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43.残酷な裏切り
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……良いところもあったのね。
ほんのちょっとだけだけど、ロレンシアを見直す。自分と明らかに住む世界が違う子供の心を、傷つけないように配慮する人だとは思っていなかった。
「ここだとタダで治して貰えるって聞いたんです。あの……、本当にお金はかかりませんか?」
「神から授かった力で、お金儲けなどしないわ」
「じゃあ、お父さんの咳を治してください! 聖女様」
「もちろんよ、坊や。それでお父さんはどこにいるのかしら?」
男の子の後から、誰かが来る気配はなかった。
「足が悪くてここまで歩けません。だから、僕が代わりに薬を貰いに来ました」
「困ったわね。聖女の力は手をかざさなければ効果がないのよ」
「えっ……」
男の子は泣きそうになっている。聖女の救済とは聖女が薬をくれることだと勘違いしていたようだ。
薬草を調合して渡すにしても、やはりその人の症状を一度は確認する必要がある。
合わないものを服用したら逆効果になるし、私の薬草で治るものか見極めたい。
可哀想だけれども、聞きづてだけで安易に薬草は渡せない。
「ひぐっ、ひぐっ……」
男の子が声を上げて泣き始める。ここならと期待して来たのが伝わってくるから、やるせない気持ちになる。
「坊や、家は近くなのかしら?」
「……すぐそこで……ひぐっ、す」
「泣かなくても大丈夫よ。私の力でお父さんを治してあげるから、家に案内してちょうだい」
「うわぁーん、聖女様、ありがとう……ひぐっ……」
ロレンシアは勝手に決めてしまった。ネミリが慌てて、そこまでする必要はないと諫めるが聞く耳を持たない。
私にも鞄を持ってついてこいと言ってくる。
子供相手に点数稼ぎをしているようには見えなかったから、たぶん、いつもの気まぐれだ。
ロレンシアは我儘な侯爵令嬢として生きてきたから、その場の思いつきで動くのはよくあることだった。
今も奇跡の力があると主張して周囲を振り回している。では、周りの者達から心底憎まれているかと言えば、意外にもそうでもない。
勝手な人だから好かれていないけれど、嫌がらせとか三文芝居とか、すべての言動が見え透いていると怒る気も失せるものだ。
迷惑なのは間違いないが、私も含め騎士達は諦めの境地に達し『はいはい、……またね』という感じである。
それに今回に限ってだが、この気まぐれは迷惑ではない。困っている男の子を追い返すのは、私としても忍びないからだ。
ネミリは説得しても無駄だと諦めたのだろう。ささっと書き置きを残して、男の子とロレンシアの後に続く。
私も薬草を入れた鞄を持って後を追うことにした。
鍵は閉めなかった。薬草以外に盗まれて困るものはないし、入れ違いで騎士達が戻って来た場合を考えてのことだ。
男の子の言う通り家は近かった。今にも崩れ落ちそうな屋根で、木の壁は所々腐っている。男の子が必死だったのも頷ける。こんな暮らしでは薬草を買うなんて出来やしない。
男の子は『お父さん、ただいま』と言いながら家の中へと入っていき、私達もそれに続いた。
――家の中はとても広かった。
正確には狭い部屋だったが、家具がひとつもなかったから広く感じたのだ。
どんなに貧しくとも、生活していたらなにか置かれている。……それなのにひとつもない。
それに足が悪くて家にいるはずの父親の姿もなかった。
ギギッ……。
閉めたはずの扉が開く音がしたので振り向くと、数人の男達が無言で入ってくる。
「連れてきました」
男の子がそう言って手のひらを差し出すと、一人の男がなにかを置く――お金だった。
それを大切そうに握りしめると、男の子は私達には目もくれずに家から出ていった。
私達は騙されたのだ。
男の子は本当に貧しいのだろう。迫真の演技だったのは、生きる糧を得ようと必死だったから……。
――狙いはロレンシア・パールだ。
「ロレンシア様、……ど、どうしましょう……」
ネミリは声を震わせながら、ロレンシアにしがみついている。きっと頼りにしているのではなく、怖くて近くの者に縋っているのだ。
私も震えが止まらない。入り口は男達が塞いでいるし、逃げられそうな窓もなかった。
薄暗いなか一人の男が、こちらに向かって歩いてくる。
