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1巻
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こんなふうに泣いたのはいつぶりだろうか。まだ私が小さかったころ、サミリスだけが天使のようですねと褒められ、私は勝手に拗ねて隠れて泣いたときのことをふと思い出す。
『カナは僕の天使だよ。生まれたときから、今だってそう。そしてずっとだよ、忘れないで。ね? カナ』
『はい、おにいさま!』
泣きじゃくる私を見つけてくれた兄の言葉は魔法だった。
それは今も変わっていない。溜まっていた不安を吐き出した私が顔を上げると、兄は優しく微笑んでいた。その顔は幼い私を慰めてくれたときとまったく同じで、つられるように私も笑っていた。
「お兄様。私はモロデイ国の名に恥じぬよう、第一王女としての務めを果たしてまいります」
「カナニーア、気をつけて行ってこい。そして、見聞を広めてさっさと帰ってこい!」
「はい、お兄様!」
王太子としては失格な兄の言葉を、私はそっと胸の奥にしまう。
ここには私の居場所があるのだから、自分の務めを果たして堂々と帰ってくればいい。凛と前を向く私は、第一王女としての自分を取り戻していた。
そうして数刻後、「カナニーア様、万歳!!」と盛大に見送られ、最低限の用意とともに私はモロデイ国を慌ただしく出立したのだった。
二章 波乱に満ちた選定
私たちの旅は順調で、三日ほどでローゼン国が指定した国境沿いのある町に到着した。
ここで偽者や暗殺を企む輩が紛れ込むのを防ぐために一度身元の確認をしてから、ローゼン国の警護のもと王宮に向かう。
「すごい人ですね、カナニーア様。まさかこんなに多いとは思っておりませんでした……」
唖然としたのはドーラだけでなく私も同じだった。屋外の広い場所なのに、これでもかと着飾った妃候補たちとその供で足の踏み場がないほど混み合っている。まるで餌に群がる蟻の大群のようだ。
……私は一番控えめな蟻ね。これでは母国に戻る日も近いだろうと思う私に悲愴感はなく、兄はどんな砂糖菓子を買ってくれているかと呑気に考える。出立前にあれほど甘やかされたからか、驚くほど私は前向きだった。
「本当に多いわね。この人数で移動するのは難しくないかしら?」
「そうですね」
大きい集団ほど移動に時間がかかる。この規模だと、王宮に辿りつけるのはいつになるだろうか。
ローゼン国はおおよその人数を把握していたはずなのに、手を打っていないとは不思議だった。何か思惑があるのだろうかと考えていると、「次の方どうぞ」と呼ばれる。やっと順番が来たようだ。
「モロデイ国から参りました。第一王女のカナニーアと申します」
「えーと、モロデイ国ですね。少々お待ちください」
ローゼン国の者がなんだか戸惑った様子で、手元にある紙と私を何度も見比べている。
「申し訳ございませんが、事前に送られている絵姿と違いまして……。本当にモロデイ国の王女様でしょうか?」
「失礼なことを! このお方は、第一王女様で間違いございません」
絵姿をチラリと見るとそこに描かれていたのは私ではなく、モロデイの至宝と謳われる美姫サミリスだった。
はぁ……、とため息をつきたくなる。変更の連絡と一緒に私の絵姿を早馬で送ったけれど、まだ届いていないようだ。これでは疑われても仕方がない。ドーラは事情を説明しているけれど、明らかにこちらに落ち度がある。順番を最後に回してもらい、連絡が来るのを待って再確認してもらうしかないだろう。
「ドーラ、一旦列から外れましょう。ほかの人に迷惑をかけることになるわ」
「あら、そんなことありませんわ。せっかく待ったのですから、どうぞそのままで」
その場から離れようとすると、親切に声をかけてくれる人がいた。きらびやかな衣装をまとっているから、どこかの国の王女だろう。
「お気遣いありがとうございます。ですが、時間がかかりそうで――」
「それにしても、ずいぶんと盛っておりますわね。多少は見栄えよく描かせるものですが、これはやりすぎでは? それとも絵師の腕か目が悪かったのかしら? それならばお気の毒ですわ」
彼女が含み笑いしながら必要以上に大きな声で話すと、周囲からクスクスと笑い声が聞こえてきた。中にはわざわざ絵姿を覗き込み、モロデイ国の情報は当てにならないと嘲る者までいる。
覚悟はしていたけれど、まさかここまでとは思わなかった。
後宮の華の座を巡る戦いはすでに始まっていたのだ。ライバルはひとりでも少ないほうがいいということだろう。
同時にサミリスをよこさなくて本当によかったと思う。あの子だったら感情を露わにして、相手の思う壺になっていただろうから。
「この絵姿は私ではなく、第二王女のものです。我が国の事情で遅れておりますが、私の絵姿もすぐにお見せできると思います。そうしたらモロデイ国の情報が正しいことも、絵師の腕がよいことも証明できるかと。どうぞ楽しみに待っていてください」
こんなことでモロデイ国の信用を落としてはいけない。華やかさに欠ける王女でも、国の名誉は守れる。毅然と対応する私に一瞬相手は口ごもったが、すぐさま反撃してくる。
「ですが、お気の毒なのは変わりませんわ。たしか第二王女はモロデイの至宝と呼ばれるお方。それに対して第一王女の通り名は、すべてにおいて控えめな王女様だったかしら?」
侮蔑されているのは明らかだった。周囲の人たちも失笑している。
「……っな! いくらなんでも失礼す――」
「ドーラ」
我慢できずに反論しようとするドーラを止める。このまま言い争いを続けていては、ローゼン国の確認作業の邪魔をすることになってしまう。それに確認担当の者たちは他国の王族同士の諍いを仲裁できる立場でもない。これ以上彼らを困らせたくはなかった。
相手は興奮している。それならこの場は私が引き下がるしかない。それがモロデイの第一王女として取るべき態度だ。
その場を離れようとして、近くに先ほどまではいなかった人物が立っていることに気づく。その格好からたぶん騎士だろうが、身分は高そうにない。その手には一枚の絵姿が握られていた。
「はっ、たしかに盛りすぎだな。これでは誰かわからない。だが、その悪趣味な装飾は同じだからかろうじてわかるな、ゴーヤン王国第一王女サリー」
「はっ⁉」
私と言い争っていた女性が目を見開き、甲高い声を上げる。どうやら彼女のことのようだ。
騎士の発言は他国の王族への態度とは思えない。しかし嘲るような嫌な感じはなくて、私は胸がすっとした。……それに、実は私も心の中では悪趣味だなと思っていた。
サリー王女は怒り心頭のようで目を吊り上げ、肩を震わせている。
「ん? 何か言いたいことがあるのかな? 通称、ゴーヤンの行き遅れ殿」
騎士は挑発するように口角を上げ、サリー王女相手に不躾な言葉を重ねた。
これって、きっとそうよね……?
