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一緒に帰りましょうの約束
しおりを挟む一番最初に目的地に着いたのは、南部ラシリオへ向かったキンバリーたちだ。
孤児院の前に豪奢な馬車が止まる。
その壮麗な作りに、どこの大貴族が現れたのかと通りがかりの人たちは足を止めた。
「ミル、おいで」
馬車から降り立ったキンバリーは、まず愛娘を座席から持ち上げて左腕に抱える。
次いで、愛しい妻に右手を差し出した。
「では行こうか、ラシェル」
ラシリオ担当である第三班の作戦を考える時、実は少し家庭内で揉めた。どこの家庭かと言えば、もちろんキンバリーの。つまり彼の妻ラシェルが異を唱えたのだ。
事情を知ったラシェルは、なんと自分も作戦に参加すると言い出した。
当然、妻を溺愛するキンバリーが許す筈がない。だがラシェルもまた譲らなかった。理由は単純、救出対象がまだ九歳の少女だったから。
「まだよく事情も飲み込めない年齢で家族から引き離され、偽りの環境に縛られた子を助けるのでしょう?
ならばせめて、そこから連れ出す時は嘘を聞かせたくないのです」
「ラシェル・・・」
「危ない事はしません。そもそもしたくても出来ません。私には武術の才などありませんもの・・・ただ、その子を助けに来たと伝える役目だけ私に下さいませ」
「・・・」
「お願いです、あなた」
キンバリーは知っている。ラシェルは子どもにめっぽう弱い。
ラシェルがどれだけ自身の子ランスロットを必死になって育てたか、すぐ側でずっと見てきたのはキンバリーだ。知らない筈がない。
乳母の選定では、病気の夫と幼な子二人を抱えた候補の女性を、家族ごと召し抱えたくらいだ。
キンバリーとしては、接触時にはロージーが警戒しない様に、またリネットを借りるつもりだったのだが。
「あなた・・・?」
ラシェルが意外と頑固なのは、もう経験済みだ。
最初の接触だけなら、キンバリーはそう作戦を練り直す。実際の救出作戦時、ラシェルたちがその場に居なければ済む話だ。
「・・・む? ならば道中、家族団欒まで楽しめてしまうのか・・・?」
よく考えてみたらいい案かもしれない。タイミングを測る必要と、ロージーを怖がらせずに連れ出す事が最重要事項だった。それに、ラシェルの言う通り、これ以上ロージーに嘘を聞かせたくはない。キンバリーもまた、子どもには弱いのだ。
こうしてキンバリーの心の天秤は、あっさりと傾く。
きゅっとキンバリーの手を握る白くて柔らかな指に、彼は了承の口づけを落とした。
「これはこれは・・・高名な貴族の方とお見受けします。こんな田舎の孤児院に何か・・・?」
孤児院の院長が慌てて入り口に現れる。ロージーを娘と偽わり、見張っている者だ。
「娘の遊び相手を探している。身の周りの世話もやらせたいから、少し年上がいいのだが」
「こちらがお嬢さまですか。お可愛らしいですね。ええと、それで少し年上となると、十歳とかその辺りの女の子でしょうか」
「そうね。しっかりした子なら、もう少し小さくても構わないわ。行儀作法はこちらで教育してもいいし」
にっこりと笑うラシェルにうっかり院長が見惚れれば、ぎろりとキンバリーが睨みを効かせる。ぴくんと肩を揺らした院長が、慌てて奥を手で示した。
「で、では、すぐに子どもたちを集めますので、こちらへ」
その頃、ロージーは台所で昼食に使った皿を洗っていた。
その目は暗く、表情も固まったかの様に動かない。
当然だ、あの時ロージーはまだ六歳。何も知らず、知らされぬまま家族と引き離され、気がつけばここにいた。
見知らぬ男を父と呼ぶ事を強要され、嫌がれば叩かれた。逃げる素振りを見せれば、容赦しないと脅される。しかも容赦されないのは自分ではなく、どこかにいる自分の家族。
