそんなに悪くないはず。


「危なかったけど、合格よ。リヴァイ」
「カサナ、俺を見捨てないでくれて本当にありがとう」

私の望む答えに辿り着いてくれた夫を前にして、私は心からほっとしていた。
彼は『体調は大丈夫か?さあ、無理しないで』と私に横になるように勧めてくる。

彼はきっと話が終わったと思っている。

まだ終わっていない、大切なことが残っている。
そのためにこれを計画したのだから、最後までやらないと意味がない。



本当はこんなこと言いたくない。
でも、言わないといけない。

彼のために、娘のために、誰よりも自分のためだ。

迷いはない、それなのになぜか言葉が出てこない。顔を上に向けて滲み出てしまいそうになる涙を押し戻す。 



 まったく、しょうがないな…。


決めていたことでしょ?
明るい未来を残したいんでしょ?
自分で台無しにしてどうするのっ!


心のなかで意気地なしの自分を叱咤して奮い立たせる。続いて甘い言葉で自分の背中をそっと押す。

ささっと終わらせて一緒に温かい夕食を食べて、他愛もない話で笑って、いつものように過ごしましょ。
こんなふうに時間を使ったら勿体ないわ、ねっ?
たくさん笑って、笑って…。



――一秒でも長くそんな時間を刻みたい。


こんなところでグズグズしている時間が勿体ないと気持ちを切り替える。自分で言うのもなんだけど、現実主義のうえ単純で良かったなと思う。

 
さあ、仕上げといきましょうか、愛しい旦那様。 



「離縁しましょう、リヴァイ」



――これは私からの最後の贈り物。
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