サリー王女が私に告げた言葉を、彼がなぞっていることに気づく。
「なんて失礼なことをっ! あなたなんてクビにしてあげるわ。私は後宮の華になるのよ、こんな不敬は許されないわ」
「失礼なことだと思うなら、まずあなたがカナニーア王女に詫びるべきだろ? 自分の発言を忘れたとは言わせない。それに俺はローゼン国の騎士だから、他国の王女にクビにする権限はない。ついでに言わせてもらえば、この顛末を知ってあなたを選ぶほど我が国の王は愚かじゃない」
――ありえない。
一介の騎士の発言に誰もがそう思っていただろう。間違ったことは何ひとつ言っていないけれど、普通ならば遠回しに諫めるものだ。恐れ知らずなのか、それとも馬鹿なのか。おそらく彼は正義感に溢れたまっすぐな人で、小国の王女が困っているのを見過ごせなかったのだろう。
その騎士の赤髪が風に揺れている。よく見ると瞳の色も真っ赤で、紅蓮の炎を連想させるようなその姿は見続けたら火傷しそうだ。
――なぜか目が離せない。
赤髪の騎士は私より少し年上に見える。背が高く細身だが、腕まくりした袖から覗く腕はがっしりしている。口調は乱暴だけど擦れた感じはなく、不思議な存在感があった。じっと見つめ続けるのは不躾だとわかっていても目が離せない。
まさか見惚れているの……?
浮かんだその問いをすぐさま否定する。彼が私を助けたせいで何らかの咎めを受けるならば、今度は私がモロデイ国の王女という立場を最大限に使って助けるべきだから気になっているだけ――恩に報いるのは当然のこと。
その答えに納得するように私が軽くうなずいていると、ドーラが耳打ちしてくる。
「カナニーア様、胸がすっとしましたね」
「そうね。それにあの騎士のおかげで助かったわ」
彼がいなかったら、まだサリー王女に私は絡まれていただろう。まずはこの場を収めてくれたことに対してお礼を言おうとしたが……
――ゴンッ。
容赦ない鉄槌が、赤髪の騎士の頭に振り落とされた。
「ヒィッ!」
裏返った声で叫んだのは、私でなくサリー王女だ。私は咄嗟に口に手を当てかろうじて声を抑える。
赤髪の騎士はなんとか踏ん張って倒れはしなかったけれど、頭に手を当てながら唸っている。あんなに大きな音がしたのだから、かなり痛いのだろう。
「ってーな! いきなりこの仕打ちは――」
「黙れ」
――ゴンッ!
赤髪の騎士よりもふた回りほど年上の騎士が二度目の鉄槌を下す。彼も赤髪、赤眼で、その格好から身分は高そうに思えた。
「血の繋がりがないとは思えませんね、カナニーア様」
「あれほど似ていたらそう思うわよね」
顔は似ていないけれど、あそこまで髪と瞳の色が同じならば、他人ではないはず。あんなに綺麗な赤を今まで見たことがない。周囲の人たちも同じように判断したのだろう、みな様子をうかがっている。
「大丈夫ですか?」
私は地面に倒れている赤髪の騎士の隣にしゃがみ込む。
「……うーん、痛てぇ」
「ひどく殴られましたから冷やしましょう。動かないで待っていてください。すぐに濡らした布を持ってきますから」
意識があるから大丈夫だろう。私が立ち上がろうとすると、彼は顔を伏せたまま「必要ない」と告げる。けれども、どう見ても痛そうだ。
「何か私にできることはありますか?」
「殺して……」
「……はぁ?」
王女らしからぬ間抜けな声が出てしまった。
痛さから逃れるためのうわ言ならば『そこまでひどい怪我ではないから助かります、頑張りましょう!』と励ましただろう。でも倒れたままの彼は、自分を殴り倒した騎士をしっかり指差していた。
つまり彼は、私に壮年の騎士を殺してくれと頼んでいる。ローゼン国へ赴くにあたっていろいろな場面を想定しその対応を考えてきたけれど、こんな場面は想定外だ。
……これはどうするのが正解? そもそも正解はあるのだろうか。助けを求めるようにドーラを見るも、返ってきたのは困惑した表情だけだった。
そのときハッとした、もしかしたらこれはローゼン国の隠語なのかもしれないと。だとしても残念ながら意味がわからない。
「申し訳ございません、どういう意味か教えて――」
「その者の戯言は聞かなかったことに願います。ただの馬鹿ですから」
倒れている騎士の耳元でそっと尋ねたつもりだったが、答えたのは壮年の騎士のほうだった。私はしゃがんだまま振り返って、壮年の騎士に尋ねる。
「ローゼン国の隠語などではないのですか?」
「いいえ違います。そのままの意味です、だから馬鹿なのです。あっ、もちろん馬鹿はそれですので、誤解なさらないでください」
壮年の騎士が指差した先には、倒れたままの騎士の姿があった。
……はい、そこは勘違いしておりません。そう言葉にするのも忍びないので、曖昧に微笑んでおく。
「申し訳ございません。私ったら早とちりをしてしまって……」
「こちらが……いいえ、こいつだけが悪いのですからお気になさらずに。そして、モロデイ国第一王女カナニーア様、さきほどはこちらの手違いで大変失礼いたしました」
壮年の騎士は見た目は厳ついが、とても腰が低かった。どこかの王女とは大違いである。
「いいえ、こちらこそ連絡が遅れて申し訳ございません」
今回の手違いはモロデイ国に落ち度がある。しかし、彼はローゼン国に非があるという形で収めた。それも周囲に聞こえるようにして、モロデイの王女の体面を守ってくれた。
……さすがはローゼン国だわ。モロデイは小国だからと無下にするのではなく、こうして最大限の配慮をする。ローゼン国が大国になったのは、こういうところが徹底されているからだろう。
壮年の騎士はコホンと咳払いをすると、再び口を開く。
「ご挨拶が遅くなりました。私はローゼン国の騎士団長ガルナン・ザザと申します。今回は王宮までの警護を任されております」