父と呼べと強要した男は、けれどロージーを娘とは扱わない。体のいい労働力だ。無報酬で洗濯に皿洗い、買い物などの雑用にこき使った。
・・・あたしの本当のお父さんは。
土いじりが好きだった。大きなお庭をきれいな花でいっぱいにして。あたしはそれを手伝うのが好きで。
でも、きっと、もう会えないんだ。
ここに連れて来られてから、もう三年。
もしかしたら、いつか誰かが助けに来てくれるんじゃないかと思った時もあった。
けど、もうそんな夢を見るのも疲れてきた。
何も考えない方が、楽になれる。
父さんも母さんも姉さんの事も、忘れてしまった方が気が楽になるから。
「・・・」
ーーー 忘れられる筈なんて、ないのに。
ふと、涙が滲みそうになった時。
「・・・あら、ここにぴったりの年齢の子がいるじゃない」
「え?」
突然に聞こえた知らぬ声に、ロージーが慌てて振り返る。
すると台所の入り口に、今まで見た事もない様なきれいな女性が立っていた。
「ぜ、前バームガウラス公爵夫人。この子はダメです。その、お、俺の子でして、夫人のお屋敷に連れて行かれては困ります」
「あらどうして? ちゃんと教育もするし、ここよりずっといい暮らしをさせてあげられるわよ? お給料だって、きちんと渡すわ」
「そ、そういう事ではなく、ロージーは、お、俺の一人娘なんで・・・っ、離れて暮らすのは」
「・・・まあ。離れて暮らすのが耐えられないほど娘さんを愛してるのね」
状況が掴めず、呆気に取られるロージーの側に、その美しい女性が近づいて来る。見れば、彼女の右手はすぐ横にいる小さな女の子の左手と繋がれている。まだ幼いその子は、三歳くらいだろうか。ちょこちょこと少し危なげな足取りで、女性の後をくっ付いて来ていた。
「ロージーと言うのね、こんにちは」
「こんちゃ」
女性と、それにつられて小さな女の子が挨拶の言葉をかける。相手は貴族、ロージーは慌てて頭を下げた。
「・・・こんにちは。奥さま、そしてお嬢さま」
女性はちらりと流し台の中を見る。沢山の皿を洗っていた事を確認すると、ロージーに向かって微笑んだ。
「お手伝いをしていたのね。偉いわ、ロージー」
「えりゃい」
「あ、いえ、そんな」
当たり前の事だ。ここでのロージーの立場は、ある意味では孤児たちより低い。
だから、誰もロージーに労いの言葉などかけた事もなかったのに。
「ねぇ院長。ミルもロージーを気に入ったみたいだし、本当ならこの子を選びたいのだけれど」
「前公爵夫人。それはどうか、この子以外でしたら、どの子どもを連れて行っても構いませんので」
「そう・・・残念ね」
話の中身は見えないが、どうやらこの孤児院から誰か一人を選ぶつもりだったらしい。そして目の前の女性は自分がいいと思った様だ。出られるものなら出て行きたい、無理だとは分かっているけれど。
きゅっと胸が締め付けられた。その時だ。
女性がそっと顔を寄せた。そしてロージーの耳元で小さく囁く。
「あなたを本当の家族の所に帰してあげたいの。ダビドさんたちの所に」
「・・・っ」
「夜の八時に裏庭に出て来て。私たちと一緒に帰りましょう」
それだけ言うと、女性はしゃがんでミルと呼ばれた幼な子を抱き上げた。
「仕方ないわね。他に良さそうな子は居なかったし、別の孤児院を回る事にするわ」
咎める様な声でそう告げると、台所入り口に立っていた院長は恐縮した様に背中を丸まらせる。
「じゃあね、ロージー」
「ろーじー、ばいばい」
小さな女の子が手を振る。
最後に、微笑みを残して去って行った女性の後ろ姿は凛としていた。
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