蓮華

鎌目 秋摩

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大切なもの

第42話 憂慮 ~サム 2~

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 それは泉翔を奪って手に入れるのではなく、自分たちヘイト人の手で作り出す新しい国の姿だ。
 再会したときの陛下の姿を思い出した。
 痩せ衰えて力なく差しのべられた手、判断を誤ったことへの後悔の念、流した涙。
 わずかに微笑んだときの目尻のシワに漏らした深い溜息……。

 昔の面影がないほどに変わってしまい、すっかり弱ってしまっていたけれど、今ここで行動を起こすことで昔の姿を取り戻せるなら、誤った道を進む仲間を取り戻せるのなら。

(力の出し惜しみなど……していられるか)

 本当ならば二度目の術を返したあとのことを考えて、多少なりとも力を抑えたほうがいいのではないか、と考えるところだ。

(いや……そのあとは嫌でも六時間、術を使うことができないのだから、回復はそのあいだに十分取れるはずだ)

 クロムにもらったメモを取り出し、術式を何度も読み返してから、もう一度、海岸へ目を向けた。
 杖を取り出して目線の高さに構えると、水平線をなぞるように線を引くイメージを思い浮かべてみる。

『二回り大きく取るのです』

 不意に耳もとで誰かが囁き、驚いて周囲を見回した。そばには誰もいない。

「今の声は一体……」

 一瞬、クロムが頭を過ったけれど聞こえたのは穏やかな女性の声だった。
 梁瀬とクロムとは、泉翔の島を範囲に術を掛けると話し合った。
 ここでサムだけが二回り大きく範囲を取って失敗はないのだろうか?

 頭は疑問を感じているのに、胸の奥では大きく範囲を取ろうと決めている。
 ならば、それに従ってみることにしよう。
 確証はないけれど、クロムも同じように判断し、梁瀬もそれに乗ってくる気がしていた。

 目を閉じて杖先を額に当てた。
 体の右側にクロムと繋がっているような気配を感じる。
 左側は、まだなにも感じない。梁瀬の気配さえ届いてこない。
 準備に時間がかかっているのだろうか?
 長田を連れ出すのに手間がかかっているのだろうか?

(いや、北の浜にクロムの気配があるのだから、梁瀬は既に西の浜へ向かっていると考えていいだろう)

 となると、なにか手間取って準備が遅れているに違いない。
 まだかまだかと焦れているから、余計に待つ時間が長い気がするのか。

 丘の下では庸儀の兵と反同盟派の仲間が必死に戦っている。
 見ているかぎりでは庸儀を押している様子だけれど、時間が経って疲労が重なればどうなるかはわからない。
 焦り落ち着かない思いを静めようと目を閉じた。

 聞こえている戦場での喧騒がだんだんと遠くなり、波の音だけが耳に届く。
 右半身は変わらずほのかに暖かいままで、それが妙に気持ちを冷静にさせてくれた。

 考えなければならないことは山積みで、今後の泉翔やジャセンベルとの関わりかた、ヘイトで進めていくべき様々なこと、それらがいくつも頭を過ぎる。
 土地を豊かに育んでいくには、これだけの自然を保ち続けている泉翔の知識を得たい。

 狩りや漁も生き物の飼育も、恐らく大陸のそれと泉翔ではやりかたや考えかたが大きく違うはずだ。
 学ぶべきことはたくさんある。
 すべてが無事に済み、レイファーが泉翔へ今後の働きかけをする折には、是非とも陛下にも同席を願いたい。
 叶うのであれば、その目でこの島を見てもらいたい。

 思いばかりがあふれ出す。
 けれどそれは決して絵空事ではなく、そう遠くない未来に必ず掴み取れるだろう姿だ。
 杖を額から離して空を仰いだ瞬間、体の左半身が熱くなった。
 まるで無理やり左肩を引き寄せられたような感覚だ。

(やっと来たか!)

 遅れたことで申し訳なさそうにしている梁瀬の思いが伝わってくるようだ。
 クロムのほうからは落ち着いた見守るような意識が届いてくる。

 大きく深呼吸をし、梁瀬から伝わる感覚に合わせて術を唱えた。
 ゆっくりと確実に、一言一言を発していく。
 隣に感じる二人の気配が不安も焦る思いも打ち消してくれるほど、安心感を与えてくれた。

 今はまだ二人に遥かに劣るだろう。
 それでもいずれは差を埋め、二人に誇ってもらえる術師になってみせよう。
 水平線へ向けた杖先を見据え、最後の一文を唱える。

(今が終わりではない……ここから私のすべてが始まるんだ……)

 決意を表すかのように、サムは上げた杖先を島の中心へ向けて力強く振り下ろした。
 外海のほうから、前回のときよりも強い風が島の中心へ向かって吹き抜けた。
 マントが巻き上がり、周囲の木々は激しく揺れていくつかの小枝を落としている。

「なんて力だ……」

 驚きと激しい消耗で立っていることさえままならず、近くの大木にもたれるように腰を落とした。
 目眩だけでなく吐き気も覚える。
 這うようにして海岸の見渡せるあたりまで移動した。

 思ったとおり海岸には暗示にかかった兵が少なかったようで、相変わらず争いはやまない。
 それでも、もう間もなく制圧できそうな状況であることは見て取れ、ホッとしたのと同時に目の前が真っ暗になった。
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