聞き耳を立てていた周囲がざわつく。ガルナン・ザザはローゼン国の赤い盾と呼ばれる人物で、現国王の右腕かつ遠戚だからだ。ローゼン国は王族以外は絵姿を晒さないので、名前を聞くまではみな気づかなかった。
国の中枢にいるべき彼がここにいる。ローゼン国が後宮の華選びに力を入れている証であり、もうなんらかの選定が始まっていることを意味していた。
サリー王女の顔から瞬く間に血の気が引いていく。彼女がさきほどまで言い争っていた赤髪の騎士は騎士団長とそっくり。ローゼン国の赤い盾までも敵に回してしまったのかと怯えているのだろう。
「……た、大変失礼いたしました」
「こちらこそ、若輩者が失礼を。ローゼン国王にはしっかりと報告を上げておきますゆえ、この者の無礼は許していただきたい」
「も、もちろんです。では、確認も済みましたので失礼いたしますわ」
サリー王女は脱兎のごとく去っていく。結局、彼女は私や若い赤髪の騎士に謝らなかったが、そんな余裕などないのだろう。ドーラは不満げな顔をしているけれど、ああいう人は自滅するとわかっているから何も言わなかった。己の行いはいつか自分に返ってくる。
このよくわからない展開が終わってほっとしていると、倒れていた騎士がムクッと起き上がった。
「ったく、容赦ねぇな」
殴られた箇所を片手で押さえて眉をひそめているけれど、顔色は悪くない。そんな彼の頭を騎士団長が容赦なく鷲掴みにする。
「カナニーア様、この者の失礼な態度をお許しください」
「そこさっき殴ったところだぞっ!」
騎士団長はジタバタする赤髪の騎士にかまうことなく掴んでいる頭を無理矢理下げさせた。そのやり取りは荒っぽいけれど、なんだか微笑ましくもある。やはり近しい関係なのだろう。
「彼は私を助けてくれたのです。謝っていただくことは何もありません。本当にありがとうございました」
彼の名を知らないので、赤髪の騎士の顔をまっすぐに見ながら感謝を告げた。私の言葉を聞いた騎士団長が手をわずかに緩めると、その一瞬の隙に赤髪の騎士は距離を取る。その驚くほど速い身のこなしに、私は目を見張る。
「カナニーア王女、俺の名はタイキだ。見てわかる通り、そこの頭の固い騎士団長とは親戚だ」
「おい、タイキ。口の利き方に気をつけろ、ローゼン国とは違う」
騎士団長に注意されたタイキは、めんどくせぇなと文句を言いながらも姿勢を正す。
「カナニーア王女、申し訳ございません。私はタイキと申します。荒くれ者が多い飛狼竜騎士団に所属しているので、この通り口が悪いのですが、大目に見ていただけると助かります」
一瞬でその場が静まり返る。その理由はひとつ、彼が飛狼竜騎士と名乗ったからだ。
ローゼン国には飛狼竜という希少な生き物が生息している。その名の通り狼と想像上の生き物である竜を混ぜ合わせたような見た目で、その醜さ、恐ろしさ、獰猛さでは他の追随を許さないといわれている。
そんな飛狼竜を飼い馴らすのは至難の業で、唯一うまく操っているのがローゼン国の飛狼竜騎士団である。獰猛な飛狼竜を相手にしているので言動は荒いらしいが、その地位は高く一目置かれる存在としてその名を轟かせている。
飛狼竜と騎士は対が決まっており基本行動をともにする。
つまり彼が飛狼竜騎士としてここにいるのならば、飛狼竜も近くにいる。いくら飼い馴らされているとはいえ、間違いが起こらないとは限らない。戦場では敵国の死体を餌にしていて、彼らが加わった戦いのあとは血の一滴も残されずとても綺麗だという……
みな、まだ姿を見せない飛狼竜に怯えているのだ。
人々の視線を感じているだろうが、こういう視線に慣れているのかタイキの表情は変わらない。
「タイキ様、本当に助かりました。それから言葉遣いはお気になさらずに、普段通りでお願いいたします」
彼の言葉遣いは丁寧ではなくとも、私を侮ってのことではない。それならば自然体で接してもらったほうが気が楽だ。時と場所を考えればよいだけで、お互いに了承の上ならなんの問題もない。
「それは助かるな。じゃあ、カナニーア王女も俺には堅っ苦しい敬語はなしにしてくれ。俺だけだと、ほらっ、騎士団長にまたやられるからなー」
彼の視線の先には、目を吊り上げて私たち――ではなく、タイキを睨む騎士団長がいた。タイキはまた『やられる』と言っていたが、たぶん『殺られる』が正しいのかもしれない……
「はい、タイキ様。そう言ってもらえてうれしいです。これからは私も気軽に話しますね」
タイキが殺られては大変だから、ちゃんと騎士団長に聞こえるように声を大きくする。……殺られそうにないけど、念のため。
彼は様もいらないと言ったけれど、それは丁重にお断りした。家族以外の男性の名を呼び捨てにしないのが、モロデイ国の文化だからだ。
そのとき、ひとりの従者が周囲に押される形で前へ出てきた。その後ろでは彼の主君だろう、十歳くらいの着飾った少女が子兎のように震えている。王族間の婚姻は成人前でも認められてるので、政略のために幼くして嫁ぐこともある。ただ今回のように後宮の華候補として争うにはあまりにかわいそうだと思ってしまう。
「騎士団長殿、私はダンテ国の王女の従者でございます。お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
従者は尋常ではない汗を流しながら、騎士団長の返事を待つことなく言葉を続ける。
「そ、そこにひとり、飛狼竜騎士がいるということは、今回の警護には、ひ、飛狼竜騎士団も参加するのでしょうか?」
「もちろん加わる。まだ彼しか到着していないが、明日の朝には全員揃うはずだ。そうしたら王宮に向けて出発する」
――バタンッ。
騎士団長の言葉を聞くなり、震えていた少女は気を失って倒れた。それに触発されたのか、次々に着飾った後宮の華候補たちやお付きの侍女たちがあとに続く。