ネミリが『ヒィッ……』と小さく叫び声をあげてから、慌てて口元を両手で押さえた。
なにがきっかけとなり、男の怒りを買うかもしれないと案じたのだ。
私もそう思っていたから、あらかじめ手で口を押さえていた。
でも、ロレンシアだけは怯えていなかった。侯爵令嬢としての矜持か。それとも誘拐という修羅場に慣れているのだろうか。
どちらにしても、そんな彼女の存在は心強かった。
「ご苦労様。なかなか良い子を選んだわね、でも帰して大丈夫なのかしら?」
「ああいう餓鬼はチクらない。自分が生きていくのに必死だからな」
「「えっ……」」
目の前で交わされる会話に、私とネミリの声が重なる。
これはどういうこと……なの…………。
そう心の中で呟きながら、もう答えは出ていた。
これはロレンシア・パールを狙ってのことではない。なぜなら、彼女はあちら側と通じているのだから。
「ロレンシア様、どういうことですか……」
ネミリは信じられないものを見るような目でロレンシアを見つめていた。
彼女はここに来るのを止めようとしていた。それに今も男達を前にして震え上がっている。つまり、これは侍女である彼女さえも知らされていなかったことなのだろう。
「黒き薬師には消えてもらうことにしたの。だって邪魔ですもの」
「ですが、このような状況で彼女がいなくなったら、ロレンシア様が疑われます!」
いやいや、気にするところ間違ってるから……。
ネミリは私の心配なんてしなかった。
それどころか、これがロレンシアの企みならば自分は安全だと分かったので、忠実な侍女として適切な助言を口にする。
主が最低だと、その侍女も最低になるらしい。
どうすればこのピンチを一人で切り抜けられるか必死に考えるが、名案など浮かんでこなかった。
周りの男達は舐めるような目つきで私を見ている。ロレンシアがどんな指示をしているのか、考えなくとも伝わってくる。
こういう奴らは獲物が怯えるのを楽しむ。だから、私は唇を噛み締めて震えを止めた。口の中に血の味が広がる。
「心配いらないわ、ちゃんと考えがあるから。でも、少しだけ手伝って欲しいことがあるの」
「さすがはロレンシア様です。それで、私はなにをすれば良いでしょうか?」
ネミリが嬉々として尋ねると、ロレンシアは答えた。
――「私のために死んでちょうだい」
ほんのちょっとだけだけど、ロレンシアを見直す。自分と明らかに住む世界が違う子供の心を、傷つけないように配慮する人だとは思っていなかった。
「ここだとタダで治して貰えるって聞いたんです。あの……、本当にお金はかかりませんか?」
「神から授かった力で、お金儲けなどしないわ」
「じゃあ、お父さんの咳を治してください! 聖女様」
「もちろんよ、坊や。それでお父さんはどこにいるのかしら?」
男の子の後から、誰かが来る気配はなかった。
「足が悪くてここまで歩けません。だから、僕が代わりに薬を貰いに来ました」
「困ったわね。聖女の力は手をかざさなければ効果がないのよ」
「えっ……」
男の子は泣きそうになっている。聖女の救済とは聖女が薬をくれることだと勘違いしていたようだ。
薬草を調合して渡すにしても、やはりその人の症状を一度は確認する必要がある。
合わないものを服用したら逆効果になるし、私の薬草で治るものか見極めたい。
可哀想だけれども、聞きづてだけで安易に薬草は渡せない。
「ひぐっ、ひぐっ……」
男の子が声を上げて泣き始める。ここならと期待して来たのが伝わってくるから、やるせない気持ちになる。
「坊や、家は近くなのかしら?」
「……すぐそこで……ひぐっ、す」
「泣かなくても大丈夫よ。私の力でお父さんを治してあげるから、家に案内してちょうだい」
「うわぁーん、聖女様、ありがとう……ひぐっ……」
ロレンシアは勝手に決めてしまった。ネミリが慌てて、そこまでする必要はないと諫めるが聞く耳を持たない。
私にも鞄を持ってついてこいと言ってくる。
子供相手に点数稼ぎをしているようには見えなかったから、たぶん、いつもの気まぐれだ。
ロレンシアは我儘な侯爵令嬢として生きてきたから、その場の思いつきで動くのはよくあることだった。
今も奇跡の力があると主張して周囲を振り回している。では、周りの者達から心底憎まれているかと言えば、意外にもそうでもない。
勝手な人だから好かれていないけれど、嫌がらせとか三文芝居とか、すべての言動が見え透いていると怒る気も失せるものだ。
