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44.ロレンシア・パールの正体

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ロレンシアは鈴を転がすような声音で死ねと紡ぐ。まるで道端に生えている花を一輪摘んでちょうだいと、簡単なことを頼んでるかのようだった。

その不気味さに背筋が凍った。


「ロレンシア様……?」

ネミリは自分の主人の名を呼びながら首を傾げる。
その顔はまだロレンシアの言葉の意味が分かっていないようだ。いや、この残酷な裏切りを信じたくないのかもしれない。


男爵令嬢のネミリはパール侯爵家の縁戚という繋がりで、ロレンシアの専属侍女として長きに渡り仕えてきた。

以前彼女は自慢気に私に話していた。
『私はロレンシア様から信頼されています。姉のように慕っていると言われたこともあるのですよ。だから本当なら私はあなたのような孤児が、軽々しく声を掛けて良い相手ではないのです』と。

二人の仲が本当はどうだったかなんて、私は知らない。でもネミリ本人は、自分はロレンシアにとって重要な人間だと思っていたのは間違いない。

 ……たぶん、そう思い込まされていた。


目の前のロレンシアに対して、底しれぬ恐ろしさが湧き上がってくる。



ロレンシアはネミリとの話はもう終わったとばかりに、男に話し掛ける。

「分かっているとは思うけど、約束を違えることがないようにしてちょうだい。万が一にも――」
「金をもらっているんだ、約束は守る」
「ふふ、余計なことを言ったわね。では、よろしくね」

男がそう言い切ると、彼女は満足そうに頷いてから扉に向かって歩き始める。入り口を塞いでいた男達は彼女のためにさっと道を開けた。


さっきまで呆けていたネミリは、這いつくばってロレンシアの足元に縋りつく。


「どうしてですか! 私はずっと誠心誠意仕えてきました。どんな命令にも従っていたではありませんかっ! それにっ、私のことを姉のように思っているとおっしゃっていたのに。私を騙したのですか……」

ネミリは必死になって訴える。やっと今の状況に理解が追いついたようだ。


「主人に仕えるのは当たり前でしょ? それに騙したなんて人聞きが悪いことを言うのね。馬を調教する時は鞭を使うでしょ? 下の者を躾けるのに鞭を使う人もいるけれど、私はその方法は野蛮だから好まないわ。だから、言葉を使って仕える者達を上手く操るの。ネミリだって喜んでいたんだから、お互いにとって良い選択だったのよ」

ロレンシアは物分りの悪い子供を諭すように話す。その表情に偽りはなかった、つまり心からそう思っているのだ。

その異様さに身震いする。
 

「わ、私はまだお役に立てます! なんでもしますからっ。お願いです、助けてください……」
「私はこれから王家に嫁ぐの。専属侍女は最低でも伯爵令嬢でなくては私が侮られてしまうわ。装飾品だってそれなりのものを常に身につけておかないとね。その点、ルイトエリンは合格だわ。侯爵令息だし、あの美貌だもの。侍らせたら私の価値が上がるわ」

つまり、ロレンシアは人を人だと思っていないのだ。
――自分を飾り立てるための装飾品と同じ扱い。

いらなくなったら簡単に処分する、欲しかったらどんな手を使っても自分のものする。


 ……彼をそんなふうに扱うのは許さない。


「ルイト様は絶対に承知しませんよ」
「彼は大切な者がいるわ。確かケイルートという異母弟だったかしら、ふふふ」

彼女は遠回しに脅して言うことは聞かせる手段はあるのだと告げてくる。行き当たりばったりではなく、入念に調べ上げているのだ。

ロレンシアは目線をネミリから私へと移す。その目は今まで見たことがないくら冷酷なものだった。

 ……ああ、そうか、全部演技だったのね…………。


我儘で愚かな侯爵令嬢は仮面。

気まぐれも、三文芝居も、些細な嫌がらせもすべて計算だった。彼女はわざと周囲に、見目麗しく身分は高いがそれだけの令嬢だと印象づけて、私達を油断させていたのだ。

これも父親であるパール侯爵の指示だろうか。実の娘を道具扱いするなんて反吐が出ると顔を顰めていると、彼女は可笑しそうに声を上げて笑った。


「父は愚かで可愛い娘を操っているつもりでいる。でもね、実際に操っているのは私。王家でもそうするつもり。だから、こんなことで躓くわけにはいかないの。私が疑われないためには、仲の良い侍女の死が必要なの。だから、その命を私のために捧げなさい」
「……死にたくない。いやーーー」

ロレンシアが告げた最後の言葉にネミリは絶叫する。


私は声も出なかった。こんなに恐ろしい人を見たのは初めてだった。

悪事に手を染める人達はたくさん見てきた。でも、それぞれ事情があったり、大切な人達がいたりして、その胸のうちには僅かばかりだとしても葛藤が見え隠れしていた。

これで本当にいいのかという後悔。大切な者だけには汚い自分を知られたくないという勝手な言い分。
どれも身勝手でしかないけれど、それでも悪人達にはそう思う心があった。


しかし、ロレンシアの心には良心というものが存在していない。


だから、この状況で美しく微笑んでいられるのだ。彼女はいつも聖女らしく慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。でも、今のほうがより彼女を輝かせていてる。

本来笑みとは周りにいる人達を和ますものだけど、彼女のそれは真逆だった。
……これは悪魔の微笑なのだろうか。禍々しいほどの美しさを放っていた。


『性善説なんて期待するな』というヤルダ副団長の言葉を思い出す。確かにその通りだったと思う。でも、人の心を持っていない彼女は、もはや人とは言えないのかもしれない。
生きていく中で失ったのか、それとも最初から持ち合わせていなかったのか。どちらにしろ、ロレンシア・パールほど恐ろしい人はいない。



ロレンシアはかがみ込んで、足元で泣きじゃくるネミリを優しく抱きしめる。頭を上げたネミリの顔には喜色が滲み、泣き声も止まっていた。助かると思ったからだ。

ロレンシアの気が変わって便利な駒を持ち帰ることにしたのだと私も思った。


「……ありがと…うござい――」
「もう二度と会えないなんて寂しいわ、ネミリ」
「……っ………」

ロレンシアはネミリの耳元でそう囁くと、振り返ることなく一人で薄暗い家から出ていった。音を立てながら扉が閉まると、ネミリの嗚咽がまた始まった。


――こんな残酷な人はいない。




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