「あんな獰猛な生き物と一緒なんて、ごめんだわ」
「ローゼン国は何を考えている!」
「王女様に万が一のことがあったらどうするんだ……」
倒れていない王女や従者たちからは一斉に不満の声が上がる。
「騎士団長殿! 我が国の王女は繊細ですので、飛狼竜のそばで何日も過ごすなんて耐えられません。警護の変更をお願いします!」
別の従者がそう訴えると、ほかの者たちも我々にはその権利があるという態度で追従する。興奮しているのもあるだろうが、それ以上に集団だから強気なのだろう。
飛狼竜騎士団が他国の王族の警護についたことが今まで一度もなかったのは、こういう反応を予想してなのかもしれない。
「はぁ……、めんどくせぇヤツら」
ぼそっとタイキがつぶやく。騎士団長の耳にも彼の言葉は届いているだろうが、咎めはしなかった。
そうだろう、あれは抗議ではなくただの我儘。その国にはその国のやり方があり、招かれた私たちが自国の判断基準を押しつけるのは正しいとはいえない。
「ここに飛狼竜騎士団を派遣したのはローゼン国王ですので、承服できない場合は去ってもらってかまいません。また、もうひとつ重要な知らせがあります。供の人数は各国三名まででお願いします。すべてこちらで用意しておりますので、その人数で足りるはずです」
騎士団長の口調はあくまでも丁寧だったが、反論は受けつけないとその顔には書いてある。この決定に変更の余地はないのだ。
「供が三人なんて少なすぎますわ。髪を結う者、着付けをする者、体を清める者、大量の荷物を運ぶ者とそれぞれ役割を持ってきているのです。誰ひとり余分な者なんておりませんわ」
ローゼン国に次いで大きな国の王女がそう訴えると、周囲の数人の妃候補たちもここぞとばかりにうなずいてみせる。
――まだ自分の立場をわかっていない者もいるようだ。私たちはただの客人ではない、ローゼン国の妃に選ばれるためにここにいるのに。
「ローゼン国のやり方が受け入れられないのなら、そもそもあなた様に我が国の妃は務まりませんでしょうから、どうかお引き取りを」
「……っ、なんですって!」
馬鹿にされたと思った王女は騎士団長に持っていた扇を投げつける。当たりはしなかったけれど、それに反応したのはタイキだった。
「遠回しに言ってもわからないようだな。飛狼竜騎士団が警護するんだ、外からの攻撃は完璧に防ぐから安心しろ。だがな、余計な餌がうろちょろしていると飛狼竜の気が散るんだよっ。間違って食われちまっても自己責任だからな」
タイキはひと呼吸置いてから、冷ややかだが人を惹きつける笑みを浮かべる。
「ローゼン国は人数を減らせと忠告した。それを守らずに、従者がある朝消えていても文句は言うな。もちろん、その綺麗な手が欠けて扇が持てなくなってもな……」
「ヒィッー!」
さっきまでの威勢はどこに行ったのか、王女は腰を抜かす。そして、さきほど倒れなかった者たちも次々に気を失っていく。
私だって飛狼竜は恐ろしいと思う。実際に目にしたことはないからこそ、余計に想像力が掻き立てられてしまうのだ。やはり怖いものは怖い。
でも、タイキの食われちまう発言は……たぶん嘘。ローゼン国が警護にそんな危ないものをつけたりはしないはず。そう信じているし、信じたい! それに、万が一にそういう事態になっても控えめな私は最後で、女性の魅力が溢れている人たちが先だと思う。野菜だっておいしそうなものから虫に食われる……
辿りついた正解? にほっとしつつも微妙な気持ちになった。
「モロデイ国の王女は豪胆だなー。飛狼竜が怖くないのか?」
タイキが声をかけてくる。おもしろいものを見つけたと思っているのか、その声音は弾んでいる。怖がっていることを悟られるのはなんだか癪だが、怒るのも違う。
「怖いですよ。でももし食べるにしても、おいしそうな人たちからじゃないかしら。私はあまり食べるところがないから」
「それもそうだなー。だが、俺の飛狼竜は骨をしゃぶるのが好きだぞ」
「……」
冗談を言ったつもりだったが、その平然とした返しに不安が募っていく。
「カナニーア様。タイキ様はあんなことを言っていましたが、飛狼竜はやはりお肉が一番好きですよね……?」
そのとき神妙な面持ちのドーラが、小さな声で尋ねてくる。彼女も私と同じで細身だから、気になっているのだろう。
「……大丈夫よ。私が飛狼竜だったら、まず豊満なお肉をいただくわ。そしてお腹がいっぱいになってしまって、デザートの骨は食べられない」
「そうですよね! 私もそう思っておりました!」
ドーラの表情がぱぁっと明るくなると、私は彼女の手を両手で握りしめる。そして彼女にしか聞こえないように囁く。
「あんなに魅力的な方たちがたくさんいるのだから、万が一があってもきっと平気よ、ドーラ」
「はい! カナニーア様」
タイキの言葉を否定してほしくて、チラリと騎士団長を見ると、それはもう真面目な顔で「肉食ですから」と言った。
騎士団長様、嘘でも大丈夫ですと言ってほしかったです……
『カナは僕の天使だよ。生まれたときから、今だってそう。そしてずっとだよ、忘れないで。ね? カナ』
『はい、おにいさま!』
泣きじゃくる私を見つけてくれた兄の言葉は魔法だった。
それは今も変わっていない。溜まっていた不安を吐き出した私が顔を上げると、兄は優しく微笑んでいた。その顔は幼い私を慰めてくれたときとまったく同じで、つられるように私も笑っていた。
「お兄様。私はモロデイ国の名に恥じぬよう、第一王女としての務めを果たしてまいります」
「カナニーア、気をつけて行ってこい。そして、見聞を広めてさっさと帰ってこい!」
「はい、お兄様!」
王太子としては失格な兄の言葉を、私はそっと胸の奥にしまう。
