蓮華

鎌目 秋摩

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動きだす刻

第62話 鴇汰 ~鴇汰 5~

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「いくらなんでもこんなに暗いわけは……」

「海岸へお行き」

 聞き覚えがあるような、優しく低い男の声が響いてきた。

「そこにいてはなんのしようもない。海岸へ行くんだ」

「海岸……? けど俺は……」

 正面にぼんやりと小さな灯りが見えて目を凝らすと、シタラが立っている。
 シタラの唇からこぼれた言葉はいつもの声とは違い、やっぱりこちらもどこがで聞いたことがあるような、ゆったりとした落ち着きのある女性の声だった。
 似ているとすれば、サツキの声だろうか?

 けれど二つの声はなにか普通とは違う。
 いくつかの言葉を呆然としながら聞いていた。
 理解などできないのに、なぜか納得している自分がいる。
 そして理由も告げないまま、シタラは真っすぐ指を差す。

「海岸へ行くのです」

 その先をしっかりと見据え、鴇汰は大きくうなずいた。

「――ちょう? 隊長?」

 大きく揺さぶられ、ハッと我に還り、目を開くと橋本が鴇汰を覗き込んでいる。
 立っていたはずが横たわったまま鬼灯を胸に抱いていた。

「あれっ?」

「あれ、じゃないですよ! ずいぶんとうなされてましたけど、大丈夫ですか?」

「あ……あぁ、変な夢をやたら見続けてた」

「夢、ですか?」

 テントの中には四、五人いたのに、今は誰もいない。

「みんなは?」

「つい今しがた起き出して、軽く果物を食ってるところですよ」

「そっか。今の時間は?」

 橋本は腕時計に視線を落とし、三時を回ったところだと言った。

「わかった。すぐに全員を集めてくれ。今から海岸に向かう」

「海岸? なんだって急にそんなこと……」

「婆さまに行けと言われた。なにかあるに違いない。急いで支度してくれ。それから相原を呼んでくれないか」

「わ……わかりました」

 早口で指示すると、こちらの真剣さが伝わったのか、橋本は逆らわずにテントを飛び出していった。
 身支度を整え、虎吼刀を背負うと、相原がテントの入口をまくり上げて中を覗き込んだ。

「どうしました?」

「あぁ。ちょっとな」

 手招きしてそばへ呼ぶ。

「薄々わかってると思うけど、俺はここに麻乃が現れたら、それを迎え討つ」

 相原はつと視線をそらした。
 鬼灯の入った革袋をベルトに結び付け、外れないように何度も確認しながらも、相原から視線を逸らさずに訴えた。

「倒すわけじゃない。取り戻したいんだ。どうしても」

「なにか良からぬことを企んでるのはわかってました。まぁ、そういうことだろうな、と……」

 苦笑いを浮かべてそう言う。

「止めても無駄だというのもわかっていますから、もうなにも言いませんよ。ですが……言わないからと言って、なにも感じていないとは思わないでください」

 鴇汰より少し背の高い相原は、わずかに見下ろす形で目を見返してくる。
 眉間に寄せられたシワが、多分鴇汰が想像している以上に心配してくれているのだろうことを感じさて辛い。

「おまえには面倒ばかりかけちまうけど、俺の手が回らなくなったときには、あとのことを頼む」

「この貸しは高くつきますよ。すべてが済んで、またいつもの時間が戻ったら、きっちり返してもらいます」

 全員で必ず無事に戻ろう、そういうことか。
 大きくうなずいてみせると、テントを出た。
 外には橋本の号令で全員が既に集まっている。
 その中から予備隊と訓練生を中心に班を作らせ、拠点の撤去と次の拠点への移動をさせた。

 岱胡の部隊が用意した予備の物資は梁瀬の隊員に持たせ、福島の元へ届けるように指示を出すと、海岸へと向かった。
 橋本にはシタラが言ったことにして話したけれど、正確にはシタラの姿をした『誰か』だ。これまで夢に現れたときと声が違う。
 ひょっとすると、あの声は泉の女神さまじゃあないだろうか?
 そんな気もする。

(それより――)

 最初に鴇汰を誘ったのは男の声だった。
 その声に聞き覚えがあるような気がする。

 敵の声ではないと言いきれないし、もしもそうだとしたら呼ばれたからと言ってノコノコ出ていくのは危険だろう。
 けれど、どうしても行かなければならない気がしている。

 不安をあおっても仕方ないのだからと、みんなには黙っていることにした。
 あたりはまだ暗く、夜明けまでまだ時間がある。
 顔を上げると三日月が見え、さっき膝を抱えて見上げた景色を思い出した。

(麻乃……)

 あれが麻乃の目線なら、まだ船に残っている。
 逸る気持ちが自然と足を速めた。
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