蓮華

鎌目 秋摩

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動きだす刻

第105話 謀反 ~サム 1~

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 サムは見慣れた長い廊下を歩き続けた。
 角を曲がると大きな扉が視界に入り、脇に控えた兵の驚いた視線にぶつかった。

「長く留守にしてすまなかった。少しばかり用がある。外してくれるかな?」

 手にした杖を突き出して二人の兵を交互に指し、暗示に掛ける。
 二人は長い廊下をサムが今、やって来たほうへと去っていった。
 この部屋を訪れるのは久しぶりだ。
 重い扉を開くと、大きなベッドに横たわっていた王がゆっくりと起き上がった。

「おまえ……無事であったか……」

 よろよろと覚束ない足取りでベッドを抜け出し、サムのほうへ歩み寄ってくる王の両手を取った。

「長く待たせてしまい、申し訳ありません。ですが、もう大丈夫です。なにを気に病むこともなくなります」

「なにを言うか……もう私は終わりだ……取り返しのつかないことを……」

 王は泣き崩れてしまった。
 庸儀に攻め込まれ、焼かれた村を前に憔悴しきっていた姿と重なり、サムも目頭が熱くなった。
 昔は恰幅のいい人だった。
 温かみを感じさせる容貌も、多くの民に好まれていた。
 それが調印の少し前から痩せ始め、今では別人のように見える。

「やり直すことなど、いくらでも可能です。あなたがいるかぎり、私はどこまでもあなたのなさろうとしたことを守りましょう」

 王をゆっくり立ち上がらせると、その手をギュッと握り締めた。

「やり直すなど……私は多くの若者を送り出してしまった。ようやく芽吹いた土地はまた荒廃してしまう。だからと言ってあの二国を相手取って、我が国になにができよう? これ以上、多くの民を犠牲にしたくないと思っての選択が、ますます民を苦しめてしまうとは……」

「案ずることはありません。この大陸はこれから大きく変わります」

 椅子に腰を下ろさせ、むせび泣く王に水を汲んで渡した。
 今の王に変わってからというもの、土地が豊かになっただけでなく、水も澄んだ。
 かつては泥の混じった薄茶の水を濾して飲んだものだった。
 水源は豊富にあるのに、争いばかりを起こしていたせいで、沼も川もなにもかもが汚れていた。

「陛下は私たちに行き先を示してくださいました。これからも、この国の先頭に立って、指針を示してくだされば良いのです。私たちはそれに従い、この国を守る……そう、私たちだけではない。この国に暮らすすべての国民が、この国を守るのです」

「だが、私はおまえの進言に耳も貸さず、調印をしてしまった」

「あれは私のミスです。私はあのとき、焦って誤った行動をしてしまった。明らかに判断を誤ったのです」

「それは違う。サム、おまえは良くやってくれた。おまえだけではない、他の皆も同じだ。それを私が……」

 限られた時間の中で、だれの責任もなにも言い合っている場合ではないというのに、どちらも譲らず堂々巡りのやり取りに、サムはつい笑いを漏らしてしまった。
 クツクツと笑い続けるサムを見て、王の目もともほころんだ。
 ずっと後悔をしていたせいで頑なになっていた態度も和らぎ、やっと言葉が届くようになったのだろうか?

「陛下、ジャセンベルが動きだします。三国が泉翔へほとんどの兵を向けた今、ジャセンベルは必ず統一を果たすでしょう」

「なんということ……それでは我が国はますますもって危うい状況になってしまうではないか」

「私がこれまで身を隠していたのは、なんのためだとお思いですか? 私とともに出奔したものたちも多くが無事におります。ジャセンベルへも繋ぎを取り、ヘイトの平穏を第一に考えて動いてきました」

「しかし……」

「出航してしまう兵たちはすぐには助け出せません、ですが残った国境沿いの兵たちには、どうか退くよう、城の兵には動かず待機するよう取り計らっていただきたいのです」

 真っすぐにサムを見返してきた王は、固い表情を崩さないまま、ハッキリとした口調で言った。

「城の兵たちは止められる。だが、国境沿いは駄目だ……サム、あのものたちは駄目なのだよ……」

「駄目? 一体なぜです? 国境沿いには庸儀やロマジェリカの兵もいます。あそこにいてはジャセンベルが……」

「暗示だ。国境沿いのものたちは暗示にかけられているのだよ」

 肩を落とした王は両手で顔を覆い、静かに息を吐くと、声を押し殺して泣いた。
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