ここには私の居場所があるのだから、自分の務めを果たして堂々と帰ってくればいい。凛と前を向く私は、第一王女としての自分を取り戻していた。
そうして数刻後、「カナニーア様、万歳!!」と盛大に見送られ、最低限の用意とともに私はモロデイ国を慌ただしく出立したのだった。
二章 波乱に満ちた選定
私たちの旅は順調で、三日ほどでローゼン国が指定した国境沿いのある町に到着した。
ここで偽者や暗殺を企む輩が紛れ込むのを防ぐために一度身元の確認をしてから、ローゼン国の警護のもと王宮に向かう。
「すごい人ですね、カナニーア様。まさかこんなに多いとは思っておりませんでした……」
唖然としたのはドーラだけでなく私も同じだった。屋外の広い場所なのに、これでもかと着飾った妃候補たちとその供で足の踏み場がないほど混み合っている。まるで餌に群がる蟻の大群のようだ。
……私は一番控えめな蟻ね。これでは母国に戻る日も近いだろうと思う私に悲愴感はなく、兄はどんな砂糖菓子を買ってくれているかと呑気に考える。出立前にあれほど甘やかされたからか、驚くほど私は前向きだった。
「本当に多いわね。この人数で移動するのは難しくないかしら?」
「そうですね」
大きい集団ほど移動に時間がかかる。この規模だと、王宮に辿りつけるのはいつになるだろうか。
ローゼン国はおおよその人数を把握していたはずなのに、手を打っていないとは不思議だった。何か思惑があるのだろうかと考えていると、「次の方どうぞ」と呼ばれる。やっと順番が来たようだ。
「モロデイ国から参りました。第一王女のカナニーアと申します」
「えーと、モロデイ国ですね。少々お待ちください」
ローゼン国の者がなんだか戸惑った様子で、手元にある紙と私を何度も見比べている。
「申し訳ございませんが、事前に送られている絵姿と違いまして……。本当にモロデイ国の王女様でしょうか?」
「失礼なことを! このお方は、第一王女様で間違いございません」
絵姿をチラリと見るとそこに描かれていたのは私ではなく、モロデイの至宝と謳われる美姫サミリスだった。
はぁ……、とため息をつきたくなる。変更の連絡と一緒に私の絵姿を早馬で送ったけれど、まだ届いていないようだ。これでは疑われても仕方がない。ドーラは事情を説明しているけれど、明らかにこちらに落ち度がある。順番を最後に回してもらい、連絡が来るのを待って再確認してもらうしかないだろう。
「ドーラ、一旦列から外れましょう。ほかの人に迷惑をかけることになるわ」
「あら、そんなことありませんわ。せっかく待ったのですから、どうぞそのままで」
その場から離れようとすると、親切に声をかけてくれる人がいた。きらびやかな衣装をまとっているから、どこかの国の王女だろう。
「お気遣いありがとうございます。ですが、時間がかかりそうで――」
「それにしても、ずいぶんと盛っておりますわね。多少は見栄えよく描かせるものですが、これはやりすぎでは? それとも絵師の腕か目が悪かったのかしら? それならばお気の毒ですわ」
彼女が含み笑いしながら必要以上に大きな声で話すと、周囲からクスクスと笑い声が聞こえてきた。中にはわざわざ絵姿を覗き込み、モロデイ国の情報は当てにならないと嘲る者までいる。
覚悟はしていたけれど、まさかここまでとは思わなかった。
後宮の華の座を巡る戦いはすでに始まっていたのだ。ライバルはひとりでも少ないほうがいいということだろう。
同時にサミリスをよこさなくて本当によかったと思う。あの子だったら感情を露わにして、相手の思う壺になっていただろうから。
「この絵姿は私ではなく、第二王女のものです。我が国の事情で遅れておりますが、私の絵姿もすぐにお見せできると思います。そうしたらモロデイ国の情報が正しいことも、絵師の腕がよいことも証明できるかと。どうぞ楽しみに待っていてください」
こんなことでモロデイ国の信用を落としてはいけない。華やかさに欠ける王女でも、国の名誉は守れる。毅然と対応する私に一瞬相手は口ごもったが、すぐさま反撃してくる。
「ですが、お気の毒なのは変わりませんわ。たしか第二王女はモロデイの至宝と呼ばれるお方。それに対して第一王女の通り名は、すべてにおいて控えめな王女様だったかしら?」
侮蔑されているのは明らかだった。周囲の人たちも失笑している。
「……っな! いくらなんでも失礼す――」
「ドーラ」
我慢できずに反論しようとするドーラを止める。このまま言い争いを続けていては、ローゼン国の確認作業の邪魔をすることになってしまう。それに確認担当の者たちは他国の王族同士の諍いを仲裁できる立場でもない。これ以上彼らを困らせたくはなかった。
相手は興奮している。それならこの場は私が引き下がるしかない。それがモロデイの第一王女として取るべき態度だ。
その場を離れようとして、近くに先ほどまではいなかった人物が立っていることに気づく。その格好からたぶん騎士だろうが、身分は高そうにない。その手には一枚の絵姿が握られていた。
「はっ、たしかに盛りすぎだな。これでは誰かわからない。だが、その悪趣味な装飾は同じだからかろうじてわかるな、ゴーヤン王国第一王女サリー」
「はっ⁉」
私と言い争っていた女性が目を見開き、甲高い声を上げる。どうやら彼女のことのようだ。
騎士の発言は他国の王族への態度とは思えない。しかし嘲るような嫌な感じはなくて、私は胸がすっとした。……それに、実は私も心の中では悪趣味だなと思っていた。
サリー王女は怒り心頭のようで目を吊り上げ、肩を震わせている。
「ん? 何か言いたいことがあるのかな? 通称、ゴーヤンの行き遅れ殿」
騎士は挑発するように口角を上げ、サリー王女相手に不躾な言葉を重ねた。
これって、きっとそうよね……?