迷惑なのは間違いないが、私も含め騎士達は諦めの境地に達し『はいはい、……またね』という感じである。
それに今回に限ってだが、この気まぐれは迷惑ではない。困っている男の子を追い返すのは、私としても忍びないからだ。
ネミリは説得しても無駄だと諦めたのだろう。ささっと書き置きを残して、男の子とロレンシアの後に続く。
私も薬草を入れた鞄を持って後を追うことにした。
鍵は閉めなかった。薬草以外に盗まれて困るものはないし、入れ違いで騎士達が戻って来た場合を考えてのことだ。
男の子の言う通り家は近かった。今にも崩れ落ちそうな屋根で、木の壁は所々腐っている。男の子が必死だったのも頷ける。こんな暮らしでは薬草を買うなんて出来やしない。
男の子は『お父さん、ただいま』と言いながら家の中へと入っていき、私達もそれに続いた。
――家の中はとても広かった。
正確には狭い部屋だったが、家具がひとつもなかったから広く感じたのだ。
どんなに貧しくとも、生活していたらなにか置かれている。……それなのにひとつもない。
それに足が悪くて家にいるはずの父親の姿もなかった。
ギギッ……。
閉めたはずの扉が開く音がしたので振り向くと、数人の男達が無言で入ってくる。
「連れてきました」
男の子がそう言って手のひらを差し出すと、一人の男がなにかを置く――お金だった。
それを大切そうに握りしめると、男の子は私達には目もくれずに家から出ていった。
私達は騙されたのだ。
男の子は本当に貧しいのだろう。迫真の演技だったのは、生きる糧を得ようと必死だったから……。
――狙いはロレンシア・パールだ。
「ロレンシア様、……ど、どうしましょう……」
ネミリは声を震わせながら、ロレンシアにしがみついている。きっと頼りにしているのではなく、怖くて近くの者に縋っているのだ。
私も震えが止まらない。入り口は男達が塞いでいるし、逃げられそうな窓もなかった。
薄暗いなか一人の男が、こちらに向かって歩いてくる。
ネミリが『ヒィッ……』と小さく叫び声をあげてから、慌てて口元を両手で押さえた。
なにがきっかけとなり、男の怒りを買うかもしれないと案じたのだ。
私もそう思っていたから、あらかじめ手で口を押さえていた。
でも、ロレンシアだけは怯えていなかった。侯爵令嬢としての矜持か。それとも誘拐という修羅場に慣れているのだろうか。
どちらにしても、そんな彼女の存在は心強かった。
「ご苦労様。なかなか良い子を選んだわね、でも帰して大丈夫なのかしら?」
「ああいう餓鬼はチクらない。自分が生きていくのに必死だからな」
「「えっ……」」
目の前で交わされる会話に、私とネミリの声が重なる。
これはどういうこと……なの…………。
そう心の中で呟きながら、もう答えは出ていた。
これはロレンシア・パールを狙ってのことではない。なぜなら、彼女はあちら側と通じているのだから。
「ロレンシア様、どういうことですか……」
ネミリは信じられないものを見るような目でロレンシアを見つめていた。
彼女はここに来るのを止めようとしていた。それに今も男達を前にして震え上がっている。つまり、これは侍女である彼女さえも知らされていなかったことなのだろう。
「黒き薬師には消えてもらうことにしたの。だって邪魔ですもの」
「ですが、このような状況で彼女がいなくなったら、ロレンシア様が疑われます!」
いやいや、気にするところ間違ってるから……。
ネミリは私の心配なんてしなかった。
それどころか、これがロレンシアの企みならば自分は安全だと分かったので、忠実な侍女として適切な助言を口にする。
主が最低だと、その侍女も最低になるらしい。
どうすればこのピンチを一人で切り抜けられるか必死に考えるが、名案など浮かんでこなかった。
周りの男達は舐めるような目つきで私を見ている。ロレンシアがどんな指示をしているのか、考えなくとも伝わってくる。
こういう奴らは獲物が怯えるのを楽しむ。だから、私は唇を噛み締めて震えを止めた。口の中に血の味が広がる。
「心配いらないわ、ちゃんと考えがあるから。でも、少しだけ手伝って欲しいことがあるの」
「さすがはロレンシア様です。それで、私はなにをすれば良いでしょうか?」
ネミリが嬉々として尋ねると、ロレンシアは答えた。
――「私のために死んでちょうだい」
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