サリー王女が私に告げた言葉を、彼がなぞっていることに気づく。
「なんて失礼なことをっ! あなたなんてクビにしてあげるわ。私は後宮の華になるのよ、こんな不敬は許されないわ」
「失礼なことだと思うなら、まずあなたがカナニーア王女に詫びるべきだろ? 自分の発言を忘れたとは言わせない。それに俺はローゼン国の騎士だから、他国の王女にクビにする権限はない。ついでに言わせてもらえば、この顛末を知ってあなたを選ぶほど我が国の王は愚かじゃない」
――ありえない。
一介の騎士の発言に誰もがそう思っていただろう。間違ったことは何ひとつ言っていないけれど、普通ならば遠回しに諫めるものだ。恐れ知らずなのか、それとも馬鹿なのか。おそらく彼は正義感に溢れたまっすぐな人で、小国の王女が困っているのを見過ごせなかったのだろう。
その騎士の赤髪が風に揺れている。よく見ると瞳の色も真っ赤で、紅蓮の炎を連想させるようなその姿は見続けたら火傷しそうだ。
――なぜか目が離せない。
赤髪の騎士は私より少し年上に見える。背が高く細身だが、腕まくりした袖から覗く腕はがっしりしている。口調は乱暴だけど擦れた感じはなく、不思議な存在感があった。じっと見つめ続けるのは不躾だとわかっていても目が離せない。
まさか見惚れているの……?
浮かんだその問いをすぐさま否定する。彼が私を助けたせいで何らかの咎めを受けるならば、今度は私がモロデイ国の王女という立場を最大限に使って助けるべきだから気になっているだけ――恩に報いるのは当然のこと。
その答えに納得するように私が軽くうなずいていると、ドーラが耳打ちしてくる。
「カナニーア様、胸がすっとしましたね」
「そうね。それにあの騎士のおかげで助かったわ」
彼がいなかったら、まだサリー王女に私は絡まれていただろう。まずはこの場を収めてくれたことに対してお礼を言おうとしたが……
――ゴンッ。
容赦ない鉄槌が、赤髪の騎士の頭に振り落とされた。
「ヒィッ!」
裏返った声で叫んだのは、私でなくサリー王女だ。私は咄嗟に口に手を当てかろうじて声を抑える。
赤髪の騎士はなんとか踏ん張って倒れはしなかったけれど、頭に手を当てながら唸っている。あんなに大きな音がしたのだから、かなり痛いのだろう。
「ってーな! いきなりこの仕打ちは――」
「黙れ」
――ゴンッ!
赤髪の騎士よりもふた回りほど年上の騎士が二度目の鉄槌を下す。彼も赤髪、赤眼で、その格好から身分は高そうに思えた。
「血の繋がりがないとは思えませんね、カナニーア様」
「あれほど似ていたらそう思うわよね」
顔は似ていないけれど、あそこまで髪と瞳の色が同じならば、他人ではないはず。あんなに綺麗な赤を今まで見たことがない。周囲の人たちも同じように判断したのだろう、みな様子をうかがっている。
「大丈夫ですか?」
私は地面に倒れている赤髪の騎士の隣にしゃがみ込む。
「……うーん、痛てぇ」
「ひどく殴られましたから冷やしましょう。動かないで待っていてください。すぐに濡らした布を持ってきますから」
意識があるから大丈夫だろう。私が立ち上がろうとすると、彼は顔を伏せたまま「必要ない」と告げる。けれども、どう見ても痛そうだ。
「何か私にできることはありますか?」
「殺して……」
「……はぁ?」
王女らしからぬ間抜けな声が出てしまった。
痛さから逃れるためのうわ言ならば『そこまでひどい怪我ではないから助かります、頑張りましょう!』と励ましただろう。でも倒れたままの彼は、自分を殴り倒した騎士をしっかり指差していた。
つまり彼は、私に壮年の騎士を殺してくれと頼んでいる。ローゼン国へ赴くにあたっていろいろな場面を想定しその対応を考えてきたけれど、こんな場面は想定外だ。
……これはどうするのが正解? そもそも正解はあるのだろうか。助けを求めるようにドーラを見るも、返ってきたのは困惑した表情だけだった。
そのときハッとした、もしかしたらこれはローゼン国の隠語なのかもしれないと。だとしても残念ながら意味がわからない。
「申し訳ございません、どういう意味か教えて――」
「その者の戯言は聞かなかったことに願います。ただの馬鹿ですから」
倒れている騎士の耳元でそっと尋ねたつもりだったが、答えたのは壮年の騎士のほうだった。私はしゃがんだまま振り返って、壮年の騎士に尋ねる。
「ローゼン国の隠語などではないのですか?」
「いいえ違います。そのままの意味です、だから馬鹿なのです。あっ、もちろん馬鹿はそれですので、誤解なさらないでください」
壮年の騎士が指差した先には、倒れたままの騎士の姿があった。
……はい、そこは勘違いしておりません。そう言葉にするのも忍びないので、曖昧に微笑んでおく。
「申し訳ございません。私ったら早とちりをしてしまって……」
「こちらが……いいえ、こいつだけが悪いのですからお気になさらずに。そして、モロデイ国第一王女カナニーア様、さきほどはこちらの手違いで大変失礼いたしました」
壮年の騎士は見た目は厳ついが、とても腰が低かった。どこかの王女とは大違いである。
「いいえ、こちらこそ連絡が遅れて申し訳ございません」
今回の手違いはモロデイ国に落ち度がある。しかし、彼はローゼン国に非があるという形で収めた。それも周囲に聞こえるようにして、モロデイの王女の体面を守ってくれた。
……さすがはローゼン国だわ。モロデイは小国だからと無下にするのではなく、こうして最大限の配慮をする。ローゼン国が大国になったのは、こういうところが徹底されているからだろう。
壮年の騎士はコホンと咳払いをすると、再び口を開く。
「ご挨拶が遅くなりました。私はローゼン国の騎士団長ガルナン・ザザと申します。今回は王宮までの警護を任されております」
聞き耳を立てていた周囲がざわつく。ガルナン・ザザはローゼン国の赤い盾と呼ばれる人物で、現国王の右腕かつ遠戚だからだ。ローゼン国は王族以外は絵姿を晒さないので、名前を聞くまではみな気づかなかった。
国の中枢にいるべき彼がここにいる。ローゼン国が後宮の華選びに力を入れている証であり、もうなんらかの選定が始まっていることを意味していた。
サリー王女の顔から瞬く間に血の気が引いていく。彼女がさきほどまで言い争っていた赤髪の騎士は騎士団長とそっくり。ローゼン国の赤い盾までも敵に回してしまったのかと怯えているのだろう。
「……た、大変失礼いたしました」
「こちらこそ、若輩者が失礼を。ローゼン国王にはしっかりと報告を上げておきますゆえ、この者の無礼は許していただきたい」
「も、もちろんです。では、確認も済みましたので失礼いたしますわ」
サリー王女は脱兎のごとく去っていく。結局、彼女は私や若い赤髪の騎士に謝らなかったが、そんな余裕などないのだろう。ドーラは不満げな顔をしているけれど、ああいう人は自滅するとわかっているから何も言わなかった。己の行いはいつか自分に返ってくる。
このよくわからない展開が終わってほっとしていると、倒れていた騎士がムクッと起き上がった。
「ったく、容赦ねぇな」
殴られた箇所を片手で押さえて眉をひそめているけれど、顔色は悪くない。そんな彼の頭を騎士団長が容赦なく鷲掴みにする。
「カナニーア様、この者の失礼な態度をお許しください」
「そこさっき殴ったところだぞっ!」
騎士団長はジタバタする赤髪の騎士にかまうことなく掴んでいる頭を無理矢理下げさせた。そのやり取りは荒っぽいけれど、なんだか微笑ましくもある。やはり近しい関係なのだろう。
「彼は私を助けてくれたのです。謝っていただくことは何もありません。本当にありがとうございました」
彼の名を知らないので、赤髪の騎士の顔をまっすぐに見ながら感謝を告げた。私の言葉を聞いた騎士団長が手をわずかに緩めると、その一瞬の隙に赤髪の騎士は距離を取る。その驚くほど速い身のこなしに、私は目を見張る。
「カナニーア王女、俺の名はタイキだ。見てわかる通り、そこの頭の固い騎士団長とは親戚だ」
「おい、タイキ。口の利き方に気をつけろ、ローゼン国とは違う」
騎士団長に注意されたタイキは、めんどくせぇなと文句を言いながらも姿勢を正す。
「カナニーア王女、申し訳ございません。私はタイキと申します。荒くれ者が多い飛狼竜騎士団に所属しているので、この通り口が悪いのですが、大目に見ていただけると助かります」
一瞬でその場が静まり返る。その理由はひとつ、彼が飛狼竜騎士と名乗ったからだ。
ローゼン国には飛狼竜という希少な生き物が生息している。その名の通り狼と想像上の生き物である竜を混ぜ合わせたような見た目で、その醜さ、恐ろしさ、獰猛さでは他の追随を許さないといわれている。
そんな飛狼竜を飼い馴らすのは至難の業で、唯一うまく操っているのがローゼン国の飛狼竜騎士団である。獰猛な飛狼竜を相手にしているので言動は荒いらしいが、その地位は高く一目置かれる存在としてその名を轟かせている。
飛狼竜と騎士は対が決まっており基本行動をともにする。
つまり彼が飛狼竜騎士としてここにいるのならば、飛狼竜も近くにいる。いくら飼い馴らされているとはいえ、間違いが起こらないとは限らない。戦場では敵国の死体を餌にしていて、彼らが加わった戦いのあとは血の一滴も残されずとても綺麗だという……
みな、まだ姿を見せない飛狼竜に怯えているのだ。
人々の視線を感じているだろうが、こういう視線に慣れているのかタイキの表情は変わらない。
「タイキ様、本当に助かりました。それから言葉遣いはお気になさらずに、普段通りでお願いいたします」
彼の言葉遣いは丁寧ではなくとも、私を侮ってのことではない。それならば自然体で接してもらったほうが気が楽だ。時と場所を考えればよいだけで、お互いに了承の上ならなんの問題もない。
「それは助かるな。じゃあ、カナニーア王女も俺には堅っ苦しい敬語はなしにしてくれ。俺だけだと、ほらっ、騎士団長にまたやられるからなー」
彼の視線の先には、目を吊り上げて私たち――ではなく、タイキを睨む騎士団長がいた。タイキはまた『やられる』と言っていたが、たぶん『殺られる』が正しいのかもしれない……
「はい、タイキ様。そう言ってもらえてうれしいです。これからは私も気軽に話しますね」
タイキが殺られては大変だから、ちゃんと騎士団長に聞こえるように声を大きくする。……殺られそうにないけど、念のため。
彼は様もいらないと言ったけれど、それは丁重にお断りした。家族以外の男性の名を呼び捨てにしないのが、モロデイ国の文化だからだ。
そのとき、ひとりの従者が周囲に押される形で前へ出てきた。その後ろでは彼の主君だろう、十歳くらいの着飾った少女が子兎のように震えている。王族間の婚姻は成人前でも認められてるので、政略のために幼くして嫁ぐこともある。ただ今回のように後宮の華候補として争うにはあまりにかわいそうだと思ってしまう。
「騎士団長殿、私はダンテ国の王女の従者でございます。お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
従者は尋常ではない汗を流しながら、騎士団長の返事を待つことなく言葉を続ける。
「そ、そこにひとり、飛狼竜騎士がいるということは、今回の警護には、ひ、飛狼竜騎士団も参加するのでしょうか?」
「もちろん加わる。まだ彼しか到着していないが、明日の朝には全員揃うはずだ。そうしたら王宮に向けて出発する」
――バタンッ。
騎士団長の言葉を聞くなり、震えていた少女は気を失って倒れた。それに触発されたのか、次々に着飾った後宮の華候補たちやお付きの侍女たちがあとに続く。
「あんな獰猛な生き物と一緒なんて、ごめんだわ」
「ローゼン国は何を考えている!」
「王女様に万が一のことがあったらどうするんだ……」
倒れていない王女や従者たちからは一斉に不満の声が上がる。
「騎士団長殿! 我が国の王女は繊細ですので、飛狼竜のそばで何日も過ごすなんて耐えられません。警護の変更をお願いします!」
別の従者がそう訴えると、ほかの者たちも我々にはその権利があるという態度で追従する。興奮しているのもあるだろうが、それ以上に集団だから強気なのだろう。
飛狼竜騎士団が他国の王族の警護についたことが今まで一度もなかったのは、こういう反応を予想してなのかもしれない。
「はぁ……、めんどくせぇヤツら」
ぼそっとタイキがつぶやく。騎士団長の耳にも彼の言葉は届いているだろうが、咎めはしなかった。
そうだろう、あれは抗議ではなくただの我儘。その国にはその国のやり方があり、招かれた私たちが自国の判断基準を押しつけるのは正しいとはいえない。
「ここに飛狼竜騎士団を派遣したのはローゼン国王ですので、承服できない場合は去ってもらってかまいません。また、もうひとつ重要な知らせがあります。供の人数は各国三名まででお願いします。すべてこちらで用意しておりますので、その人数で足りるはずです」
騎士団長の口調はあくまでも丁寧だったが、反論は受けつけないとその顔には書いてある。この決定に変更の余地はないのだ。
「供が三人なんて少なすぎますわ。髪を結う者、着付けをする者、体を清める者、大量の荷物を運ぶ者とそれぞれ役割を持ってきているのです。誰ひとり余分な者なんておりませんわ」
ローゼン国に次いで大きな国の王女がそう訴えると、周囲の数人の妃候補たちもここぞとばかりにうなずいてみせる。
――まだ自分の立場をわかっていない者もいるようだ。私たちはただの客人ではない、ローゼン国の妃に選ばれるためにここにいるのに。
「ローゼン国のやり方が受け入れられないのなら、そもそもあなた様に我が国の妃は務まりませんでしょうから、どうかお引き取りを」
「……っ、なんですって!」
馬鹿にされたと思った王女は騎士団長に持っていた扇を投げつける。当たりはしなかったけれど、それに反応したのはタイキだった。
「遠回しに言ってもわからないようだな。飛狼竜騎士団が警護するんだ、外からの攻撃は完璧に防ぐから安心しろ。だがな、余計な餌がうろちょろしていると飛狼竜の気が散るんだよっ。間違って食われちまっても自己責任だからな」
タイキはひと呼吸置いてから、冷ややかだが人を惹きつける笑みを浮かべる。
「ローゼン国は人数を減らせと忠告した。それを守らずに、従者がある朝消えていても文句は言うな。もちろん、その綺麗な手が欠けて扇が持てなくなってもな……」
「ヒィッー!」
さっきまでの威勢はどこに行ったのか、王女は腰を抜かす。そして、さきほど倒れなかった者たちも次々に気を失っていく。
私だって飛狼竜は恐ろしいと思う。実際に目にしたことはないからこそ、余計に想像力が掻き立てられてしまうのだ。やはり怖いものは怖い。
でも、タイキの食われちまう発言は……たぶん嘘。ローゼン国が警護にそんな危ないものをつけたりはしないはず。そう信じているし、信じたい! それに、万が一にそういう事態になっても控えめな私は最後で、女性の魅力が溢れている人たちが先だと思う。野菜だっておいしそうなものから虫に食われる……
辿りついた正解? にほっとしつつも微妙な気持ちになった。
「モロデイ国の王女は豪胆だなー。飛狼竜が怖くないのか?」
タイキが声をかけてくる。おもしろいものを見つけたと思っているのか、その声音は弾んでいる。怖がっていることを悟られるのはなんだか癪だが、怒るのも違う。
「怖いですよ。でももし食べるにしても、おいしそうな人たちからじゃないかしら。私はあまり食べるところがないから」
「それもそうだなー。だが、俺の飛狼竜は骨をしゃぶるのが好きだぞ」
「……」
冗談を言ったつもりだったが、その平然とした返しに不安が募っていく。
「カナニーア様。タイキ様はあんなことを言っていましたが、飛狼竜はやはりお肉が一番好きですよね……?」
そのとき神妙な面持ちのドーラが、小さな声で尋ねてくる。彼女も私と同じで細身だから、気になっているのだろう。
「……大丈夫よ。私が飛狼竜だったら、まず豊満なお肉をいただくわ。そしてお腹がいっぱいになってしまって、デザートの骨は食べられない」
「そうですよね! 私もそう思っておりました!」
ドーラの表情がぱぁっと明るくなると、私は彼女の手を両手で握りしめる。そして彼女にしか聞こえないように囁く。
「あんなに魅力的な方たちがたくさんいるのだから、万が一があってもきっと平気よ、ドーラ」
「はい! カナニーア様」
タイキの言葉を否定してほしくて、チラリと騎士団長を見ると、それはもう真面目な顔で「肉食ですから」と言った。
騎士団長様、嘘でも大丈夫ですと言ってほしかったです……
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